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1566 蜜月
誘い
しおりを挟むラスはアルバにはいっとう良い部屋を用意した。この辺りで一番良いホテルの最上階の部屋のバルコニーからは、海岸が一望できる。バルコニーテーブルに頬杖をつき、アルバは水平線を眺める。潮の香りも波の音も故郷とは違うが、やはり水となると怖く、こうやって眺めるばかりで近づくことはできない。
部屋のチャイムが鳴る。アルバが「入っていいよ」と大きな声で返事をすると、ラスが鍵のかかっていないドアを開けた。
「だめだよ、鍵をかけないと」
バルコニーにアルバを見つけ、ラスは苦笑いする。育ちから部屋に鍵をかける概念のないアルバは、意味がわからずに眉をひそめた。彼は自分の馬車の扉だって鍵をかけたことがない。
「ごめんね、勝手に貴族だって言っちゃって」
バルコニーへと歩きながら、ラスが謝る。それは勝手にアルバの立場を変えたことへの謝罪だ。
「何が? 本当のことだし、これから何が変わるわけでもないんでしょ。ラスは助けてくれて、みんなにこんなすごい休暇をくれたじゃん。謝るどころか、こっちがお礼言わなきゃ」
アルバは外を向いたまま言う。彼の言葉に自分への信頼を感じ、ラスは胸があたたかくなった。口元を綻ばせ、愛おしくてたまらないと彼を見る。
「アルバは、みんなと遊ばないの?」
ラスは彼の向かいに座り、小首を傾げた。アルバは「うん……」と頼りなさげな返事を返す。
「ぼくは水に入るのが苦手だから……」
「ああ、そうだったね」
ラスは、都でボートに乗せた時、ボートから手を出して水につけることすら嫌がったアルバを思い出す。思い出してみれば、ボートに乗ることにも少し嫌な顔をした。
「……ラス」
ふと、アルバが彼を呼ぶ。その頬は紅潮し、青い目は何か期待しているようにラスを見つめる。ラスは目元を緩ませ、アルバの方に身を乗り出した。
ちゅっと、アルバからラスにキスをする。ラスは一度で終わると思ったが、アルバはラスの顎を軽く掴んで、もう二度口付けた。少し顔を離してラスのきらめく目を見つめると、思い出したようにまたキスをする。今度はさっきよりも情熱的に。想定外のことに、ラスの頬がばら色に染まる。
「え、えへへ……」
長いキスを終え、アルバが満足げに笑みを漏らす。ずっとラスとしたかったことがようやくできた。もっと彼に触られたいと、目をまんまるにしているラスの手を取ってベッドに行こうとする。
「ま、待って!」
ラスは腕を引かれても立ち上がることはせず、慌てて彼を制止した。
「準備が、まだ……」
そう言い、もじもじと身をよじる。何の準備がいるのかとアルバは不思議そうだ。ラスはばくばくと打つ心臓の音を感じながら、立ち上がってアルバを抱きしめる。
「今夜、私のアトリエに泊まってほしい。夕食の後で迎えにくるよ」
そう言い、そっと彼にキスをした。
「好きだよ、アルバ」
これ以上なく大切にとっていたその時は今夜なのだと思うと、ラスの胸は高鳴ってしょうがない。男性経験のない彼には初めてのことで、恐怖がないわけではない。しかしそれ以上に、自分にできるうちで最高の愛情表現をアルバとできることが嬉しくてしょうがない。
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