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1566 蜜月
ザラス兄妹
しおりを挟む「名前は?」
屋敷の廊下を通って玄関に向かいながら、アルバは尋ねる。
「リザモンドです……。リザと呼んでください……」
娘──リザは、とろんとした目でアルバを見上げた。
「リザだね。ぼくはアルバ」
「彼は私の恋人だよ」
アルバが名乗ると、隣を歩いていたラスがわざと彼の腰を抱いて見せる。女性に興味のないアルバは気づいていないようだが、リザはアルバに惹かれている。ラスは嫌味を言うほど自信がないわけではないが、牽制をしておきたくなるくらいには彼女はあからさまだ。
「アルバさん……」
アルバの腰に回されるラスの腕をちょっと気にしたが、リザはアルバの顔を見てやはりうっとりとした。目をきらめかせ、頬を赤く染める。彼女を送り届けるまでだと我慢し、ラスは心の中でため息をついた。
屋敷を出たところには、馬車が一台停まっていた。貴族の居住地で見かけるものたちよりは小さいが、アルバの二頭立ての馬車よりは立派だ。窓は黒塗りで、外から中の様子を見ることはできない。
従者がステップを用意し、馬車の扉を開く。リザに乗り込むよう促したが、リザは乗らず、もじもじとしてアルバを見やる。
「あの、転んだ時に足が……」
彼女は口元を隠して、アルバに上目遣いを見せた。足をひねったのかと察して、アルバは彼女に肩を貸してやった。リザがパッと顔を明るくした。その様子にラスは呆れる。ここまで屋敷の中を自分の足で歩いてきたのだから、リザは嘘をついているに決まっている。しかしそんなことを指摘してもしょうがない、少しの我慢だ、そう思って口をつぐむ。
馬車の中には、目つきの悪い男が一人座っていた。年はアルバと変わらないか、少し上だろう。背は人並みよりは高いが、アルバやラスと比べると低い。彼はリザをぎろりと睨むと、いらだって目元をぴくつかせる。
「追い出されたのか。本当にグズだな、リザモンド。家の命運がかかっていることを忘れたか?」
「申し訳ございません、お兄さま……」
彼にそう言われ、リザはアルバの気を引いて喜んでいたことなど忘れて青くなった。深く頭を下げ、強く噛んだ唇を震わせる。
男はアルバを上から下まで、品定めするようにじろじろと見る。それから、ふてぶてしく口を開いた。
「誰だお前は」
「お前が誰だよ」
偉そうな男に、アルバは反射的に反抗する。男はふっと小馬鹿にしたように笑った。
「その目の色に免じて、今の言葉は許してやる。貴様、巷で話題になっているアルバとやらだろう」
そう言い、馬車の座席に深く座り直す。
「私はジーグリッド・ザラス。ザラス家の次期当主だ。覚えておけ」
自分の顎を撫でさすり、ふんと鼻を鳴らす。アルバが何か言おうと口を開くと、ジーグリッドは人差し指を立てて彼に向けた。
「おっと、口にするな。貴様のような破廉恥な男が唱えていい名ではないぞ」
不遜な彼の態度に、アルバが呆れる。振り返り、馬車の中からは見えない場所に立っているラスを見やった。
「ラス、なにこいつ」
「ラスさま⁉︎ ラスさまがいらすのか⁉︎」
彼の名前を耳にした途端に、ジーグリッドの目の色が変わる。彼はアルバとリザを押しのけ、馬車から飛び出した。ラスの前で膝をつき、うやうやしく礼をする。
「ああ、お目どおりできるなどなんたる僥倖」
アルバと自分とで態度をあからさまに変える彼に、ラスは胸を悪くする。微笑んではいるものの、目は笑えない。
「街に出ればいつでも会えるよ」
貴族が街になど出ないと知った上で、わざとそう言った。彼のちょっとした意地悪に、ジーグリッドは言葉に詰まる。彼が冷や汗をかいているのを見て、ラスは小さなため息をつく。
「アルバ。帰ろうか」
困ったような笑みを浮かべ、アルバを呼んだ。アルバはリザを離し、ステップを降りてラスの隣に向かう。彼の腕が自分になんの執着もなく離れ、リザは泣き出しそうに顔を歪める。しかし、アルバはラスの顔ばかり見てそんなことには気づかない。
「お兄さま、アルバさんってきっと、ラスさまの身分で断れないのだと思うの……」
帰路の馬車の中、彼女はそんなことをつぶやいた。
「なんだ、あいつが気に入ったのか、リザ」
ジーグリッドは彼女の妄想の裏をすぐに読み取り、そう尋ねる。リザは顔をうち赤くして頷いた。妹の様子に、ジーグリッドが目をつぶってしばし考え込む。アルバの容姿、身分、立場……色々と思いを巡らせて、リスクと恩恵を天秤にかけ、やがて口を開いた。
「そうだな。それも手だ」
「手?」
兄の言葉に、リザは首を傾げる。ジーグリッドはニヤッと笑った。
「わがままを聞いてやろう。リザモンド、あの男がほしいのだろう?」
そう言われ、リザがたちまちに目を輝かせる。何度も何度も頷き、鼻息を荒くする。ばかで可愛いものだ、と、ジーグリッドは微笑んだ。
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