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1566 蜜月
ラスの花
しおりを挟むラスはしばらくアルバの顔を愛おしそうに眺めている。彼の耳にピアスホールを見つけると指で触れた。
「今日は何もつけていないんだね」
時折、彼は舞台用の耳飾りをつけているが、今日は外しているようだ。アルバは彼の手の上から自分の耳に触れた。
「ああ、邪魔だし。穴が塞がるから舞台がない時も時々つけてるけど、しばらく忘れてたや」
アルバははにかむ。ラスのことで頭がいっぱいで耳飾りのことなどすっかり忘れていた。
目を伏せて、ラスは少し考え込んだ。それから、いいことを思いついたと、明るい笑顔をアルバに見せる。
「ねえ、普段つけても邪魔にならないように、小さな耳飾りを買わない? 私も同じものを買って、一緒につけたい!」
「私もって、お前、穴ないだろ」
「あけるよ! 今から買いに行こう!」
彼はこともなげに言う。アルバはその調子に苦笑いした。一座に入った折にピアスホールをあけたアルバは、針を向けられるのが嫌で暴れてツィオに怒られたものだ。そんなアルバとは正反対のお坊ちゃま育ちにも関わらず、ラスはまったく怖がっていない。実際に針を耳たぶに当てる様子が想像できていないのか、肝がすわっているのか。ふふ、と、アルバの唇から笑みが漏れる。
ラスはくんくんと自分の腕を嗅ぐ。田舎育ちのアルバにとってはたいしたことはないが、毎日風呂に入るラスにはひどいにおいだ。
「すぐお風呂に入ってくるよ。ネッド!」
使用人の離れに声をかけて、風呂の用意を言いつける。ネッドはすぐに若い使用人を連れて出てきて、庭の隅にある煙突のついた小屋に入っていく。
「風呂、家の外なんだ」
小屋の中に大きなかまを垣間見て、アルバがつぶやく。金持ちの屋敷はたいてい、家の中に風呂がある。
「いいでしょ。海を見ながらお湯に浸かれるんだ」
ラスが自慢げに答えた。小屋には、海に面した壁に小窓があり、そこから海を眺められるようになっている。彼がこのアトリエを建てた時にこだわったポイントの一つだ。
ネッドが若い使用人とかまに水を張り、かまの下にあるかまどに火を入れている。ラスはアーチを呼んで、アルバにお菓子とお茶を振る舞うように言った。
「それじゃあ、しばらく待っていてもらってもいい?」
「ああ、うん」
ラスが風呂に行き、アルバはアーチにダイニングまで通される。
アーチはアルバの生まれと、ラスとの関係が気になるようで、あれこれと聞いてくる。値踏みするような彼女の態度が気に食わず、アルバはてきとうに返事をしてあたりを見回す。ダイニングにはラスの身長に合わせた特製のテーブルと椅子が二脚置かれており、テーブルの上には繊細な刺繍の入ったランチョンマットが並んでいる。レースのカーテンがかかった窓際には、ラスの趣味だろう、小さな熊のぬいぐるみや焼き物のオブジェ、そして黄色い花を一輪いけた花瓶がある。
「綺麗でしょう? お坊っちゃまのお名前は、この花からとられたんですよ」
アルバが花を見ていることに気がつくと、アーチは嬉しそうな顔になる。
「ラスの花はお日様の昇る方向いて咲くんです。明るいお坊っちゃまにぴったりのお名前! 奥方さまもご主人さまも、本当に良い名前をつけられたこと」
彼女はそんなことを、ぺちゃくちゃと喋る。アルバはその話を半分も聞かず、ラスの花に見入っていた。故郷では見たことのない、色鮮やかな黄色の花びら。大ぶりに咲いたその花は、窓ガラスから差し込む陽の光をさんさんと受けてひどくアルバを惹きつける。
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