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1564 旅路
怒り
しおりを挟むひとけの無いテント裏、並べられた樽の影にツィオはうずくまっていた。アルバは彼の姿を見つけると、泣き疲れた顔をぱっと明るくした。散々探し回ったものだから、謝るより前に嬉しさが出てくる。しかし、そんなアルバとは反対に、ツィオの顔は暗かった。彼はアルバの姿に気がつくと、ハアー、と、これみよがしに大きなため息をつく。彼がひどくいら立っていると察し、アルバはたちまちに緊張した。また不安が込み上げてくる。
「兄貴、あの、ごめんなさい」
アルバは涙を拭いて濡れた手で、自分の服をギュッと握る。ツィオはそっぽを向いた。
「怒ってるよね」
恐る恐る彼が尋ねても、ツィオは答えない。
「ごめんなさい。ねえ、兄貴」
アルバの声が震える。また、ポロポロと涙が溢れてきた。それでもツィオが無視をするものだから、アルバは突っ立ったまま激しく泣き出してしまう。それが鬱陶しいと言うように、ツィオは大きく舌打ちをした。アルバの方がビクッと震える。
「ごめ……さい、ご、ごめ」
しゃくりあげ、アルバは謝るのもままならない。ツィオはまたため息をつき、彼を見ないまま口を開いた。
「お前のそういうところ、本当に嫌いだ」
ツィオの言葉に、アルバはひどくショックを受ける。初めて、ツィオからはっきりと「嫌いだ」なんて言葉を聞いてしまった。「好き」の一言はあんなに求めてもくれなかったのに。胸が苦しくて、何かを言おうとしても嗚咽と涙しか出てこない。泣いたらツィオに更に嫌われるとわかっているのに、自分がコントロールできず、息もろくにできないほど激しく泣いてしまう。しまいには膝から崩れ落ちて地面に転がり、アルバは大声で号泣した。
「うるせえよ。黙れ」
ツィオはますますいら立ちをつのらせる。からかわれたり、奇異の目で見られたくなくて、誰にも見つからないところにいたのに。アルバはそれすら邪魔をする。どうしようもなく腹が立って、立ち上がると力いっぱいアルバの腹を蹴り付けた。細身のツィオから振るわれた暴力は、たくましく喧嘩慣れしたアルバには大して効かない。しかし、それは肉体的な話で、精神的には彼は凄まじいショックを受けていた。ツィオは自分を大切にしてくれていると思っていたのに……。アルバは一瞬泣き止んで、彼にされたことを理解するとすぐに絶叫のような泣き声をあげた。
「うるさいって言ってるだろ! 黙れ! 俺の言うことが聞けねえのかよ!」
ツィオは激昂し、何度もアルバを蹴り付ける。アルバは自分の身を守ることもせず。ただ絶望のままに泣き喚く。ツィオにはそれがひどく癇に障る。
「お前は俺の言うことを聞いていればよかったんだよ! この世間知らずのばかが! お前のせいで俺がどんな目に遭わされるかわかってるのか⁉︎」
そう怒鳴り、彼はアルバに馬乗りになった。
「お前はいいよな。芸人さまで、落胤さまで、こんな痩せぎすの赤毛とは大違いだ。俺とお前じゃ誰だって、俺が愛人だって言うよ。そりゃそうだ。それが道理だ」
アルバの胸ぐらを掴むツィオの顔は怒りに歪んでいる。アルバが荒く肩で息をしていると、ツィオは彼の頬を思いっきりぶった。ひりつく頬を触り、アルバは目をぎゅっとつぶる。涙は後から後から溢れてくる。そんな彼の姿に、初めてキスをした日のことを思い出し、ツィオは怒りと同時に切なさを覚えた。唇をわなわなと震わせ、猫目にうっすらと涙を浮かべる。
「俺は今までのままでいたかった……」
アルバには聞こえないような小声で、ポツリとつぶやく。彼の胸ぐらを離して立ち上がると、ふらふらと歩き出した。ここにいると、泣いてしまいそうだ。それだけは、アルバに見られたくない。
地面に横になったまま、アルバは膝を抱いて泣きじゃくる。その姿が見えないところまで歩くと、ツィオもまた崩れ落ちた。深く息を吐き、顔を手で押さえ、必死に涙を堪える。そうしていると、誰かの足音が聞こえてきた。
「……見つけた!」
ダイモン付きの若い下働きは、ツィオを見つけると大きな声を出す。ツィオは、ダイモンの側にいつもいる姿に身構える。ダイモンの言いつけで自分を探しに来たのだろう、と。
その若者はあたりをきょろきょろと見渡し、他に人がいないことを確認する。それから、サッとツィオに駆け寄って耳打ちをした。
「お前、ダイモンに殺されるぞ。逃げろよ」
そう伝えると、彼は走り去る。ツィオは血の気が引くのを感じた。ダイモンにとって、自分はいくらでも替えのある存在だ。そう知っているから、殺されるという言葉には嫌ほど現実味がある。ツィオは怯えて自分の体を抱きしめ、ただ震えた。
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