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十日伊予

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1547 序章

逃亡

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 夜のとばりがおり、村にあるのは家から漏れる小さな明かりと、雲の隙間から照らす月明かりだけだ。村人は皆布団を敷き、寝る支度を始めている。
 いいタイミングはないかと、ドナは気を張っている。いつでも連れ出せるようにトパの近くにはいるが、シャマシュはそうもいかない。べったりとナャに甘えてしまって、引き剥がせる様子ではない。ドナはそわそわしてもどかしい気持ちなのを悟られないよう、何度も深呼吸をした。ナャはかまってもらいたがるシャマシュの相手でそれどころではなかったが、祖母はドナの様子がおかしいことに気がついていた。
「おしっこ」
 シャマシュがナャの腕を引っ張る。今だ、とドナはトパを抱き上げた。
「わたしが連れて行くよ」
 サッとシャマシュの手を引き、連れ出そうとする。ナャは不審に思って止めようとしたが、祖母がそれを制した。
 ドナは子どもたちを連れ、村のはずれ、約束の場所へと向かう。シャマシュが、どこに行くの、おしっこ、とぐずついても構わない。もう少しでこの村から逃げられる。心の底から愛する相手とのしあわせが待っている。
 藪を抜けると、街道へ続く開けた道に出た。そこに、市で見るどんな馬車よりも立派な馬車と、マントに身をくるんだあの大男が待っている。大男はドナを見つけると、満面に笑って手を振った。ドナの表情も明るくなる。が、シャマシュは違った。大男の姿を見て、母を見上げると、幼いながらに恐ろしいことが起こっているのを理解した。恐怖がものすごい勢いで背筋を這い上る。
「……うわぁあああ‼︎」
 シャマシュの口から悲鳴があがった。息子がここまで動揺するとは想定していなかったドナは、自分も動揺し、シャマシュの口をふさぐ。それにパニックを起こし、シャマシュは更に泣き声を大きくする。
「やめて! お願い、シャマシュ、大きな声を出さないで」
 ドナが必死でシャマシュを黙らせようとする。そうしていると、ドナが片腕で抱いていたトパも、だんだん不安になってとうとう泣き出してしまう。
「もう馬車に乗せるか?」
 大男は彼女たちに寄ってきて、おろおろしながらも手伝おうとする。ドナが娘を彼に渡し、大男が危うげにドナを抱いたその時、いくつかの足音が聞こえてきた。
「シャマシュ、トパ!」
 藪の中から鉈を握ったナャが飛び出す。彼の後ろには、祖母と、それぞれに船のかいや鉈などの武器を手にした男たちがいた。男たちの後ろには顔を真っ赤にしたテムもいる。ドナの様子から子どもを連れ去ろうとしているのを察した祖母が、村の男たちに声をかけて追いかけてきていた。
「あたしの孫に何してんだい! 返しな!」
 祖母が臆せず飛びかかり、唖然としている大男からトパを取り上げる。孫娘をしっかりと抱くと、急いで男たちの後ろに隠れた。
「シャマシュ、おいで!」
 ナャが両手を広げて叫ぶ。シャマシュは母親の腕を振りほどき、父親の元へ駆け出した。シャマシュを受け止めるとナャはホッとした顔をした。それも束の間、すぐに泣き出しそうな顔になる。
「この人でなし! 子どもたちを連れ去ろうとするなんて!」
 震える声で、ナャが怒鳴る。
「違う、わたしは、そんなこと」
 シャマシュが自分から逃げたことに打ちのめされ、ドナは視界がぐるぐると回る。自分が間違いだなんて思いたくない。それを認めてしまったら、待っているのは果てしない我慢の生活だ。
「ドナ、行こう」
 大男がドナの肩に触れ、彼女を急かす。いや、子どもが、とドナは涙目で拒んだ。
「あんたが来るまではうまくやってたんだ。ぼくらのしあわせを壊さないでよ……」
 ナャが恐れながらも、勇気を振り絞って一歩ずつ大男に歩み寄る。村人たちは大男の正体を知ることはなかったが、国祖神を拝んだことのあるナャには彼がそれに近しい存在であることがわかる。それでも、鉈を構えた。
「その人が神さまだろうがなんだろうが関係ない。絶対に行かせない」
 ハアハアと荒く呼吸をする。汗が額を伝った。
「あんたさえいなければ!」
「こいつが邪魔なのか」
 ナャが鉈を振り上げた瞬間、大男は得心したようにつぶやいた。
 大男の掌が、ナャの頭を掴む。ナャが鉈を振り下ろしたり、何かを思う前に、彼の頭は勢いよく地面に叩きつけられた。頭の骨が壊れる嫌な音が響く。乾いた地面に血が飛び散り、たちまち染み込んでいった。
 突如として怪物と化した大男に、武器を持った男たちも、孫を抱いた祖母も、テムも、子供たちも、誰もが腹の底からの悲鳴をあげる。ドナもまた例外ではなかった。
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