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十日伊予

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1547 序章

シャマシュ

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 空は少しの雲を浮かべ、太陽がさんさんと照っている。暑い、けれどからっとした天気だ。時折吹くそよ風が心地良い。
「かーちゃぁーん‼︎」
 川のほど近く、ラジュガ村に、幼い子どものかんしゃくが響く。続いて、「もう、いい子にして!」と、母親の怒鳴り声も聞こえた。
「かーちゃん! かーちゃんおんぶ‼︎」
 子ども──シャマシュは、母親のドナに両手を差し出し、おんぶをねだる。三歳になったばかりのシャマシュは、同じ年の子どもたちより一回り体が大きく、声も一際大きい。一歳の娘をおぶっていたドナは、うんざりとしたふうに目をまわした。
「見てわかるでしょ、トパおんぶしてるの! お兄ちゃんなんだから我慢してよ!」
「やだァあああ!」
 ドナの言葉に、シャマシュは更にかんしゃくをひどくする。涙をぼろぼろとこぼし、地面に寝転がると手足を振り回す。男は髪を長くして結ぶというこの辺りの文化に倣い、シャマシュも髪を背中につくまで伸ばし、三つ編みにしている。それが地面に擦れ、土をふくみ、ぐちゃぐちゃになった。どうしてもおんぶしてほしい。
 ドナは困ってため息をついた。娘のトパはおぶっていないと大泣きするが、シャマシュもおぶってほしいと暴れる。どちらかを抱っこしようにも、桶を運ぶのに手は埋まっている。桶を置いてシャマシュを抱っこしてやれば、今度はおろすときに「まだ抱っこ」とかんしゃくを起こすから、そうするわけにもいかない。誰かにトパの子守りを頼むか、そう思い手の空いている者を探そうと見渡すと、ナャが帰って来ていた。
「ただいま」
 漁の道具を手にし、腰に籠を提げたナャが、笑顔でこちらに手を振る。
「ほらお父さん帰ってきたよ。おんぶしてもらおうね」
 ドナはシャマシュに言う。かーちゃんがいいと泣くかと思ったが、シャマシュはすんなりとナャに駆け寄っていった。
「ぼくが川にいる間、寂しい思いさせてごめんね。もう少し大きくなったら漁に連れてってあげるからね」
 ぐずぐずと鼻をすするシャマシュをおぶって、村を散歩しながらナャは言う。シャマシュは父親の首元に腕をまわし、甘えていたが、目の前にある女が現れると表情を固くした。父親や妹に顔のよく似た小柄な女。叔母のテムだ。
「兄さん!」
 テムは強い口調でナャに呼びかける。
「テム…」
 ナャは困った顔をした。テムは可愛い妹だが、シャマシュが生まれてからは関係が良くない。シャマシュがナャの子ではないと知って以来、ずっとドナに腹を立てている。ドナに石を投げつけたこともあるほどだ。村人の多くは、ナャの娘を産んだことでドナを許容しているが、テムにとっては彼女は憎らしい余所者のままだ。血の繋がった妹は可愛いが、何年も前に嫁いでいって一緒に暮らさない妹より、緒に子どもを育てるドナの方をナャはかばう。それも、テムには気に入らない。
「これ、旦那が持って行けって」
 不本意だと示すように、テムは持っていた包みをぶっきらぼうに突き出す。彼女の黒髪が揺れる。ナャはへらへらと笑い、眉を下げ、例を言った。
「ふん」
 テムが、父親にしがみつくシャマシュを一瞥する。
「相変わらず『父親』そっくり。気持ち悪い子」
「テム! 子どもになんてこと言うの!」
 彼女の言葉を聞いた途端、ナャが叱りつける。
「はいはい、わたしが悪いんでしょ。母さんも兄さんもどうかしてるよ」
 兄が怒っているのも気にせず、テムは吐き捨てると踵を返した。
 ナャは慌ててシャマシュの方を見る。シャマシュは眉頭を寄せ、泣き出しそうな、不安そうな顔をしていた。幼いながらも理解して傷ついている。
「とーちゃん……なんでぼくはとーちゃんの子じゃないの?」
「大丈夫だよ、シャマシュはぼくの子だよ」
「でも、ぼくの目は黒くないよ?」
 シャマシュが父親の目を覗き込む。シャマシュの目は、ナャの黒い目とも、ドナの茶色い目とも違う、澄んだ青色だ。
「血の繋がりなんて関係ないよ」
 ナャは優しく笑いかけた。
「とーちゃんはシャマシュのお産に立ち会って、今までずっと育ててきたんだから。シャマシュもトパもぼくの大事な子だ」
 ナャの言葉に、でも……とシャマシュは不満げだ。シャマシュがナャに強く抱きついて、何か言おうとすると、空がピカっと光った。見上げると、数秒してから爆音が村中に響く。
「かみなぃ!」
 シャマシュが悲鳴をあげ、目をぎゅっとつぶった。
「そうだね、おっきい雷だね。ひと雨きそうだから、家に入ろうか」
 ナャはそう言い、自分の家へと帰る。シャマシュをおぶったまま高床の家へと続くはしごをのぼり、入り口の布を捲る。と、シャマシュは母親も近くまで帰ってきているのを見つけた。
「かーちゃん?」
 シャマシュが呼ぶが、聞こえていないのだろう、ドナは返事をしない。
 彼女は空を見上げ、ひどく切なげな顔をしていた。唇をきゅっと結び、眉頭が寄っている。ぬるい風が吹き、ドナのふわふわとした栗毛を揺らす。嵐が近い。
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