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アンコン前日

汚い気持ち

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 突然、若山のスーツのポケットから着信音らしい音楽がなりだした。若山は、慌ててズボンのポケットからスマホを出す。
「外で話してくる」
 わたわたしながら、若山は席をたった。楽器庫の引き戸の窓から見える先生の姿が遠ざかっていく。
「ねえ」
 若山が見えなくなってから、たっちゃんは口を開いた。
「なんで嘘ついたか、訊かないの?」
 またうつむいて、顔を暗くしてしまう。
「訊いていいの?」
 あたしは急に寂しくなった。声音でそれを察して、たっちゃんは顔を上げて、あたしの目を見つめる。細い眉を額に寄せて、悲しそうな表情だった。
「……僕はずっと、自分を本当の女の子と思えない」
 小さい声で、たっちゃんは続ける。
「スカート履いても、髪伸ばしても、手術受けても、本当の女の子にはなれない気がする。たとえこの先、オチンチンを切ったとしてもね。この先、声だって体だってどんどん男の子になってく。本当の女の子に劣等感があるんだ。何をしても負けてるような気がする。正直、妬ましい。僕だって、女の子の身体に生まれたかったのにって」
 あたしは何も言えずに、というか何を言っても空回りしてしまうように思えて、黙っていた。たっちゃんの充血した大きな目からは、涙がポロリとこぼれた。
「僕は汚いよ。中崎ちゃんの言った通りだ。優越感を感じたんだ。悟くんが僕を好きになったって聞いて」
「たっちゃん」
「はじめは、先生にホントのこと話そうって思ってたんだよ」
 たっちゃんの涙を拭こうと伸ばした腕は、たっちゃんの苦しそうな表情に止められる。たっちゃんはゆっくりと首を横に振って、涙がポロポロと顎から落ちた。
「でも、話せなかった。汚い僕が、話そうとするとそこにいたんだ。だって僕は嬉しかったんだ。悟くんに好かれて、本当の女の子より好かれて、僕はそれがものすごく嬉しかったんだ。中崎ちゃんは泣いてたのに。嬉しかったんだ……」
 そう言い終わると、急にたっちゃんは声を殺して、だけど激しく泣き始める。たっちゃんは震えていて、丸めた体がいつもより小さくなっていて、痛々しくてたまらなかった。あたしは、泣きじゃくるたっちゃんの背中を撫でる。たっちゃんは悪くない。それは汚いことなんかじゃない。当たり前だよ。だって、初めて男の子に好きになられたんだから。そう、心の中でささやいた。
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