秘密の姫は男装王子になりたくない

青峰輝楽

文字の大きさ
上 下
38 / 47
第二部

19・こころの氷が融けるとき

しおりを挟む
 あの時とは違ってジークの意識ははっきりしている。怪我で死んでしまう心配はないようだけれど、あの時とは別な気持ちで心配だ。なにがどうであってもいつもジークの事が心配だ。



(人を好きになると、心は弱くなってしまうんだろうか。こんなに心配がとまらないなんて)



 ――いいや、違う。心配するのは、弱いことじゃない。一緒に生きていきたい、という強い思いがあるから、愛する人のことが心配になってしまうんだ。

 私は、ジークの整った貌をじっと見つめる。ふらついたのは貧血のせいらしく、顔色がよくない。このひとは私よりずっと強いのに、私はこのひとが心配でならない。なんでもひとりで抱え込んでひとりで解決しようとしてばかり。私も一緒になって抱えて、少しでも楽になって欲しい。



「……どうしたんです、リオンさま。わたしの顔に何かついてますか?」

「あ、いや、その」



『まあ――状況が緊迫してたから確かめようもなかったし。時間が出来たら、もう一度確かめてみればいいじゃないか』



 怖い。剣戟のなかに飛び込んだ時よりも怖い、かも知れない。でも、こんなふうに二人で話す時間を次にいつとれるのかわからない。曖昧なままにしておきたくない。



「あの――話したいんだけど」

「なんでしょうか」

「あのね、お願いだから、今は普通に話してくれないかな……リエラって言って」

「……」



 ジークは少し考えていた。また、駄目ですって言われたら話しづらい……って思ってたら、私のお願いが真剣なのが伝わったのか、



「わかった」



 って言ってくれた。



「ありがとう……」

「いいよ。どうしたの」



 どきどきしてくる。やっぱりあれはまぼろしではなかったんだ、なんて。

 虚勢を張っていたけどやっぱり身体が辛いようで、起き上がろうとはせずにただ優しい目で私を見上げてくる。



「あのね。枢機卿の館で、私が言ったこと……覚えてるよね」

「言ったこと……どのこと?」



 そういえば、ごめんなさいとか死なないでとか一緒にいてとか色々言ったけど……「どのこと?」って。察してよ。でも察せないのがこのひとなんだよね。



「……ジークが好きだと。愛してると」



 なんで私から二度も告白しなければならないのかと若干もやついたけれど、もう後にも引けないので勢いで言ってみる。



「ああ」



 とジークは言った。



 「ああ」? なにその、そう言えば言ってたっけ、みたいな反応。

 ――やっぱり、ちがうんだろうか。あの時は私を慰めようと思っただけ、とか……。悉く反応が鈍いので、後ろ向きになってしまう。



 でも、ようやくジークは言葉にしてくれた。



「ありがとう。そうだな……以前は、きみに嫌われているのではないかと気になったこともあった。何しろこんな大変な目に遭わせてしまっている元凶なのだから」

「元凶だなんて。私は自分でここに居たくて居るんだって、何回も言ったじゃない。助けてもらって、両親に引き合わせてくれて、感謝しかないよ」

「ああ。今は、嫌われてるとは思ってない。だってきみは言ったじゃないか。あんな危険な事をしたのは、わたしの為だと。わたしの為にあんな事は二度としないで欲しいが、わたしを気遣ってくれた気持ちは、嬉しい」

「うん……」



 ?

 なにか、思っていたのと話の方向が違う気もする。



「あの……嫌うどころか、愛してるって、そのぅ、言ってるでしょ……ジークも、私を、好きだって、言ってくれたよね」

「ああ。もちろん。なんだ、話ってそんなこと? わたしがきみを好きかって? 大好きだと言ったじゃないか」

「ほんと? ほんとに、私を……」

「きみは、わたしにとって自分の命より大切な存在だ。愛している。わたしの――」

「ジーク! ああ、私――」

「大切な、たったひとりの、妹」



 目の前が突然真っ暗になる、とはこういう気分をいうのだろうか、と茫然となりながら私は思った。



「妹……わたし、妹なの?」



 絞り出した声が自分の声じゃないみたい。我慢しようと思ったのに、涙が零れた。もう、走って逃げ出したいけれど、動いている馬車から飛び降りて逃げ出す訳にもいかない。まるで牢屋みたいだ。どうして、逃げ出せる場所で話をしなかったのだろう。



 一方、ジークは私が泣きだしたのでかなりびっくりしているよう。



「どうして泣いている? わたしが兄だなんて、おこがましかっただろうか。そうか……きみの兄はリオンひとりだから。すまない」



 もう、鈍感とかそういう言葉で済ませていいのだろうか。好きなの愛してるのという告白がなんでこういう結論に結びつくのか。妹として愛していると言われて私が喜ぶと思ったのか。思っていたようなので腹立たしい。好きじゃないと言われた方がまだ清々しいのではあるまいか。



「ジーク。私はね」



 これからも私はジークと一緒にいるのだから、そしてジークははっきりと妹だと言っているのだから、もうそのままにしておいた方がいいのかも知れない、とも思った。でも、私の気持ちをジークは受け取ってくれていない。わかった上で妹だと言っているならばしかたない。けど、このひとはわかっていない。だったら、わかるまで言わなければ気が済まない。命より大事とまで言ってくださるのだから、嫌われるまではいくまい。

 涙に濡れた目で私はジークを睨んだ。



「兄としてじゃなく、ジークを男の人として好きだと言ってるの。リオンの事も大事だけど、それとは、違うの。そして、ジークは、兄としてじゃなく、男の人として私をどう思っているのか聞いてるの。わかる?」



 子どもに言い聞かせるように私は言った。



「男……として」



 その言葉を聞いて、どうしてだか、ジークの表情は一気に強張った。その銀の瞳に浮かんだものは、これまで私がジークに一度も見た事のないものだった。

 それは、恐怖、だったのだ。

 そして、はっきりと言った。



「よしてくれ。わたしは女性を愛することなど出来ない」



 もう、清々しいまでの拒絶。まさかジークは男性が好きとか?

 でも、私は傷つくより先に心配になった。だって、そう言ったジークの顔色は真っ青で、ひどく苦しそうだったから。



「ど、どうしたの、ジーク。ごめん、もういいよ。私、勝手なこと言ってごめん。もう、妹でいいから! 私を嫌いになったの?!」

「嫌いな訳ないじゃないか。好きだと言っている」

「じゃあどうしたの?」

「リエラ。わたしはきみがいとおしい。誰よりも、幸せになって欲しいと思っている」

「だったらなんで。どうしてそんなに気分悪そうなの」

「わたしは。わたしはきみを女性として愛する資格なんかない。きみにはゼクスがいるじゃないか」

「ゼクスは友達だよ! 関係ないでしょ、他の人は!」



 いったい何が起こっているのかわからない。ジークはまったく冷静さを失ってしまったようだった。それは、前のように、怒りとか私に危険が迫っているからとかではなく、自分のなかの感情の嵐と闘っているみたいだった。闘ってる――というより、逃げてる?



「資格ってなに。そんなの、誰が決めるの。ジークは強くって、いつだって私を護ってくれるじゃない!」

「駄目なんだ。わたしは――父の息子だから」

「なんでよっ! またあいつの罪を被ろうとか思ってる訳?! 幸せになる資格ないとか? 馬鹿じゃないの、そんなの――」

「そうじゃない。恐ろしいんだ。わたしは……わたしはあの男の血を引いているから、女性を愛したりしたら、不幸にしてしまう」

「どういうこと」



 ジークは私から目を逸らす。



「幼い頃、わたしは見た――あの男が、母に乱暴するのを。あの男は、笑っていた。ジークリート、女はこのように扱うのだぞと笑って言った」

「……そんな」

「あの男が言わなくても、わたしは察していたんだ。母がどうして亡くなったのか。だけど、子どもでどうしていいかわからず、記憶に蓋をしたんだ。母を殺したのは、わたしも同然なんだ」

「そんな、そんな訳ないよ! あいつは屑野郎だけど、ジークは違うじゃない!」

「父と母は、わたしが生まれた頃までは仲が良かったと聞いた。王位継承の問題で、父は変わった、歪んでしまったんだ。自分が王位を継げなかった事を母のせいにして。人間は変わるんだ。いまはそんなつもりはなくても、わたしは愛したひとを傷つけるかも知れない。だから、恐ろしいんだ。女性を愛するという気持ちもわからない。わかりたくない。きみを、母のように、なんて、恐ろしくて」

「ジーク」



 ジークは泣いてた。私も泣いてた。

 そうだったの。ジークにも、恐ろしいものがあるんだね。誰よりも強くて賢くて、怖いものなんかないんだろうと思っていたのに。死ぬのさえ怖くないように見えた。でも、本当は、子どもの頃の恐ろしい記憶のせいで、誰も愛さずに生きていく事が怖いと思っていたのかも知れない――。



「ジーク。泣かないで。私は、大丈夫だから」

「――」

「私は不幸になんかならないよ。だって、ジークにいっぱい幸せを貰ったもの。だからこんどは、私がジークを幸せにしたい。一緒に生きて、一緒に幸せになろうよ」

「駄目だ。わたしの望みは、ただきみが幸せになってくれればと」

「私の望みは、ジークが幸せになる事なの。ね、同じでしょ? ジークが不幸なら私幸せになれない。それに、愛する気持ちがわからない、だなんておかしいよ。もう、ジークは知っているじゃない」

「わたしが」

「そうだよ。妹だとか女性だとか、拘っちゃってごめん。そんなの、いいんだよ。ジークは、私をいとおしくて、幸せになって欲しいと言ってくれるじゃない。私はジークの妹じゃないし、一緒に育った訳でもない。そんな私をそうまで思ってくれているのは、もう、ジークが知っているからだと、私は思う」



 ジークは私を愛しているんだよ、と言いたい訳じゃない。妹でもなんでも、ジークを幸せに出来るならそれでかまわない。ただ、知って欲しいだけ――。ジークは強いんだもの。もう、子どもの頃にかけられた呪縛から解き放たれていいのだと、知るべきなんだ。

 鈍感だったのは、そういう話から無意識に逃げていたからなんだね。おかしいと思った。ひとの気持ちをいつだってわかる人なのに、そんなことだけまるきりわからないなんて。



 ジークは、暫く、初めて会う人を見るみたいな顔で私をじっと見てた。私は、ただ、ジークの言葉を待っていた。



『わからせてやればいいじゃないか』



 無理かもしれないと思ったけれど、でも、きっとわかってくれたよね。だって、話すより前から、ジークは愛してくれていた。



 ジークは、半ば呻くように言った。



「リエラ。きみは、わたしがきみを愛してもいい、と」

「むしろ愛して欲しいと言っているのだけど」

「きみは、わたしを愛していると」

「もうっ、何度言わせるのよ。でも、何度だって言うよ。私は、ジークが好き。ジークだけを愛してる。ずっと、ずうっとだよ。私は変わらないし、ジークを変えさせもしない」



 変わらない、なんて本当は誰にも言えないのかも知れない。でも、この気持ちが変わるとしたら、それは私が私じゃなくなる時だ。時と共に変わるものはあるだろうけれど、私は永遠に私だし、変わるかもなんて思っていたら誰も前に進めないし幸せにもなれない。



「リエラ」



 突然、ジークの腕に抱き締められた。



「きみは……わたしを救ってくれる……」

「私は私の言いたい事を言ってるだけだよ」

「わたしも、わたしの言いたい事を言っていいか」

「もちろん」

「リエラ。愛している……」



 唇が、自然に重なった。



「母が、亡くなる前に言った。ジーク、幸せになりなさい、と」

「なろうよ。ジーク。いっしょに……」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

寡黙な貴方は今も彼女を想う

MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。 ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。 シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。 言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。 ※設定はゆるいです。 ※溺愛タグ追加しました。

【完結】婚約者様、王女様を優先するならお好きにどうぞ

曽根原ツタ
恋愛
オーガスタの婚約者が王女のことを優先するようになったのは――彼女の近衛騎士になってからだった。 婚約者はオーガスタとの約束を、王女の護衛を口実に何度も破った。 美しい王女に付きっきりな彼への不信感が募っていく中、とある夜会で逢瀬を交わすふたりを目撃したことで、遂に婚約解消を決意する。 そして、その夜会でたまたま王子に会った瞬間、前世の記憶を思い出し……? ――病弱な王女を優先したいなら、好きにすればいいですよ。私も好きにしますので。

【改稿版・完結】その瞳に魅入られて

おもち。
恋愛
「——君を愛してる」 そう悲鳴にも似た心からの叫びは、婚約者である私に向けたものではない。私の従姉妹へ向けられたものだった—— 幼い頃に交わした婚約だったけれど私は彼を愛してたし、彼に愛されていると思っていた。 あの日、二人の胸を引き裂くような思いを聞くまでは…… 『最初から愛されていなかった』 その事実に心が悲鳴を上げ、目の前が真っ白になった。 私は愛し合っている二人を引き裂く『邪魔者』でしかないのだと、その光景を見ながらひたすら現実を受け入れるしかなかった。  『このまま婚姻を結んでも、私は一生愛されない』  『私も一度でいいから、あんな風に愛されたい』 でも貴族令嬢である立場が、父が、それを許してはくれない。 必死で気持ちに蓋をして、淡々と日々を過ごしていたある日。偶然見つけた一冊の本によって、私の運命は大きく変わっていくのだった。 私も、貴方達のように自分の幸せを求めても許されますか……? ※後半、壊れてる人が登場します。苦手な方はご注意下さい。 ※このお話は私独自の設定もあります、ご了承ください。ご都合主義な場面も多々あるかと思います。 ※『幸せは人それぞれ』と、いうような作品になっています。苦手な方はご注意下さい。 ※こちらの作品は小説家になろう様でも掲載しています。

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

地獄の業火に焚べるのは……

緑谷めい
恋愛
 伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。  やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。  ※ 全5話完結予定  

処理中です...