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20・街の呪術師

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 私は、10歳頃の自分が、5つ年上のシルヴァンやリカルドと過ごしている光景を思い浮かべようとした。

 リカルドは、私は過去を知らない方がいいのだと、それが亡父の意志でもあるのだと言うけれど、記憶を勝手に封じられているのだと知ってそれをそのままにして、平気でいられる訳がない。

 一緒に過ごした記憶はなくても、10歳の頃の自分の記憶そのものをなくした訳ではない。最近肖像画を見た事も手伝って、昔の自分の姿は割と鮮明に思い出せる。尤も、自分で覚えている姿は、赤でない装いばかりだったけれど。

 夢の中の私は、赤は暖かな炎の色だと言った。いまの私は、赤は不吉な血の色だと思っている。あのオドマンが、心臓から流していたような……。いったいいつから私の赤に対する印象は変わってしまったのだろう?

 10代半ばのシルヴァンとリカルド。過去のシルヴァンは黒髪の朗らかな少年で、今の姿からは想像しにくいものである筈なのに、私はその笑顔を今や思い出す事が出来る。夢で見たものだけれど、あれは自分の封じられた記憶の断片だったのだと、今は感じている。

 では、リカルドは? リカルドは勿論、大人になる途中で髪の色が変わったりした筈はなく、今の姿より少し若いというだけの筈だ。焦茶の髪に青灰色の瞳、人好きのする整った顔の少年。その姿を心に描いていく作業の途中で、私はふと、瞬間的な不快感をおぼえた。



(……えっ?)



『不思議ですわ。リカルドはなんだか――』



 無邪気な少女の私の言葉。なんだろう? その時はたぶん、あまり意味のある事とは思わなかった気がする。でも……ああ、わからない。たぐり寄せようとしても、てのひらにかき集めようとした記憶が、砂のように指の間から零れ落ちて、また記憶の底に吸い込まれていくような感じがして。



 こんな風に考えに耽っていた時に、部屋の扉が叩かれた。



「いま、いいかな。アリアンナ」

「ええどうぞ」



 街へ出かけていたリカルドが帰って来た。

 求婚の話から二日、私はどうにも彼と顔を合わせるのを気まずく感じてしまうのだけれど、彼の方はまるで何もなかったかのように振る舞っている。元々他の話をしていて付け足しのように出た言葉だったようにも思う。彼にとってはどうという事でもないのだろうか? でも、なんだかわからないけれど、リカルドもシルヴァンに劣らず秘密を抱えていそうな気もする。若い男性が、子どもが欲しくないから結婚する気がない、と言い切るのは変わっていると思う。ゆとりのある暮らしをしているようなので、継がせる財がないから、なんて理由でもなさそうだし。



 窓辺に座って刺繍をしていた私に歩み寄って来たリカルドは、少し興奮気味に見えた。



「どうしたの、なにかあったの?」



 様子から、悪い事が起こった訳ではなさそうだと思いつつも、いい事なんて想像出来なくて、私はただどきどきしてしまう。



「朗報になってくれればいいと思うんだけど」



 とリカルドは切り出した。



「な、なに?」

「街で見つけたんだ――呪術師を」

「まあ!」



 思いがけない言葉に、私は刺繍をテーブルに放り出して立ち上がる。



「それは、その人は、あの……?」

「いや、ユーグに術をかけたという呪術師本人ではないようだ。まだ若い……僕らと同じくらいの歳のようだし。街ではその話で持ちきりだよ。この辺りは田舎の割に医療は普及してるから、呪術はあまり歓迎されないものだから珍しくてね」

「そう。でも、呪術師がみれば、あのひとにかかっている術がどういうものなのか、わかるかも知れないわ!」

「ああ、僕もそれに期待をかけている。ユーグがうんと言えば、密かに会わせる手筈を整えたいと思ってる。公爵殿下が呪術師と面会なんて、表沙汰には出来ないからね。ただ……ユーグは嫌がるかも知れない。知らない人間に自分の身体の事を相談したくないらしいから」

「そんな、子どもみたいな事を言ってる場合じゃないでしょうに!」



 リカルドに怒っても仕方ないと思いつつも、私は怒らずにはいられなかった。



「少しでも、良くなる可能性があるなら試してみなければ。ああ、あのひとに会って説得したいわ。ねえ、どうにかして会いにいけないかしら?」

「……どうも、公邸は既に王陛下の配下の監視がついているようなんだよな。きみを連れて行って、その場を押さえられたらお終いだから、危険過ぎるんだよ」

「そんな……じゃあ、いつになったら会えるの」



 シルヴァンが健康であれば、私は息を潜め、ジュリアンが私の存在を忘れてしまうまで何年だって待てる。でも、かれの容体が危うくて、私は何か手助けが出来るかも知れないのに、離れた場所でいつどうなるかも判らず気を揉んでいるしかないなんて、苦し過ぎた。

 涙ぐんでいる私を見つめていたリカルドが言った。



「ユーグを、ここに連れて来られないかな、と思ってる」

「えっ? でも、大丈夫なの?」

「監視が見ているのは、若い女性の出入りだ。と言っても、実際はレジーヌくらいしかいないがね。ラトゥーリエ公爵は変わり者で一切外出しないと思われているだろうし、ユーグが従者に変装して僕の馬車に乗れば多分見破られないのではないかな」



 そうかも知れない。少なくとも、私が公邸に戻るよりは安全だろう。仮に公爵本人と見破られたって、友人と外出するのを誰も咎める事は出来ない。でも……。



「外に出られるの、あのひと?」

「……体調を崩すもとになるかも知れない。だけど、このまま引き籠っていたって、盛夏が近づいて悪くなるだけだし……」



『ユーグさまがこの夏を越す事が出来るとは、私はあまり、思っていません……』



 バロー医師の言葉がまた胸をよぎる。



「あのひとが呪術師を拒むなら、私が説得するわ。ここに呪術師を呼んで会わせれば、誰にもわからないわ」

「……そうだな。じゃあ、ユーグにそう話してみる。きみが、会いたがって呼んでいる、と」



―――



「あんた、あの貴族の坊ちゃんの女なのか?」



 黒いローブを纏った若い呪術師は、不躾な質問を放って来た。粗野で、どこか危険な雰囲気を纏った、まさに巷で持たれている『呪術師』の印象そのもののような男だった。

 『あの貴族の坊ちゃん』とは、彼と交渉してここに連れて来たリカルドの事だ。リカルドは今、シルヴァンを迎えに行っている。待っている間、命運を預ける事になるかも知れない呪術師と話してみたい、と、良い顔をしないリカルドに頼み込んで、私は応接室で向かい合っている。もちろん、近くにリカルドの執事が待機しているので、危険はない筈だ。



「彼とは良いお友達よ。呪術師は色んな事をお見通しと聞いていたけど、わからないのかしら?」



 呪術師の力を測りたくて私は少し挑発的に言う。あまり挑発が過ぎて、怒って帰ってしまったら困るけれども。

 浅黒い肌の呪術師はあっさり笑って、



「いちいちそんな事に力は使わねえよ。俺がこの仕事を受けたのは、前払いの報酬がべらぼうに良かったからだが、基本的に貴族なんか信用出来ねえと思ってる。そいで、来てみたら、呪術師だなんてお貴族さまが関わりたがらない代物に会おうとするご令嬢なんてもんに初めて会ったから、聞いただけだ。ま、いいんじゃねえか? あの坊っちゃんはやめといた方がいいぜ」



 などと言う。



「報酬っていくらだったの?」

「一万リン」



 シルヴァンを説得するのはこれからなので、報酬はリカルドが出している筈だ。私は金銭感覚が乏しいと自覚はしているけれど、一万リンは一般的な庶民の年収の半分に相当すると聞いた事はある。そんな金額を、友人の為にぽんと出すなんて、いったいリカルドはどこからそんな収入を得ているのだろう。

 そう思うと、もう一つの言葉も気になって来る。



「……やめといた方がいい、ってどういう意味?」

「あれは見かけ通りの苦労知らずなお坊っちゃんじゃねえよ。悪ぃ糸がいっぱい絡みついてら」



 もう一度、どういう意味か、と聞こうとした時、表の方から、馬車が着いた物音が聞こえる。私は腰を浮かせた。ああ、シルヴァンに会える! はやく、はやく会いたい……離れてまだ半月にもならないけれど、随分長く顔を見ていなかった気がする。

 私を見ていた呪術師は、



「そうか、俺に診て欲しいという患者の方があんたの男なのか」



 と言った。



「わ、私の男、だなんて下品な言い方しないで。それに、そんな関係じゃないわ」



 私は何よりもかれが大事だし、かれも何よりも私を大事にしてくれる。でも、私たちは愛を誓い合ったという訳ではない。どういう関係かと問われたら、恋人、というのも何か違うと思う。

 でも、私にとってリカルドは友人と言い切れるけれどシルヴァンはそれ以上なのだ、とはあっさり見抜かれてしまったようだ。



「……それ、呪術?」



 若い呪術師は、先入観を打ち壊すような含みのない笑顔で、



「見てりゃ普通にそう思う」



 と答えた。

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