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19・護られる価値

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「私は10歳前後の頃に、シルヴァン……ユーグ・ラトゥーリエと交流があった。そうでしょう?」



 またはぐらかされるのではと危惧したけれど、リカルドはゆっくり頷いて、



「うん、まあそうだね」



 と緩い返事をして来た。曖昧な言葉はやや気に入らなかったけれど、肯定の返事に私は、ああやっぱり、と胸の中で何かが下りていくような感覚を味わった。

「もしかして、あなたとも会っていた?」

「……うん、まあそうだね」



 リカルドは躊躇いがちに答えた。シルヴァンとリカルドは幼馴染の親友なのだからもしかしたら、と思ったのだけれど、こう言われても、シルヴァンと同様、かつて知り合いだったのだという感じは全くしない。



「わからないわ。どうして私は10歳の時の事を覚えていないのかしら。記憶が空白になっている感じなんてないのに」

「きみがおかしい訳じゃないよ。その点を気にする必要はないから言うけど、きみの記憶は封じられているのさ」



 あっさりと飛び出した驚きの言葉に私はまなじりを吊り上げた。



「封じられている?! それはどういうことなの! あなた……あなたそんな大事なことをどうして知ってて今まで教えてくれなかったの! 口止めされてたからと言ってもひどいわ。私の記憶は私のものの筈じゃないの!」



 リカルドは、私が思っていたよりずっと重要な事を知っていそうだ、と初めてこの時気づいた。現在のシルヴァンが誰にもあまり内情を話さないので、いくら親友といっても外から見える事しか知らないだろうと勝手に思っていたけれど、そう言えばかつてのユーグ・ラトゥーリエは社交的で活発な少年だったのだ。色んなことを周囲に相談したりしていても不思議ではない。



「きみが断片的なことを自分で思い出しかけて混乱しているから教えたんだ。本来は知らない方がよかったんだ。僕が決めた事じゃない。きみの父上とユーグが話し合って決めたことだ」

「また、父? 本当に、信じられないわ。父の口からラトゥーリエ公爵の名を聞いた記憶さえないもの。あなたたちは父がもう何も言えないからって何でも父のせいにしているのでは……」



 思わずそんな事を口走ってしまい、すぐに私は後悔した。リカルドが傷ついたような顔をしたからだ。



「ご、ごめんなさい。こんなに助けてもらっているのに、疑うような事を言うべきではなかったわ」

「疑心暗鬼になるのはしかたないよ。でも僕はアンベール侯を心から尊敬している。侯の死を利用するような真似だけはしないと誓うよ……」



 そう言ってリカルドは立ち上がった。



「本当にごめんなさい。謝罪を受け入れてくれる?」

「もちろん。なにも気にしてないよ。きみが混乱するのは当然だし、あんな辛い事があったのに立ち直って立派だ、さすが侯の娘御だと思っているよ」

「立派なことなんてなにもない。私は無力よ。こんなにしてまで護ってもらう価値は、アンベールの娘ということだけ」



 すると、部屋を立ち去る気配を見せていたリカルドはふと動作を止めて私を見た。



「きみは二度もユーグを救った。立派なことだよ」

「救ったの、私? 私が救われたのだと思っていたけど」

「救い合う存在なんだよ、きみらふたりは。だけど……」



 言葉を切り、リカルドは青灰色の瞳を揺らして言い淀む。



「だけど?」

「もしユーグがいなくなったら……僕がきみを救いたい、と言ったら?」

「! ど、どういう意味?!」



 いなくなったら。それは、シルヴァンが夏を越せないというバロー医師の言葉から来る意味だろう。絶対そんな事にはならない、させない、と思っているけれど、いなくなるなんて、仮定でも、聞くだけで胸が苦しくなる。でも、今の言葉は……私を救ってくれるシルヴァンがいなくなったら、リカルドがその位置に立ちたい、というように聞こえてしまう。



「違う。僕は求愛してる訳じゃない」

「も、もちろんそうでしょう。あなたはとても大切な友人だわ」



 ほっとして、自分の勘違いを心の中で恥じた途端、リカルドはとんでもない事を言い出した。



「求愛はしない。ただの求婚だ。もちろん、今じゃないよ。先々、考えて、という事」

「は?」



 私はきょとんとしたと思う。だって、どこから突っ込めばいいのかわからない。求愛はしないけど求婚? 意味がわからない。私はシルヴァンが好きなのだとリカルドも気づいているのに。それに私が誰かの妻になるなんてあり得ない。私は一生、死んだ人間として生きなければならないのだから。



「今言うつもりじゃなかったけど、きみが、自分を護られる価値のない人間だなんて思うようだと困ると思ってね」

「どういうこと。まったく理解出来ないわ。あなたは私を愛している訳でもないのに求婚する、と? とりあえず、私は一生誰とも結婚なんて出来ないわ。わかっているでしょうに」



 まるで世間話をしているような口調で、リカルドは私の目を見ずに話す。私はリカルドがわからなくなった。気さくで少し気障で友情に篤いひと、というのが今までの認識だったけれど、これではまるで言葉の通じない異邦人のようだ。



「ユーグに頼まれたのさ。いずれ国を出てきみの夫になって欲しいと」

「た、頼まれた、って、あなた、そんな大事なことを……。そ、そうか、いやね、かれが心配性だから、あなたは安心させようと思って受け入れたんでしょ? 酷いわ、私の気持ちも考えずに……」



 シルヴァンは、自分の身体が弱ってしまって私を護れなくなったら、代わりに私を護って欲しいと親友に頼んだのだ、とようやく私は理解した。ただの友人ではなく妻であれば、何があっても護るだろうから、私の夫になって欲しい、ということだろう。

 様々な怒りと悲しみが湧いた。本当なら、知らないところで取引のように結婚話を進められていたなんてと怒るところだろう。それに、ふつうの恋人のようにはなれなくても私はシルヴァンを愛しているし、誰かの身代わりでないと判ったいま、かれも私を誰より大事に思ってくれているのだと信じられるのに、他の男性に私と結婚してくれと頼むなんて、と。

 でも、見つかれば処刑されるという私の行く末を案じるシルヴァンの愛情も感じる。私にはなにも言わずに――かれはこんな不器用なやり方でしか愛情を示せないのだと、知っているから。自分がいなくなってさえ、私の安全を護りたい、というきもち……。



「酷いわ」



 取り繕うように出た自分の言葉が、徐々に胸に刺さってくる。私はぽたりと涙を落した。



「あのひとがいない世界で私が生きる意味なんてない。なのにそれをわかってくれてない」



 好きでもない男性の妻になってまで、かれのいない世界で生きようなんて思いもしないのに。



「ごめん。やっぱり、今言うべきじゃなかったね」



 リカルドは私に触れはせずに、ただ痛ましそうな表情を浮かべている。



「いえ、あのひとの考えが知れてよかったわ。もちろん、あなたはそんな馬鹿げた約束を守る必要はないわよ。あなたにだって求婚したい女性が別にいるでしょうに、あのひと、そういう事は考えなかったのかしら」

「僕が結婚するつもりがないと知ってるからね」

「え、そうなの?」



 どうして、と言いそうになったけれど、立ち入った事と気づいて止める。でもリカルドは物憂げに笑って、



「自分の子どもなんて欲しくないからさ。だからきみと結婚したって、形だけでいいんだよ。まあ今は考えられないだろうし、突然こんな事を言って更に混乱させて済まない。きみをどうにかして護りたいという男が二人もいるんだから、自分に価値がないなんて思わないで欲しい、と言いたかっただけだから」



 そう言って部屋を出て行った。新しく得た情報と、リカルドの謎めいた言葉……何をどう考えたらいいのかわからなくなって、私は暫く途方に暮れてしまった。



(護られる価値だなんてわからない。リカルドは本気で私と結婚なんて考えているの? それが親友の望みだから?)



 シルヴァンと会って話したい。あの時意識を取り戻したかれにひどく急かされて、逃げ出すようにここに移って来たので、今度いつ会えるのかわからないのに何の気持ちも伝えていない。



(遠い所で護られているよりも、あなたと居たい。でも、私の存在は、あなたを危険に晒してしまう……)
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