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12・過去への手がかり
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オドマンの訪問の後、シルヴァンは時折寝付くようになってしまった。
とても疲れた様子だったので、やっぱり病に障ったのだろう、と私は心配でならない。特に窶れているようでもないけれど、若い男性が起きて来られない程調子が悪いというのは普通ではないと思う。
これまでは、領主としての執務は全て報告書に自ら目を通して指示を出していたと聞いていた。視察に関しても、冬はなるべく自分で赴き、出られない時は複数の信頼出来る者を派遣していたとも。王都に出向いたり身分に相応しい社交をしなくても、かれが領地と領民を深く愛している事を、私は、日頃の様子や村人との交流を通じて感じていた。けれど、いまは調子の悪い日は執事にある程度任せないと仕事が滞ってしまうという。
私が部屋に見舞いに行くと嬉しそうな様子だし、日によっては今まで通りに過ごしている。
「気候のせいだ。ぬるま湯のような天候だと調子が出ないんだ。気にしなくていい」
とシルヴァンは言うけれど、マリーに探りを入れてみると、昨年までは、起きられないような事はなかったようだ。相変わらず、誰も私がかれの体調について知りたい事は教えてくれない。主治医にも尋ねてみたけれど、
「ユーグさまのお身体については、医師にもわからない事が多くて、何とも申し上げられないのですよ」
とやんわりと躱されてしまう。
「先生は高名なお医者様だと伺いましたわ。わからない、なんて」
バロー老医師は私の言葉に溜息をついた。
「アリアンナ様。私には医学の知識も経験もそれなりにはありますが、生憎呪術に関しては明るくないのです」
「呪術……?」
想像していなかった言葉に私は驚いた。呪術なんて、きちんとした医師に診てもらうお金のない者、或いは医者嫌いな者が頼る怪しげな術、というのが一般的な見解だ。バロー医師は、いまは隠居してラトゥーリエ家お抱えになり、シャモーヌ村に住んでこの周辺の住民だけを診察しているけれど、元々王都で王族貴族がかかりつけにする程腕の良い医師だと聞いていた。なのにまさか、耄碌しているのだろうか?
私の表情で、医師は私の考えをすぐに見抜いたようだった。医師は苦笑して、
「私だって、ユーグさまを診ていなければアリアンナ様と同じ反応をしたと思います。しかし、ユーグさまのお身体の状態はどうしても医学の常識でははかれません。私が引退してユーグさまに付いてここに来たのは、この事に衝撃を受けたせいでもあるのですよ。ユーグさまのような病人の例は聞いた事もありません。私は、私の半生を否定されたような気さえしたのです」
「で、でも、全く未知の病気かも知れませんわ」
「ユーグさまは発症なさる前に、呪術師に何かを施されたそうなのです」
「そんな。ラトゥーリエ家の一人息子にどうやって得体の知れない呪術師なんかが近づけると仰るの」
「わかりません。真実をご存知なのは、生きている者ではユーグさまのみ。そしてユーグさまは決して話しては下さいません」
「どうしてかしら……」
首を傾げてから私は医師の言葉を反芻して引っ掛かりを感じた。
「生きている者では、って?」
医師は、意味ありげな視線を返して来た。
「もう一人、この件に関わったらしいお方は、既に亡くなってしまいました」
「誰なんですの、それは?」
「アリアンナ様のお父上、アンベール侯です。侯ご自身から伺いましたので間違いありません」
私は、答えを返せない程衝撃を受けた。医師は複雑な顔で私を見て一礼し、そのまま帰って行った。
私を誰よりも慈しみ、最期まで気遣ってくれた優しい父。でも、父はラトゥーリエ公爵の事は私に何も言わずに逝ってしまった。
『お父さま。宰相が、お父さまはラトゥーリエ公爵の命令で罪を犯したと……』
『アリアンナ。まさか信じてはいないだろうね、そんな作り話を』
『も、もちろんよ! でも、お父さまはラトゥーリエ公爵と交流があったの?』
『あの方は――』
父の処刑前夜、情けとして与えられた、親子二人で話した最後の時間。でも、肝心な事を聞く前に終わりを告げられ、私は父から引き離されたのだ。父がはっきりとラトゥーリエ公爵と関係はないと言ってくれなかった事は、私の公爵に対する疑念――人の好い父を騙して利用したのでは――を強めてしまったのだった。
でも、シルヴァンもその友人のリカルドも、父に恩義を感じているという。その父が、シルヴァンに呪術師を紹介した……?
勿論父から呪術の話なんて聞いた事はない。
私は幼くして母を亡くし、父の愛を一身に受けて育った。私と父の心はいつだってひとつだと思っていたのに、死後になって見え隠れする、知らなかった父の顔……私は混乱するばかりだった。
―――
「レジーヌ、教えて欲しいの。シルヴァンの身体はどうなってるの? 私の父はかれとどんな繋がりがあったのか、知っている?」
シルヴァンもリカルドも他の人も、私が教えて欲しいと頼める全てのひとが何も話してくれない。
医師に聞いた事をシルヴァンに確認しようとしたけれど、『呪術なんかにおまえが関わることはない』の一点張りで、喧嘩になりそうになって聞きだすのは諦めた。
それで私は最後の手段として、不仲のレジーヌに聞いてみる事にした。相変わらず顔を合わせれば私の事を不吉だのなんだのと罵って不愉快極まりないのだけれど、それでもシルヴァンのいとこで子どもの頃から知っているのだから、シルヴァン自身とも相変わらず不仲ではあるようだけれども、少しは事情を知っている筈だ。
私の方から彼女に話しかけたのは、これが初めてだった。レジーヌは不快さを表すように鼻に皺を寄せて、
「なんで私があんたの質問に答えてあげる訳があるのよ?」
と答えた。まあ、大体予想通りの反応だった。
「だって、あなたはかれを一番よく知っているでしょ? 私も状態が理解出来たら、何か役に立てるかも知れないわ」
「あんたが役に立つ事があるとすれば、今すぐここを出て行って山の中で命を絶つ事ね。役人に捕まってユーグの事をべらべら喋られても困るから、迷惑がかからないようにして欲しいのよ」
レジーヌは薄笑いを浮かべて言う。なんという嫌な女だろうと思いながらも私は辛抱強く続けた。
「でもそれはかれの望みではないもの。いったい何故かれは私を助けるのかしら?」
「ユーグは自分の気持ちなんてわからないのよ。子どもの頃のばかばかしい思い出にすがっていたいのよ、きっと」
はっとした。子どもの頃の思い出。やっと答えに結びつきそうな手がかりが得られそうだ。
「子どもの頃の思い出ってなに? 私に関係があるの?」
けれどレジーヌは苛立たし気に私を睨んだ。
「教えないわ。ユーグから、あんたに昔の事を喋ったら二度とこの館に足を踏み入れさせないって言われているもの。言ったからにはユーグはやると思うけど、私が傍にいなくなったら困るのはユーグだもの」
確かに彼女は館の役には立っているようだった。というのも、この館には女主人がいないので、使用人たちへの細かな指示は以前から彼女が仕切っているそうなのだ。
レジーヌが来なくなれば私が代わりにそういった事をやれる。だから教えてよ……と喉元まで出かかったけれど、怒らせて何も教えて貰えなくなるだけなので我慢した。
代わりに、
「仲が悪そうなのに、随分面倒見がいいのね」
と、皮肉をまじえて言ってみた。病気のいとこの世話を焼きたいのなら、もっと素直な態度を取ればいいのにとはずっと思っていたのだ。
「べ、別に。ユーグは自分じゃなんにも出来ないもの。それに……」
「それに?」
「そうだ、これだけは言っておいてあげるわ。あんたはユーグにちやほやされて浮かれてるかも知れないけど、そんなの、今だけなんだから。ユーグは昔の事を忘れるわ。赤い花のことだって、この間忘れていたもの!」
「えっ?!」
突然そんな言葉が出て、どきっとした。
以前、かれは私に赤い花を贈りたがった。でも私は赤い花が嫌いだった。そして私は想像した。もしかしたらかれには、昔、赤い花を贈った大事な女性がいて、私はその身代わりに大事にされているのではないかと……。
レジーヌは知っているのだろうか。赤い花の女性のことを?! 彼女は私が反応したのを見て満足そうだった。
「毎年この季節に赤い花が咲けば、ユーグはそれを部屋に飾らせて肖像画を眺めていたわ。でも、今年は赤い花はいらないと言っている。なんで赤い花が大事だったのかわからないとも言ってるわ」
「赤い花がなんなの。私にどういう関係があるの!」
「教えてあげないわ」
「教えてよ!」
「いやよ。それより、私が言いたいのはね、ユーグはそうやって余計な事は忘れていくんだから、私がユーグの妻になったら、あんたを追い出したってそのうち忘れてしまうだろう、ってことよ!」
私は驚いて何と言っていいのか咄嗟にわからなかった。妻に? ふたりが婚約しているなんて一度も聞いていない。私には関係のない事とはいえ、そんな事も秘密なのだろうかと痛みを覚えた。
「あなたたち、婚約していたの?」
「……まあ、正式にではないけれど、そのうちそうなるわ。ユーグはなんだかんだと先延ばしにしているけど、25歳にもなるんだから、いい加減身を固めるべきなことくらい解っている筈よ。そして、あんなユーグの面倒を見てあげられる女性は私くらいしかいないわ。私の両親だって、ユーグがうんと言うのを待っているだけ。最近身体の調子も悪いみたいだし、やっぱりちゃんとした伴侶が必要なのよ。私と結婚すれば、領地の面倒は私の両親が……」
「余計な世話だと思うがね」
突然第三者の声が割って入って、私たちは二人ともびっくりして部屋の戸口を見た。
「まあ、立ち聞きなんて立派な貴族の男性がすることかしら。やっぱりああいう生まれでは……」
「黙れよ!」
レジーヌの言葉に、リカルドは見た事のない冷たい表情を向けた。扉の所に立っていたのは、いつもの瀟洒ないで立ちのリカルドだったけれど、幼馴染のレジーヌの言葉に苛立っているようだった。
「扉を開けっ放しで、廊下まで聞こえるような声で話すのは立派な淑女なのか? やっぱりああいう両親に育てられると上品になるらしいな」
「リカルド! どういう意味よ!」
「どういう意味かって頭があればわかるだろ。おまえの親が領地を管理? は、ユーグがそんな事させると思うか。アリアンナに出鱈目を吹き込むのはやめろよ」
「出鱈目じゃないわ。私が公爵妃になったら、あんたとの付き合いも止めさせるわ!」
「レジーヌ。ユーグが愛してるのはアリアンナだよ。おまえの出る幕なんかないってわかってるだろ」
「あ、愛してる、って……」
唐突なリカルドの言葉に私はかあっと赤くなってしまったけれど、リカルドは私には微笑を送ってくれて、
「御機嫌よう、アリアンナ。変な言い方をしてすまない。だって、立場も何もかも危うくしてまできみを護ってるんだから、きみだって愛されてるなって思うだろ?」
と曖昧な感じにしてしまった。存在として、という意味の愛される、なのか、と私はもやもやしつつも受け止めた。
「こんな女! 一生日の当たる所に出られない、死んだ筈の人間じゃないの! 結婚なんかできる訳ないでしょう!」
「あいつは結婚なんかに拘ってないよ」
「でも、誰かがユーグの子どもを産まなければ、家が途絶えてしまうじゃない」
子ども。でも、あんなに体調が優れないのに、結婚生活なんて出来るのだろうか。手が触れるだけでぞくっとするのに、一緒の寝台でなんて……。思わず変な想像をして赤くなってしまう。
「レジーヌ。わかっているだろ……」
リカルドの声は少し湿り気を含んでいるようだった。
「なによ! ユーグの周りには本当にろくな人間がいないわ。私だけよ、ユーグの将来を考えてあげてるのは! ユーグの調子が悪いのも、きっとそこの不吉な亡霊女がいるからなんだわ」
「あまり酷い口をきくとユーグに伝えるぞ」
「お言いつけ通り、その女には何も教えてないわよ。本当にばかで何もわかってないし!」
そう言い捨てると、レジーヌは私とリカルドを睨み、勢いよく部屋から出て行ってしまった。
リカルドは小さく溜息をついて、私を見た。
「ごめんね、前はあそこまでひどくなかったんだけど……」
「いえ、別にリカルドが謝る事でもないでしょう。面と向かっての悪口なんてさほど怖くもないわ。もっと怖い人間をたくさん知っているもの……」
「そうだったね」
「先日はありがとう。私の為に見張りをしてて下さったんですってね」
「ああ、オドマン伯が来た晩のこと? 別に、ただ下の部屋にいただけだよ」
「でも、もし露見すれば、あなたの立場もどうなってしまうか……私、本当に、ここにいるだけでみんなに迷惑をかけているんだわ」
私が項垂れると、リカルドは顔を曇らせた。
「そんな風に考えちゃ駄目だよ、アリアンナ。きみは、そしてきみの父上も、何一つ悪くないのだし。きみがここにいてユーグの慰めになってくれていること、知っている僕らみんな、有り難く思っているんだから」
「あなたは優しい人ね。ねえ、赤い花、ってなんのことかわかる?」
リカルドはぎくっとしたように思えた。
「な、なにかな。赤い花がどうしたの?」
「……もう、いいわ。どうして誰も何も教えてくれないの? 私に知られたらよくないことが起きるの? 私が知ったからって、喋る相手もいないのに?」
「アリアンナ、別に意地悪をしてる訳じゃないんだ」
「わかっているわ。でも私は心配なのよ」
リカルドに八つ当たりしてはいけないと思うけれども、つい口調は尖ってしまう。
でも、レジーヌと話したおかげで、やはり赤い花はシルヴァンの過去を知る手がかりとわかった。
赤い花の女性……の、肖像画? それは、どこにあるのだろうか。
とても疲れた様子だったので、やっぱり病に障ったのだろう、と私は心配でならない。特に窶れているようでもないけれど、若い男性が起きて来られない程調子が悪いというのは普通ではないと思う。
これまでは、領主としての執務は全て報告書に自ら目を通して指示を出していたと聞いていた。視察に関しても、冬はなるべく自分で赴き、出られない時は複数の信頼出来る者を派遣していたとも。王都に出向いたり身分に相応しい社交をしなくても、かれが領地と領民を深く愛している事を、私は、日頃の様子や村人との交流を通じて感じていた。けれど、いまは調子の悪い日は執事にある程度任せないと仕事が滞ってしまうという。
私が部屋に見舞いに行くと嬉しそうな様子だし、日によっては今まで通りに過ごしている。
「気候のせいだ。ぬるま湯のような天候だと調子が出ないんだ。気にしなくていい」
とシルヴァンは言うけれど、マリーに探りを入れてみると、昨年までは、起きられないような事はなかったようだ。相変わらず、誰も私がかれの体調について知りたい事は教えてくれない。主治医にも尋ねてみたけれど、
「ユーグさまのお身体については、医師にもわからない事が多くて、何とも申し上げられないのですよ」
とやんわりと躱されてしまう。
「先生は高名なお医者様だと伺いましたわ。わからない、なんて」
バロー老医師は私の言葉に溜息をついた。
「アリアンナ様。私には医学の知識も経験もそれなりにはありますが、生憎呪術に関しては明るくないのです」
「呪術……?」
想像していなかった言葉に私は驚いた。呪術なんて、きちんとした医師に診てもらうお金のない者、或いは医者嫌いな者が頼る怪しげな術、というのが一般的な見解だ。バロー医師は、いまは隠居してラトゥーリエ家お抱えになり、シャモーヌ村に住んでこの周辺の住民だけを診察しているけれど、元々王都で王族貴族がかかりつけにする程腕の良い医師だと聞いていた。なのにまさか、耄碌しているのだろうか?
私の表情で、医師は私の考えをすぐに見抜いたようだった。医師は苦笑して、
「私だって、ユーグさまを診ていなければアリアンナ様と同じ反応をしたと思います。しかし、ユーグさまのお身体の状態はどうしても医学の常識でははかれません。私が引退してユーグさまに付いてここに来たのは、この事に衝撃を受けたせいでもあるのですよ。ユーグさまのような病人の例は聞いた事もありません。私は、私の半生を否定されたような気さえしたのです」
「で、でも、全く未知の病気かも知れませんわ」
「ユーグさまは発症なさる前に、呪術師に何かを施されたそうなのです」
「そんな。ラトゥーリエ家の一人息子にどうやって得体の知れない呪術師なんかが近づけると仰るの」
「わかりません。真実をご存知なのは、生きている者ではユーグさまのみ。そしてユーグさまは決して話しては下さいません」
「どうしてかしら……」
首を傾げてから私は医師の言葉を反芻して引っ掛かりを感じた。
「生きている者では、って?」
医師は、意味ありげな視線を返して来た。
「もう一人、この件に関わったらしいお方は、既に亡くなってしまいました」
「誰なんですの、それは?」
「アリアンナ様のお父上、アンベール侯です。侯ご自身から伺いましたので間違いありません」
私は、答えを返せない程衝撃を受けた。医師は複雑な顔で私を見て一礼し、そのまま帰って行った。
私を誰よりも慈しみ、最期まで気遣ってくれた優しい父。でも、父はラトゥーリエ公爵の事は私に何も言わずに逝ってしまった。
『お父さま。宰相が、お父さまはラトゥーリエ公爵の命令で罪を犯したと……』
『アリアンナ。まさか信じてはいないだろうね、そんな作り話を』
『も、もちろんよ! でも、お父さまはラトゥーリエ公爵と交流があったの?』
『あの方は――』
父の処刑前夜、情けとして与えられた、親子二人で話した最後の時間。でも、肝心な事を聞く前に終わりを告げられ、私は父から引き離されたのだ。父がはっきりとラトゥーリエ公爵と関係はないと言ってくれなかった事は、私の公爵に対する疑念――人の好い父を騙して利用したのでは――を強めてしまったのだった。
でも、シルヴァンもその友人のリカルドも、父に恩義を感じているという。その父が、シルヴァンに呪術師を紹介した……?
勿論父から呪術の話なんて聞いた事はない。
私は幼くして母を亡くし、父の愛を一身に受けて育った。私と父の心はいつだってひとつだと思っていたのに、死後になって見え隠れする、知らなかった父の顔……私は混乱するばかりだった。
―――
「レジーヌ、教えて欲しいの。シルヴァンの身体はどうなってるの? 私の父はかれとどんな繋がりがあったのか、知っている?」
シルヴァンもリカルドも他の人も、私が教えて欲しいと頼める全てのひとが何も話してくれない。
医師に聞いた事をシルヴァンに確認しようとしたけれど、『呪術なんかにおまえが関わることはない』の一点張りで、喧嘩になりそうになって聞きだすのは諦めた。
それで私は最後の手段として、不仲のレジーヌに聞いてみる事にした。相変わらず顔を合わせれば私の事を不吉だのなんだのと罵って不愉快極まりないのだけれど、それでもシルヴァンのいとこで子どもの頃から知っているのだから、シルヴァン自身とも相変わらず不仲ではあるようだけれども、少しは事情を知っている筈だ。
私の方から彼女に話しかけたのは、これが初めてだった。レジーヌは不快さを表すように鼻に皺を寄せて、
「なんで私があんたの質問に答えてあげる訳があるのよ?」
と答えた。まあ、大体予想通りの反応だった。
「だって、あなたはかれを一番よく知っているでしょ? 私も状態が理解出来たら、何か役に立てるかも知れないわ」
「あんたが役に立つ事があるとすれば、今すぐここを出て行って山の中で命を絶つ事ね。役人に捕まってユーグの事をべらべら喋られても困るから、迷惑がかからないようにして欲しいのよ」
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「でもそれはかれの望みではないもの。いったい何故かれは私を助けるのかしら?」
「ユーグは自分の気持ちなんてわからないのよ。子どもの頃のばかばかしい思い出にすがっていたいのよ、きっと」
はっとした。子どもの頃の思い出。やっと答えに結びつきそうな手がかりが得られそうだ。
「子どもの頃の思い出ってなに? 私に関係があるの?」
けれどレジーヌは苛立たし気に私を睨んだ。
「教えないわ。ユーグから、あんたに昔の事を喋ったら二度とこの館に足を踏み入れさせないって言われているもの。言ったからにはユーグはやると思うけど、私が傍にいなくなったら困るのはユーグだもの」
確かに彼女は館の役には立っているようだった。というのも、この館には女主人がいないので、使用人たちへの細かな指示は以前から彼女が仕切っているそうなのだ。
レジーヌが来なくなれば私が代わりにそういった事をやれる。だから教えてよ……と喉元まで出かかったけれど、怒らせて何も教えて貰えなくなるだけなので我慢した。
代わりに、
「仲が悪そうなのに、随分面倒見がいいのね」
と、皮肉をまじえて言ってみた。病気のいとこの世話を焼きたいのなら、もっと素直な態度を取ればいいのにとはずっと思っていたのだ。
「べ、別に。ユーグは自分じゃなんにも出来ないもの。それに……」
「それに?」
「そうだ、これだけは言っておいてあげるわ。あんたはユーグにちやほやされて浮かれてるかも知れないけど、そんなの、今だけなんだから。ユーグは昔の事を忘れるわ。赤い花のことだって、この間忘れていたもの!」
「えっ?!」
突然そんな言葉が出て、どきっとした。
以前、かれは私に赤い花を贈りたがった。でも私は赤い花が嫌いだった。そして私は想像した。もしかしたらかれには、昔、赤い花を贈った大事な女性がいて、私はその身代わりに大事にされているのではないかと……。
レジーヌは知っているのだろうか。赤い花の女性のことを?! 彼女は私が反応したのを見て満足そうだった。
「毎年この季節に赤い花が咲けば、ユーグはそれを部屋に飾らせて肖像画を眺めていたわ。でも、今年は赤い花はいらないと言っている。なんで赤い花が大事だったのかわからないとも言ってるわ」
「赤い花がなんなの。私にどういう関係があるの!」
「教えてあげないわ」
「教えてよ!」
「いやよ。それより、私が言いたいのはね、ユーグはそうやって余計な事は忘れていくんだから、私がユーグの妻になったら、あんたを追い出したってそのうち忘れてしまうだろう、ってことよ!」
私は驚いて何と言っていいのか咄嗟にわからなかった。妻に? ふたりが婚約しているなんて一度も聞いていない。私には関係のない事とはいえ、そんな事も秘密なのだろうかと痛みを覚えた。
「あなたたち、婚約していたの?」
「……まあ、正式にではないけれど、そのうちそうなるわ。ユーグはなんだかんだと先延ばしにしているけど、25歳にもなるんだから、いい加減身を固めるべきなことくらい解っている筈よ。そして、あんなユーグの面倒を見てあげられる女性は私くらいしかいないわ。私の両親だって、ユーグがうんと言うのを待っているだけ。最近身体の調子も悪いみたいだし、やっぱりちゃんとした伴侶が必要なのよ。私と結婚すれば、領地の面倒は私の両親が……」
「余計な世話だと思うがね」
突然第三者の声が割って入って、私たちは二人ともびっくりして部屋の戸口を見た。
「まあ、立ち聞きなんて立派な貴族の男性がすることかしら。やっぱりああいう生まれでは……」
「黙れよ!」
レジーヌの言葉に、リカルドは見た事のない冷たい表情を向けた。扉の所に立っていたのは、いつもの瀟洒ないで立ちのリカルドだったけれど、幼馴染のレジーヌの言葉に苛立っているようだった。
「扉を開けっ放しで、廊下まで聞こえるような声で話すのは立派な淑女なのか? やっぱりああいう両親に育てられると上品になるらしいな」
「リカルド! どういう意味よ!」
「どういう意味かって頭があればわかるだろ。おまえの親が領地を管理? は、ユーグがそんな事させると思うか。アリアンナに出鱈目を吹き込むのはやめろよ」
「出鱈目じゃないわ。私が公爵妃になったら、あんたとの付き合いも止めさせるわ!」
「レジーヌ。ユーグが愛してるのはアリアンナだよ。おまえの出る幕なんかないってわかってるだろ」
「あ、愛してる、って……」
唐突なリカルドの言葉に私はかあっと赤くなってしまったけれど、リカルドは私には微笑を送ってくれて、
「御機嫌よう、アリアンナ。変な言い方をしてすまない。だって、立場も何もかも危うくしてまできみを護ってるんだから、きみだって愛されてるなって思うだろ?」
と曖昧な感じにしてしまった。存在として、という意味の愛される、なのか、と私はもやもやしつつも受け止めた。
「こんな女! 一生日の当たる所に出られない、死んだ筈の人間じゃないの! 結婚なんかできる訳ないでしょう!」
「あいつは結婚なんかに拘ってないよ」
「でも、誰かがユーグの子どもを産まなければ、家が途絶えてしまうじゃない」
子ども。でも、あんなに体調が優れないのに、結婚生活なんて出来るのだろうか。手が触れるだけでぞくっとするのに、一緒の寝台でなんて……。思わず変な想像をして赤くなってしまう。
「レジーヌ。わかっているだろ……」
リカルドの声は少し湿り気を含んでいるようだった。
「なによ! ユーグの周りには本当にろくな人間がいないわ。私だけよ、ユーグの将来を考えてあげてるのは! ユーグの調子が悪いのも、きっとそこの不吉な亡霊女がいるからなんだわ」
「あまり酷い口をきくとユーグに伝えるぞ」
「お言いつけ通り、その女には何も教えてないわよ。本当にばかで何もわかってないし!」
そう言い捨てると、レジーヌは私とリカルドを睨み、勢いよく部屋から出て行ってしまった。
リカルドは小さく溜息をついて、私を見た。
「ごめんね、前はあそこまでひどくなかったんだけど……」
「いえ、別にリカルドが謝る事でもないでしょう。面と向かっての悪口なんてさほど怖くもないわ。もっと怖い人間をたくさん知っているもの……」
「そうだったね」
「先日はありがとう。私の為に見張りをしてて下さったんですってね」
「ああ、オドマン伯が来た晩のこと? 別に、ただ下の部屋にいただけだよ」
「でも、もし露見すれば、あなたの立場もどうなってしまうか……私、本当に、ここにいるだけでみんなに迷惑をかけているんだわ」
私が項垂れると、リカルドは顔を曇らせた。
「そんな風に考えちゃ駄目だよ、アリアンナ。きみは、そしてきみの父上も、何一つ悪くないのだし。きみがここにいてユーグの慰めになってくれていること、知っている僕らみんな、有り難く思っているんだから」
「あなたは優しい人ね。ねえ、赤い花、ってなんのことかわかる?」
リカルドはぎくっとしたように思えた。
「な、なにかな。赤い花がどうしたの?」
「……もう、いいわ。どうして誰も何も教えてくれないの? 私に知られたらよくないことが起きるの? 私が知ったからって、喋る相手もいないのに?」
「アリアンナ、別に意地悪をしてる訳じゃないんだ」
「わかっているわ。でも私は心配なのよ」
リカルドに八つ当たりしてはいけないと思うけれども、つい口調は尖ってしまう。
でも、レジーヌと話したおかげで、やはり赤い花はシルヴァンの過去を知る手がかりとわかった。
赤い花の女性……の、肖像画? それは、どこにあるのだろうか。
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