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6・悪役令嬢は不吉と呼ばれる

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 尋ねたい事は山のようにある。

 父とはどういう関係だったのか。いつどうやって私を見知ったのか。公爵という身分にしては、言葉遣いもぞんざい過ぎるけれどいつもこうなのだろうか。それとも、違う顔があるのだろうか。

 けれど、それより先に気になってしまうのは、館のあるじが何故こんな寒い部屋にひとりでいるのか、という事だった。しかも、医師から安静を命じられているのに。そう言えばあの時血を流していたのはどうしてなのか、それもわからない。



「あの……ラトゥーリエ公爵」

「ユーグでいい」

「……いきなりそんな馴れ馴れしくは出来ないわ。まだ、あなたのこと全部許した訳ではないわ」



 どさくさに紛れて唇を奪ったことだけは事実だ。冷静に考えてみれば、死ぬと騒ぐ私を落ち着かせる為だったのだろうとはわかるし、公爵の言葉を信じようと思った今では、流石にそれで彼をどうこうしようと恨む気持ちは失せていたけれど。

 本当は、それも含めて命を助けて貰ったお礼を早く言うべきなのは分かっているけれど、私にとっては初対面の人が、素っ気ない口調で『おまえの為に死のう』なんて大変な事を言ってくるものだから、とても距離感が掴みにくく、何かきっかけがないと私も最初の態度を改めにくい。相手は王族に連なる人なのだから、礼儀正しく接さなければと思うのだけれど、出会いが余りにも型破りだったので戸惑ってしまう。



「しかしずっとその呼び方では面倒じゃないか?」

「面倒かどうかという問題ではないわ」



 どうにも調子が狂う。



「名前で呼びたくないのなら、あだ名はどうだろうか?」

「あだ名?」

「俺は王都では冷血公爵と呼ばれているのだろう?」



 自分が冷血と呼ばれているのを知っていたのか。そう言えば、私はジュリアン王子が冷血だと言った時に、『噂の冷血公爵よりも冷血』なんて言ってしまったような気がする。

 冷血公爵なんて呼ばれて気にならないのだろうか。『誰にでも親切な訳ではない』と言った。どうしてだか私には親切だけれど、他の人には冷血なのだろうか?

 それはともかく、いくらなんでも面と向かって冷血公爵と呼びかけるのには抵抗がある。私がそう言うと、公爵は暫く考えていたけれど、



「では、シルヴァン、というのはどうだろう?」

「シルヴァン……おとぎ話の妖精ね。銀色の髪と羽根があって、銀細工が大好きだという」

「そうだ。俺の髪がこの色に変化し始めた頃、村の子どもがそう呼んでいた。今では殆ど村に下りることはないが」

「変化?」



 公爵はあっさり言ったけれど、私は驚いた。



「その髪の色は生まれつきではないの?」

「当たり前だ。俺の両親は黒髪だったし、俺も元はそうだ。我が国では、北方系の黒髪と、南方系のおまえのような金髪、赤毛、もしくは茶色の髪しか生まれない。異国人の血を入れない限りは」

「それは……わかっているけど」

「髪の色が変わり始めてもう九年くらいになる。最初は嫌な事もあったが、もう慣れた」

「不思議ね。髪の色が変わるなんて、初めて聞いたわ」

「病気、みたいなものだ。俺だけの」

「えっ」



 安静を命じられていたのも、病気? 血色が悪いのも?



「おまえに感染うつしたりはしない。心配しなくていい」

「そういう事を考えた訳じゃないわ。あの……」



 どういう病気なのか、聞こうと思ったけれど、



「で、シルヴァンでいいか?」



 と言うので取りあえず頷いた。あだ名、というより愛称、という気がしなくもない。シルヴァンは善い子どもの誕生日に銀貨をくれるとされる、子どもに人気のある妖精だ。でも恐らく、単に思いついたから口にしたというだけなのだろう。



「あの、ええと、シルヴァン。私……」



 呼び方が決まったので、とにかく雪の山から助け出してくれたお礼を言おうと思った。

 けれどお礼の言葉を口にする前に、物音が私を遮った。部屋の扉が音を立てて開けられたのだ。



「まあ、ユーグ! 起きては駄目でしょう!」



 この声は聞き覚えがある。寝室に入って来て私を睨み付けた赤毛の女性だ。彼女はすぐに私に気付き、



「どうしてこの女がここにいるの!」



 と敵意の籠もった声を上げる。



「余計な世話だ。勝手に入って来るなと言っただろう」



 公爵は不機嫌そうに女性に向かって言った。



「だって、この女はここで何をしているの。この間だってこの女はあなたの具合を悪くさせたのに、ふてぶてしく睨んでいたわ。命を助けてもらった癖に」

「この女この女と言わないで頂きたいわ。私にはアリアンナ・アンベールという名前があるわ」



 むっとして私は言い返したけれど、女は不愉快そうに、



「そうね、罪人の名だわ。恐ろしい、不吉な名だわ! ユーグ、何度も言ってるでしょ、こんなものがここにいたら、きっと良くない事が起きるわ。今からでも遅くないわ、この女を元いた所に捨ててきたら……」

「黙れ、レジーヌ!」



 公爵は大声で女性を制した。冷やっと寒気を感じた気がした。



「おまえの指図なんか受けない。アリアンナはこの館の客で俺のものだ」

「俺のもの、ですって! いつの間にユーグをたらしこんだのよ!」

「たらしこむ、とはなんのことだ」

「私は何もしてないわよ! なんて失礼なひとなの!」



 女性は怒りに唇を引き結んで私に近付いて来た。なんなのだろう。痩せ気味で背が高く、年齢は19歳の私と同じくらいに見える。古めかしい身なりの公爵とは違い、今風のドレスを纏っている。公爵を呼び捨てにしているという事は公爵の恋人かなにかだろうか?



「済まない、アリアンナ。これは俺の母方のいとこでレジーヌという。性格が悪くて俺のことが嫌いなんだ」

「私は悪い事なんて言ってないわよっ!」



 随分と仲が悪そうだけれど、でも、レジーヌという女性が公爵を嫌い、という風には見えない。私を助けた事で、公爵に良くない事が起きないかと心配しているのだから。けれど、私を貶める彼女の為に仲裁に入ってやる義理は勿論ない。



「とにかく、私は嫌なのよ。ただでさえ、逆臣アンベールとの繋がりを王都に疑われたというのに、更に厄介ごとを。あなたの為に言ってあげてるのよ、ユーグ」

「父は逆臣じゃないわ! 訂正しなさい!」

「逆臣じゃなきゃなんなのよ。民衆の前で大逆の罪で処刑……」

「レジーヌ!」



 ぱん、と軽い音がした。公爵がレジーヌの頬をはたいたのだ。



「アリアンナは傷ついている。アンベール侯に罪はないと俺は知っている。出て行け。暫く顔を見せるな!」

「なによ。私はラトゥーリエ家のために」

「これ以上女に手を上げたくない。出て行け!」



 あまり感情を露わにしない人だと思っていたのに、私の為に怒っているらしい。私はびっくりして公爵を見つめた。

 レジーヌは暫く公爵と私を代わる代わるに睨み付けていたけれど、公爵の怒りは充分に伝わっているので、



「私は間違った事は言ってないんだから!」



 と捨て台詞を残して部屋を出て行った。突然入って来て私を罵り、また急に出て行って、私は毒気を抜かれた態だった。



「済まない、アリアンナ」

「い、いえ、あなたのせいじゃないわ」



 私は大逆罪を犯した者の娘とされているのだ。腹は立つけれども、レジーヌの言っていることは多くの人が普通に考える事だ。公爵程の身分の人ならそうはならないだろうけれど、一般的には、処刑される罪人を匿ったりすれば、同じ罪に問われても仕方がないものだ。



「本当に、どうして私を助けたの?」



 お礼を言うより先に、そんな疑問が口をついて出てしまう。



「おまえを護りたいから」

「理由になってないわ。どうして私を護りたいの?」

「――それは、おまえは知らなくていい」

「言ってくれなければ、どう感謝してよいのかわからないわ。教えて。父や私とどういう関係なの?」

「知らなくていいんだ、アリアンナ。感謝なんか要らない。ただ、半年だけここに、俺の傍にいてくれれば、俺はそれで満足だ。おまえが俺を殺したいならば、おまえのしたいようにさせようと思ったが、生きて共に居られると思えばやはり嬉しい」



 公爵の放つ言葉にはあまり抑揚がないけれど、何故だかその内容は胸に沁み込んで来る。私の為に死んでもいい、でも私と生きていられるなら嬉しい……大袈裟だけど嘘ではなさそうだ。

 けれど、理由を教えて貰えずにそんな風に言われて、素直にありがたいとばかりは思えない。信じようとは思っているけれども、あまりに私に都合が良すぎて怖い。



「教えて貰えないと、あなたの事を全面的に信じる事が出来ないわ」

「俺の事をどう思おうとかまわない。教える訳にはいかない」



 頑なに拒まれると、私の方も素直になれなくなった。



「教えてくれるまでは私はあなたのものじゃないんだから! 理由もわからず護ってもらう訳にはいかないんだから!」

「アリアンナ」



 私の言葉に、レジーヌに対しては冷たかったアイスブルーの瞳が子どものように揺れた。



「そんな事を言わないでくれ。いつか、いつか教えるから」

「いつか、っていつ?」

「半年後、だ」

「半年後に何があるの」

「それは――」



 けれどこの時、レジーヌが出て行った扉が叩かれた。公爵が入れと言うと、侍女と思われる女性が姿を現した。



「ああ、こちらでしたのですね、アリアンナお嬢様! 突然お姿が見えなくなるのですもの、心配致しましたわ」



 心から安堵したという風に、優し気な女性が言う。



「アリアンナ。侍女のマリーだ。おまえの世話を頼んである」

「ユーグさま。お加減は大丈夫なのですか?」

「ああ。アリアンナの顔を見たら元気になる」

「それはようございました」



 ぶっきらぼうな公爵の返事に、マリーは嬉しそうに笑う。



「いい加減身体が冷えただろう。マリー、アリアンナを部屋に連れて行ってくれ」

「待って、まだ話が済んでないわ」

「半年後だ、アリアンナ。その時わかるから、それまではここに居て欲しい。その後でどこかへ行きたくなったら、絶対安全だと思える場所なら行かせてやるから」

「……わかったわ。私を救って下さって、館に置いて下さることには感謝しています、シルヴァン」



 あだ名で呼んだのは、理由を教えてくれないなら名前を呼ばないから、というつまらない意地だったのだけど、公爵は瞳を柔らかく揺らして嬉しそうに見えた。



 こうして、私のラトゥーリエ公爵邸での生活は始まった。
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