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3・悪役令嬢は悪夢に苦しむ

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 死にかけて助かって目が覚めたばかりだったのに、かっとなって騒いだせいか、男が部屋を出た後で私はまた気を失ってしまい、今度はなかなか意識が戻らなかった。

 目を閉じていると、悪夢ばかりが襲った。



―――



 いつも凛々しくて服装を乱した姿など見た事もなかったお父さまが、数週間の取り調べでげっそりとやつれて傷だらけになっていた。お父さまはジュリアンに向かって跪き、娘だけは咎めが及ばないようにと、ただ懇願していた。ジュリアンは罵声と嘲笑を浴びせながら弱ったお父さまを足蹴にして、お父さまの首と私の首を並べて城門に晒すと言った。そしてお父さまは、そうされた――夢ではなく、現実の記憶だ。その光景が幾度も繰り返し夢の中に鮮明に蘇って私を苦しめた。



 ジュリアンは、自ら婚約者だった私の取り調べを行い、罪はないと言い張る私を平手打ちし、指を炎で焼こうとした。私のドレスを引き裂き、馬に当てる鞭を持って来いと怒鳴っていた。裸に剥いて死刑を待つ男たちの牢に放り込んでやるぞ、とも言った。そうだ、あの時の恐怖が心に刻まれて、私は男に対して過剰に身構えるようになったのだ。

 いずれの時も、仮にも王太子の婚約者だった女性にそんな事は、と誰かが止めてくれたので事なきを得た。厳格だった父王が急死なさって、ジュリアンは急速に、それまで念入りに隠していた嗜虐の本性を現して来ていた。年長の重臣が諫めると、さすがにまだ立場が盤石ではないので、冗談だと誤魔化していたけれど、邪魔されなければやっていたのに、という目をしていた。

 長い間、私はジュリアン王子の本質になんてひとつも気づかず、優しい人で幸せにしてくれるのだと信じていたというのに、このおぞましさに満ちた数週間で、誰よりも彼の隠したつもりの気持ちがわかるようになっていたと思う。ジュリアンは、冗談だと笑いながらも、楽しみに横槍を入れた臣を憎み、いつか機会があれば惨たらしい目に遭わせてやると思い、その想像で楽しんでいた。

 私はべつだん、その想像が現実になったってかまわない、と思った。だって彼らが私を助けてくれたのは、私の為ではない。私たち父子が無実であると薄々感じながらも、私たちを生贄にしてことが収まればそれでいい、と考えていたような輩だ。



『アリアンナ殿には気の毒だが、殿下のご成長の為の犠牲と思えば彼女も本望だろう』



 そんな事を扉の向こうで話しているのを、私は聞いていた。私が酷い目に遭うのを止めたのは、王太子の評判に傷がつくのを避けようと思ったからに過ぎないのだ。



 騒めく民衆の前にお父さまは引き出され、首斬り役人の刃が煌めいた。ジュリアンは手枷を嵌められたままの私を傍に置き、目を瞑る事を許さなかった。目を瞑ろうとする度、人にわからないように私の腕を針で刺したのだ。痛みのため、思わず目を開けてしまった私が見たのは、お父さまの首に振り下ろされた刃と――。



―――



 それから、イザベラの事も決して許す訳にはいかない。

 子どもの頃から仲良しで、姉妹のようだった伯爵令嬢のイザベラ。彼女の父は宰相で、ジュリアン王太子は、私との婚約を破棄した後で、彼女を新たな婚約者に選んだのだ。



『可哀相なアリアンナ! ジュリアンさまは今は私だけを愛してくださっているのよ。立場逆転、ってわけ。あなた、今まで友人顔で私を見下していたでしょ? 私、ジュリアンさまに、あなたから散々嫌がらせをされてたって言ったの。ジュリアンさまはお怒りになられて、私の為にあなたを二度と帰って来られない遠い所へやってしまおうと仰ったわ!』



 追放刑が決まった私の牢へやって来て、勝ち誇って言い放った彼女を、私は信じられない思いで見つめていた。誰が私を裏切ろうと、彼女は私を案じていてくれると信じ、あの残酷な男の婚約者になったと聞いて、彼女の為に胸を痛めていたくらいだったのに、彼女はとっくに私を裏切り、過去の友情すら否定したのだ。



―――



 そして、イザベラの父宰相は、私が牢に入れられたばかりの頃、二人だけの取り調べの場でこう言った。



『アリアンナ嬢。何故、アンベール侯に疑いがかけられたか、わかるかね?』



 わかるわけがない、と私は答えた。父は少年の頃から亡き陛下の傍近くでお仕えし、宰相よりも信頼されていると言える間柄だった。父が宰相位に就かなかったのは、やや虚弱な質という健康上の理由からに過ぎない。もしも陛下が生きておられたならば、真っ先に父を信じて庇って下さっただろうに、と口惜しく思うばかりだった。



『どうせ貴女は死ぬのだから少しくらいは教えてあげよう。陛下が亡くなって――暗殺を実行して、得をするのは誰だと思うかね?』

『ジュリアン王子でしょう。王位を継ぐのだから』

『いやいや、ジュリアン殿下は元々王太子、何もせずともいずれは王位に就くお方だ。それに、殿下は陛下と共に暗殺されかけたのだよ。陛下とジュリアン殿下、そして弟君のエリック殿下は親子の私的な会談の席で、同じお茶を飲まれた。お三方とも意識を失われ、ジュリアン殿下だけが幸運に恵まれ生還されたのであって、陛下やエリック殿下と同じ運命を辿られてもおかしくはなかった』

『それで?』

『もしも万が一、お三方とも亡くなっていたら。次の王位継承権はだれにあると思う?』

『それは……陛下の甥のラトゥーリエ公爵の筈だわ』



 陛下はまだ四十代で健康で、治世はまだまだ続くと思われていたし、息子も二人いた。王太子と私が結婚すれば、いずれ直系の跡取りも出来ただろう。誰もが、領地に引き籠ってその身分に相応しい社交もせずに顔も知られていない公爵が王位を継ぐ可能性などないに等しいと思っていた。

 けれど、宰相の言う事に筋は通っていた。『冷血公爵』というあだ名を持つくらいに冷酷な男と噂されているラトゥーリエ公爵。変人で、北方の自分の領地にしか興味がないと思われていたけれど、実は野心を隠し持ってそう振る舞っていたのなら、伯父といとこを暗殺すれば王位が転がり込んでくる、と考えたとしてもおかしくはない。



『じゃあ、真犯人はラトゥーリエ公爵だと思っているの?! だったら早く公爵を王都に召喚して調べればいいではないの。父の容疑も晴れるでしょう?!』

『いや、そうはいかない。公爵は王族に連なる方だし、何年も王都に来られていないのは間違いない。実行犯でないのは確かだ』

『それはそうでしょう。公爵自ら毒殺なんて。でも動機があるなら、信頼出来る者を遣わしてやらせたのかも知れないわ!』

『そう』



 宰相は何故か笑みを浮かべて私を見ていた。



『ラトゥーリエ公爵が信頼する者。そして陛下の傍近くに行く事が出来てお茶に毒を入れる機会がある者。それこそが、貴女の父、アンベール侯なのだよ』



 私は息が詰まりそうだった。この時まで私は、単に父が、問題のお茶会の前に陛下に呼ばれて会っていたから、という理由で疑われているのだと思っていたし、それは父を妬む誰かが言い出しただけに違いなく、きっと真犯人が捕まって疑いは晴れる筈、とまだ信じていたからだ。



『何故父がラトゥーリエ公爵に?! 父の口から公爵の名前を聞いた事さえないわ。信頼なんてないわ』

『そうやって実の娘にさえ秘密にして、アンベール侯は何度もラトゥーリエ公爵の元を訪れている。確かな話だ』

『父が冷血公爵のところへ? そんな……そんなのでっち上げだわ。私は知らない……』



 宰相は薄い唇を歪めた。



『証言をありがとう、アリアンナ嬢。つまり、やはりアンベール侯は、ラトゥーリエ公爵との繋がりを何が何でも隠さなければならない訳があったという事だ』

『! 待って! 私の言った事を、父が不利になるように使うつもりなの?!』

『そうだ。よいかね、アリアンナ嬢。ラトゥーリエ公爵は王族に連なる高貴なかた、動機があるというだけで召喚して取り調べたりする事は出来ぬ。なにがしかの証拠や証言があれば別だが、そんなものはない。そこで、公爵の代わりの犯人が必要になるという訳だ』

『父を生贄にするつもりなの! だいたい、辻褄があわないわ。娘の私が王太子妃の座を約束されていたのに、なんでその王太子を殺そうとするというの!』

『貴女は知らなかったかも知れないが、アンベール侯は娘の地位を笠に着て、ジュリアン殿下に諫言してご不興を蒙っていたのだよ。それで侯は、このままでは破談になり、己の地位を失うかもと思い込み、ラトゥーリエ公爵に取り入って、陛下とその御子息を暗殺し、王位に就くラトゥーリエ公爵に貴女を嫁がせようと目論んだ。これでも辻褄が合わないかね?』

『そんなの、作り話だわ。父は自分の地位に執着するような人ではないわ』

『我々は、ラトゥーリエ公爵の命令でやったのだと自供すれば、極刑は免れられぬにせよ公開処刑は免じよう、と持ち掛けたのだ。だが、アンベール侯は拷問を受けてさえ、ラトゥーリエ公爵は関係ない、と言い張るのだよ。余程固い結びつきがあるようだ』



 私は何もかもが信じられなかった。本当に、父から冷血公爵の話なんて聞いた事もなかったから。忙しい人だから館を何日か留守にする事は珍しくはなかったけれど、北方に出かけていた素振りなんかなかったのに。



『ラトゥーリエ公爵に使者を送って尋ねてみればいいわ。本当に父と関わりがあるにせよ、今回のこととは関係ないってわかる筈よ』

『公爵は、国王暗殺との関わりを否定しただけだ。しかし、今はそれでいい。王位継承争いで王族が殺し合ったなど、他国への聞こえが悪過ぎるからな。今はあくまでアンベール侯の暴発という形におさめるのが王国の為だ』

『そんなの間違ってる! 本当の実行犯は他にいる筈よ! ラトゥーリエ公爵が怪しいのなら、もっと身辺を調べるべきでしょう!』

『アリアンナ嬢』



 必死に言い募る私を、宰相は感情を交えない薄い色の瞳で眺めた。



『そんなに自分が可愛いのかね。まだ王妃になる夢を捨てていないのか』

『そんな事はどうでもいい。私はただ、父の無実を明らかにしたくて』

『貴女も王妃教育を受けて来た人、その中には、国の為、王の為に自分を犠牲にする精神も含まれていた筈だろう。親子で国の為に命を捧げる事を喜ばしく思ってみてはどうかね』

『ばかなことを! その必要も理由もないのに!』

『貴女たちが死ぬ運命は最早変えられぬ。だからせめて、喜びを持てれば救いになるかと思ったのだが。まあいい。恨むならラトゥーリエ公爵を恨むのだな』



 そう言うと、宰相は牢を出て行った。取り残された私は、言われた事を何度も頭の中で反芻した。



 ラトゥーリエ公爵。

 国王陛下の弟の息子。ジュリアン王子の従兄で、年齢は二十代半ばだった筈。両親は早逝して18歳で爵位を継いだとか。病弱だという理由で王都に姿を現さないけれど、会った人の話では、身体つきもしっかりして病弱には見えなかったそう。

 そして、その人の話からついたあだ名が『冷血公爵』。近年、誰も公爵に会っていないのに、噂は好奇心と共にどんどん広まって行った。血も凍りつくような残虐な男だとか、穢れた氷の呪術を使うとか、そんなような噂だ。

 ああ、お父さまは本当にそんな男と親しくしていたのだろうか。本当に親しかったのならば、何故公爵はお父さまの苦境を助けてくれないのか。年齢も立場も、男性王族の中で最もジュリアン王子に近い人、その気があれば、王都に出て来てお父さまと自分の身の潔白を主張する事だって出来る筈なのに。

 ――でも、もし公爵が事件の裏にいるのなら、そんな事をしてお父さまを助ける訳はない。無関係なお父さまに容疑が向けば、自分はそれだけ安全になるのだから……。



 そうして、幾日過ぎても、ラトゥーリエ公爵がお父さまの弁護に動いたという話を聞かないままでいるうちに、私の恨みの矛先は、宰相の言うなりに、公爵に向いてしまった。

 お父さまは人がいいから、冷血公爵に利用されたのに違いない、と。宰相の言う通りなら、公爵に近付きさえしなければこんな事は起こらなかったのだから。



 私は、突然に身に降りかかった理不尽な災厄に喘ぎ、誰かを恨まずにはいられなかった。もちろん、ジュリアンとイザベラ、宰相は、出来るものならすぐにでも殺してやりたいくらいに憎かった。でも、それ以外に、なにか理解しがたい存在があって、それが運命を狂わせたのだ、とも思いたかったのかも知れない。顔も知らない不吉な『冷血公爵』はまさにうってつけだった。

 牢の中でひとり、いつ死罪が言い渡されるか先の見えないなかで、私は『冷血公爵』に対する想像を膨らませた。

 噂には色々あって、中には、大きな声で言えないようなおぞましいものもあった。冷たい血を温めるために、領地内で平民の娘を攫い、生き血を浴びているとか、そういったものだ。

 後から思えば、いくら本人が姿を見せないからと言っても王族に連なる人のそんな噂を王宮が放置するのはおかしな事だった。もしもそんな事実があるなら、厳格な陛下が見過ごす訳がなかった。けれど咎めを受ける事がないので、噂話は娯楽のように尾ひれがついて広まるばかりだったのだ。――陛下の耳には入らないよう細心の注意を払いながら、一方で公爵の評判を落とすよう仕向けていたのは王太子だったのだと、私や皆が知るのはだいぶ後になってからだった。



―――



 ふたり寄り添って私を見下し嘲笑し罵倒する、王太子とかつての親友。

 冷たい目で、犠牲になれと嘯く宰相。

 そして、顔のわからない冷血公爵。

 かれらの足元に、苦悶の表情を浮かべたお父さまの亡骸。

 私は、引き裂かれたドレスを掴み、膝まで雪に埋もれている。罵り声をあげたかったけれど、私には、舌がなかった。



 繰り返し、繰り返し、そんな悪夢を見ていた。
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