はるなつ来たり夢語

末千屋 コイメ

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第二十五話

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 あれから何日経ったっけな? 吉原ちょうではにわかが始まっている。色んな場所で芸者が狂言をしているから、観光客も多い。この時ばかりは女も俄目当てに吉原にいるから、人が多いのなんのって。
 腹の傷もだいぶ良くなったので、方々の妓楼に往診に向かう。薬だけは伊織屋の皆が走ってくれてたが、きちんと診てやらないと、しっかりした処方はできないもんだ。
 お歯黒ドブからののの引き上げがされていた。相対死あいたいじにのようだった。互いの身体を縄で括り付けあっていた。
 こんな臭い場所を死に場所に選ぶくらい、本気で愛しあってたんだろうな……。なむあみだぶつ。どうか二人で極楽浄土に行けますように。
 おれも、行けっかな……。極楽浄土……。
「反物、見に行ってやらねぇと……」
 おはるに新しい着物を贈ってやると言って、そんままだ。櫛だってまだ選べていない。
 ――父ちゃんにも、まだ、話せていない。
 店の方に行って飯を共に食うようには、なった。でも、踏ん切りがつかない。
 やっぱり、おれは駄目だ。へたれだ。一緒に飯を食っても、会話が無い。母ちゃんとも、話せていない。
 おふゆがおれのことを何か言ったとか、そういう雰囲気も無い。
 妹に頼るなんて、兄失格だな。男としても情けない。
 どうしたら良いんだよ、わかんねぇ……。考えても浮かばない。考えたら考えるだけ、誰かの傷つく顔が浮かんじまう。
 女郎なんて女房にしたら、家事もできねぇし子もできないかもしれない……。代々続いてきた店の、跡取りが、血の繋がっていない子になるのは……嫌だろうな。
 それをおはるに話したら、おはるもきっと傷つくんだ。おれが嘘を吐いたことになる……。おれも、嫌だ。
 反対されたら、いっそ、さっき引き上げられた奴らのように――いやいや駄目だ! おれは医者だ。命を救う務めだってのに……死んじまってどうすんだ。
 首を振って、気を改める。駄目だ駄目だ。死んだら元も子もない。
 おはると約束したんだ。きっちり、言ってやらねぇと。
「夏樹せんせ、治りんしたか!」
「あ、おはる……」
 桶を持ったおはるがこちらに向かって歩いて来る。湯屋帰りだからか、ほんのり糠の甘い香りがした。汗ばんだ肌が妙に婀娜っぽくて、腰のあたりがぞわぞわする。
「ああ! 会いたかったよ、せんせ!」
「おう。おれも会いたかったよ」
「そうだ、会ったら直接言ってやろうと思ってたんだよ。あの惚れ薬のことさ」
「おー、あれな。どうだった?」
 おけいに持たせたのは幾日前だったっけな? きちんと届けてくれたようだ。
「あんなに効くと思ってなくて……わちきはもう、とてもとても」
「そりゃあ良かったよ」
「だが、さすがに八寸胴返はっすんどうかえしは、ぼぼが裂けそうで嫌でありんした」
「あはは、そんな逸物の客がいんのか。ご立派だな」
「ほんとにね」
 おはるは呆れたような溜息を吐く。
 しばらく見なかったが、元気そうで良かった。
「せんせ、今夜あたり来てくれるかい?」
「あー……そうしたいのは山々なんだが……まだおまえに贈る反物も櫛も見つけられてないからさ」
「そんなものはどうだって良いのさ。わちきは……夏樹だけに抱かれたいんだ……」
 襟ぐりを掴まれ、耳元で囁かれる。艶を含んだ色っぽい声だ。身体の中心が熱を持ちかける。まずいまずい。これはまいっちまう。
 悪戯っぽく笑っているおはるの目に陽が射す。微かに赤い瞳がやっぱり綺麗だ。頬を撫でてやれば、すり、と甘えるように首を傾げた。
「来てくんなんし」
「わかったよ……」
「わちきは待っておりんす。夏樹せんせが来るまで、ずぅっと。じゃあ、またね」
「ああ。あばよ」
 おはるは手を振って行っちまった。今夜、会いに行こう。その前に、きっちりしておかねぇと。
 足元を猫が通っていく。小さい白猫と大きい茶トラ猫だった。仲良く身体を擦り合わせながら歩いている。どっかの夫婦によく似た猫だ。おれもあんな風になれっかな……。仲睦まじく、人目も憚らずいちゃつけるような……、いや、それはちょいと気恥ずかしいか。
 首を横に振って、気を改める。まずは往診の続きだ。
 京町一丁目の中見世を覗く。
「ああ、夏樹先生、良いところに来てくれた。診てやって欲しいんだ」
「おう。どいつだ?」
 遣手が二階から連れて来たのは、髪がぱさついたようで、爪も割れているような女郎だった。よく見れば皮膚も乾燥しているようだったし、唇もカサカサだ。おまけに顔色が悪い。こりゃ化粧しても冴えないだろうに。
 薬箱を開いて、引き出しを広げる。診たところ、けつが不足した血虚けっきょだ。道症みちしょうかもしれねぇな。とりあえず、これに効くのは、四物湯シモツトウだ。
 大雑把だとか言われているが、薬箱の中は我ながら綺麗に整頓していると思う。生薬がごっちゃになると使いづらいし、取り違えるとまずいことになるからな。紙袋に符号を振っておけばどこに何が入っているかってのがすぐわかる。
 地黄ジオウ芍薬シャクヤク 、川芎センキュウ 、 当帰トウキを取り出して調合してやる。磨り潰せたら薬包紙に分けてやって仕舞だ。
「ほい。これは四物湯シモツトウだ。飯の前に白湯で飲んでくれ。あと、身体を冷やすんじゃねぇぞ」
「あーい。わかりんした。あんがとね、せんせ」
 この暑い時期に身体を冷やすなって言ったのがおかしかったのか、薬を受け取った女郎は笑っていた。これでもっと綺麗になってくれたら良いんだ。笑ってくれてたら良い。そしたら、おれも嬉しいから。
 揚屋町の大見世を覗けば、手足が火照って困っている新造がいた。
「この子、ずっと熱っぽくて……、でも、頭は痛くないって言いんした」
「そっか。そんなら、三物黄芩湯サンモツオウゴントウを出しとくよ」
 そろそろ地黄が減ってきたから、店で補充しとかねぇとな……。
 苦参クジン 、黄芩オウゴン、そんでから地黄の三種類を調合してやる。いずれも熱や炎症をしずめる寒性の生薬だ。これですぐに熱もひくはずだ。
 薬を渡せば笑って受け取ってくれる。他人様の役に立ってんだなって実感できる。やっぱり笑顔を見るのが好きだ。笑っていてくれるのが良い。
 さて、いつも往診してる見世を廻り終わったから、おはるに合う反物と櫛を見に行くかな。小間物屋に行けば櫛はあると思うが……小焼の伯母の店に行くべきか。あそこの猫がおれをおはると出会わせてくれたからな。
 歩みを進めていると見慣れた黄金色が揺れていた。やっぱり目立つなぁ、あの鬼。
「おーい、小焼」
「ああ、往診ですか」
「終わったところだよ。今から反物と櫛を見に行こうかと思ったところだ」
「では、両親に言ったんですか?」
「あ、いや、まだだよ」
「……」
「黙らねぇで何か言ってくれよ!」
「身請けするんですか?」
「……できたら良いとは思ってっけど」
「思ってるだけか」
「だ、だって……、うちはおまえんとこと違って小さい店なんだ。おれは養生所にいるし。それなのに、女郎の樽代が出せるかっていうと……どうかなって……」
「それでよく所帯を持つとか言ったなお前は」
「そんなに強く言うこたねぇだろ!」
 小焼の口調が強くなるくらいには、怒らせるようなことを言っちまったようだった。頬を抓られる。殴られないだけましだとは思うが、力加減ができていないから痛い。
「……夏樹、優しいだけだと、傷つく人もいるんですよ」
「なんだよそりゃ」
「そのままの意味です。昔、貴方は私に言ったでしょう、『心に聞いてみろ、心に』」
「……おう」
 胸を突かれる。とんとん、と。
 言わないと駄目だな、やっぱり。言わねぇと。言ってやらねぇと。色々、言うことがある。
 今度こそ、父ちゃんと話をしよう。そんで、言うんだ。「一緒になりたい女ができた」「欲しいものがある」って。


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