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第二十三話

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 吉原ちょうでは草市がたち、お盆用品が売られているそうだ。ついでに妓楼は休業日だと養生所に来た花屋が言っていた。
 腹の痛みがひいたからおはるに会いに行こうかと思ったんだが、休みならやめとくか。毎日誰かおれの知らない男にご開帳して疲れてるだろうし、おれの心配をさせるのも悪いや。でも、ここで寝続けるのも飽きてきたな……仕方ねぇことだけど。
 吉左衛門さんから薬の配合について聞くことができたし、実物もある。
 ぬめり薬は唾で溶かすものだった。試してみると淫水と変わらないほどの手触りだ。こりゃあ濡れてるように思うはずだ。
 問題は、惚れ薬のほうだ。きちんと効果があるかどうか。こっちは飲み薬だ。床の前に使うなら白湯だと怪しいから……酒に混ぜたほうがいいな。酒に混ぜてもばっちり効果を発揮するかが問題だ。吉左衛門さんは水や白湯でって言ってたから、酒だとどうなるか。
「今飲むのはまずいかな」
 抜群に効くなら……かなりまずいことになる。せんずりするだけじゃ足りなくなるだろうし、だからってここに女を連れ込むわけにもいかない。どうせ抱くなら、おはるが良い。……ああ、やっぱり、おれ、おはるのことが好きなんだな。良かった、本当に好きなんだ。
「夏樹様、入りますやの」
「おっ? おけい、どうかしたか?」
「お見舞いに来たんやの」
「そっか」
 三味しゃみを抱えたおけいがおれの部屋に入ってくる。稽古をつけてから養生所を訪ねてきたようだった。
 小焼と千歳は品川に行っているらしく、明日帰ってくるとか言っていた。
「元気そうでなによりやの」
「あはは、心配してくれたんだな」
「春日ちゃんからお手紙預かってきたの。はい」
「おっ、ありがとな!」
 てっぺんに紅のついた手紙を預かる。今回はおれの名前を間違えていなかった。少しあやしい字もあるが、読めないことはない。おれの体調を気遣うような内容だった。きっちり腹の傷が治ってから来いってさ。会いたいけど我慢するって……、健気で、我慢強くて、可愛い子だな。
「夏樹様、にこにこして楽しそうやの」
「おう。楽しいよ。嬉しいんだ」
「お返事書くなら持っていってあげるやの」
「じゃあ、お願いしよっかな。少し待っててくれ」
 紙と筆を準備する。とりあえず、体調を気遣ってくれてっから、それに対するお礼を書いてだな。あと何を書くかな。櫛もきっちり用意するってのを書いておくか。父ちゃんに話さないといけねぇんだけど……いまいち、勇気が出ない。女郎だもんな……。やっぱり反対されっかな……。でも、おれが欲しいと思ったものなんだ。おはるはモノじゃないけど……、欲しい。どう言おうか。おふゆには傷が治ったら父ちゃんに言うって言っちまったし……。あいつ、おれが言うまで大坂に帰らないんじゃねぇかな、とか思ってきた。俄を見たら帰るって言ってたが、俄が過ぎるまでにはおれの腹も治って……たら良いな。
 手紙を書き終えて折りたたむ。
「あー!」
「わ、な、何だよ!」
「夏樹様、どうしてそんなに大雑把に折るの!」
「どう折っても読めるから良いだろ」
「中身がどんなに良くても、外見も大事やの! もう! ウチが折りなおしてあげるやの」
 おれの手紙をおけいが折りなおす。そういや小焼にも折りなおされたっけな。似たもの夫婦か。
 折りなおした手紙をおけいは懐にしまった。後は任せておけば持っていってくれるから、任せよう。
「そういえば夏樹様、そこに置いてあるんは何やの?」
「ああ、ぬめり薬と惚れ薬だよ。おはる――春日に頼まれたんだ」
「惚れ薬……。両国の四ツ目屋で売ってるやつやの。ここで売ったら、お客さんがたくさん来そうで良いと思うの。ぬめり薬もあればきっと大繁盛するやの」
「あはは、でも、ここは養生所だしな」
「うん。夏樹様……、春日ちゃんは、あなたのこと考えて言ってくれたんやと思うの……」
「へ? おれのこと?」
「夏樹様は養生所の所長さんやけど……、伊織屋の大事な跡取り息子さんやの。だから……お店が繁盛したら……お父様も…………」
「……あー、そっか」
「だから、これ、お店で出したほうが良いの。養生所で処方するんやなくて、売物買物うりものかいものにすれば良いの。今ならもれなくウチが歌いながら売り込んであげるやの」
「あはは、ありがとな」
 そっか。だから、おはるはおれに惚れ薬を作って欲しいって言ったのか。一度断っても、頼みとしてもう一度言ってくるぐらいだから困ってる人がいるのかと思ったけど、そういうことか。そっか。頭の回る子なんだ。それなら、父ちゃんも……許してくれっかな……。家事ができないとしても……店の手伝いはしてくれるはずだ。口も上手いはずだから……許してもらえっかな……。
 おけいが売り込むなら、飛ぶように売れるとは思う。過去にこいつが折詰に描かれたときは、すごい勢いで売れたらしい。錦絵だって、道中を描いた百鬼夜行絵巻だって、今でも求める人がいると聞いたことがある。
 でも、効果のわからないものを売るわけにはいかない。効き目が無いのに売ったら、それこそ売れなくなっちまう。
「ぬめり薬はともかく、惚れ薬は効果があるかわからねぇんだ。売るならきちんと効果があるもんじゃねぇとな」
「これ?」
「おっと、飲むなよ! 酒で溶かして効果があるか試さなきゃなんねぇんだから!」
「それじゃあ、お酒貰ってくるやの」
「へっ?」
 おけいは三味を置いて、部屋を出て行き、銚子を持って戻ってきた。猪口に慣れたように酒を注ぎ、薬を溶かしている。
「待て待て! おまえ何勝手に溶かしてんだ!」
「善は急げって言うやの。試してみよ?」
「試してみよじゃねぇって! もしおまえの身体に何かあったら、おれが小焼に怒鳴られんだから――」
「夏樹様が飲むの」
 手を取られ、ぎゅっ、と猪口を握らされる。あったかい酒だった。きっと店のほうに置いてある酒を貰ってきたんだと思う。何で台所にいるやつも渡すかなぁ……。おけいは濡れた大きな瞳でこっちをじぃっと見ている。捨てるのも勿体無い。せっかく吉右衛門さんが作ってくれたんだ。試すしかないか。
 猪口に口をつける。酒の香りが鼻を抜けていく。少し甘いような、辛いような、変な味はしない。薬が混ざってるとは思われないと思う。変な味がしないなら相手にバレずに薬を盛ることもできるか……。あんまりそういう使い方をして欲しくないんだが、こればかりは仕方ない。
 少し、呼吸が乱れる。これ、けっこうすぐ効くのな。
「夏樹様、どう?」
「どうじゃねぇよ……」
「うふふ、顔赤いやの」
「っ、ぃ!」
「あら? ちょっと触るだけでも反応してまうん? 凄いやの」
「触んなって!」
「きゃあっ!」
 笑いながら触ろうとしてくるおけいをうっかり布団に組み敷いてしまった。甘い香りがする。とても、気の悪くなる香りだ。
 駄目だって、こいつは小焼の女房だぞ。わかってるのに、抱きたい。
「んッ、あ! な、つき様ァ!」
 白い肌を撫でる度に甘い香りがしてくる。こいつ、全身が菓子でできてんじゃないかな……。首筋を舐めればほんのり甘味がする。やっぱり、菓子なのか。
 駄目だってわかってんのに、止められない。着物を剥げば、白い肌にいくつもの赤い華が咲いていた。肩には歯形がくっきり浮かんでいる。
「あぅ、あ、……、ンあっ、ああっ……!」
 空割そらわれを撫で下ろし、指を差せばすごく濡れていた。容易に水音を鳴らすことができるくらいだ。指を吸い付くように締めつけてくるので、これが最上品の巾着ぼぼなのか、と納得する。入れたい。いや、駄目だ。ここまでしておいてなんが、こいつは……小焼の女房だ。……わかってるのに、抱きたい。やめねぇと、そろそろ、このぐらいにしておかねぇと……。頭ではわかってんのに、止められない。濡れそぼったぼぼに屹立したまらをそえる。抵抗しないんだから、このまま――……。
「兄ちゃん!」
「うわっ!」
 すぱーんっ! と勢いよく障子が開く。見るからにおかんむりなおふゆが立っていた。そのまま歩いてきたかと思えば、勢いよく叩かれた。頭が痛い。
「何してるの! 小焼ちゃんがいないからっておけいちゃんを抱いて良いってわけじゃないんだよ!」
「あいたた……、おまえ、もう少し力加減を――ぁ痛ぁあああああああああっ!」
 木のようになったまらを踏まれ、意識が一瞬ぶっとんだ。
「もー! おけいちゃんがあたしにお薬の話してくれてて良かったよぉ。このままだと兄ちゃん、小焼ちゃんに殺されるところだよ」
「――ぁああ、すっげぇ痛いぃいいい」
「はさみでちょん切られないだけ良かったと思っとこうね!」
 股座を押さえたまま悶絶する。痛い。もう薬の効果なんてぶっ飛ぶくらいには痛い。いつの間にか着物を正したおけいがおふゆの隣でにこにこ笑っている。こいつ、わざとか。わざとこうなるように仕向けたな……!
「お薬の効果がわかって良かったやの」
「うんうん。わかって良かったよ。兄ちゃん、これでお薬売り出せるし、おはるさんに渡せるね」
「おまえらぁ……」
「夏樹様、このこと、小焼様には内緒にしといてあげるやの。その代わり、ウチのお願い聞いてくれる……?」
「何だ?」
「ウチにもこのお薬分けてやの。小焼様に飲ませるの。うふふ」
 ああ、駄目だ。やっぱり、『鬼』の夫婦におれはかないそうにない。

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