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第十二話
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一月が経った。わちきの知る限り、あの人がこの辺りを歩いている姿を見ていない。湯屋に行く時にでも姿を見るかと思ったが、何処にも見えない。往診していないってことはないと思うんだが……どうしてだか会いたいって思っちまう。
ああ、本当に面倒なものを抱え込んじまってる。ああいうのに惚れちまったら、苦しくなるってわかってんのに。これならまだ逃げた男のほうがましだ。博打で全額すっちまうようなやつだったし、わちきに借金させたまま消えちまうようなクズだったけど、少なくとも顔を見せに来ることはあった。
「春日、お仕度!」
「あいよ」
客が来るのは良いことだ。御開帳して喘いでいるだけで金を貰えるなら、それで良い。
暖簾をくぐって入って来た男の手を取り、部屋に案内する。この男は十日ぶりだったか。既に息が荒い。部屋に着くや否や、男はわちきを羽交い締めにする。男の無骨な手が胸をまさぐる。わちきは「アッ」と声をもらして震える。それに男は興奮して、あとはよろしくやるだけさ。
褌を取り去ってやると、男の陰茎は大きく反り返っていた。噎せ返るような汗と先走りの匂いで脚の間が少し軋む。でも、わちきが欲しいのは、これじゃない。棹を扱きつつ、膨らんで丸くなった亀頭を口に含む。鈴口を尖らせた舌先でつつくとビクッと腰が浮いていた。まらを咥えつつ、自分で乳を揉み、そのまま下腹部に手を伸ばす。この男、自分ばっか良くなって、わちきを良くしようとは考えないのか、ただドヘタなだけなのか。どっちなんだか。
男から見えないように唾液を玉門に塗りつけ、濡れてるように見せかける。慣れているとはいえ、慣らしておかないと傷つくのは嫌だからね。男の上に乗り、濡れそぼっているように見せかけたぼぼにまらを受け入れる。ぐちゅんっ、と水音が鳴りゃ上出来だ。ほら、男は今にも昇天しそうなほどの恍惚の表情を浮かべている。身体を寄せて、「きもちいよぉっ!」なんて言ってやるだけで気分を良くしてくれる。男なんてそんなもんだ。九浅一深の秘術で腰を動かし、腹に力を入れて締めてやれば、男は気をやった。わちきも気をやったように男の胸に倒れ込む。全然感じてないんだが、こうすりゃ良い。こうしておけば、またこの男は来てくれる。「ああっ、死んじまうかと思いんした」なんて決まり文句でも言っておきゃ良いのさ。
男が眠ったので、わちきは後始末に階下の便所に向かう。廊下を歩いていたらあちこちの部屋からよがり声が聞こえる。演技にしても、こんなに大声を出すのはどうなのかとわちきも思っちまうよ。
声は出すんじゃなくて、もらしたほうがずっと良いもんさ。その方が、本当に感じているように思われる。耐えきれずにもれた声のほうが、ずっと艶っぽいだろうに。まあ、わちきが朋輩に何言っても無駄っちゃ無駄でありんす。
便所でししをして、軽く洗って拭いて戻る。あの男、けっこう気をやってたね。これだから早漏絶倫は嫌なんだ。何度も勝手に出しちまう。後始末させるのも悪いからと言って腹にぶっかけていく人を見習ってほしいもんだよ。……ああ、こんな所で思い出しちまったや。次の客に行かないと。
今夜は廻しができるほどに客が入ってる。待たせていた男もすぐにわちきを布団に引きずり込んだ。「待っていた。ちょんの間でさせとくれ」なんて言いつつ、すぐ、いきり立ったまらをぼぼにぶち込まれた。「ああっ、激しいよぉ!」と言いつつわちきは男の首に腕を回す。口吸いはしない。わちきが来るまでに酒を何合飲んだかしらないが酒臭い。身体を激しく揺さぶられ、男は勝手に昇りつめて果てた。しつこい二番目をせがんでくるし、仕方ないのでわちきは「あんたの好きにしてくんなんし。アァツ、良い、いいよ、イッちまう!」と言って強く抱き締めてやる。実際はイクぐらいに感じてもないし、嘘なんだが、こうすりゃ気分を良くしてくれる。大腰に何度も中を抉られるが、わちきのイイトコロには一切当たらない。ある意味凄い才能でありんす。
二番目も勝手に果てた男が寝たので、わちきは再び後始末に一階の便所へ向かう。もう相手しなくて良いから後はどっちかの男の布団で寝てりゃ良い。面倒臭いから布団部屋でサボりたいところだが、内所から睨みをきかされていたら、戻るしかない。
「春日ねえさん」
「何だいおらん、まだ起きてたのかい」
わちきの抱えている禿のらんだ。くりくりのどんぐりまなこが愛らしい器量の良い子だ。末はこの見世の御職にでもなるんだろう。わちきは「上玉だから」「上妓だから」と御職にされちまっているが……、この子は器量が本当に良いから、相応しいと思う。わちきの朋輩が揃って不細工なのが悪いってもんなんだ。鼻がくずれているとか目の大きさが左右で違うとか、ここの亡八はそういうのが好きなのかって思っちまうよ。そんでも、そういうのが趣味ってのが通っていくんだから……世の中わかったもんじゃありんせん。
「今夜はお客がもう一人来てて、おいらと源次どんで相手してたんだ」
「そりゃ聞いてないねぇ」
「内所にもねえさんには黙ってて欲しいって……廻しの客が終わったら呼んで欲しいって言ってやした……」
「ほーん」
おらんと源次でも相手できるくらいの客ってのは、どういうやつだ? まさか、あのせんせか?
はやくはやく、とおらんがわちきの手を引くので早歩きでその部屋へ向かう。わざと足音を大きく聞こえるようにして歩いておけば、障子の向こう側の客が期待して裏切られて面白いもんだ。まあ、そこまで客の入りが良かったのかはわちきもわかりんせん。
障子を開き、中に入る。
「あ、春日ちゃん来てくれたやの」
「は……?」
想像よりも軽く、鈴のような声が部屋に響く。
青い髪の女がいた。涙で潤んだ大きな青い色の瞳がわちきをじっと見ている。銚子が五本と酔い潰れた源次が転がっていた。
「あんた……」
「ウチは、廻船問屋中臣屋、小焼が妻、けいと申しいす」
畳に両手をつき、礼をされる。名乗りが完全に玄人のそれだった。小鬼だ。あの、百鬼夜行の小鬼が、吉原一可憐な花と謳われた小景が、ここにいる。全身の毛穴が開くような感覚がした、変な汗が流れる。
わちきは、この子にあてられちまってる……?
「……夜見世にあがる女が何処にいるんだい。あんた、身請けされて幸せだって、見せつけに来んしたか!」
「違うの。ウチは、春日ちゃんに会いたくて……」
「すぐに泣くんじゃないよ!」
泣き虫はなおってないのか。そういや、小焼兄さんが何かそんなことを言っていた気もしなくはない。俯いてぼそぼそ話してるから何言ってんだかよく聞こえないし、ほんと、何しに来たんだこの子。
「とりあえず顔をあげてくんな。何言ってんだかわかりんせん」
「夏樹様からお手紙預かってきたやの」
「は?」
「これ、受け取って」
おけいは袂から手紙を取り出した。大雑把に折られている。あのせんせ、けっこう大雑把なところがあるな、とわちきは少し笑いつつ手紙を広げる。
どうやら夏樹せんせは神田に行っているそうだ。養生所のことは伊織屋でなんとかやっているらしい。別に養生所のことはわちきは何とも思わないんだが、まあ、せんせらしい手紙だ。あと一月ぐらいしたら戻るとも書いてあった。戻ったら、必ずわちきに会いに来るとも。
「お手紙、返す?」
「返そうにも、わちきにゃ文使いを雇うような余計な給金は無いよ。按摩も雇えないくらいでありんす」
「ううん。中臣屋で届けてあげるやの」
「だから、そんな金無いって言っていんす」
「違うの。小焼様が神田に行くついでに届けてあげるの。そしたら、お金も取らへんやの。ついでやの」
「……思ったんだけど、何で小焼兄さんじゃなくて、あんたが来たんだい?」
「小焼様はウチだけを抱いてたら良いの。昨夜も五番したの、うふふ」
「あっそう」
こりゃ惚気られるだけっぽいね。小焼兄さんのことをこの子に聞いてもこっちが恥ずかしくなっちまいそうだからやめておこう。気の病を拗らせて首を切ったと言われている子だ。あんまり踏み込んでも、わちきが切られそうだから嫌でありんす。
とりあえず、手紙を書きゃ良さそうだ。紙と筆を準備して、灯りを寄せる。横にとすんっとおけいが座る。
「何で横に来るんだい。書きづらいよ」
「春日ちゃん、字書くの苦手やの。だからお手伝いしようと思って」
「うっ、よく覚えてたね……?」
「ウチ、物覚えは良い方やの」
甘い香りがする。何故かわちきも気が悪くなっちまうような香り。今夜は全く感じなかったから余計に身体が反応しちまっているのかもしれない。
字の稽古だとわちきはおけいに敵わなかったから、ここは素直に手伝ってもらったほうが良いと思った。三味は、小景――あの時は景一だったか。琴は春日が名手だなんて言われたこともあったっけな。この子の声は鈴を転がしたかのように当たりが良くて可愛らしい。だから、何言ってるかよくわかんないことがあるんだ。
「こういうのって何書いたら良いんだっけね」
「春日ちゃん、いつも何書いてるん?」
「いや、わちき、手紙はあんまり書かなくて」
殺し文句もわかっちゃいるが、あのせんせに何を書けば良いかはわからない。返事をするにしても、返しようがないような内容だ。わちきの心の中で「へえ、そうかい」で終わるような。でも、おけいが返事を書くか聞いてくれたから、返した方が良いんだと思う。代金も取らないってんなら、送っておけばわちきも得するしね。
「それなら、ウチが今から言うことを書いたら良いの」
「いっそあんたが書いとくれよ」
「ウチが書いたら小焼様宛てになるやの」
「……そうかい」
おけいは、両手を頬にあててもじもじしている。顔も少し赤らんでいるのは酒を飲んでいたからなのかとも思ったが酔っているようには全く見えないから、源次に全部飲ませたのかねえ。鮨台も置いてあるし、蕎麦も食べたようだ。禿に腹いっぱい食わせてくれるような上客ではありんすが……。
「初めに、伊織養生所の夏樹様へって書くの」
「伊織屋じゃないのかい?」
「確かに夏樹様は伊織屋の若旦那様やの。でも、養生所にいることのほうが多いの。ほら、書いて」
「あいあい。こうね」
「漢字が違うやの!」
「は? どこが?」
「ここやの。せめて夏樹様のお名前くらいは綺麗に書いてあげてやの……先に練習するやの」
というわけで、紙に何度も名前を書かされた。それから、おけいの言うままに手紙を書いて、丁寧に折りたたんで、てっぺんを唇で挟む。よし、これで紅が移ったね。
「天紅つきのお手紙貰ったら夏樹様も嬉しいやの」
「女郎は誰でもつけるもんでありんす」
「知ってるやの。面倒になって禿に食んでもらったりもしたの」
「さすが客の多い売れっ子の姉さんは違うもんだねぇ」
「それじゃあ、これはウチがしっかり預かっておくの」
おけいは手紙を袂に入れる。にこにこ笑っている姿は愛らしくて可憐だ。帰るのかと思いきや、おけいは布団に座った。見世の布団とは思えないくらいにふかふかしているように見える。持ってきたようだった。さすが大店だけあって、金を積んでくれてるね。
「わちきに泣かされたいってのかい?」
「うふふ。春日ちゃんがウチに泣かされるの間違いやないの?」
「言ったね!」
むしゃくしゃして細い肩口を押して倒してやった。小さいから簡単にころりと布団に寝転がる。しなだれかかってやると笑い声が聞こえる。やっぱり大見世の御職だっただけあって余裕でありんす。あしらいってもんがわかってる。白い肌に手を滑らせたら甘い香りが更にしてきた。この子、全身が菓子でできてるんじゃないかって思うくらいだ。なんだか腹が空いてきた。ぐぅ、と腹の虫が鳴く。
「春日ちゃん、ウチを食べるの? ウチを食べたい?」
「いや、なんだかねぇ……」
わちきの下から手が伸びてくる。手が頬を撫で、首を撫でて、ぞわぞわした何とも言えない感覚が滑り落ちて行った。
ああ、駄目だ。この子は本当に鬼だ。人を食っちまう鬼なんだ。だからこそ、吉原一可憐な花だと謳われたんだ。
「かたしはや、えかせせくりにくめるさけ、てえひあしえひ、われえひにけり」
「うふふふふ、厄除けのおまじないやの。一緒におねんねするの」
嬉しそうに笑ってから、ぎゅっと抱き締められる。
なんだか妙に気が悪くなっちまっているわちきを放っておいて、おけいは本当に寝ちまったようで、規則正しい寝息がすぴーっと聞こえてきた。ああ、腹が減ったから、朝餉は豪勢に頼んでもらおうかね。中臣屋ならご破算なんてしないだろうに。
ああ、本当に面倒なものを抱え込んじまってる。ああいうのに惚れちまったら、苦しくなるってわかってんのに。これならまだ逃げた男のほうがましだ。博打で全額すっちまうようなやつだったし、わちきに借金させたまま消えちまうようなクズだったけど、少なくとも顔を見せに来ることはあった。
「春日、お仕度!」
「あいよ」
客が来るのは良いことだ。御開帳して喘いでいるだけで金を貰えるなら、それで良い。
暖簾をくぐって入って来た男の手を取り、部屋に案内する。この男は十日ぶりだったか。既に息が荒い。部屋に着くや否や、男はわちきを羽交い締めにする。男の無骨な手が胸をまさぐる。わちきは「アッ」と声をもらして震える。それに男は興奮して、あとはよろしくやるだけさ。
褌を取り去ってやると、男の陰茎は大きく反り返っていた。噎せ返るような汗と先走りの匂いで脚の間が少し軋む。でも、わちきが欲しいのは、これじゃない。棹を扱きつつ、膨らんで丸くなった亀頭を口に含む。鈴口を尖らせた舌先でつつくとビクッと腰が浮いていた。まらを咥えつつ、自分で乳を揉み、そのまま下腹部に手を伸ばす。この男、自分ばっか良くなって、わちきを良くしようとは考えないのか、ただドヘタなだけなのか。どっちなんだか。
男から見えないように唾液を玉門に塗りつけ、濡れてるように見せかける。慣れているとはいえ、慣らしておかないと傷つくのは嫌だからね。男の上に乗り、濡れそぼっているように見せかけたぼぼにまらを受け入れる。ぐちゅんっ、と水音が鳴りゃ上出来だ。ほら、男は今にも昇天しそうなほどの恍惚の表情を浮かべている。身体を寄せて、「きもちいよぉっ!」なんて言ってやるだけで気分を良くしてくれる。男なんてそんなもんだ。九浅一深の秘術で腰を動かし、腹に力を入れて締めてやれば、男は気をやった。わちきも気をやったように男の胸に倒れ込む。全然感じてないんだが、こうすりゃ良い。こうしておけば、またこの男は来てくれる。「ああっ、死んじまうかと思いんした」なんて決まり文句でも言っておきゃ良いのさ。
男が眠ったので、わちきは後始末に階下の便所に向かう。廊下を歩いていたらあちこちの部屋からよがり声が聞こえる。演技にしても、こんなに大声を出すのはどうなのかとわちきも思っちまうよ。
声は出すんじゃなくて、もらしたほうがずっと良いもんさ。その方が、本当に感じているように思われる。耐えきれずにもれた声のほうが、ずっと艶っぽいだろうに。まあ、わちきが朋輩に何言っても無駄っちゃ無駄でありんす。
便所でししをして、軽く洗って拭いて戻る。あの男、けっこう気をやってたね。これだから早漏絶倫は嫌なんだ。何度も勝手に出しちまう。後始末させるのも悪いからと言って腹にぶっかけていく人を見習ってほしいもんだよ。……ああ、こんな所で思い出しちまったや。次の客に行かないと。
今夜は廻しができるほどに客が入ってる。待たせていた男もすぐにわちきを布団に引きずり込んだ。「待っていた。ちょんの間でさせとくれ」なんて言いつつ、すぐ、いきり立ったまらをぼぼにぶち込まれた。「ああっ、激しいよぉ!」と言いつつわちきは男の首に腕を回す。口吸いはしない。わちきが来るまでに酒を何合飲んだかしらないが酒臭い。身体を激しく揺さぶられ、男は勝手に昇りつめて果てた。しつこい二番目をせがんでくるし、仕方ないのでわちきは「あんたの好きにしてくんなんし。アァツ、良い、いいよ、イッちまう!」と言って強く抱き締めてやる。実際はイクぐらいに感じてもないし、嘘なんだが、こうすりゃ気分を良くしてくれる。大腰に何度も中を抉られるが、わちきのイイトコロには一切当たらない。ある意味凄い才能でありんす。
二番目も勝手に果てた男が寝たので、わちきは再び後始末に一階の便所へ向かう。もう相手しなくて良いから後はどっちかの男の布団で寝てりゃ良い。面倒臭いから布団部屋でサボりたいところだが、内所から睨みをきかされていたら、戻るしかない。
「春日ねえさん」
「何だいおらん、まだ起きてたのかい」
わちきの抱えている禿のらんだ。くりくりのどんぐりまなこが愛らしい器量の良い子だ。末はこの見世の御職にでもなるんだろう。わちきは「上玉だから」「上妓だから」と御職にされちまっているが……、この子は器量が本当に良いから、相応しいと思う。わちきの朋輩が揃って不細工なのが悪いってもんなんだ。鼻がくずれているとか目の大きさが左右で違うとか、ここの亡八はそういうのが好きなのかって思っちまうよ。そんでも、そういうのが趣味ってのが通っていくんだから……世の中わかったもんじゃありんせん。
「今夜はお客がもう一人来てて、おいらと源次どんで相手してたんだ」
「そりゃ聞いてないねぇ」
「内所にもねえさんには黙ってて欲しいって……廻しの客が終わったら呼んで欲しいって言ってやした……」
「ほーん」
おらんと源次でも相手できるくらいの客ってのは、どういうやつだ? まさか、あのせんせか?
はやくはやく、とおらんがわちきの手を引くので早歩きでその部屋へ向かう。わざと足音を大きく聞こえるようにして歩いておけば、障子の向こう側の客が期待して裏切られて面白いもんだ。まあ、そこまで客の入りが良かったのかはわちきもわかりんせん。
障子を開き、中に入る。
「あ、春日ちゃん来てくれたやの」
「は……?」
想像よりも軽く、鈴のような声が部屋に響く。
青い髪の女がいた。涙で潤んだ大きな青い色の瞳がわちきをじっと見ている。銚子が五本と酔い潰れた源次が転がっていた。
「あんた……」
「ウチは、廻船問屋中臣屋、小焼が妻、けいと申しいす」
畳に両手をつき、礼をされる。名乗りが完全に玄人のそれだった。小鬼だ。あの、百鬼夜行の小鬼が、吉原一可憐な花と謳われた小景が、ここにいる。全身の毛穴が開くような感覚がした、変な汗が流れる。
わちきは、この子にあてられちまってる……?
「……夜見世にあがる女が何処にいるんだい。あんた、身請けされて幸せだって、見せつけに来んしたか!」
「違うの。ウチは、春日ちゃんに会いたくて……」
「すぐに泣くんじゃないよ!」
泣き虫はなおってないのか。そういや、小焼兄さんが何かそんなことを言っていた気もしなくはない。俯いてぼそぼそ話してるから何言ってんだかよく聞こえないし、ほんと、何しに来たんだこの子。
「とりあえず顔をあげてくんな。何言ってんだかわかりんせん」
「夏樹様からお手紙預かってきたやの」
「は?」
「これ、受け取って」
おけいは袂から手紙を取り出した。大雑把に折られている。あのせんせ、けっこう大雑把なところがあるな、とわちきは少し笑いつつ手紙を広げる。
どうやら夏樹せんせは神田に行っているそうだ。養生所のことは伊織屋でなんとかやっているらしい。別に養生所のことはわちきは何とも思わないんだが、まあ、せんせらしい手紙だ。あと一月ぐらいしたら戻るとも書いてあった。戻ったら、必ずわちきに会いに来るとも。
「お手紙、返す?」
「返そうにも、わちきにゃ文使いを雇うような余計な給金は無いよ。按摩も雇えないくらいでありんす」
「ううん。中臣屋で届けてあげるやの」
「だから、そんな金無いって言っていんす」
「違うの。小焼様が神田に行くついでに届けてあげるの。そしたら、お金も取らへんやの。ついでやの」
「……思ったんだけど、何で小焼兄さんじゃなくて、あんたが来たんだい?」
「小焼様はウチだけを抱いてたら良いの。昨夜も五番したの、うふふ」
「あっそう」
こりゃ惚気られるだけっぽいね。小焼兄さんのことをこの子に聞いてもこっちが恥ずかしくなっちまいそうだからやめておこう。気の病を拗らせて首を切ったと言われている子だ。あんまり踏み込んでも、わちきが切られそうだから嫌でありんす。
とりあえず、手紙を書きゃ良さそうだ。紙と筆を準備して、灯りを寄せる。横にとすんっとおけいが座る。
「何で横に来るんだい。書きづらいよ」
「春日ちゃん、字書くの苦手やの。だからお手伝いしようと思って」
「うっ、よく覚えてたね……?」
「ウチ、物覚えは良い方やの」
甘い香りがする。何故かわちきも気が悪くなっちまうような香り。今夜は全く感じなかったから余計に身体が反応しちまっているのかもしれない。
字の稽古だとわちきはおけいに敵わなかったから、ここは素直に手伝ってもらったほうが良いと思った。三味は、小景――あの時は景一だったか。琴は春日が名手だなんて言われたこともあったっけな。この子の声は鈴を転がしたかのように当たりが良くて可愛らしい。だから、何言ってるかよくわかんないことがあるんだ。
「こういうのって何書いたら良いんだっけね」
「春日ちゃん、いつも何書いてるん?」
「いや、わちき、手紙はあんまり書かなくて」
殺し文句もわかっちゃいるが、あのせんせに何を書けば良いかはわからない。返事をするにしても、返しようがないような内容だ。わちきの心の中で「へえ、そうかい」で終わるような。でも、おけいが返事を書くか聞いてくれたから、返した方が良いんだと思う。代金も取らないってんなら、送っておけばわちきも得するしね。
「それなら、ウチが今から言うことを書いたら良いの」
「いっそあんたが書いとくれよ」
「ウチが書いたら小焼様宛てになるやの」
「……そうかい」
おけいは、両手を頬にあててもじもじしている。顔も少し赤らんでいるのは酒を飲んでいたからなのかとも思ったが酔っているようには全く見えないから、源次に全部飲ませたのかねえ。鮨台も置いてあるし、蕎麦も食べたようだ。禿に腹いっぱい食わせてくれるような上客ではありんすが……。
「初めに、伊織養生所の夏樹様へって書くの」
「伊織屋じゃないのかい?」
「確かに夏樹様は伊織屋の若旦那様やの。でも、養生所にいることのほうが多いの。ほら、書いて」
「あいあい。こうね」
「漢字が違うやの!」
「は? どこが?」
「ここやの。せめて夏樹様のお名前くらいは綺麗に書いてあげてやの……先に練習するやの」
というわけで、紙に何度も名前を書かされた。それから、おけいの言うままに手紙を書いて、丁寧に折りたたんで、てっぺんを唇で挟む。よし、これで紅が移ったね。
「天紅つきのお手紙貰ったら夏樹様も嬉しいやの」
「女郎は誰でもつけるもんでありんす」
「知ってるやの。面倒になって禿に食んでもらったりもしたの」
「さすが客の多い売れっ子の姉さんは違うもんだねぇ」
「それじゃあ、これはウチがしっかり預かっておくの」
おけいは手紙を袂に入れる。にこにこ笑っている姿は愛らしくて可憐だ。帰るのかと思いきや、おけいは布団に座った。見世の布団とは思えないくらいにふかふかしているように見える。持ってきたようだった。さすが大店だけあって、金を積んでくれてるね。
「わちきに泣かされたいってのかい?」
「うふふ。春日ちゃんがウチに泣かされるの間違いやないの?」
「言ったね!」
むしゃくしゃして細い肩口を押して倒してやった。小さいから簡単にころりと布団に寝転がる。しなだれかかってやると笑い声が聞こえる。やっぱり大見世の御職だっただけあって余裕でありんす。あしらいってもんがわかってる。白い肌に手を滑らせたら甘い香りが更にしてきた。この子、全身が菓子でできてるんじゃないかって思うくらいだ。なんだか腹が空いてきた。ぐぅ、と腹の虫が鳴く。
「春日ちゃん、ウチを食べるの? ウチを食べたい?」
「いや、なんだかねぇ……」
わちきの下から手が伸びてくる。手が頬を撫で、首を撫でて、ぞわぞわした何とも言えない感覚が滑り落ちて行った。
ああ、駄目だ。この子は本当に鬼だ。人を食っちまう鬼なんだ。だからこそ、吉原一可憐な花だと謳われたんだ。
「かたしはや、えかせせくりにくめるさけ、てえひあしえひ、われえひにけり」
「うふふふふ、厄除けのおまじないやの。一緒におねんねするの」
嬉しそうに笑ってから、ぎゅっと抱き締められる。
なんだか妙に気が悪くなっちまっているわちきを放っておいて、おけいは本当に寝ちまったようで、規則正しい寝息がすぴーっと聞こえてきた。ああ、腹が減ったから、朝餉は豪勢に頼んでもらおうかね。中臣屋ならご破算なんてしないだろうに。
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