幾年も溺れる現に醒めない季節

末千屋 コイメ

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第三十三話

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 目が覚めたら、周りは真っ暗だった。
 おいどが痛い。今日だけで四番したから? それとも、父様の逸物が立派だったから?
 父様は私の隣で寝ていた。今は何時なんどきだろう。窓を開けてみる。妓楼の大行燈が空を明るく灯していた。夕餉を食べ損ねたな。
 腹をさする。不思議と腹は減っていなかった。このまま眠ろう。久しぶりの自分の布団だから、眠れそうだ。
 目を閉じる。周りの音がよく聞こえる。風の音、遠くで鳴く蝉の声、隣で眠る父様の寝息。
 後始末はしてくれたようだった。菊座に触れても名残は出なかった。いっそ父様に抱かれたことは悪い夢だと思いたい。父親を誘ってしまうなんて、私は狂ってしまっている。
 こんなこと、去年は無かった。父様に抱かれたいなんて思わなかった。男に抱かれることすら有り得なかった。
 それなのに、あいつが、私の全てを壊していった。狂わせていった。
 ……一緒になろうって言ったのに。
 妓楼のねえさん方も同じように裏切られてるのか。
 毎晩好きでもない男に御開帳して、何度も裏切られて……ひどい話だ。
 眠れない。口惜しくて、口惜しくて、眠れない。
 好きだって言ったのに。一緒になろうって言ったのに。どうして……? 何で……?
 おももが、いるから? おももがいなければ、あいつは……。
「千歳」
「は、はい!」
「……眠れないんですか?」
「父様、寝ていたはずでは?」
「今は私が質問しているんですが。まあ、良いでしょう。お前がすすり泣いているから起きたんですよ」
「……すみません」
「おももがお前に食べさせたいと握り飯を作っていたので、持ってきてやります」
 父様が部屋を出ていく。
 おももが握り飯を……? 私のために……?
 ……良い女房になれそうだ。気性が荒いところもあるけれど、それは好きな男を想ってのこと。一途で、可愛い妹だ。
 妹の幸せを祈ってやらないと。好いた男と一緒になって、幸せになってもらわないと。
 父様が戻ってきた。歪な形の大きな握り飯が皿に乗っていた。
「どうぞ」
「いただきます」
 共にお茶も出される。父様が淹れてくれたようだった。程良い熱さでお茶の香りも甘味もする。……母様の色のついたお湯とは大違いだ。
 握り飯は少ししょっぱかった。噛み締める度に、しょっぱい。こんな料理の腕で、嫁いで大丈夫だろうか。母様が玄人だったから仕方ないことなのか。教えてくれるような人もいないし。……私のほうが、上手くやれそうだ。
「ごちそうさまでした」
「お前は真に夢夏に惚れてるんですね」
「っ、ぃえ。もう、あいつのことは忘れます。忘れて、勤めに励みます」
「そう簡単には忘れられないと思いますよ。……話したいことは色々あるでしょうが、私は寝ます。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
 父様は布団に横になった。
 食器は朝に片せば良いか。私も布団に転がる。目を閉じる。眠れない。ずっと、ずっと、眠れない。
 しばらく布団でじいっと動かずにいた。どれだけの時間そうしていたかわからない。隣で物音がする。父様が起きたようだ。私は座る。窓からは、うっすら光が射し込んでいた。朝になってしまった。
 眠れた感覚は無い。気絶していた時間のほうが長いように感じる。起きて身支度を整える。
 養生所で寝起きするようになってから、毎朝散歩する癖がついた。清々しい朝の空気を肺いっぱいに吸えば、私の中の澱んだ気持ちが晴れるように感じたから。
 実際はそんなことなかった。夢夏を階段から突き落としてしまうくらいだ。……忘れよう。
 朝の吉原は静かだ。皆が眠りについている。ひとときの夢を買って、名残に浸っている頃だ。
 端から端まで歩いて戻っている最中に、禿かむろを見かけた。こんなに朝早くに姉女郎ともいないとは……、足抜けする気か? だが、大門に行く気配は無い。よく見ると紙を持っていた。
「何か困っていますか?」
「びゃ! 鬼だ!」
「私は鬼ではありません。廻船問屋中臣屋の千歳と申します」
 店の羽織を着ておけば良かったな。今はただの着流しだ。禿は尻餅をついて驚いていたが、目をぱちくりしてから立ち上がった。
「おいら、手紙を渡すように言われたんだ。おにぃ、中臣屋の人なら、これ渡してくんろ」
「中臣屋宛ですか」
 禿から手紙を預かる。天紅がついているので、ねえさんからの手紙だろう。誰に渡すものかを見れば、おけい様と書いてある。母様に渡すものか。
 禿はさっさと帰ってしまったから、何処の店の子かわからないままだ。
 とりあえず、母様に手紙を渡すか。



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