30 / 43
第三十話
しおりを挟む
夢夏は「嫁にして!」と言われたら、誰でも二つ返事で了承するようなやつだ。
わかってたのに。きっちり、理解していたはずなのに。
苦しくて、つらくて、痛くて、痒くて、しっちゃかめっちゃかになっている。
男が泣くもんじゃないのに、涙が止まらない。ずっと泣いてるから、目の下がかさついてきたし、瞼も腫れた。
私は自分の部屋の布団に座らされた。久しぶりの自室だ。おももが一人で使っていたから、稽古用の三味線が出したままだった。今夜からはまた二人部屋だ。
「千歳。お茶どうぞやの」
母様がお茶を持ってきた。
色のついた熱湯だった。味がしない。香りがしない。お茶の風味が一切しない。
父様はふうふうしてから飲んでいた。それから「お湯だ」と言っていた。
変わらない、なんにも、変わってない。
変わったのは、私だけ。
「ちぃにいさま。具合はいかがなの?」
「すみません。落ち着きました」
「良かったなの!」
おももは笑った。我が妹ながら、可愛いと思う。そんじょそこらの女では敵わない可憐な娘だ。もしも妓楼にいたなら、すぐに表天鵞絨の五つ布団が貰える呼び出し昼三になってたはずだ。
それくらい、おももは、美しい。
やかましい足音が聞こえてきたと思えば、夏樹先生とおはるさんが飛び込んできた。
「何か忘れ物しましたか?」
「おまえ、おま、おまえ、な、ぁ……はぁ……はや、……はや、い……」
「息、整えてから話してください。何言ってるかわかりません」
父様はいつもの仏頂面で夏樹先生に言っていた。おはるさんも息が乱れていてまだ話せそうにない。
「おまえなぁ、速過ぎんだよ!」
「普通ですが?」
「わちきら、全力で駆けてきたんだからね!」
「はあ? 何の用ですか?」
「うちの馬鹿息子がおももに櫛渡したろ。あれ、返してほしいんだ」
おももの櫛を返してほしい?
それはいったいどういうことだ? いや、意味をわかってないのに私に渡してきたものだから……、おももに渡した時もわかってなかったのか? だから返せと?
「嫌なの! ももは、夢夏せんせと夫婦になるの!」
「それはそうなんだけどね、これは別の人のなんだよ。新しく準備しんす。ほら、返してくんな」
「嫌なの! もも、夢夏せんせから貰ったもの、返したくないなの!」
おももとおはるさんが言い合いをしている。そのうち平手打ちをされないか心配だ。おはるさんは口より先に手が出るから……。
おももの背後から父様が櫛を引っこ抜いていた。はらり、と纏められていた髪が落ちる。おももは頬を膨らませていた。
「これはおさがりなんで、おももはきちんと新しいのを夢夏に買ってもらいなさい」
「お父様がそう言うなら……」
「わりぃ小焼。ありがとな」
櫛を受け取ろうとした夏樹先生を無視して、父様は私に櫛を差し出した。隣で母様がにこにこ微笑んでいる。
「意味をわかっていなかったにしろ、千歳に何か贈りたいと思った気持ちは真心です。お前が持っていなさい」
「……はい」
櫛が、戻ってきた。
そうだ、父様の言うとおり。櫛を渡す意味をわかっていなかったにしろ、夢夏は私に何かを贈りたくて、これを持ってきてくれた。
……それくらい、私は、想われている。
わかってたのに。きっちり、理解していたはずなのに。
苦しくて、つらくて、痛くて、痒くて、しっちゃかめっちゃかになっている。
男が泣くもんじゃないのに、涙が止まらない。ずっと泣いてるから、目の下がかさついてきたし、瞼も腫れた。
私は自分の部屋の布団に座らされた。久しぶりの自室だ。おももが一人で使っていたから、稽古用の三味線が出したままだった。今夜からはまた二人部屋だ。
「千歳。お茶どうぞやの」
母様がお茶を持ってきた。
色のついた熱湯だった。味がしない。香りがしない。お茶の風味が一切しない。
父様はふうふうしてから飲んでいた。それから「お湯だ」と言っていた。
変わらない、なんにも、変わってない。
変わったのは、私だけ。
「ちぃにいさま。具合はいかがなの?」
「すみません。落ち着きました」
「良かったなの!」
おももは笑った。我が妹ながら、可愛いと思う。そんじょそこらの女では敵わない可憐な娘だ。もしも妓楼にいたなら、すぐに表天鵞絨の五つ布団が貰える呼び出し昼三になってたはずだ。
それくらい、おももは、美しい。
やかましい足音が聞こえてきたと思えば、夏樹先生とおはるさんが飛び込んできた。
「何か忘れ物しましたか?」
「おまえ、おま、おまえ、な、ぁ……はぁ……はや、……はや、い……」
「息、整えてから話してください。何言ってるかわかりません」
父様はいつもの仏頂面で夏樹先生に言っていた。おはるさんも息が乱れていてまだ話せそうにない。
「おまえなぁ、速過ぎんだよ!」
「普通ですが?」
「わちきら、全力で駆けてきたんだからね!」
「はあ? 何の用ですか?」
「うちの馬鹿息子がおももに櫛渡したろ。あれ、返してほしいんだ」
おももの櫛を返してほしい?
それはいったいどういうことだ? いや、意味をわかってないのに私に渡してきたものだから……、おももに渡した時もわかってなかったのか? だから返せと?
「嫌なの! ももは、夢夏せんせと夫婦になるの!」
「それはそうなんだけどね、これは別の人のなんだよ。新しく準備しんす。ほら、返してくんな」
「嫌なの! もも、夢夏せんせから貰ったもの、返したくないなの!」
おももとおはるさんが言い合いをしている。そのうち平手打ちをされないか心配だ。おはるさんは口より先に手が出るから……。
おももの背後から父様が櫛を引っこ抜いていた。はらり、と纏められていた髪が落ちる。おももは頬を膨らませていた。
「これはおさがりなんで、おももはきちんと新しいのを夢夏に買ってもらいなさい」
「お父様がそう言うなら……」
「わりぃ小焼。ありがとな」
櫛を受け取ろうとした夏樹先生を無視して、父様は私に櫛を差し出した。隣で母様がにこにこ微笑んでいる。
「意味をわかっていなかったにしろ、千歳に何か贈りたいと思った気持ちは真心です。お前が持っていなさい」
「……はい」
櫛が、戻ってきた。
そうだ、父様の言うとおり。櫛を渡す意味をわかっていなかったにしろ、夢夏は私に何かを贈りたくて、これを持ってきてくれた。
……それくらい、私は、想われている。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい
棗
恋愛
婚約者には初恋の人がいる。
王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。
待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。
婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。
従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。
※なろうさんにも公開しています。
※短編→長編に変更しました(2023.7.19)
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
溺愛執事と誓いのキスを
水無瀬雨音
BL
日本有数の大企業の社長の息子である周防。大学進学を機に、一般人の生活を勉強するため一人暮らしを始めるがそれは建前で、実際は惹かれていることに気づいた世話係の流伽から距離をおくためだった。それなのに一人暮らしのアパートに流伽が押し掛けてきたことで二人での生活が始まり……。
ふじょっしーのコンテストに参加しています。
冷徹上司の、甘い秘密。
青花美来
恋愛
うちの冷徹上司は、何故か私にだけ甘い。
「頼む。……この事は誰にも言わないでくれ」
「別に誰も気にしませんよ?」
「いや俺が気にする」
ひょんなことから、課長の秘密を知ってしまいました。
※同作品の全年齢対象のものを他サイト様にて公開、完結しております。
Fatal scent
みるく汰 にい
BL
__運命なんて信じない、信じたくない。
男女とは別の性別、第2性が存在するようになってから、幾分かの時が過ぎた。
もはやオメガは子供を産み育てるだけの役割だとするには前時代的で、全ての性は平等になりつつある。
当たり前のようにアルファはオメガを求め、オメガもまたアルファの唯一を願った。それも続きはしない。どれだけ愛し合おうと"運命"には敵わない。
鼻腔をくすぐる柔らかい匂いが、ぼくを邪魔する。もう傷つきたくない、唯一なんていらない。
「ぼくに構わないでくれ、うんざりだ」
アルファに捨てられたオメガ、清水 璃暖(しみず りのん)
「うん、その顔も可愛い」
オメガを甘やかす人たらしアルファ、東雲 暖(しののめ だん)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる