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第五話

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 桜の花もすっかり散ってしまった。
 あきのへの手紙の返事を書いてやらないと、と筆を取り出してどれだけ時間が経ったか。字が書けない訳ではない。字が読めない訳でもない。
 ただ、恋文だとわからなかった自分を恥じていた。
 もう一度頭から読み返して考えてみる。お盆前にはこちらに来ることはわかった。
 私が昔あきのに渡した香り袋に、新しい香草を詰めたらしい。今もまだ使っているのか……、何年前に渡したか忘れた。
 こちらに来たら一番に会いに来ると書いてある。早く会いたいとも書いてある。
 …………恋文、だ。
 何と返してやろう。私も早く会いたいと返すか? それだと何か女々しい気がする。江戸の男らしく、興味が無いような素振りで……冷たくあしらうのは、可哀想な気がする。嫌われたらどうしよう。せっかく好いてくれているのに……。
 こんな時は母様に文を手伝ってもらえば良いと思ったが、妓楼に稽古をつけに出て行ってしまったようだ。
 父様に聞いてみるにしても……とても、気まずい。
 伊織屋での一件以来、父様と二人きりで沈黙を続けるのが苦しい。
 昔ならば、母様の玄人時代の話を聞けたけれど、今となっては聞くこともない。話の種は出尽くしていると思う。
 父様は「鬼」と噂される程度によく目立つ。私も、目立つ。
 切れ長の赤い瞳に浅黒い肌。黄金色に輝く髪。結い上げられた髪が、馬の尾のように揺れている。
 私も、父様と同じように結い上げられた。
 母様が「お揃いやの」と言って、結い上げた。
 母様は、父様の優しさに惚れたと言っていた。初めて会った時は、暗がりで、顔がよく見えなかったらしい。
 後で顔をしっかり見て、その美しさに更に惚れたとか。
 ーーそこいらの女郎よりも父様のほうが綺麗な顔をしているのは事実だ。そして、私も、同じらしい。
「千歳。手が止まっているなら、配達をお願いします」
「は、はい!」
 父様が選り分けた荷を車に積む。
 薬草の匂いがする。あの夜のことを思い出してしまう。腹がからっぽの感覚になる。
 駄目だ! 考えるな!
 首を横に振って、意識を背ける。
「実は、お前に見合いの話がありました。断るには都合の悪い相手でしたが、ちょうど良かった」
「な、何がですか?」
「男色ということなら、向こうもしつこく言い寄らないので。それに、お前には、あきのがいますし」
 ちがう。ちがう。ちがう。ちがう!
 私は、男色じゃない! あれは、夢夏が勝手に!
 とは、父様に言えない。
 息子が強淫まがいのことをされたって知るほうが気の毒だ。まだ男色のほうが父様にとって安心できる……と思う。
「見合いは断っておきます。それで良いですか? 会ってみますか?」
「い、いえ! そ、その、娘さんはどこのどなたですか?」
「品川の茶屋の娘です。甘味処の看板娘。気立ても器量も良いと聞きますが、私はあそこの親がどうにも苦手で……。私を色目で見てくる」
「それなら、断ってください」
 父様が明らかに嫌がっているのが目に見えた。
 断りづらいのは、お祖父様からの繋がりがあったんだと思う。変な断り方をすれば、客足が途絶えるようなことになるだろうから……、繋がりは大切だ。
「……一応言っておきますが、私はお前が男色だろうと淫乱だろうと気にしません。例え裾っ張りの助平でも私の息子に変わりありませんし」
「と、父様、それは少し言い過ぎです……」
「好きに生きてください」
 無愛想で仏頂面で、いつもの父様だ。
 さすがに淫乱と言われたのは気恥ずかしい。
 荷を積み終えて、配達に向かう。
 伊織屋に行く用事は無いから、夢夏に会うこともないはずだ。
 さっき夏樹先生がひとりで往診しているのを見かけたから、吉原ちょうに来ていないはず。
「ちぃにいさま! ももも! もももついてく!」
「わかりましたよ」
 おももがくっついてくる。甘くて独特の香りがした。
 男を惑わせる香り、だと思う。
 そこいらを歩く女郎の姉さん方も同じ香りをさせていた。その香りに釣られて男が集まってくる。まるで虫のように。
 おももが女郎だったら、すぐに吉原一の花魁になれそうだ。
 頭の黄色いのが二人並んでいたら目立つ。
 父様ならひと睨みすれば、人が散り散りに去っていくのに。私は睨んでも「物珍しい」と言われる。ひそひそ話までされる。
 吉原ちょうに長く居る者や商いをしている者は挨拶をしてくる。それはかまわない。人付き合いは大切にするように母様に言われている。
「ちぃにいさま、三津屋の旦那様が呼んでるなの」
「はい、ただいま」
 三津屋は日頃お世話になっている植木屋。父様が母様に花を持って帰る時に寄っている。
「ああ、千歳くんだったか。小焼様かと思って呼んじまったい。後ろ姿がそっくりだからわかんねぇなぁ」
「あ……。私だと役不足でしょうか……?」
「いンや。小焼様がね、おけいちゃんに盆栽をやりたいってんで、あっしンとこに頼んでたのさ。持ち帰ってくれるかい?」
 見事な盆栽を見せられる。小さな人形が周りを囲んでいて、まるで百鬼夜行絵巻のようだった。
 母様が喜ぶ顔が目に浮かぶ。
 しかし、これを私が持ち帰って良いのか? 父様から渡すものだと思う。
「これは父様から母様に贈るものなので、戻ったら話しておきます」
「ハッハッ! よくできた息子だ! あっしン子なら、そんなこと言わずに持ち帰って渡しちまってンな。そんじゃ、よろしく」
「はい。では、失礼被ります」
 店を出る。
 おももが知らない男から菓子を貰っていた。
「ちぃにいさま。もも、何処の店か尋ねられたから、中臣屋って答えたなの」
「間違いではないですけど、お前は女郎ではないんですから」
 その男があわれだな。
 答えられた店に行ったら、父様に睨まれるはずだ。もしくは母様が悪ふざけする。どちらにせよ、おももを抱くことはできない。
 車を引いて、お歯黒どぶのほうへ歩く。
 なるべく遠い見世から配達に行けば、後々が楽になる。
 途中で荷を頼まれることもあるから、そのあたりの駆け引きも考えないといけない。おももがいるから、小さな荷物なら任せられるが、妹に力仕事をさせる訳にもいかない。
「夏樹せんせなの!」
「おっ、兄妹で配達してんだな」
「夢夏せんせは? 夢夏せんせはいないなの?」
「あはは……。おももは本当に夢夏のことが大好きだな。あいつなら、薬箱持って吉原内を回ってっから、その内会えるんじゃねぇか」
「夏樹先生と一緒ではないんですね?」
「おう。おれは往診に来てっけど、あいつは薬売りに来てんだ。まあ、おれがやるべき勤めの半分を任せてるって感じだな」
 人懐こい犬のように夏樹先生は笑っていた。
 薬問屋だから、薬売りをしてもなんら不思議ではない。
 張見世で居並ぶ姉さん方に貸本屋が話しかけるのと同じように、薬売りが話しかけるだけだ。
 夢夏が吉原ちょう内にいるとわかり、おももは小さな身体で辺りを見回している。健気な姿に心打たれる。
 ーーおももが夢夏を見つけたら、すぐ逃げよう。
 そう思った矢先に、薬草の匂いがした。
 夏樹先生とは違う香りだ。何処かに居る。
「千歳。夢夏のこと嫌なら、きちんと拒絶してやってくれ」
「え」
「あいつ、真心でおまえを恋しく思ってんだ。順番こそ間違えちまったけど……、おまえのことが大好きなんだ。だから、嫌なら、きちんと拒絶してくれ。そうじゃないと、おはる譲りの気の強さで迫ってくんぞ。おまえには、あきのって可愛いオンナがいるんだからさ」
「ゎ……私は………………」
 嫌、ではないけれど……わからない……。
 好きってものが、わからない。あきのへの返事だって書けていない。
 夏樹先生は私の頭を撫でて、去っていった。
 配達を続ける。あまり長い時間をかけていられない。一つの見世に留まっていられない。
 そうしている間に、ついに、おももが見つけた。
「夢夏せんせなのー!」
「おももー! 千歳おにぃー!」
 駆け寄ってくる。人が多い吉原の道を、駆けてくる。飼い主に呼ばれた犬のように、すばしっこい。
「中臣屋を覗いたら、小焼さんから配達に出てるって聞いたんだ。薬売りしてたら会えっかなって思ってたけど、おももが呼んでくれて良かったぁ。会いたかった!」
「ももも! ももも、会いたかったなの!」
 見世先でひしっと抱き合って手の指を絡めて、邪魔だと思う。
 おももを引っ張って、車に近付けさせる。荷運びをしている間なら、ここならまだ邪魔にならない。
 これは向こうの中見世に。こっちは向こうの大見世に。荷札を見て運んでいく。
「そんなに好きあって戯れつくなら、裏茶屋に行ってきたらどうですか。そこにいられたら勤めの邪魔になります」
「まだ祝言をあげてないから駄目なの!」
「はあ……」
 おももは祝言を何だと思ってるんだか。
 身体を売って給金を貰う町の真ん中で操立てをして立派だ。腕に変な刺青を入れなきゃ良いが。
「もしかして千歳おにぃ、甚介か?」
「そんなわけないでしょう。それより何勝手にうちの車に薬箱置いてるんですか」
「お勤め代なら払うから、運んでくんなよ。この薬箱重くって疲れたんだ。父ちゃんって身体小さいのにけっこう力持ちだなって思った」
「……夏樹先生に身体小さいって言わないであげてください。気にしてるようなんで」
 車を引きながら話を続ける。
 薬箱を積んだからか、薬の香りで頭がくらくらしてきた。薬草だけならまだしも、既に薬にされたものだからか、香りが強い。
 夢夏は私が荷を運ぶ先々で商いをしていた。
 確かにこうすれば効率が良い。おももを共にしたから、男相手にも薬を売れる。商いが上手い。
「千歳おにぃ、荷代っていくらだい?」
「一両」
「ぼったくりだ!」
「私がわざわざ運んでるんですから、それぐらい払って良いでしょう。勝手に乗せてきたのはそちらですし」
「そんなら、おにぃの身代金も含まれてる?」
「その言い方はやめてください。私は女郎ではないんですから」
「一両なら、大見世の部屋持の姉様と同じなの。ちぃにいさまなら、綺麗だからなれるなの」
「なりたくないです」
 なりたくない。絶対になりたくない。
 おももと夢夏は相変わらず手を絡めていちゃついていた。おももは甘い香りをさせるし、夢夏は薬の匂いをさせているし、妙な気分になる。気が悪くなってきた。今すぐこの熱をどうにかしたい。
 店に戻っても、おももがいるからせんずりさえ難しい。厠で致すのも、なんだか嫌だ。
「あ! 母様なの!」
 顔を上げる。盆栽を抱えた母様がいた。どうやら私が父様に会って伝える前に、母様が植木屋に行ったようだ。
「三人一緒で仲良しやの」
「そうなの!」
「…………おもも。あなたに手伝ってもらいたいことがあるから、お店に戻ってやの。先に行って」
「はいなの! 夢夏せんせ、またねなの」
「おう、あばよ!」
 おももはとてとて歩いていく。代わりに母様が近づいてきた。
「千歳。気が悪くなってるやの?」
「えっ、あ、な、……なんで、わかって?」
「うふふ、お父様にそっくりやから、わかるやの。ほら、後のことは任せておいて。裏茶屋に行ってらっしゃい」
「ま、待ってください母様! 裏茶屋にって……」
「そこらへんの見世でオンナを見繕えば済む話やの。それとも、千歳は夢夏に抱かれるところを想像したやの?」
「ち、ちがっ……、違います……」
「うふふふ。どちらでもお好きなように。そのままやと、せんずりするのも大変やの。どうせなら、他人にしてもらったほうが良いと思うの。ほら、もう、こんなに木のようにして……」
「ッァ! か、……ぁさま!」
「まっこと、お父様にそっくりやの」
 縋りついてきた母様の手がまらに触れる。
 触り方が、玄人のそれ・・だ。自分で触るよりも、夢夏が触るよりも、気が悪くなる。
「ほら、車はウチに任せて、行っといでなの。ウチより上手い娘がおるかは知らんけど」
「……はい」
 これが吉原一と呼ばれた女郎の手練手管。相手に言わせたい、とらせたい行動をいとも容易くやらせる。
 頭がふわふわする。早く、どうにかしないと。体が熱くて、褌が窮屈だ。
「千歳おにぃ、ふらふらしてるけど大丈夫? おれ、おけいさんに付き添うように言われたから、ついてくよ」
 夢夏がついてきた。
 くらくらする。匂いで、頭がふわふわする。
 もう、なにもかもどうでもよくなった。
 私は夢夏の袖を掴む。
「……身体が熱いから、診て、ください」


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