白鴉が鳴くならば

末千屋 コイメ

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第十八話

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 一日の終わりを告げる赤い空を鴉が飛んでいた。電線に右倣えで並んだ鴉達が一斉に鳴く。高く、低く、遠く、近く。何処かに声を届けるように。
 カア、カア、カア、カア。
 血のような残照で雲さえも赤く染まる。ゆるゆるとこの世とあの世の境が曖昧になっていく。昼と夜の境界が見えなくなっていく。暗くなりかけた景色に、白い影が落ちた。甘い夢を見せるように、ゆらりゆらり、白い袖が揺れる。ちゃりん、ちゃりん。金属の音が小さく鳴っていた。
 雨泽ユーズゥァはひとつあくびを浮かべると真っ直ぐに前を見据えた。視線の先には女がいる。腹が少し膨らんだような女だった。父親となる男に何度も堕胎を頼まれたが「お腹の子に罪は無い」と手術を断り続け、今に至る。
 崩れ落ちる女の身体。糸の切れた操り人形のように地面と衝突する。ゴキュッ、と気味の悪い音が鳴った。自重で骨が折れたのだろうか。それとも、叩きつけられたのか。どちらかを知るのは、電線に並んだ鴉達。そして、舌なめずりをしている雨泽だけだった。
 女の傍らに座り、血を流す首から針を引き抜く。冷たい金属にほのかに熱が移っていた。針についた血を舐め取り、彼は目を細める。唇がにんまり裂ける。そのまま地面に転がる女の首に齧りついた。ぐちゅっ、と水音が鳴る。ぷち、ぷち、皮が裂けていく。そうして白い皮下脂肪が斜陽に晒されることになったが、血でほとんど白い事実が判断できない。指先で細く繋がる筋を辿り、ひと噛みする。それだけで、十分だった。血が溢れる。地面を雨のように血が濡らしていく。その血を一滴も溢すまいとするように、彼は齧りつき、飲み込んでいた。ゴクッ、嚥下する度に奇妙なほどに喉の鳴る音が聞こえる。
 その行為にどれほど没頭していたのか、辺りはすっかり暗くなってしまっていた。女の体温もすっかり消え失せ、土のような肌に粘り気も薄くなっている。
 紅に彩られた瞼を数度擦り、雨泽は、もう一度あくびをした。頭上で鴉が鳴いている。
「良いよ。残りはあげる」
 彼がそう言いきったか否か、頭上にいた鴉達が下りてくる。そして、女の身体にくちばしを突き立てる。肉を啄む度に身体がビクンビクンと跳ねていた。
 白い服を赤く染めた雨泽は立ち上がり、その場をのろのろと後にする。足取りが重いようにも見えていた。右手に掴んでいた女の目玉を頬張る。口内で舐め回し、噛むとぐちゅんっ、と弾けた。とろとろの液体が口に広がり、数度咀嚼してから呑み込んだ。
「コラーゲンってお肌に良いらしいよ」
 肩にとまってきた大きな鴉に彼は語り掛けた。鴉は「ガァ」と低い声で答える。ジンと名付けた鴉だった。静は大きな翼を広げ、空へ姿を消した。
 ちゃりん、ちゃりん、金属の音がよく響いていた。それに混じり、小さく腹の虫の鳴く音が響く。琥珀色の瞳を濡らした雨泽は再び目を細める。人通りの少ない裏路地はカップル達にとって安くて簡単に二人っきりになれる人気スポットだった。同時に裏社会での取引にも使われるスポットでもある。鴉が多い道は縁起が悪いからと人通りが更に少ない。だから、縁担ぎも何もしない若くて愚かなカップルが来ることが多い。そうしたカップルは大抵の場合、お宝を持っている。
 ――例えば、胎児とか。
 育ち切った胎児よりまだ人間としてどうかと言えるレベルのものを彼は好んでいた。子宮を裂いて、胎児がいるかいないかで一喜一憂するくらいだ。だから、最初からとわかっているのは面白くない。いないように見えてほうが、ずっと価値があってうまいのだ。
 家族達にも腹いっぱいに食わせてやりたい。根はとても真面目なのだ。現に、家族――鴉達は女を一人平らげて満足だろう。今では残った骨を店に運搬しようとしているところだ。骨はスープを取るのに重宝している。貴重な人骨なのだから、特別な注文が入った時に使われる。
 雨泽は、表の人間に人を食材として使った料理をふるまうことをしていなかった。自分の取り分が減ることを嫌がったからだ。もしもこれで人肉の味を更に求めるようになってしまえば、彼の食べる分は減ってしまう。初めから「人間を食べたい」という依頼があったなら彼も出し惜しみすることなく、材料を調達することから始めてフルコース料理をふるまうだろう。料理人として、うまい料理を食べさせたいと思うからだ。だが、徒に人間を食べさせようとはしなかった。
 彼はどこまでも家族と自分の分のことしか考えていなかった。
 そうして彼は躊躇いもなく食材を二つ増やした。肩に食材を担げば白い服が赤く染まっていく。紅白揃って縁起が良いと笑いながら路地裏を歩いていく。すれ違う表の人間は全て食材にすれば良い。誰にも知られず、誰も知る事も無く、鴉の鳴いた数だけ人が消えていく。
 今日は何回鳴いたかな? とぼんやり考えてからにんまり笑った。店の裏の勝手口から厨房に入り、調理服に着替える。血の付いた服は洗濯機に投げ入れた。医療現場で使っている特別な洗剤を使えば血の汚れも瞬時に洗い落とせる。ここで雨泽は初めて製薬会社と取引したことを嬉しく思うのだった。
哥哥にーに!」
雨涵ユーハン、ただいま」
 雨涵の首からさげたメモ帳には「你回来了おかえり」と書かれていた。厨房に入ってきたので頭を撫でてやると嬉しそうに笑っていた。
 搬入されたばかりのが解体されていく。雨涵は隣で手伝いをしていた。首を落とされた食材の身体をよく揉んで血を抜いていた。
「うんうん。良いよ雨涵、上手だね」
「あ……う、……ね……」
「うん。どうだろうね。赤ちゃんがいたら、雨涵の今夜のスープに入れてあげるからね」
 腹を裂き、子宮を裂き、指を突っ込んであさる。どうやらいないようだった。ゴムのように弾力のある臓器をつつきながら、雨涵は首を傾げている。雨泽はそんな幼女に軽く焼いた肉を与えていた。膵臓だった。
「膵臓はね、溶けちゃうから、今焼いたよ」
「い、き……、ま……、……す」
「うん! なかなかおいしーね! 当たりだ!」
 口に含むととろりとやわらかい味わいが広がる。脂をしっかり含んだ膵臓は、軽く焼くだけでとろとろになっていた。塩コショウでシンプルに味付けされただけであるのに、脂の甘味が口をとろけさせる。頬をおさえて雨涵は目をぎゅうっとつむっていた。あまりに美味しくてほっぺたが落ちそう! ということらしい。
「うまくて健康なお肉を食べたらね、わるーいビョーキが良くなるんだよ」
 と説明しながら雨泽は腎臓と脾臓を焼きながら、骨を齧っていた。彼の爪は短く切られているが、爪の中央がへこみ、先が反っているように見えた。
「まあ、オレのビョーキは治りそうにないんだけど」
 その呟きは、鴉の鳴き声で掻き消されていた。
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