白鴉が鳴くならば

末千屋 コイメ

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第十三話

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 冷蔵庫には、切断された四肢が横たわっていた。その数、九人ほど。切り落とされた足や手は丁寧に皮と肉を剥がれ、寸胴鍋で煮込まれていた。生臭いような、しかしふとした時に甘い香りが鼻孔をくすぐる。冷凍庫には胴体が入っていた。入れられてから幾日もここで眠っていたのだろう。薄い氷の膜で包まれ、それがまた妖艶さを感じられるほどであった。
 ぐつぐつ、強火で煮込まれた鍋がふきこぼれる。青年が慌てて火を止めていた。琥珀色の瞳を細め、青年は和やかに鍋を見つめる。湯気ではっきりと見えないが、目玉が浮いては沈んでを繰り返していた。
 赤黒く染まった流し台はきつい塩素臭が鼻をついた。まな板も包丁も洗われているが、こびりついた血を落とすために漂白剤に浸けている最中だった。排水口の近くを細くて長い毛のようなものが漂い、渦を作りながら流れていく。これもまたパイプが詰まらないように、と漂白剤をまいていた。
白鴉パァィアいるかー?」
「ハイハイ、オレならいるよ」
 琥珀色の瞳の青年――雨泽ユーズゥァは左手をあげながら来客に返事をする。長い袖がずり落ちた。
「撃たれたって聞いたから死んだかと思ったが、案外元気そうだな」
「まーね。おいしーもの食べたし? 老大哥にーには何の御用?」
な……。うちの部下をたいそう気に入ってくれたようで」
「もう少し仲良くなれたと思うんだけどなぁ」
 袖口から銀色の細長い針を取り出し、雨泽は笑っていた。よく見ると彼の暗器は先に赤い紐がついている。よく磨かれた金属なのだろう。天井からの照明で輝いて見えた。
 老大哥と呼ばれた男は細く長い溜息を吐きながらカウンター席につく。敵意の無い証拠だった。雨泽の手の届く範囲に座ることで、彼の警戒心を解こうとしている。ふっ、と小さく息を吐き、雨泽は長い袖の中に暗器を隠す。ひとまず脅威は去ったといってまず間違いなかった。
 男は持参したクーラーボックスをカウンターテーブルに置く。中には茶色の瓶と輸血パックが入っていた。
「ほら、ご希望の品だ」
「ありがとう老大哥! これでもうしばらく持ちそうだよ!」
「――どうせ、冷蔵庫の中に?」
「まあね。でも、オレはこっちのほうが好きだなぁ」
 雨泽は早速輸血パックの口を噛み千切り、ストローをさして吸っていた。本来の使い道でないことは誰が見てもわかるだろう。血をジュースのように吸っているのだ。片手で輸血パックを持ち、片手で鍋の世話をしている。鍋を振る度に、食材が舞い踊る。薄切り肉、エビ、イカ、シイタケ、貝柱、アスパラが宙に浮かび落ちる。それを繰り返す。それから後に、輸血パックが置かれ、玉杓子が手に取られた。油が注がれ、炎の柱ができる。赤い炎を見ながら雨泽は口の端をあげた。長く鋭い犬歯がちらりと覗く。
「老大哥、食べてく?」
「それは、何だ?」
「オレの昼飯だよ。ちょっと多く作りすぎちゃったんだ。もうあの子はいないってわかってるのになぁ」
「……いただくよ」
「ありがとう。捨てるのは勿体ないし、オレの家族に食わせるのも味付けが合わないと思うからさ」
「鴉に味がわかるのか?」
「わかるよ」
 驚くほどに低い声だった。先ほどまで陽気に話していたとは思えない程に感情を感じさせない声。心が無い機械なのではないかと思うほどだった。ちゃりん、と金属の音が小さくなる。店の外では鴉が鳴いているようだった。男は苦笑いを浮かべる。
「俺も、食うのか?」
「ううん。食べないよ。ああ、外の子が鳴いたから聞いたの? あれはね、居場所の確認をする鳴き声」
 鴉の鳴き声にも色々あるようだった。低い声から一気に明るく高い声に戻る。これもきっと、鴉の鳴き声の一種なのだろう。男は一人で何度も頷いていた。
「ところで老大哥、お名前は? 名刺どっか行っちゃったんだよね」
サイヤンだ」
「洋! 改めてよろしくね、部長さん」
 雨泽の一言で洋は硬直する。洋は、藍洙ランズが最後に電話をした相手だった。彼女がどうなったかを知る唯一の人物だった。
 ――藍洙は、この男を助けなかった。
 助けなかったから、食われたのだ。最後まで、一生懸命な子だった。表の世界で平凡に暮らしていけるはずだったのに、一歩裏側に踏み込んで、彼を拒絶したばかりに、食われてしまった。
 この店を営業から外す案もあったが、彼はそうしなかった。自分の管轄に置こうと思ったのだ。稀有な持病なのだから、定期的にが必要になる。良い商売相手だ。人間を確かな手順でうまく調理できるのは、雨泽くらいなのだから美食家を相手にする時には必要になる。なんなら、気に入らない取引相手を食わせることだってできる。洋はそう考えていた。
「ああ……。今度からキミには俺が仕事を回すことになった。女だとからな」
「男でもオレは食うよ。うまそうならね」
 舌なめずりをする雨泽の妖艶さに洋は思わず見惚れてしまっていた。目の前に炒飯が置かれる。上には、あんがかかっていた。その横にスープが置かれる。寸胴鍋から注がれたものだった。
 洋は不審に思いながらも口に炒飯を含む。薄く切られた肉が口内でとろけるように消えた。唇に吸い付いてくるような不思議な感覚のする肉だった。とろみのついたあんがかかっているので、なかなか冷める気配はなかった。ふうふう言いながら食事をすすめていく。スープも絶妙な塩加減だった。香草が効いているのか、鼻がよく通る。「美味い」一言だけで十分だった。料理は美味かったのだ。食材が何だったかなんて気にならない程度には。
 ――噂以上に掴めないやつだ。
 洋は口を拭きながら考える。こいつをもっと使うには何が必要だろうか。食わせるためには、何が必要だろうか。
 目前でカエルの唐揚げを頬張り、幸せそうな表情を浮かべている青年を見ながら考える。
「ごちそうさま。とても美味かったよ。美味い飯のお礼だ。白鴉パァィア、何か足りないものはあるかね?」
「色々足りないよ。まず、脚が無い。脚が無けりゃ一緒に歩けない。次に腕が無い。腕が無けりゃ抱き締められない。更に首が無い。首が無けりゃ話すこともできない。おまけに胴が無い。胴が無けりゃ胸も貸せない。そして心が無い。心が無いと……嘿嘿へへっ」
 ちゃりん、ちゃりん、金属音が鳴る。洋の頬を小さな針が数本かすった。それらは壁に突き刺さっている。壁を見てから、洋は視線を雨泽に移す。彼は犬歯が見えるほど大きく口を開けて笑っていた。
「オレが欲しいものはね、女の子だよ。口のきけない女の子。声が出ない子なんだ。そんな子が店にいてくれたら、とっても助かるんだけど、探してくれないかな?」
「わかった」
「頼んだよ、オレの家族を見つけてね」
 洋はクーラーボックスを肩に担ぎ、店を出て行く。ゴミ捨て場には鴉達が跳ねていた。一際大きな鴉が、彼に向かって小さく「クカァ」と鳴いた。

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