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第十話
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わかっていたはずだった。この辺りで、子供の一人遊びがどれほど危険かということ。今まで何人も行方不明になっていること。それが誰の仕業であるか、というのもわかっている。
何処にでも縄張りがある。ここから先は別の組織の領域だ。互いに侵さないように、侵したら相応の報いを受ける。そういう約束が取り決められていること。それは、子どもであっても、女であっても、変わらない。平等に、と言えば聞こえは良い。だが、物事の判断がまだできない子どもには、理不尽ではないか。
雨泽は血のにおいを辿って歩いていた。風に乗って微かに香る、食欲を誘う香りだ。子どもの肉は甘くてやわらかくて、とびきりうまい。その香りが風上に足を進める度に濃くなっていく。これだけの香りをさせているのなら、と目を細めた。雨泽は細く長く息を吐く。自分は、食材を取りに来ただけだ。それだけ、それだけのことだから。
そのまま出てきたから、彼は半袖のままだった。長い袖が揺れることも、軽い金属音が鳴ることもない、料理人が裏路地を歩いているだけだ。彼のことをよく知るものなら、今の姿を見ればあまりにも無防備に見えることだろう。普段の彼なら長い袖の下に暗器を隠している。鋭く尖った針のようなものや、短い刃物、他にもありとあらゆる暗器を持っているものだった。だが、今の彼は、半袖だ。隙を見せた相手に突き刺すような得物を持っていない――ように見える。
ようやく、血のにおいの先に辿り着いた。
「ハイハイ、大哥、白鴉の出前だよ」
「出前? そんなものは頼んでな――」
「頼んでなくても、食らいなよ。きっと土も美味しいからさ! ミネラル豊富だよ!」
殴るというよりも叩きつけるといったほうが正しいだろう。雨泽は見張り役の側頭部を殴り、ふらついたところを地面に叩きつけていた。気味の悪い音がした。男の口から血と泡が溢れている。表の異様な物音に気付いたらしい。奥から次々に人が現れる。取引の最中だったようだ。商品を持っている者もいた。
さすがに人数が多いか。
雨泽は苦笑いを浮かべる。鋭く尖った犬歯が風で乾くような、感覚がする。芳ばしいにおいが周囲にたちこめている。求めている食材はここにあるはずだ。
「白鴉の朱が、ここに何か?」
「いやあ、オレのところの食材が盗まれてね。においを辿っていたら、ここに着いたんだ。大哥、このくらいの女の子、知らないかな?」
「女の子だぁ? おい、誰か知ってるか?」
若頭らしき男が周りに声をかける。周りの者達は嘲笑うようにクスクス笑いを繰り返していた。どうやらよくい知っているようだ。
「知らないってよぉ!」
「そっか。オレ、あんまり気が長い方じゃないからさ……。もう一度答えてくれる? オレの家族を何処にやった?」
――返事は、硝煙の香りだった。
鋭く、バンッというばかばかしい音と共に、赤が散る。安全装置すらついていない安物の銃だ。北方の国で昔よく使われていたと聞く。ぼたた、と赤が吐き出される。銃弾は貫通したらしかった。
幸いにも急所は外れている。が、右腕が動かない。利き腕が使えないのは困った。血のにおいが、強い。もう、なんでも良いか。
雨泽は、かろうじて動く左手でシニヨンを解く。霞がかった青い髪が腰近くまで伸びる。
男達は笑っていた。「落ちた鴉に何ができようか」「可愛い顔をしている奴だから、辱めてから、闇市に売ってやろう」「顔だけは傷つけるなよ」「そうだそれが良い」嘲笑う。飢えた男達が近付いてくる。一歩一歩、気味悪い笑みを浮かべて。
それは、小鳥のさえずりよりもか細く。
それは、鈴の音よりも愛らしく。
それは、乙女の恋心よりもいたいけで。
それは、少年の愛よりも健気だった。
――ちゃりん。
あまりに小さな音だったから、この音を拾い上げることができたのは、一人だけだった。
極めて愉悦に浸った顔で、口端をつり上げる。長く鋭い犬歯が赤く濡れていた。
「鴉が鳴いたら人が死ぬって、ご存知だよね?」
雨泽の言葉に、男達が罵詈雑言で答える。
そして、彼の間合いに、男達が入った。
一瞬だった。
目に針が刺され、一気に奥まで貫かれる。視界を奪われ、直接中身を弄られる。遠くから見ている者には何が起こったかわからないのだろう。「何をしているんだ」「さっさと始末しろ」等の怒声が響く。
雨泽は長い身体を揺らして笑う。満身創痍だ。息も切れ切れで気力だけで動いている。血に濡れた白い服が黒く変わりゆく。再び硝煙の香りがする。今度は、外れた。何処を狙っているんだ、と怒鳴れ、もう一度銃声が響く。銃弾は雨泽の頬を掠めていった。
「顔だけは傷つけないじゃなかったっけ?」
「このっ! 化け物めが!」
「嘿、笑死我了!」
日が沈みきる前のことだ。路上に、鴉が群れていた。
そこいらで死肉を貪り、散らかしている。どこぞの組織が争った後だと近くに住む者が言っていた。紅白に染まった鴉が幼子を抱えている姿を見たとも言っていた。
その日は、耳をつんざくような鴉の悲鳴がよく聞こえていた。
何処にでも縄張りがある。ここから先は別の組織の領域だ。互いに侵さないように、侵したら相応の報いを受ける。そういう約束が取り決められていること。それは、子どもであっても、女であっても、変わらない。平等に、と言えば聞こえは良い。だが、物事の判断がまだできない子どもには、理不尽ではないか。
雨泽は血のにおいを辿って歩いていた。風に乗って微かに香る、食欲を誘う香りだ。子どもの肉は甘くてやわらかくて、とびきりうまい。その香りが風上に足を進める度に濃くなっていく。これだけの香りをさせているのなら、と目を細めた。雨泽は細く長く息を吐く。自分は、食材を取りに来ただけだ。それだけ、それだけのことだから。
そのまま出てきたから、彼は半袖のままだった。長い袖が揺れることも、軽い金属音が鳴ることもない、料理人が裏路地を歩いているだけだ。彼のことをよく知るものなら、今の姿を見ればあまりにも無防備に見えることだろう。普段の彼なら長い袖の下に暗器を隠している。鋭く尖った針のようなものや、短い刃物、他にもありとあらゆる暗器を持っているものだった。だが、今の彼は、半袖だ。隙を見せた相手に突き刺すような得物を持っていない――ように見える。
ようやく、血のにおいの先に辿り着いた。
「ハイハイ、大哥、白鴉の出前だよ」
「出前? そんなものは頼んでな――」
「頼んでなくても、食らいなよ。きっと土も美味しいからさ! ミネラル豊富だよ!」
殴るというよりも叩きつけるといったほうが正しいだろう。雨泽は見張り役の側頭部を殴り、ふらついたところを地面に叩きつけていた。気味の悪い音がした。男の口から血と泡が溢れている。表の異様な物音に気付いたらしい。奥から次々に人が現れる。取引の最中だったようだ。商品を持っている者もいた。
さすがに人数が多いか。
雨泽は苦笑いを浮かべる。鋭く尖った犬歯が風で乾くような、感覚がする。芳ばしいにおいが周囲にたちこめている。求めている食材はここにあるはずだ。
「白鴉の朱が、ここに何か?」
「いやあ、オレのところの食材が盗まれてね。においを辿っていたら、ここに着いたんだ。大哥、このくらいの女の子、知らないかな?」
「女の子だぁ? おい、誰か知ってるか?」
若頭らしき男が周りに声をかける。周りの者達は嘲笑うようにクスクス笑いを繰り返していた。どうやらよくい知っているようだ。
「知らないってよぉ!」
「そっか。オレ、あんまり気が長い方じゃないからさ……。もう一度答えてくれる? オレの家族を何処にやった?」
――返事は、硝煙の香りだった。
鋭く、バンッというばかばかしい音と共に、赤が散る。安全装置すらついていない安物の銃だ。北方の国で昔よく使われていたと聞く。ぼたた、と赤が吐き出される。銃弾は貫通したらしかった。
幸いにも急所は外れている。が、右腕が動かない。利き腕が使えないのは困った。血のにおいが、強い。もう、なんでも良いか。
雨泽は、かろうじて動く左手でシニヨンを解く。霞がかった青い髪が腰近くまで伸びる。
男達は笑っていた。「落ちた鴉に何ができようか」「可愛い顔をしている奴だから、辱めてから、闇市に売ってやろう」「顔だけは傷つけるなよ」「そうだそれが良い」嘲笑う。飢えた男達が近付いてくる。一歩一歩、気味悪い笑みを浮かべて。
それは、小鳥のさえずりよりもか細く。
それは、鈴の音よりも愛らしく。
それは、乙女の恋心よりもいたいけで。
それは、少年の愛よりも健気だった。
――ちゃりん。
あまりに小さな音だったから、この音を拾い上げることができたのは、一人だけだった。
極めて愉悦に浸った顔で、口端をつり上げる。長く鋭い犬歯が赤く濡れていた。
「鴉が鳴いたら人が死ぬって、ご存知だよね?」
雨泽の言葉に、男達が罵詈雑言で答える。
そして、彼の間合いに、男達が入った。
一瞬だった。
目に針が刺され、一気に奥まで貫かれる。視界を奪われ、直接中身を弄られる。遠くから見ている者には何が起こったかわからないのだろう。「何をしているんだ」「さっさと始末しろ」等の怒声が響く。
雨泽は長い身体を揺らして笑う。満身創痍だ。息も切れ切れで気力だけで動いている。血に濡れた白い服が黒く変わりゆく。再び硝煙の香りがする。今度は、外れた。何処を狙っているんだ、と怒鳴れ、もう一度銃声が響く。銃弾は雨泽の頬を掠めていった。
「顔だけは傷つけないじゃなかったっけ?」
「このっ! 化け物めが!」
「嘿、笑死我了!」
日が沈みきる前のことだ。路上に、鴉が群れていた。
そこいらで死肉を貪り、散らかしている。どこぞの組織が争った後だと近くに住む者が言っていた。紅白に染まった鴉が幼子を抱えている姿を見たとも言っていた。
その日は、耳をつんざくような鴉の悲鳴がよく聞こえていた。
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