白鴉が鳴くならば

末千屋 コイメ

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第九話

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 雨泽ユーズゥァさんの持病についての説明は正直言って、よくわからなかった。難しい言葉ばかりじゃなくて、逆にな言葉ばかりだったから。検査内容も検査結果もでわからなかった。
 雨泽さんは終始笑顔を絶やさない。自分の病気について語ることが好きかのように、溌剌としていた。まるで浪曲でも歌っているかのようだった。
 あたしが理解できたのは、雨泽さんの病気はということ。
 薬がまだ開発されていないような病気だと思う。症例が少なくて稀なケースだから、弊社では研究されていないかもしれない。罹患率が高くて死亡率も高い症例なら、「」って人が大金を積んで開発援助するけど、このケースは弊社で取り扱いそうにない。
 雨泽さんも見た目が元気そうで、どこも悪そうに見えないし、薬を欲しがってるようにも見えない。病気だとわかってるから、診断した医者がいるんだと思うけど、その医者さえ何も対応してないのかな。先天性だから、放置されてたのかも。赤ん坊に処置できないし。
 するっ、と、あたしの頬を冷たい手が滑る。
「オレの心配してくれるの?」
「うちは製薬会社なんで、研究部門に話を通しておこうかと」
哈哈哈ははは、ありがとう。でも、オレは、このビョーキと一生付き合っていかないといけないからさ。だから、藍洙ランズ姐姐ねーねを食べたいな」
 舌舐めずりをする姿が婀娜あだっぽかった。
 見惚れてちゃ駄目だってば! あたしは触れられている手を掴んで引き離し、卓につけさせる。油断も隙もない。はお断りしておかないと。ワンさんから引き継ぎたくない案件だわ。
「つれないねぇ」
「あたしはそういうことお断りなんで!」
「ざーんねーん。藍洙姐姐、オレの好みドストレートなのになぁ。味見だけでも駄目? ちょっとだけ、ちょっとだけだから」
「駄目です!」
「ケチぃ」
「あたしは枕営業してません! エビチリ美味しかったです! ありがとうございました! それでは!」
「あ、待って待って。オレの頼み事も聞いて欲しいな」
 立ち上がり、帰ろうと踵を返したところで、雨泽さんに後ろからギュッと抱きつかれる。それにしても何でこの人こんなに距離が近いの!
「頼み事って何です? 離れて離れて!」
「ハイハイ。姐姐、ほんとつれないねぇ。きみのところのお薬持ってきて欲しいんだ。鉄剤ってやつ? あと、輸血用血液製剤? だったっけ? オレのビョーキの薬ないんだもん。それ持ってきてくれたら、嬉しいな」
「わかりました。……って、輸血パックがいるの?」
「そう! 輸血パック! O型が良いなぁ。うまいんだよね。もちろん、全血製剤にしてね」
 振り向いたら、けらけら笑う顔が見えた。開いた口から鋭くて長い犬歯が見える。
 うまいって……飲むつもりなのかな……。
「輸血パックは輸血するためであって飲むものではないし、血液は飲み物ではないわよ」
「ーーオレのビョーキ、って、わかってもらえない?」
「痛っ!」
 手を取られて、かぷっと噛まれた。熱がじんわり広がっていく。ぬるり、と感覚がした。噛み傷を舌が這う。
 なんなのこれ!
嘻嘻ふふっ、やっぱり藍洙姐姐うまいね。もっと食べたいなぁ」
「何言ってんですか! 帰りますからね!」
「ハイハイ。またのご来店をお待ちしてまーす。雨涵ユーハンに声かけておいて」
「わかりました。それでは」
 手をひらひら振る彼に背を向けて、扉を開く。雨涵ちゃんの姿は見えなかった。遠くまで遊びに行ったのかな? この辺は治安も悪いから心配になる。あたしもできればさっさと会社に戻りたい。明るいうちはまだ良いけど、暗くなってからここには来たくないなぁ。も姿を消しちゃったし……怖くなる。
「ガァアア!」
「な、何?」
 脇道から大きな鴉が飛び出してきた。口に何か咥えていて、あたしの前で落とした。
 雨涵ちゃんの、メモ帳だ。何で? どうして? 鴉は怪我しているのか少し地面を跳ねる動きもおかしい。鳴き声も、なんだか悲痛に聞こえる。
 メモ帳を拾う。手にべっちょり、何かがついた。裏返す。赤黒い。しかも、鉄の香りが、する。あたしは驚いてメモ帳を投げ捨てた。血、血だ。
 鴉が地面に倒れた。血がついてる。やっぱり、怪我してる。あまり触りたくないけど、そんなこと言ってる場合じゃない。雨涵ちゃんが何処にいるかもわからない。血のついたメモ帳を摘み上げ、傷ついた鴉を抱えて、白鴉に駆け込んだ。
「ハイハイ、姐姐。忘れ物?」
「これ! これ!」
 言葉が出てこなくて、雨泽さんに鴉とメモ帳を見せる。厨房に戻っていた彼は慌てた様子でこちらに来た。何か物を落としたようで、ガチャガチャ、金属の転がる音がした。
「ひどい! 静静ジンジンがこんなにやられるなんて!」
 卓に鴉をおろしてあげると、雨泽さんは救急箱を取ってきた。慌ててるからかそこいらの椅子にぶつかっていた。鴉が怪我したくらいでこんなに取り乱すものなんだ……。
「オレの家族にひどいことするなんて、絶対許さない」
 怒りに満ちた低い声だった。いつも飄々としていて、陽気な男性が発したとは思えないくらい低い声。鴉に包帯を巻く手が震えてる。雨泽さんにしたら、鴉は家族なんだ……。それを鴉が怪我したくらいで、とか思ってしまったのを少し反省する。
「雨涵ちゃんの姿も見えなくて! これ! これ!」
「ーー! これ、雨涵の血の香りだ」
 血のついたメモ帳を嗅いで、雨泽さんは目を細める。それからページを捲っていた。つたない文字で色んなことが書かれている。半分くらいを過ぎて、手が止まった。
「藍洙姐姐、オレのお願い聞いてくれる?」
「あたしにできることだったら」
「できるよ。オレ、今から雨涵を捜すついでに食材の調達に行くからさ、その間店番してて。客が来たら、内容をメモしといてくれたら良い。後でこっちから連絡するからさ」
「わかりました……」
「それじゃあ、お留守番よろしくね」
 悲しそうに笑って雨泽さんは出て行った。包帯をぐるぐる巻かれた鴉が小さく「カア」と鳴いていた。

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