白鴉が鳴くならば

末千屋 コイメ

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第七話

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 ーーガア、カァ。
 鴉が鳴いていた。血のような残照の下を真っ黒い影が通り過ぎる。空の境界が曖昧になるのと同じように、あの世とこの世の境界も曖昧になる。
 辺りが漆黒に染まりかける頃、白い袖がふわふわ揺れていた。ちゃりんちゃりん、軽い金属の音が鳴る。彼の手元は全く見えない。しゃん、と、鋭い金属音が鳴る。通りすがりに、一人、男が倒れた。おそらく連れだった彼女が悲鳴をあげる、前に喉笛を突き刺される。ひうひう、風の音が鳴る。それは次第に微かになっていき、やがて事切れた。
 白い服が返り血で赤く染まっている。独特の香りが鼻腔をくすぐり、腹の虫が小さく鳴いた。雨泽ユーズゥァは腹を撫でつつ、しゃがむ。今仕留めたばかりのを交互に見やり、男の首に噛みつく。血が彼の唇を赤く濡らす。琥珀色の瞳が微かに揺れる。女の首に噛みつく。未だに流れ続ける血をすすり、飲みくだす。ふっ、と彼は笑う。愉悦の笑みだった。心の底から悦んだ笑みだった。
「お見事!」
「……何の用?」
 悦びに満ちた彼の顔にかげりがさす。手を叩きながら妃紗麻キーシャオが姿を見せた。彼女は彼が仕留めた食材の前にしゃがむ。大きく開いたシャツの胸元、谷間を見せつけるように、わざと前屈みをしていた。雨泽は溜息を吐き、目だけを妃紗麻の、顔に向けていた。
「仕事の依頼をしに来たの。受けてくれる?」
「オレは、は受けてない。ヤりたいなら、他のとこに行きな」
「食われたいのヨ」
「お断り。オレはね、なんでも好きだけど、あんたのような女はまずいから、ゲテモノを食いたい時しか仕入れないの」
 食材を二つ両肩に乗せ、雨泽は歩き始める。闇市の路地ではあるが、に見つかると厄介ごとになる。平穏に暮らしたい雨泽は無闇に騒がれることを嫌う。表には表の、裏には裏の領分がある。決められたルールを守らないことには、ここで生きていくことも、食事さえも難しい。明日は自分が食材になるやもしれぬ世界。治安の悪さにさえ慣れてしまえば、年中賑やかで楽しいところだ。
「雨泽! アタシ、鴉に食べられたいの!」
 妃紗麻を無視して道を行く。雨泽の背後から鴉のけたたましい鳴き声が響く。助けを求める叫び声も聞こえてきたがそれもそう長くは続かなかった。肉を貪るような水音が鳴っている。
 雨泽の背に羽音が近づいてくる。ジンが眼球を咥えて飛んできた。
「あーあ……。静静ジンジン、綺麗にておいてね」
「グワァッ!」
 静は眼球をひと呑みし、よく通る低い声で鳴くと翼を広げて飛び去った。
 確認の意味を込めて振り返る。鴉の群れが揺れている。しきりに頭を揺らしているので食事をしているようだ。
「鴉に食べられる夢が叶って良かったねぇ」
 おかしさを堪えられない笑みだった。口の端をつりあげ、歪な三日月を描く。長く鋭い犬歯がちらりと見えた。
 赤く湿ったアスファルトを踏みしめながら、白鴉へ戻る。裏の勝手口から厨房へ直接食材を搬入した。赤く染まった服もここで脱いでおいた。ほどよくしまった身体。長身を支える左の太腿に鳳凰の刺青が入っていた。血で描かれたかのように、赤い鳳凰だった。右脚には何も入っていない。身を軽く外で清めてから厨房に入り、置いていた調理服に着替える。店の隅で絵本を読んでいた雨涵ユーハンが手をぶんぶん振る。
哥哥にーに! 哥哥にーに!」
「雨涵、ただいま」
 雨涵の首からさげたメモ帳には「你回来了おかえり」と書かれていた。厨房に入ってきたので頭を撫でてやると嬉しそうに目を細めていた。
 今搬入されたばかりのを見ても、雨涵は微動だにしなかった。
 雨泽も普段通りに下処理を始める。まずは女を逆さ吊りにし、首を切り落とした。下に置かれたバケツに血が溜まっていく。いっぱいになると雨泽が取り、雨涵がすぐさま空のバケツを置いていた。
 服を剥ぎ、真っ白い腹を裂く。飛び出してきた腸は一度縛って吊るしておくことにした。胆嚢は他の臓器と分けて、別のバケツに放り投げた。次々に内臓が取り出され、乱雑にバケツに放り込まれていく。後できちんと仕分けるつもりだ。
 全体を洗ってから長いまな板に乗せる。
 薄く切れ目を入れ、肉と皮を丁寧に剥がす。そして腕と脚を切断して、左右と背骨の三枚におろした。四肢は枝肉として塊のまま冷蔵庫で一週間熟成させる。塊のままだと均一に熟成が進むのだった。男の方も同様の処理を施した。
 乱雑に分けたバケツから子宮を引っ張り出す。雨涵が踏み台に乗り、雨泽の隣に並んだ。
嘻嘻ふふっ、どうかなー?」
「か……」
「開けるよ」
 小さな包丁で子宮を切っていく。ぷつり、ぷつり、ゆっくり肉を裂き、雨泽は指を入れて探る。指先に、確かな手応えがあった。それを摘み、引き上げる。
「雨涵、当たりだよ!」
「あ、……り……!」
「やったね! 雨涵の今夜のスープに入れてあげようね」
 胎児を摘み、まな板に乗せ、そのまま輪切りにした。ぶちゅぶちゅ、やわらかい肉が断ち切られていく。子宮も共に細切りにされ、小鍋に入れられた。
「一緒に腸詰ソーセージ作ろっか」
「……る!」
 腸を引っ張り出して洗う。バケツに取っておいた血、それから内臓を刻んでボウルに入れ、醤油、砂糖、白酒で味付けをし、よく混ぜた後、絞り袋に移す。絞り袋の先端に洗った腸を被せてたくしこむ。雨涵が肉を押し出し、雨泽が腸をスムーズに伸ばしていく。途中で入ってしまった空気は針を刺してぬいた。完成した腸詰を重ねて輪になるようにひねって、吊るした。
「これで、今夜には食べられるよ。ご馳走だね」
 雨泽の言葉に雨涵は笑いながら手を叩く。一緒になって笑ってハイタッチをした。
 その後は頭部を割り、脳味噌を取り出したり、目玉を抉ったり、可食部を全て取り出した。雨泽がこの作業を鼻歌を奏でながらしている間、雨涵は隣で骨つきの肉を食べていた。
 今日は鴉達が満腹になった日だった。
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