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第三話
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長い袖が揺れている。手元が全く見えないほどの長い袖。アニメや漫画を好きなものが見れば「萌え袖」と呼ばれそうなほど。女子ならば素直に可愛いと言えるのだが、その袖の持ち主は男だ。それも、背が随分と高かった。
ーーカアカア。
鴉が鳴く。
「鴉が鳴くと人が死ぬ」。この街に伝わる噂話、または都市伝説。そして、事実。
実際に、鴉が鳴く度に人が死んでいる。それに誰かが気付くか気付かないか、それだけの違い。
死体が見つかれば、人が死んだ。
見つからなければ、人は死ななかった。
しかし、死体は必ずあったはずなのだ。見つからなかっただけで。
琥珀色とも碧玉色ともいえる瞳を細めて男が笑っていた。長い袖を捲りあげ、細長い金属ーー例えるならば、長い箸を指に挟んでいた。
「うまい?」
「カア!」
「そっかそっか。うまいなら良かった」
壊れかけの椅子に座り、男は鴉に赤い塊を与えていた。肉だった。何羽もの鴉が男の周りに集まっている。
男ーー雨泽は一つ伸びをしてから立ち上がる。長い袖に手がすっぽり隠れた。
鴉除けのネットは意味を成さず、食い散らかされたゴミ屑が辺りに広がっている。ゴミ回収業者も少し悩んでいるほどだった。
雨泽は一番大きな鴉と目を合わせる。くりくりの大きな瞳が濡れて光っている鴉だ。人が思うよりも可愛らしい顔をしている。怖がる必要などないくらいには、可愛らしい顔の鴉だった。だが、この鴉こそがこのゴミ捨て場の主だった。
「静静、またね」
「カア」
雨泽が声をかけるとゴミ捨て場の主ーー静は返事をする。この名前も雨泽がつけたものだった。静だけではない。このゴミ捨て場に来る鴉は全て名前がつけられていた。
袖を揺らしながら雨泽は店へと戻る。料理店『白鴉』は現在休憩時間だ。新しく入った料理人に仕込みも何もかも任せれば良い。彼には、彼の仕事があるのだから。
店では料理人の秀英が厨房に立っていた。彼は手グセの悪い男だった。前にいた店では高級キャビアをつまみ食いし、フォアグラを焼いて食っていた。ついでに売上金をポケットに入れるようなやつだった。クビにされて街を彷徨っていたところ、鴉に頭をつつかれ、たまたま雨泽と出会ったのだ。それからこの店で厄介になることになった。
三週間は我慢していたが、そろそろ手グセの悪さが出てくる。今朝雨泽が嬉しそうに「珍しい食材が手に入ったんだ」と言っていた。だから、秀英はそれをつまみ食いしようと思ったのだ。
扉を開く。赤い塊がビニールに包まれていた。とにかく赤い。断面から白い骨のようなものが飛び出している。肉だ。だが、妙なにおいがする。生臭いような、甘いような、なんだか妙だ。牛や豚にしては小さいように見える。鶏とは大きさからして違う。四肢を切断された赤い肉塊が一つ。それから恐らくこれの四肢。考えたくなかった。考えることを放棄したかった。冷蔵庫の奥に、頭があった。人間の頭だった。白濁した瞳が見開かれたままこちらを見つめている。
扉を閉じ、立ちつくす。顔色が悪い。手汗がにじむ。息が緊張で激しくなる。浅い呼吸を何度も繰り返す。胸がドッドッド、と大きく鳴る。
「ハイハイ、秀英大哥。顔色が悪いね」
「あ、ああ、だ、大丈夫」
雨泽が戻ってきた。彼は長い袖を揺らしながら陽気に鼻歌を奏でている。懐かしの残る故郷の歌だ。秀英は脚の震えをエプロンに隠す。冷蔵庫を見るなとは言われていなかった。だから、あれはいつか見るべきものであって……調理するもの?
偶然にも思い浮かべてしまった考えに吐き気をもよおし、吐いた。排水口に昼のまかないが流れていく。雨泽の作った肉団子の甘酢がけだった。
ーーあの肉団子の肉は何だった?
吐く。気持ち悪い。胸がバクバク鳴っている。先程よりも強く、激しく、命を主張している。
「そんなに吐いて大丈夫? 何かあたるようなものあったかなぁ」
「この、人食いめ!」
ともすれば、言葉が先に出ていた。秀英は口を袖で拭い、雨泽を睨みつける。雨泽は穏やかな笑みを浮かべて長い袖を揺らしていた。ちゃりんちゃりん、金属の擦れ合う音が聞こえた、気がした。
「ああ、冷蔵庫の中見たの?」
「な、何だあれ!」
「お得意様のご依頼品だよ。大哥をクビにした料理店のオーナーさん、いつもオレをご贔屓にしてくれてるんだ」
「に、にに、にん、にんげんを、たた食べる、なんて」
「ハイハイ、大哥の言いたいことはわかった! で、どうするの? ここらの領域なら、けっこう取引されてるよ。人肉」
雨泽は厨房に入り、冷蔵庫を開いて赤い塊を抱えた。女の生首だった。秀英は吐く。胃をしぼるように吐く。黄色い胃液が口からあふれる。酸いにおいが漂う。
「オレね、そういう生きてる反応大好きだよ。久しぶりだなぁ」
「はっ、はっ……」
「ここだけの話、大哥がいた料理店のオーナーね、オレに『食材をあげる』って言ってたんだ。オレの家族が先に大哥を見つけてつついてたのには驚いたけど」
「ま、まさか、あの鴉」
「ご名答! 静静はね、いつもうまいものを見つけてくれるんだ。可愛くて、頭良いよね」
「うわぁああああああああああ!」
秀英は奇声をあげながら店を飛び出していく。ゴミ捨て場の鴉が一斉に鳴き始める。カアグワァカアガア!
「こりゃまた激しく鳴くね。ハイハイ、食後のデザートどうぞ」
少し間延びした声を出しながら、雨泽は長い袖を揺らす。しゃんっ、と小さくなった金属音の後に、どさっ、と地面に秀英が倒れる。首に長い箸が突き刺さっていた。そこに鴉が群がる。
「あーあ、また料理人がいなくなったや」
半分食い散らかされた男を抱える袖が赤く濡れる。腕に噛みつき、肉を食む。皮下脂肪がとろけて甘かった。
「なかなかうまいや! オーナーにまた依頼してもらおっと」
嬉しそうに笑うと雨泽は男を担ぎ上げる。ゴミ捨て場には静寂が戻った。
鴉が激しく鳴いた日だった。
ーーカアカア。
鴉が鳴く。
「鴉が鳴くと人が死ぬ」。この街に伝わる噂話、または都市伝説。そして、事実。
実際に、鴉が鳴く度に人が死んでいる。それに誰かが気付くか気付かないか、それだけの違い。
死体が見つかれば、人が死んだ。
見つからなければ、人は死ななかった。
しかし、死体は必ずあったはずなのだ。見つからなかっただけで。
琥珀色とも碧玉色ともいえる瞳を細めて男が笑っていた。長い袖を捲りあげ、細長い金属ーー例えるならば、長い箸を指に挟んでいた。
「うまい?」
「カア!」
「そっかそっか。うまいなら良かった」
壊れかけの椅子に座り、男は鴉に赤い塊を与えていた。肉だった。何羽もの鴉が男の周りに集まっている。
男ーー雨泽は一つ伸びをしてから立ち上がる。長い袖に手がすっぽり隠れた。
鴉除けのネットは意味を成さず、食い散らかされたゴミ屑が辺りに広がっている。ゴミ回収業者も少し悩んでいるほどだった。
雨泽は一番大きな鴉と目を合わせる。くりくりの大きな瞳が濡れて光っている鴉だ。人が思うよりも可愛らしい顔をしている。怖がる必要などないくらいには、可愛らしい顔の鴉だった。だが、この鴉こそがこのゴミ捨て場の主だった。
「静静、またね」
「カア」
雨泽が声をかけるとゴミ捨て場の主ーー静は返事をする。この名前も雨泽がつけたものだった。静だけではない。このゴミ捨て場に来る鴉は全て名前がつけられていた。
袖を揺らしながら雨泽は店へと戻る。料理店『白鴉』は現在休憩時間だ。新しく入った料理人に仕込みも何もかも任せれば良い。彼には、彼の仕事があるのだから。
店では料理人の秀英が厨房に立っていた。彼は手グセの悪い男だった。前にいた店では高級キャビアをつまみ食いし、フォアグラを焼いて食っていた。ついでに売上金をポケットに入れるようなやつだった。クビにされて街を彷徨っていたところ、鴉に頭をつつかれ、たまたま雨泽と出会ったのだ。それからこの店で厄介になることになった。
三週間は我慢していたが、そろそろ手グセの悪さが出てくる。今朝雨泽が嬉しそうに「珍しい食材が手に入ったんだ」と言っていた。だから、秀英はそれをつまみ食いしようと思ったのだ。
扉を開く。赤い塊がビニールに包まれていた。とにかく赤い。断面から白い骨のようなものが飛び出している。肉だ。だが、妙なにおいがする。生臭いような、甘いような、なんだか妙だ。牛や豚にしては小さいように見える。鶏とは大きさからして違う。四肢を切断された赤い肉塊が一つ。それから恐らくこれの四肢。考えたくなかった。考えることを放棄したかった。冷蔵庫の奥に、頭があった。人間の頭だった。白濁した瞳が見開かれたままこちらを見つめている。
扉を閉じ、立ちつくす。顔色が悪い。手汗がにじむ。息が緊張で激しくなる。浅い呼吸を何度も繰り返す。胸がドッドッド、と大きく鳴る。
「ハイハイ、秀英大哥。顔色が悪いね」
「あ、ああ、だ、大丈夫」
雨泽が戻ってきた。彼は長い袖を揺らしながら陽気に鼻歌を奏でている。懐かしの残る故郷の歌だ。秀英は脚の震えをエプロンに隠す。冷蔵庫を見るなとは言われていなかった。だから、あれはいつか見るべきものであって……調理するもの?
偶然にも思い浮かべてしまった考えに吐き気をもよおし、吐いた。排水口に昼のまかないが流れていく。雨泽の作った肉団子の甘酢がけだった。
ーーあの肉団子の肉は何だった?
吐く。気持ち悪い。胸がバクバク鳴っている。先程よりも強く、激しく、命を主張している。
「そんなに吐いて大丈夫? 何かあたるようなものあったかなぁ」
「この、人食いめ!」
ともすれば、言葉が先に出ていた。秀英は口を袖で拭い、雨泽を睨みつける。雨泽は穏やかな笑みを浮かべて長い袖を揺らしていた。ちゃりんちゃりん、金属の擦れ合う音が聞こえた、気がした。
「ああ、冷蔵庫の中見たの?」
「な、何だあれ!」
「お得意様のご依頼品だよ。大哥をクビにした料理店のオーナーさん、いつもオレをご贔屓にしてくれてるんだ」
「に、にに、にん、にんげんを、たた食べる、なんて」
「ハイハイ、大哥の言いたいことはわかった! で、どうするの? ここらの領域なら、けっこう取引されてるよ。人肉」
雨泽は厨房に入り、冷蔵庫を開いて赤い塊を抱えた。女の生首だった。秀英は吐く。胃をしぼるように吐く。黄色い胃液が口からあふれる。酸いにおいが漂う。
「オレね、そういう生きてる反応大好きだよ。久しぶりだなぁ」
「はっ、はっ……」
「ここだけの話、大哥がいた料理店のオーナーね、オレに『食材をあげる』って言ってたんだ。オレの家族が先に大哥を見つけてつついてたのには驚いたけど」
「ま、まさか、あの鴉」
「ご名答! 静静はね、いつもうまいものを見つけてくれるんだ。可愛くて、頭良いよね」
「うわぁああああああああああ!」
秀英は奇声をあげながら店を飛び出していく。ゴミ捨て場の鴉が一斉に鳴き始める。カアグワァカアガア!
「こりゃまた激しく鳴くね。ハイハイ、食後のデザートどうぞ」
少し間延びした声を出しながら、雨泽は長い袖を揺らす。しゃんっ、と小さくなった金属音の後に、どさっ、と地面に秀英が倒れる。首に長い箸が突き刺さっていた。そこに鴉が群がる。
「あーあ、また料理人がいなくなったや」
半分食い散らかされた男を抱える袖が赤く濡れる。腕に噛みつき、肉を食む。皮下脂肪がとろけて甘かった。
「なかなかうまいや! オーナーにまた依頼してもらおっと」
嬉しそうに笑うと雨泽は男を担ぎ上げる。ゴミ捨て場には静寂が戻った。
鴉が激しく鳴いた日だった。
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