白鴉が鳴くならば

末千屋 コイメ

文字の大きさ
上 下
3 / 30

第三話

しおりを挟む
 長い袖が揺れている。手元が全く見えないほどの長い袖。アニメや漫画を好きなものが見れば「萌え袖」と呼ばれそうなほど。女子ならば素直に可愛いと言えるのだが、その袖の持ち主は男だ。それも、背が随分と高かった。
 ーーカアカア。
 鴉が鳴く。
 「鴉が鳴くと人が死ぬ」。この街に伝わる噂話、または都市伝説。そして、事実。
 実際に、鴉が鳴く度に人が死んでいる。それに誰かが気付くか気付かないか、それだけの違い。
 死体が見つかれば、人が死んだ。
 見つからなければ、人は死ななかった。
 しかし、死体は必ずあったはずなのだ。見つからなかっただけで。
 琥珀色とも碧玉へきぎょく色ともいえる瞳を細めて男が笑っていた。長い袖を捲りあげ、細長い金属ーー例えるならば、長い箸を指に挟んでいた。
「うまい?」
「カア!」
「そっかそっか。うまいなら良かった」
 壊れかけの椅子に座り、男は鴉に赤い塊を与えていた。肉だった。何羽もの鴉が男の周りに集まっている。
 男ーー雨泽ユーズゥァは一つ伸びをしてから立ち上がる。長い袖に手がすっぽり隠れた。
 鴉除けのネットは意味を成さず、食い散らかされたゴミ屑が辺りに広がっている。ゴミ回収業者も少し悩んでいるほどだった。
 雨泽は一番大きな鴉と目を合わせる。くりくりの大きな瞳が濡れて光っている鴉だ。人が思うよりも可愛らしい顔をしている。怖がる必要などないくらいには、可愛らしい顔の鴉だった。だが、この鴉こそがこのゴミ捨て場のぬしだった。
ジンジン、またね」
「カア」
 雨泽が声をかけるとゴミ捨て場の主ーージンは返事をする。この名前も雨泽がつけたものだった。静だけではない。このゴミ捨て場に来る鴉は全て名前がつけられていた。
 袖を揺らしながら雨泽は店へと戻る。料理店『白鴉』は現在休憩時間だ。新しく入った料理人に仕込みも何もかも任せれば良い。彼には、彼の仕事があるのだから。
 店では料理人の秀英シゥインが厨房に立っていた。彼は手グセの悪い男だった。前にいた店では高級キャビアをつまみ食いし、フォアグラを焼いて食っていた。ついでに売上金をポケットに入れるようなやつだった。クビにされて街を彷徨っていたところ、鴉に頭をつつかれ、たまたま雨泽と出会ったのだ。それからこの店で厄介になることになった。
 三週間は我慢していたが、そろそろ手グセの悪さが出てくる。今朝雨泽が嬉しそうに「珍しい食材が手に入ったんだ」と言っていた。だから、秀英はそれをつまみ食いしようと思ったのだ。
 扉を開く。赤い塊がビニールに包まれていた。とにかく赤い。断面から白い骨のようなものが飛び出している。肉だ。だが、妙なにおいがする。生臭いような、甘いような、なんだか妙だ。牛や豚にしては小さいように見える。鶏とは大きさからして違う。四肢を切断された赤い肉塊が一つ。それから恐らくこれの四肢。考えたくなかった。考えることを放棄したかった。冷蔵庫の奥に、頭があった。人間の頭だった。白濁した瞳が見開かれたままこちらを見つめている。
 扉を閉じ、立ちつくす。顔色が悪い。手汗がにじむ。息が緊張で激しくなる。浅い呼吸を何度も繰り返す。胸がドッドッド、と大きく鳴る。
「ハイハイ、秀英シゥイン大哥にーに。顔色が悪いね」
「あ、ああ、だ、大丈夫」
 雨泽が戻ってきた。彼は長い袖を揺らしながら陽気に鼻歌を奏でている。懐かしの残る故郷の歌だ。秀英は脚の震えをエプロンに隠す。冷蔵庫を見るなとは言われていなかった。だから、あれはいつか見るべきものであって……調理するもの?
 偶然にも思い浮かべてしまった考えに吐き気をもよおし、吐いた。排水口に昼のまかないが流れていく。雨泽の作った肉団子の甘酢がけだった。
 ーーあの肉団子の肉は何だった?
 吐く。気持ち悪い。胸がバクバク鳴っている。先程よりも強く、激しく、命を主張している。
「そんなに吐いて大丈夫? 何かあたるようなものあったかなぁ」
「この、人食いめ!」
 ともすれば、言葉が先に出ていた。秀英は口を袖で拭い、雨泽を睨みつける。雨泽は穏やかな笑みを浮かべて長い袖を揺らしていた。ちゃりんちゃりん、金属の擦れ合う音が聞こえた、気がした。
「ああ、冷蔵庫の中見たの?」
「な、何だあれ!」
「お得意様のご依頼品だよ。大哥をクビにした料理店のオーナーさん、いつもオレをご贔屓にしてくれてるんだ」
「に、にに、にん、にんげんを、たた食べる、なんて」
「ハイハイ、大哥の言いたいことはわかった! で、どうするの? ここらの領域シマなら、けっこう取引されてるよ。人肉」
 雨泽は厨房に入り、冷蔵庫を開いて赤い塊を抱えた。女の生首だった。秀英は吐く。胃をしぼるように吐く。黄色い胃液が口からあふれる。酸いにおいが漂う。
「オレね、そういう反応大好きだよ。久しぶりだなぁ」
「はっ、はっ……」
「ここだけの話、大哥がいた料理店のオーナーね、オレに『食材をあげる』って言ってたんだ。オレの家族が先に大哥を見つけてつついてたのには驚いたけど」
「ま、まさか、あの鴉」
「ご名答! 静静はね、いつもうまいものを見つけてくれるんだ。可愛くて、頭良いよね」
「うわぁああああああああああ!」
 秀英は奇声をあげながら店を飛び出していく。ゴミ捨て場の鴉が一斉に鳴き始める。カアグワァカアガア!
「こりゃまた激しく鳴くね。ハイハイ、食後のデザートどうぞ」
 少し間延びした声を出しながら、雨泽は長い袖を揺らす。しゃんっ、と小さくなった金属音の後に、どさっ、と地面に秀英が倒れる。首に長い箸が突き刺さっていた。そこに鴉が群がる。
「あーあ、また料理人がいなくなったや」
 半分食い散らかされた男を抱える袖が赤く濡れる。腕に噛みつき、肉を食む。皮下脂肪がとろけて甘かった。
「なかなかうまいや! オーナーにまた依頼してもらおっと」
 嬉しそうに笑うと雨泽は男を担ぎ上げる。ゴミ捨て場には静寂が戻った。
 鴉が激しく鳴いた日だった。


 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

化想操術師の日常

茶野森かのこ
キャラ文芸
たった一つの線で、世界が変わる。 化想操術師という仕事がある。 一般的には知られていないが、化想は誰にでも起きる可能性のある現象で、悲しみや苦しみが心に抱えきれなくなった時、人は無意識の内に化想と呼ばれるものを体の外に生み出してしまう。それは、空間や物や生き物と、その人の心を占めるものである為、様々だ。 化想操術師とは、頭の中に思い描いたものを、その指先を通して、現実に生み出す事が出来る力を持つ人達の事。本来なら無意識でしか出せない化想を、意識的に操る事が出来た。 クズミ化想社は、そんな化想に苦しむ人々に寄り添い、救う仕事をしている。 社長である九頭見志乃歩は、自身も化想を扱いながら、化想患者限定でカウンセラーをしている。 社員は自身を含めて四名。 九頭見野雪という少年は、化想を生み出す能力に長けていた。志乃歩の養子に入っている。 常に無表情であるが、それは感情を失わせるような過去があったからだ。それでも、志乃歩との出会いによって、その心はいつも誰かに寄り添おうとしている、優しい少年だ。 他に、志乃歩の秘書でもある黒兎、口は悪いが料理の腕前はピカイチの姫子、野雪が生み出した巨大な犬の化想のシロ。彼らは、山の中にある洋館で、賑やかに共同生活を送っていた。 その洋館に、新たな住人が加わった。 記憶を失った少女、たま子。化想が扱える彼女は、記憶が戻るまでの間、野雪達と共に過ごす事となった。 だが、記憶を失くしたたま子には、ある目的があった。 たま子はクズミ化想社の一人として、志乃歩や野雪と共に、化想を出してしまった人々の様々な思いに触れていく。 壊れた友情で海に閉じこもる少年、自分への後悔に復讐に走る女性、絵を描く度に化想を出してしまう少年。 化想操術の古い歴史を持つ、阿木之亥という家の人々、重ねた野雪の過去、初めて出来た好きなもの、焦がれた自由、犠牲にしても守らなきゃいけないもの。 野雪とたま子、化想を取り巻く彼らのお話です。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

失恋少女と狐の見廻り

紺乃未色(こんのみいろ)
キャラ文芸
失恋中の高校生、彩羽(いろは)の前にあらわれたのは、神の遣いである「千影之狐(ちかげのきつね)」だった。「協力すれば恋の願いを神へ届ける」という約束のもと、彩羽はとある旅館にスタッフとして潜り込み、「魂を盗る、人ならざる者」の調査を手伝うことに。 人生初のアルバイトにあたふたしながらも、奮闘する彩羽。そんな彼女に対して「面白い」と興味を抱く千影之狐。 一人と一匹は無事に奇妙な事件を解決できるのか? 不可思議でどこか妖しい「失恋からはじまる和風ファンタジー」

それでもあなたは異世界に行きますか?

えと
キャラ文芸
あなたにとって異世界転生とはなんですか? ……… そう…ですか その考えもいいと思いますよ とっても面白いです はい 私はなかなかそうは考えられないので 私にとっての…異世界転生ですか? 強いて言うなら… 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ここはとある別の世界 どこかの分岐点から、誰もが知る今の状態とは全く違う いい意味でも悪い意味でも、大きく変わってしまった…そんな、日本という名の異世界。 一期一会 一樹之陰 運命の人 「このことは決まっていたのか」と思われほど 良い方にも悪い方にも綺麗に転がるこの世界… そんな悪い方に転ぶ運命だった人を助ける唯一の光 それをこの世界では 「異世界転生」 とよぶ。

よひらに寄せて

遠野まさみ
キャラ文芸
長期入院していた祖母が、最期を自宅で迎えたいと言って完治を待たずに退院した。 丁度休みに入ったよひらは、祖母の世話にあたる。 そんな折、よひらは祖母の家の庭で一人の青年と出会う。 彼は自分を祖母の家の守り神だと言って・・・。 第6回ほっこり・じんわり大賞応募作。

鬼と私の約束~あやかしバーでバーメイド、はじめました~

さっぱろこ
キャラ文芸
本文の修正が終わりましたので、執筆を再開します。 第6回キャラ文芸大賞 奨励賞頂きました。 * * * 家族に疎まれ、友達もいない甘祢(あまね)は、明日から無職になる。 そんな夜に足を踏み入れた京都の路地で謎の男に襲われかけたところを不思議な少年、伊吹(いぶき)に助けられた。 人間とは少し違う不思議な匂いがすると言われ連れて行かれた先は、あやかしなどが住まう時空の京都租界を統べるアジトとなるバー「OROCHI」。伊吹は京都租界のボスだった。 OROCHIで女性バーテン、つまりバーメイドとして働くことになった甘祢は、人間界でモデルとしても働くバーテンの夜都賀(やつが)に仕事を教わることになる。 そうするうちになぜか徐々に敵対勢力との抗争に巻き込まれていき―― 初めての投稿です。色々と手探りですが楽しく書いていこうと思います。

ニンジャマスター・ダイヤ

竹井ゴールド
キャラ文芸
 沖縄県の手塚島で育った母子家庭の手塚大也は実母の死によって、東京の遠縁の大鳥家に引き取られる事となった。  大鳥家は大鳥コンツェルンの創業一族で、裏では日本を陰から守る政府機関・大鳥忍軍を率いる忍者一族だった。  沖縄県の手塚島で忍者の修行をして育った大也は東京に出て、忍者の争いに否応なく巻き込まれるのだった。

望月何某の憂鬱(完結)

有住葉月
キャラ文芸
今連載中の夢は職業婦人のスピンオフです。望月が執筆と戦う姿を描く、大正ロマンのお話です。少し、個性派の小説家を遊ばせてみます。

処理中です...