桜に酔いし鬼噺

末千屋 コイメ

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第六十話

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◆◇◆◇◆◇
 上方まで歩いて十六日。廻船だと十日から遅くても二月ふたつきかかる。各港に停まって仕事をする手間を考えれば歩いた方が速いと思い、車を引いて歩いている。幸いにも賊や物乞いに出遭わず大坂の地を踏めた。
 車に乗せているのは伊織屋の物ばかりだ。道行く人々は私を見て「けったいな頭やな」と言うが、逃げはしない。まるで火事のような騒ぎ方をされないからありがたい。
 吉原に戻った時分にあの子に会いたかったが、伊織屋から「摂津せっつまで荷を運んで欲しい」と依頼されては無碍むげに断れない。夏樹がおふゆの様子見と私の体調を気遣う為についてきた。おふゆが嫁いでからもう二月経っているだろうか。先方はおふゆに一目惚れで縁談を持ちかけたとか。夏樹が心配するのも無理はない。
「あー、そうだ。小景の話をしてなかったな!」
「藪から棒に何ですか」
「江戸近くだと噂になると面倒だから言わなかったんだよ。本人にも伝えてねぇことだ。あいつ、腹に子がいそうなんだ」
「どうして教えてやらないんですか」
「そりゃあ、父親が誰だかわからねぇけど……あいつはきっとおまえの子だと思う。誰かに知られて中条を呼ばれてみろ。あいつが乱心したら、どうなるかわかるだろ?」
「それは……」
 憎い者すべてを亡き者にしそうだ。気の病は恐ろしい。隠し通すにも無理があると思う。孕んでいるならいつか腹が出てくるはずだ。全盛のあの子なら、産ませてもらえるだろうか。だが、産まれた子が私の血を引いていないとわかった時が恐ろしいな。
「と、話してる間についたな。ここだ」
 おふゆの嫁ぎ先はけっこうな大店だった。薬問屋だからか生薬の独特の香りが周囲に漂っている。鼻の詰まりが取れそうな清涼感のある香りさえもする。草木の芽生える春の香りに近い。もう冬になっているが。
「まいど! 兄さんらどないしたんや? いんきんたむし、みずむし、擦り傷切り傷、薬のことならなんでも、丸三屋にお任せや!」
「いやいやおれらは薬を貰いに来たんじゃなくてな。吉左衛門さんはいるかい?」
「吉左衛門はんなら奥に。兄さん名前は?」
「おれは伊織屋の夏樹。おふゆの兄だよ」
「あー! おかみさんのな! あいあい、今呼んでくるわ!」
 奥に入ったと思えばすぐに男が姿を現す。年の頃は三十手前ぐらいだろうか。肌つやの良い男だ。
「夏樹にいさん遠路遥々かみさんと来ていただいて」
「かみさん?」
「違う違う! こいつはおれの幼馴染で、ここまで荷を運んでくれた廻船問屋中臣屋の若旦那だよ! 名前は小焼ってんだ!」
「ひょえ、めっちゃべっぴんさんやから、かみさんやと思ってしもたわ」
 思わず殴りたい衝動に駆られたが、夏樹に手を掴まれたので堪える。二人は話を進めている。荷は土間にすべて降ろし終えた。私がここにいてもやることがない。それに、おふゆに会うのも気まずい。暇だから街を散策するか。勝手に動くと夏樹が困るだろうから声をかけてからにした。
 せっかくだから小景に何か土産でもやろう。街は賑わっており、櫛や簪、化粧道具、ありとあらゆる物が並んでいる。各店の呼び込みが声を張り上げている。店が多いとかえって何を見れば良いか迷ってしまう。
 歩いているうちに甘い香りが漂ってきた。腹の虫が目覚めたように鳴く。目の前に饅頭屋を見つけた。
「これ一つください」
「はいよ! 五文やで。もしや兄さん、吉原から来たんやね?」
「よくわかりましたね?」
「吉原に行ったうちのアホが言うてたんやわ。黄金色の髪に赤い目の鬼がおる言うて! あはは!」
「はあ」
 肩をばしばし叩かれて痛い。摂津の女はどうしてこんなに力強く叩いてくるのか。
 五文を支払い、できたての饅頭を貰う。だいたいの饅頭は二、三文だがここの饅頭はどうして五文なのかと思えば、『出島さとう製』と貼り紙がされている。使っている砂糖が出島製だからか。
 さて、味はどうか。水分を含んだもちもちの生地をしている。歯切れが良く、しっとりしているから唇に吸いつくようだった。中に詰められたあんの甘さもちょうどいい。これなら五文以上の価値がある。形は小さいが味が良いから繁盛しているようだ。私が食べている間にも次から次へと客が入っている。私がここにいると目立って更に客が来るとか言って、女がもう一つくれた。美味いな。腹が空いているから更に美味く感じる。はふはふ言いながら舌鼓をうつ。夏樹にも買っていってやろうかと思ったが、あいつは小豆が嫌いだったことを思い出した。それよりも小景に土産を選ぶか。
 饅頭を頬張りつつ道を行く。瓦礫が積まれている。火事でもあったんだろうか。何処でも火事は起こるものなんだな。その近くに小間物屋があったので覗いていくことにした。
「おっ、女房に土産かい? そんなら、うちの物なら大喜び間違いなし! どれも職人が腕によりをかけて作った一点物やで!」
「どれが良いか悩みますね」
「そんならあんちゃん、どんなオンナか教えてや。わてが選んだろ!」
「まず、髪と目が青くて……」
「ほい? それはほんまか?」
「はい。嘘のようですが本当にあの子は――」
「ちゃうちゃう。信じてないんやおまへん。その子、肌の色が白ぅて、ちっこくないか?」
「そうですが」
「そっかそっか。おけいちゃんはあんちゃんの女房になったんかぁ。久しく姿を見んくなったなぁ思ってたんや。あんちゃんは江戸訛りやし、江戸に行ったんやなぁ。おけいちゃんはけったいな色しとるから心配やったんやぁ。わてらはええんやけど、なーんも知らん奴が石投げたり悪口言うたりな、可哀想やった。ンでも、あんちゃんのようなけったいな色の旦那はんなら安心や」
「はあ」
 あんなに珍しい色の髪と瞳の女が他にいるとは思えない。それなら、ここがあの子の故郷さとか。
 あの子が「忘れた」と言っていた事がわかるかもしれない。本人が忘れたと言っていた本名は、か。あまり名が変わっていないな。
「で、おけいちゃんに土産やな! そんならこれにしとき。あの子の大好きな兎と蝶が彫られた黄楊櫛や。まけとくで」
「ありがとうございます。ついでに口紅とそこの縮緬ちりめんもください」
「毎度あり! ほんなら、まとめて三十八文でええわ」
 三十八文を支払い、品物を纏めて袂に入れた。喜んでもらえたら良いが、また泣くだろうか。
 せっかくだから小間物屋の主人にもう少し話を聞いておこう。あの子が忘れた吉原に来る前の事がわかるかもしれない。私の知らない事がわかるはずだ。
「あの子はずっとここにいたんですか?」
「ほぇ? おけいちゃんに聞いてへんの?」
「昔のことを忘れてしまったそうです」
「あー、があったもんな、話したくないんも仕方ないわぁ。あの子は、そこの芝居小屋の子でな、作家の娘なんやわ。お父ちゃんがよぉ鬼を主役にした芝居を作っててなぁ。お母ちゃんが面を着けて姫役をしてたもんや。怖いだけやなくて面白くて愛嬌のある優しい鬼の噺が人気やったんやで。あ、おけいちゃんは養子やから血は繋がってへんで」
「両親は今何処に?」
「おらへん。今から一年いくかいかんぐらい前に大火事があって、ぜんぶ焼けてしもたんや。おけいちゃんは焼け崩れた芝居小屋の前でずぅっと泣いてたんや。毎日誰かの家で世話してたんやけど、いつの頃か姿を見んくなって……人攫いにうたんやないかって、ここらの者は心配してたんや」
「そうですか……」
 誰かがあの子を女衒ぜげんに差し出したか、人攫いに遭ったか、はたまた自分から女衒についていったかだな。そのあたりは私にはどうでも良いか。あの子の両親はもうこの世にいない事もわかった。年季明けの身元の引き取り人もいないとわかった。
 御礼を言い、私は来た道を引き返す。ちょうど話の終わったらしい夏樹が出てきたところだった。
「何か良い事でもあったか?」
「何故?」
「仏頂面が崩れてっからよ。なにか美味いもんでも食ってきたのか?」
「饅頭が美味かったですよ。小豆がほくほくしていて」
「小豆かぁ。他には何かなかったか?」
「あの子の……小景の本名がわかりました。と言うそうです」
「そりゃ何でだ? あいつ、この辺が在所なのか?」
「そのようです。小間物屋の主人が教えてくれました。芝居小屋の子だったそうです」
「へぇ。だからあいつあんなに語りが上手いんだなぁ」
「ええ。……ところで今日の宿は?」
「吉左衛門さんが口利いて良い宿を準備したってよ。車は預かっててくれっから行こう」
 持たされた地図のまま宿へ向かう。迷わずに着いた。確かに良い宿だとは思うが……亭主と女将の目つきがどうも怪しい。手を揉みながらニタニタ笑っている。通された部屋は片付いていて、気になるところは特にない。さっさと湯に入り、夕餉を食べ、寝床についた。
 明日から再び長旅が始まる。早く帰ってあの子に会いたい。
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