桜に酔いし鬼噺

末千屋 コイメ

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第四十五話

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◆◇◆◇◆◇
 今日は早朝から仲の町で草市くさいちが立って、お盆用品が売られてたの。もうそんな季節なんや。月日が経つのは早いの。もっと早く過ぎ去れば、年季もあっという間やのに……。
 またあの猫達が部屋に遊びに来た。小鉄は市をかぷかぷ噛んでるけど、よく見たら毛繕いをしてあげてるみたいやった。ぶきっちょな子やけど優しい子やの。しばらく眺めてたら二匹は寄り添って寝てしもた。
 そろそろ小焼様来てくれるかな? もう五日経ったの。そろそろ来てくれても良いと思うの。張見世に出ても、通りがかる姿を見てへん。おつるさんに聞いても知らへんって言う。
 簪を投げて易者の真似事をする。畳の目は七つ。また半やの。もっかい、九つ。半やの。もっかい、十! 丁やの! 小焼様来てくれるかも!
「景一、おいでな。タヌキジジイがお呼びでありんす」
「はい、やの」
 錦姉様に呼ばれてウチは階段を下り、内所に入る。錦姉様が隣に座った。
 帳面を見ていた楼主の顔が上がる。
「景一。もう誰かから聞いたと思うが、お前にゃ御職になってもらいてぇ。他の見世と張り合えるようにゃ松の位の遊女がお前しかいねぇ。異人ってことも相俟って、ちょうど客寄せの看板に良い」
「でも、ウチは……」
「お前のお披露目道中は中臣屋さんが後ろ楯になってくださる。あの若旦那様に、晴れやかな道中を見せてやりたくねぇか?」
 中臣屋さんが後ろ楯ってことは、小焼様が話をしてくれた? 渥美様よりも高い金を積んでくれた?
 それだけ、ウチの道中を見たいって思ってくれた? 嬉しい。ウチ、嬉しい。小焼様が見てくれるなら、小焼様が喜んでくれるなら、ウチは――……。
「ウチ、小焼様に、ウチの晴れやかな道中を見せたいの」
「決まったようでありんす。わっちまで呼ばなくとも良かったねぇ? タヌキジジイ」
「お前は相変わらず口が悪いにゃあ、錦」
「そうしないと生きらんねぇさ。ほんじゃま、景一が御職で決まりでありんす」
 錦姉様は手を打ち、にっこり笑う。女のウチでも惚れてしまいそうなほど魅力的な笑顔やったの。
「お前のお披露目は八朔はっさくだ。宗次郎さんが八朔をご希望でにゃあ」
「それまでにきっちり八文字を踏めるようになりんす。稽古をつけてもらっていざんしょ?」
「うん……」
 新造出しをする前から八文字のお稽古をしてる。太腿まで見えそうになるくらい派手にやった方が粋とも言われてるけど、上手くやらな品が無くなって安く見られる。ウチは安くないと思うから、錦姉様のように美しい足捌きをせな……。
 楼主は溜息を一つ吐いてからウチの前に半紙を置く。
「ほら、お前の新しい名前だ。これが良いだろ?」
「こ……かげ……?」
「へえ。小景こかげかい。あの坊ちゃまの名を一字貰うなんて、どういった風の吹き回しだい?」
「どうもこうも、夏樹先生が考えた名だにゃあ。気の病に効くだろうってよ」
「なーるほどねー。そりゃ効きそうでありんす」
 小景……ウチの新しい名前……。小焼様と同じ字が入ってるの。お揃いやの。嬉しい。半紙を折って懐に入れる。新しい名前に慣れなあかんの。呼ばれたら返事できるようにしとかな。
 内所での話が終わって二階へ上がる。小焼様にウチの名前や道中のお話したいなぁ……。宗次郎様が日を決めたんなら、小焼様も知ってるかな? 夏樹様が名前を考えてくれたのも聞いたんかな? たくさんお話したいことがあるの。たくさん触って欲しいの。たくさんたくさん。
 けほけほ、咳いてる音が聞こえた。数日前も誰かが厠で咳いてたの。小焼様の咳と音が似てるの……。
 ウチは障子をそっと開いて中を窺う。新造の深川(ふかがわ)ちゃんが苦しそうに咳いて、赤い霙を口から吐いた。血の臭いがする。数日前に貰った読売で、大見世の女郎が流行病で亡くなったって知った。咳が続いて、血を吐いて仏さんになったって……。
「景一、何してんだ?」
「わっ! 夏樹様驚かせんといて欲しいの」
「そりゃわりぃな。で、何してんだ? 深川に何か用か?」
「ううん。苦しそうやから気になったの……小焼様も咳いて血を吐いたことがあるし……音が似てるの」
「っ! あ、ああ、そうだな」
 見るからに動揺してるの。夏樹様は口に薄絹で面をしてる。中条の医者がしてるんは見たことあるけど、夏樹様がしてるのを初めて見たの。
「夏樹様。深川ちゃんは何の病気やの?」
「風邪だよ」
「……嘘やの」
「へ?」
「ウチ、わかるの。夏樹様が嘘を吐いてるってわかるの。……あれは風邪やないの」
「……風邪じゃないってわかるなら、どうして覗いてたんだ?」
「さっきも言うたやの。苦しそうやから気になったの」
「あ、ああ、そうだっけ」
 夏樹様は苦笑いをしながら首を掻いてる。部屋の中から激しい咳が聞こえてきた。 ごぼごぼ、変な音。夏樹様は慌てて部屋に入っていったから、ウチは廊下から様子を窺う。血が飛び散ってる。血がたくさん……血が…………。
「嬢ちゃん、八文字の稽古しやすよ」
吾介さんに声をかけられて振り向く。平八さんも一緒におって、戸をすぐに閉じられた。
「あの、平八さん……。深川ちゃんは……」
「見なかったことにしてくだせぇ」
「でも」
「嬢ちゃん、錦さんが待ってるっすよ」
 平八さんと吾介さんがウチの手を引く。どうしてもこの場所から早く離したいように強く引いていく。
 引っ張られて行った先には錦姉様がおった。八文字のお稽古用の履物が準備されてる。
「ほい、履き替えんしょ。稽古をしんす」
「はいやの」
 草履を履き替える。背が高くなって、普段の景色と変わって見えた。小焼様の背丈と同じぐらいになるんかな? 小焼様はこの高さで世界を見てるんかな? 同じ景色を見られたらええな。
「八朔に道中するってことは、白無垢でありんす。花嫁衣装と同じさね」
「え」
「あり? 聞いてないかい?」
 ウチは首を横に振る。
「嬢ちゃん難しい顔してやすけど若旦那から貰ってやすよ。俺に嬉しそうに自慢してきたじゃないっすか。『小焼様がウチを女房にしてくれるやの』って」
「そうそう。吾介の上手な物真似のように、中臣屋の若旦那から貰った着物があるんだ。安心でさぁ」
 吾介さんの物真似は全然似てへんのに、平八さんは笑いながらウチの頭をなでなでする。頭撫でられるのは好きやけど、ずるいやの。
「道中は自分の女を自慢するのに打ってつけでありんす。『こんなに可憐な女をモノにしてるんだぜ』ってねえ」
「小焼様も……ウチを自慢したいの……?」
「そりゃあ、男は贔屓にしてる女郎を自慢したいもんでありんす」
「女だって、『わちきの旦那はこんなに男前なんだよ』って自慢するくらいっすもんね」
「そうそう。だから、景一は自信持って道中してくだせぇ。ほい、稽古を始めやしょう」
 三人にわいのわいの言われてウチは稽古を始める。小焼様がウチを自慢できるような立派な道中をしたいから……ウチ、頑張るの……。
 でも、小焼様と深川ちゃんの咳が似てたんが心配……。小焼様、もしかして――……。

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