桜に酔いし鬼噺

末千屋 コイメ

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第三十九話

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◆◇◆◇◆◇
 あれから幾日経っただろうか。あの子はまた気狂いになっていないだろうか。
 夏樹の話だとしゃんとしていて更に婀娜っぽくなったらしい。巷では色気がだんだん出てきたと評判で、ついには美人画を描いてもらえたと聞く。
 ここにその美人画があるが……似ていない。あの子はもっと可憐で愛らしかったと思うんだが……他人にはこう見えているのか。私の目がおかしいのか? もっと、こう丸みがあって……やわらかそうだったように思うんだが……。
「おっ、小焼。景一の美人画買ったのか?」
「父様が置いていったんですよ。……全然似ていないと思うんですが、夏樹はどう思いますか?」
「そりゃあ、こんな画よりも実物の方が良いに決まってんだろ。おまえに『会えるのを楽しみにしてる』『大好き』って伝えるよう頼まれたぞ。お熱いこって、あてられっぱなしだ」
「そうですか」
「おまえなぁ……。大好きって言われてんのに、その態度だとまた泣かれるぞ」
「夏樹に言われたところでどうとも思いませんよ」
「いや……まぁ……そりゃそうだけどなぁ。なんかおれも傷つくぞ……」
 夏樹は苦笑いを浮かべていた。何に傷ついたかわからないが、触れないでおこう。私は美人画を引き出しにしまっておいた。似ていないとはいえ、あの子を模したものならば、汚してはまずい。
「そういや、両国で噂の四目屋に寄ったんだろ? 何か面白いものあったか?」
「女悦丸なる薬があったので土産にどうぞ」
「これ女に使うやつだろ」
「貴方なら似たような物作れるでしょう?」
「試しておいてやるけどよ。他には?」
「肥後芋茎が美味そうでしたので買ってきました」
「それって食べるやつじゃないだろ? 陰茎へのこに巻き付けて使うやつだろ?」
「使った後に食えば良いのでは?」
「どんだけ食い意地が張ってんだ! 駄目に決まってんだろ!」
「では、煮込んで食うとします。醤油とみりんで良いですかね」
「食わずに景一に使ってやれよ!」
 夏樹はどうして声を荒げているんだか。
 肥後芋茎を買う時に使い方も教えてもらった。陰茎へのこに巻きつけて使えば、子宮こつぼでふやけて、いっそ具合が良いらしい。張形であれだけ泣いて嫌がっていたから、芋茎はどうだろうか……。巻きつけているのは嫌だろうか。嫌なら嫌で……煮込んで食いたい。きっと美味いんだろう。
「イモリの黒焼きもあります」
「けっこう買ってきたな」
「イモリも焼けば美味いのかと思って」
「惚れ薬だよそれは!」
「では」
「薬類をおれに押し付けたら似せて作れるとか思わねぇでくれよ」
「思ってませんよ。土産です」
「……なーんか気になるんだよな」
 夏樹はそう言いながら薬箱に土産を二つ片付けた。
 そのまま誰かに渡されるかもしれないが、もう彼の手に渡ったので好きに使ってもらえれば良いと思う。イモリの黒焼きも女悦丸と同様に惚れ薬だと言われている。効果がどのようなものかいまいちわからない。噂ではいっそ良くなるらしいが……どうなんだか。噂を聞きつけた客が押しかけていたくらいなので、効果はあるんだろう。私にはどうでも良いが。
「そういや、胸はどうだ? まだ痛むか?」
「はい。まだ痛みますが……咳は一時期より落ち着きました」
 胸のあたりはまだ痛むが、咳はだいぶ落ち着いた。これなら景一に会いに行っても問題無いだろう。父様と伯母と相談して、彼女への詫びも仕立て上がった。喜んでもらえたら良いんだが……また泣かせてしまうような気もする。
「あ、そうだ。錦が年季明けらしいな。さっき聞いたんだが、おまえ知ってたか?」
「三日前に父様から聞きました」
 三日前に父様から錦の年期が明けると聞いた。彼女は神田の米問屋に嫁ぐことが決まっているらしい。真を誓った相手の元へ向かうらしい。女郎に真無しとは誰が言ったのやら……本当に愛し合っている者もいたようだ。
 傍らに置いた木箱を撫でる。これを見て笑ってくれるだろうか……。やはり泣くだろうか。
「それ、喜んでくれると良いな」
「ええ……。泣かないと良いんですが」
「あいつは何しても泣きそうだけどなぁ」
「それは困りますね」
「そういう時は『おまえの笑顔が一番好きだ』とか言ってやれよ。笑うんじゃねぇか、おまえと違ってよ」
「はあ」
 夏樹はニッと口角を上げて私の頬を摘まむ。
「ほら、おれの真似して笑ってみろよ」
「いひゃいでふ」
「ほらほらぁ」
 笑えと言われてもそう笑えるものではない。どうして皆私の頬を摘まむんだか。夏樹の真似をしようにもどうすれば良いかわからない。手がすっと離れた。
「わかってたけど、笑わねぇな」
「おかしくもないのに笑えませんよ」
「あいあいそうだなぁ。ん? ……これ、伊勢屋の折詰か」
「そうですよ。父様が買ってきました。まだこちらの画の方があの子に似ていますね」
 鮮やかな色彩を放つ折詰。手に大福を持った景一の姿が描かれている。よく傘や煙管を持った女郎の画を見かけるが、彼女は菓子を持っている画だ。あの子の顔の幼さを活かせばこうなるとは思う。
 美人画や折詰に描かれるようになってから、彼女の人気は更に上がったようだ。髪の青い女郎の噂を聞きつけ、一度は顔を拝みたいと方々から見世に人が押し寄せているらしい。
 今夜も彼女は私の見知らぬ男に御開帳するんだろう。好きだとか惚れてるだとか気をやっただとか、嘘を吐きながら。
 折詰の蓋を開き、豆大福を頬張る。ふっくら炊きあげられた赤いえんどう豆がちょうど良い塩加減をしている。一口噛み締める度にあんこの上品な甘味と独特の風味が口いっぱいに広がる。
「夏樹も食べますか?」
「いいや。おまえの好物だろ。全部食べろよ」
「では、遠慮なく」
 最後の一つを頬張る。やわらかくて吸い付くような質感があの子に似ている。甘い香りも。もしかすると景一は菓子なのではないかと思うほどだ。そんなことは絶対にないとわかっているのに、羽二重餅のような肌や大福のような胸、蒸した饅頭を二つ合わせたような尻……菓子なのではないかと思ってしまう。絶対に違うとわかっているのに。
「おーい! 小焼ー!」
「喧しい!」
「父様はまだ何も話してないんだがなぁ」
「宗次郎さんも来たことだし、おれもそろそろ行くよ。また話聞かせてくれ。あばよ」
「はい、また」
 夏樹は手を振りつつ出て行き、入れ違いに父様が来た。
 既にニヤニヤ笑っているのが気になる。何がそんなにおかしいのだろうか。
「お前は良い友を持ったなぁ」
「ええまぁ。それで、何の用ですか?」
「錦から聞いたんだがな、景一がお前の温石を嬉しそうに嗅いでたそうだ」
「はあ。腹痛が治ったなら良かったです」
「そうじゃないだろぉ。わかってないなぁ小焼。おまえの持ち物を嗅いで、嬉しそうにしてたんだ。そこは『可愛い子だな』と思うところだぞ」
「……私の足袋でも贈れば良いんですか?」
「お前はどうして自分の足の臭いを嗅がせようとしてるんだ。いくら景一でも足袋は嫌だと思うぞ」
父様は腹を抱えて笑っている。そんなに笑わせるようなことを言っただろうか……? 全く理解できないんだが。
「景一は私の足を指の股まで丁寧に舐めるような子ですから、良いと思いますが……」
「舐められてお前は悶絶したのか?」
「っ、ええ……まあ……とても良い心地でした」
「おっと! 噛むなよ!」
 手を掴まれる。また爪を噛みそうになっていたようだ。
 景一に任せたら、いっそ良かった。水揚の時に心配していたのがおかしいくらいに、一人前の女郎として勤めている。床上手と評判があるのも納得できるくらいだ。それだけ多くの男と寝たんだろう。
 あんなに小さな身体の女に何番も相手をさせるなんて酷だ。
「いくら夏樹でも、小焼の恋わずらいまでは治せないか」
「あいつは『景一が特効薬だ』とか言ってましたよ」
「そうだな! 小焼の恋わずらいには景一がよく効く薬だ。同時に、景一の気の病には、小焼がよく効く。お似合いだな」
「何を言ってるんですか」
「父様はな、何度も言うが、小焼が他人を好きになってくれて嬉しいんだ!」
「わかったから近くで大声出さないでください!」
「がっはっはっ。小焼は可愛いなぁ」
 無駄に声が大きくて耳が痛い。ほとほと厭きれて何も言えやしない。
 傍らの木箱の中身は、あの子の書いた好きな物一覧を参照しつつ考えた。
 これが景一の気持ちに応える全てだと思う。
 さわり用事だと聞いたので、明日は無理をさせないようにしたい。朝露屋から使いが走っているはずなので、もう予約は取れているはずだ。
 あとは明日、私が彼女にしっかり詫びを入れれば良い。きちんと全てを……伝えたい。
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