桜に酔いし鬼噺

末千屋 コイメ

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第三十六話

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◆◇◆◇◆◇
「まったく……あいつの噛み癖には困ったもんだなぁ」
 夏樹様はウチの肩に薬を塗りながら呟く。沁みてヒリヒリするの。小焼様に舐められた時と同じ。でも、痛いの。すごく痛いの。
「小焼にきつく言っといてやるよ。女の扱いになれてねぇから、こういうことしちまうんだろうし……もうちょっと優しくできないかって説教が必要だな」
「うんっ。ありがとうございます、やの」
「はは、良いって良いって」
 夏樹様は手を振りながら笑う。仕草が錦姉様に似てる。どうしてこんなに似てるって思ってしまうんやろ……。そんなことはないと思うんやけど……。
「ちょいと邪魔するよ。景一、大丈夫かい?」
「うん……。ヒリヒリして痛いけど……大丈夫やの……」
「それなら良かったよ。平八から『中臣屋の若旦那が景一を食った』と聞いた時は夜鷹びっくり土竜、土竜びっくり夜鷹の屁さね」
 錦姉様は笑いながらゆったりした動きでウチの真ん前に座った。錦姉様付きの禿がお茶を持ってきてくれたから、飴玉をあげると喜んで出ていった。やっとウチに慣れてくれたようで良かったやの……。湯呑みに口をつける。美味しい。あったかくて安心するの。
 ウチがお茶を飲んでたら、遠くからドタバタ走って来る音がする。すぱーんっ! 音を立てて障子が開かれた。そこには、宗次郎様が立ってた。肩を上下に揺らして呼吸を整えながら部屋に入ってきて、どかっと座って額を畳にくっつける。夏樹様は苦笑いを浮かべてた。
「景一! 怖かったな、すまんな。うちの息子が」
「あ、あの、ウチは大丈夫やから顔を上げて欲しいの……!」
 宗次郎様は顔を上げる。額に少し畳の跡が残ってて思わず笑ってしもた。
「ああ、笑えるくらいで大事だいじ無さそうで良かった。今朝帰ってきた小焼が目に見えて暗然としていたから、理由わけを聞けば、腹が空いたからお前を食べたくなったとか言うじゃないか」
「え、あいつ、噛み癖じゃなくて腹が空いたからって理由で」
「こりゃあ、噛み癖どころの騒ぎじゃ終わらないねぇ。癖ならなおしゃ良いが、そうでないとしたら大変でありんす。人を食おうとするなんて、鬼と同じでございんす」
 皆はウチの為に色々考えてくれてる。けど、ウチが悪いの……。きっとウチの所為やの。最初に噛まれた時にウチがきちんと嫌って言うてたら、小焼様はきっとそんなことせんくなったの。ウチが悪いの。ウチが悪いから、全部、ウチの所為やの。
 太腿に置いた手をぎゅうっと握りしめる。小さな痛みが走った。あ、あかんの。引っ掻いてしもた。裾を捲って見たら、縦に四本赤い線が走ってて、血が滲んでる。小焼様の目の色と同じ色。お揃いの色。でも、小焼様は血が嫌いって言うてた。……あれ?
 小焼様はウチを噛んだ後、いつも傷を舐めてくれてた。あれがもし、唾をつければ治るとかやなくて――……味見してたと、したら?
 急に怖くなって、堪えてた涙が一筋流れたら、洪水のように溢れてしまう。泣いたらあかんのに。泣いたら困らせてしまうのに。ウチ、悪い子やの。全部ウチの所為やの。
ウチの所為で、小焼様が本当に『鬼』になってしまうの。
「うぅっ、ひっく……うう……」
「あぁ! 思い出しちまったかい? 怖かったねぇ。もう大丈夫でありんす。きっちり夏樹様や宗次郎様が坊ちゃまを叱ってくださんし。悪い夢だったのさ、忘れなんし」
「うぅう、ううーっ」
「しっかりしなんし。わっちがついているざんしょ」
 錦姉様はいつものようにウチを抱き締めて胸に埋めさせてくれる。ふかふかの胸に挟まれてきもちいい。優しい香りがして落ち着いてきたの。
 夏樹様と宗次郎様は何か話し合ってるみたいやった。何を話してるか内容はわからへん。頭がふわふわ浮いてるようになって、訳がわからへん。
 また足音が聞こえてきた。今度はゆっくりで、歩いてると思うの。ぱたぱた、ぱたぱた、がらりっ。
「景一ちゃん!」
「あんれまぁ、おつるさんまで来てくんなした。景一は果報者でありんす」
 姉様の胸から顔を上げたら、おつるさんがおった。手には風呂敷包みを持ってる。宗次郎様が慌てた様子で姿勢を正す。
「姉上、どうしてここに?」
「さっきうちに小焼ちゃんが来てね、景一ちゃんに詫びたいけど何を渡せば良いかわからないって……そんで理由を聞いたら、腹が空いたから食べたくなって噛んだって言うじゃないか!」
「で、小焼は?」
「あたいが叱り倒したら涙目になって、ふらふらしながら帰ってったよ。あの様子だと離れの長屋に行ってそうだねぇ。珍しく仏頂面以外の顔を拝めたけど、好いてる女の子を腹が空いたから食べたくなったってのは、いただけないね。本当に鬼になっちまう」
 おつるさんは話をしながらウチの頭をわしわし撫でてくれる。力強くて頼りがいのある撫で方やの。ちょっぴり痛いけど、安心するの。
「小焼様、もう来てくれへんかったらどないしよ……」
「坊ちゃまならしっかり落とし前つけに来てくれると思いんす。なにしろ、おつるさんに『詫びたい』って相談したくらいでござい」
「そうだよ! 心配するだけ無駄ってことさ」
 あっはっはっはっは。錦姉様とおつるさんは顔を見合わせて笑う。この二人はとても芯がしっかりしててきっちりしてるの。これぐらい気丈でおれたら、ウチも良いのに……。羨ましいの。
「父様からも小焼に言い聞かせておくからなー」
「よってたかって言うとあいつも可哀想だから、おれは目を長くして黙っといてやるかな」
 宗次郎様と夏樹様も笑ってた。それから、錦姉様と宗次郎様、おつるさんは、楼主に話があるからって、部屋を出てった。夏樹様だけが居残って、薬箱の片付けをしてる。色んな種類の生薬が詰まってて、貸本で見たような野草も詰まってたの。鼻の通る良い香りがするの。野山を駆け回ってふかふかの草に寝転んで、お天道様の光を浴びてお昼寝したら嗅げそうな香りやの。いっぱい光を浴びたら、とっても気持ち良いやろなぁ……。野山でごろごろお昼寝してみたいの。でも、それは夢のまた夢。ウチはここから出られへんから年季が明けたら……ごろごろしたいの。
「景一」
「はい、やの」
「小焼に手紙を書いてやってくれねぇか? あいつ、けっこう気にする所があってな……。おつるさんに、詫びの手土産を選んでくれないか相談したくらいだから、来るとは思うんだが……踏ん切りがつかないかもしんねぇからさ。頼むよ、一言だけで良い。いや、おまえが小焼を許してやってくれるなら、の話だけど」
「ウチ、小焼様のこと好きやの。小焼様になら何をされても良いと思ってたの。『一緒に死んで欲しい』って言われたら、喜んで死のうと思うくらいに、小焼様のことを想ってるの……。でも――」
 怖くなってしもた。
 肩やったから……大事おおごとにならへんかったけど……もしも首やったら……? 夏樹様が縫うてくれた所やったら……? 舐められただけでゾワゾワしてしまうのに……噛まれたらどうなってしまうん? 甘噛みやったらまだしも、小焼様は食い千切る勢いでウチを噛むから……食い殺されてしまう……?
 小焼様のことは大好き。慕ってる。愛してるの。小焼様も、ウチのことを好きって言うてくれた。
恋い慕ってるって言うてくれた。やっと……やっと、ウチの気持ちに応えてくれた。
 でも――……。
「食われたくないの。もっと、小焼様とお話したいの、もっと愛してもらいたいの……」
「だよなぁ。んー……どうすっかなぁ……。いつも噛んでるくらいだし……。そういや、いつ噛むかとかわかるか? わかるなら教えてくれ」
「小焼様はいつも気をやる時にウチを噛むの。噛みながら射精するの」
「あー……、幼馴染のそういう話聞くとちょっと照れちまうな。じゃあ、その、なんだ、愛撫で噛むことはないんだな? 甘噛みもしないのか?」
「うん……。あんまりしやんの」
「よしよしわかった。そんなら、する時にあいつに轡でも噛ませておけば良いんじゃないか」
「それ名案やの!」
「ははは、小焼がどんな顔すっか想像に容易いな」
 お願いしてみよかな……。
 ウチは引き出しから紙と筆を持って来る。小焼様のくれた物やの。硯を使わなくてもすぐに使えるように筒の中に墨汁がたっぷり入ってて、すぐに書けるって便利やの。
 何て書こっかな……? 小焼様に何を伝えよ……? 気にしてないって伝えたら良いんかな……。そんでまた来て欲しいって……。ウチは待ってるって……。鬼でも、小焼様は優しい鬼やから……なんて言うたらまた仏頂面をされそうやの。小焼様の表情はほとんど変わらへんけど、嫌がってる時とかは少しだけわかるようになってきた。あと、感じてる時と照れてる時はそっぽを向くの。うふふ。思い出したら、怖いよりも可愛いって思ってしまうの。
 筆を走らせて、書をしたためる。手紙を折って、てっぺんを口に挟む。ウチの紅が移った。これでよし、やの。夏樹様に差し出す。
「これ、お願いしますやの」
「あんがとな、渡しておくよ」
「……ねぇ夏樹様、ウチ、教えて欲しいことがあるの」
「おっ、何だ?」
「小焼様って、昔から仏頂面やの?」
「ああ……。あいつ、昔はもう少し表情豊かだったよ。泣いたり笑ったり、普通にできる程度にはな。そんでも、小焼の母ちゃん――アンチェさんが亡くなって、三日三晩泣き続けて……ああなっちまった。感情も一緒に亡くしちまったようにな」
「小焼様のお母様ってどんな方やったの?」
 宗次郎様が話してくれてたような記憶もある。とても美人で舞が上手くて歌もできて、琴も三味線もできる芸者って言うてたような気がする。小焼様は母親似とも聞いたことがある。長い睫毛に、鼻梁の通った綺麗な顔をしてるから……そこらへんの芸者よりもべっぴんさんやの。
 夏樹様はふわっと笑って口を開いた。
「どことなくおまえに似てるよ」
「ウチと似てるん?」
「おう。ちっこい所とかが特にな。抜群に器量も良くって愛想も良くってなぁ。だから、小焼はおまえを気にかけてるのかもな」
 夏樹様はウチの手紙を懐に入れて薬箱を持って、立つ。
「さて、小焼を励ましに行ってやっかな。おつるさんにこっぴどく叱られちまったようだし、まだべそかいてたりしてな」
「うん。小焼様によろしくやの」
「おう。あばよ!」
 やわらかく優しく笑うと夏樹様は手をひらひら振りながら去っていった。
 ウチは布団の下に隠してた張形を引っ張り出して片付けた。やっぱり、生のものの方がずぅっと良いの。朝から小焼様に求められたの初めてで、嬉しかったの。
 ああ……いろんなところが、痛いの。

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