桜に酔いし鬼噺

末千屋 コイメ

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第三十三話

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◆◇◆◇◆◇
「小焼。これ、港屋によろしくな」
「わかりました」
 最近は父様も真面目に働くようになった。
 父様が遊びに出ない分、錦の事も気になるが御職をしているのだから心配しなくとも良いだろう。きっと上客が幾人もいるはずだ。
 荷を積んだ車を引いて港屋へ向かう。仲の町は相変わらずの賑わいを見せていた。方々から訪れた観光客が私を見て逃げていく。これも相変わらずだな。目が合うだけで震えて逃げられるのだから、全く気分の良いものではない。
 湯屋の帰りと思しき女郎達が談笑しながらそこかしこを歩いている。景一と最後に会った日からもう四日過ぎた。妙に傷だらけだが張見世に居並んでいると噂に聞いたので、お勤めをしているんだろう。首の傷が心配だから会いに行きたいが……。
「けほっ、けほっ」
 また咳が出る。なんとなく身体も怠く重い。胸のあたりも痛い。これでまたぶっ倒れでもしたら迷惑だ。夏風邪をひいただろうか。それなら治るまでは会わないほうが良いだろう。お勤めに支障が出てはまずい。
「あ、小焼様!」
「景一?」
 桶を手にした景一が駆け寄ってきた。ほのかに糠の甘いような香りがするので、湯屋の帰りなのだろう。こんな所で会うとは思わなかった。
「小焼様、いつ来てくれるん? ウチ、ずっと待ってるの」
「……風邪をひいてしまったので」
「それなら尚更来て欲しいの。きっと、ウチの……飲んだら……滋養に良いと思うの」
 途中から声が小さくなり、俯いて話されたのでよく聞こえなかった。女の淫水を飲めば滋養に良いと聞いたことがある。きっとその話をしているのだろう。女郎なのだから今更恥ずかしがって言うようなことではないと思う。
 見世に行ってやるか。また気狂いになってしまっては手に負えない。今度こそ私も面番所に突き出されてしまう。
「わかりました。今夜行きます」
「ウチ……待ってるの」
 嬉しそうに微笑まれる。やはり泣き顔よりも笑った顔のほうがずっと良い。可憐な笑みだ。頭を撫でると更に口をゆるませる。
「えへへ。なでなでしてくれて嬉しいの」
「そういえば、一人ですか? 錦は?」
「錦姉様はお部屋におるの。……小焼様、錦姉様のような人が好き?」
 声が少し冷たくなる。これは……私の好みを聞いているんだったか。
「いえ。私は貴女のような女が好きです」
「あぅ……はうぅ……ウチ、嬉しい。小焼様に好きって言うてもらえた……」
 少し言葉を間違えたか。
 景一は顔を茹で蛸のように赤らめて腕の中の桶をぎゅっと抱き締めた。そんなに嬉しかったのだろうか。こんな所で立ち話を続けていてはいけないな。早く荷を届けなければ。
「では、また後で」
「うん」
 にっこりと音が聞こえそうなほどに満面の笑みを浮かべる。可憐だな。
 手を振る彼女に手を振り返し、小さな背中を見送ったところで、再び歩みを進める。
 大門を出て堤を歩く。川を上ったり下ったりしている船頭たちが手を振っているので、適当に振り返しておく。客が驚いたような仕草をしているのが少し気になるが、どうせ鬼だとか何か言っているのだろう。
 実に面倒で迷惑な話だ。今日もまた欲を求めた男達が吉原を訪れる、見慣れた光景だ。
 港屋で荷を下ろし、また新たな荷を積む。今日は酒樽が多い。何処かで宴会でもやるのだろう。
「けほんっ」
「オヤ、小焼坊ちゃま、夏風邪でもひいたかい? オトコと裸寝でもしたか?」
「どうして私が男と寝ないといけないんです」
「ハッハァ。冗談じゃねぇか。そうとんがらかすない」
 兵蔵は笑いながら言う。物陰から若衆がこちらを窺っていた。妙な誤解をされていそうだな。
「で、夏風邪なら、女のししを飲めば良い」
「は? 小便を飲めと?」
「おうとも。ぼぼを舐めてやりゃあ、女はよがる。男は精力が満ちる。滋養がついて、俺も毎日このとおりよ!」
 兵蔵は胸を張って言う。嘘を吐いているようには見えないが、小便を飲むというのは些か正気か疑いたくなる。大真面目に言っている様子なので、正気には違いないだろうが……本当に効果があるのか?
 とりあえず、夏樹の所に寄ってから朝露屋で使いを出してもらうか。ちょうど伊織屋に届ける荷もある。都合が良い。
 港屋の女将が草団子をくれたので頬張りつつ車を引く。草木が芽吹くような爽快感のある香りに、今日のやわらかい日差しがよく合っている。食いつく度に、よもぎの独特の苦みとえぐみがする。中に入っている粒あんがふっくら炊きあげられており、控えめの甘さで後味がすっきりしていて食べやすい。唇に吸い付くようにやわらかく歯切れも良い。とても美味い。どことなく、質感が景一の肌と似ている。……食むと彼女も美味いのだろうか。
 伊織屋に着き、土間に荷を下ろす。少し喧しい足音が徐々に近付いてくる。
「小焼ちゃん、配達お疲れ様ぁ!」
「おふゆ……。もう少し静かに歩けないんですか? それだけ騒がしく歩く女子がいますか」
「だってぇ、小焼ちゃんの姿が見えたからぁ。お茶出すからあがってあがって!」
「まだ荷があります」
「もー! 真面目なんだからぁ! 小焼ちゃんは若旦那様なんだから、そんなに働かなくて良いの! ほら、うちの人がやるから! ねぇ、おねがーい!」
 奥から奉公人達がぞろぞろ現れて荷の整頓を始める。笑いながら「お嬢さんの相手をしてくださいまし」と言われては仕方ない。袖を引かれるままにおふゆについていく。
 伊織屋の二階にあがるのは久しぶりだ。幼い頃に隠れん坊をしたことがあったな。おふゆが誰も見つけられずに泣きだして、夏樹が困っていたのを思い出した。私はあの時何をしていただろうか……台所でおはぎを貰っていたような気もするな……。それで後から母様に叱られたものだ。どうして叱られたんだったか。曖昧な記憶を辿っている間に下女が菓子と茶を持参していた。
 これは……ういろうか。楊枝ですっと切れた。突き刺して口に運ぶ。餅のような弾力もあるが、餅より軽い歯触りで切れる。甘くて美味い。熱い茶と共に頂くと腹が膨れてくる。茶も上手く淹れているようだ。苦味の中にまろやかな甘みが感じられる。
「小焼ちゃんって、お菓子食べてる時すごい可愛い顔するよねぇ」
「は?」
「あっ。言わなきゃ良かった……。小焼ちゃんさ、やっぱりもうちょっと笑ったらどう? せっかく美丈夫なんだからもったいないよ。うちの兄ちゃんのように笑ってみよ?」
「おかしくもないのに笑えませんよ」
「もーっ! そんなこと言わずにさぁ」
「くっつくな!」
「えー!」
 腕に抱き着かれたのでひっぺがそうとするが、なかなか離れない。
 力づくで無理矢理に退けても良いが、怪我をさせると厄介なことになる。夏樹にまで迷惑をかけることになるのは避けたい。
「小焼ちゃん変わったよね」
「何がですか?」
「昔はあたしが抱き着いてもそんなに嫌がってなかったもん」
「はい?」
「もーいいやっ! すっきりした! 兄ちゃんに用があるんでしょ? 行ってきなよ」
「貴女が二階にあげたんでしょうが」
「そうだけどぉ……。小焼ちゃん、あたしを抱いてくれないでしょ?」
「抱きませんよ。そもそも貴女は生娘おぼこでしょう」
「生娘じゃなかったら抱いてくれた?」
「は?」
 何を言っているんだかさっぱり意味がわからない。
 おふゆは溜息を吐くと私から離れて手をひらひら振った。
「小焼ちゃんって本当に鈍いと言うか何と言うか」
「何ですか」
「女心をわかってない!」
 ビシッと指を目の前にさされる。目潰しをされるかと思った。
 女心をわかっていないと言われても、私は女ではないからわからなくて当然だろう。何を言っているんだかわからない。
「わかりませんよ」
「素直に認めるのが小焼ちゃんの良い所だよねぇー。ほい、兄ちゃんとこに行った行ったー!」
 引っ張り立たされて背中を押されて歩く。何が何だか理解できないままに、隣の養生所に押し込まれた。文句の一つでも言ってやろうと振り向くが既におふゆはいなかった。
 視線を室内に戻す。布を抱えた夏樹がいた。
「おっ、小焼。どうした?」
「おふゆに押し込まれました」
「はっはぁ。なるほどなぁ。どうせおまえ、おふゆの誘いを断ったんだろ?」
「断るに決まってるでしょう。どうしてあんなに房事に誘ってくるんだか……」
「相変わらず女心がわかってないな」
「おふゆにも言われましたよ」
 夏樹はたたみ終った布を箪笥にしまっていた。私の方を向いて唇に傾斜を描く。
「気が向いたら相手してやってくれよ」
「兄の貴方が嫁入り前の妹を差し出そうとしないでください」
「あいあい。で、おれに用は無いのか?」
「また胸のあたりが痛くて、咳が出ます」
「そりゃあ大変だな。景一に会わないと治らないぞ」
「ふざけないでください。また恋わずらいで片付ける気ですか?」
「冗談だよ。ちゃんと診てやっから」
 夏樹は私の胸に耳をあて、手首を握る。脈診をしてから舌を出せやら何やら言われるままに従う。少し眉を下げて考える仕草をした後、夏樹は顔を上げた。
苓甘姜味辛夏仁湯リョウカンキョウミシンゲニントウを飲んどいてくれ。様子見だ」
「今何と言いました? リョウ?」
苓甘姜味辛夏仁湯リョウカンキョウミシンゲニントウだ。茯苓ぶくりょう甘草かんぞう半夏はんげ乾姜かんきょう杏仁きょうにん五味子ごみし細辛さいしんを配合したものな。……さっぱりわからないって顔してるな」
「貴方は何を言ってるんですか」
「生薬の話をしてんだよ。おまえが聞くからだろ」
「はあ」
 聞いてもさっぱりわからないな。夏樹が医者としてしっかり勉学をしてきたということくらいしか。
「で、今は落ち着いてるんだな?」
「はい。時に激しく咳く時があります」
「ふぅん。……近いうちに景一に会いに行くか?」
「今夜行こうと」
「そっか。そんなら、ついでに傷薬を渡してやってくれ」
「わかりました」
 夏樹は薬箪笥から草を取り出して磨り潰しながら話を続けている。さっき話していたごちゃごちゃした生薬なのだろう。どれがどれなのかさっぱりわからないが、鼻をすーっとした香りが抜けていく。
「あー、景一のぼぼから淫水でも飲んだら治るかもな」
「港屋の兵蔵が『女のししは良い』と言ってましたよ」
「小便はおまえにゃ厳しいだろ。ほれ、できたぞ」
 夏樹から粉薬と軟膏を受け取る。なんだか険しい表情をしていたようにも見えたが、気の所為だろうか。金を支払おうとしたが受け取ってもらえず、そのまま車を引いて朝露屋へ向かった。
 亭主の銀次が顔を出す。
「ああ、中臣屋の若旦那様。いつもご贔屓にありがとうごぜぇやす。すぐにともゑ屋に声をかけにやらせやしょう」
「呼び出してもらえますか」
「あい、わかりやした。あの青い娘なら呼び出した方が良いに決まってる。疎略にはされねぇし、独り占めできるからねぇ。すぐに聞きにやらせやしょう」
 銀次はすぐに若い者を走らせていた。毎度のことだが、面倒な手続きだな。
「車を置いてまた来ます」
「あい。お待ちしておりやす」
 このまま二階にあがると車が邪魔になるうえに、積んだままの荷を誰かに盗られては困る。まずは店に戻さないとな。
 仲の町を歩く。飴細工の店が出ていた。禿や若い女達が楽しそうに群がっている。景一に会うのだから、土産に持って行ってやっても良いか。そういえば、好きな物を記した紙に飴の種類も記されていたような……と思い、懐から紙を出して開く。一番はじめに『小焼様』と記されているので、少し困る。ご丁寧に似顔絵までついているので、彼女はこういった才能があるのだろう。父様がこれを見て「そっくりじゃないか」と笑っていたくらいなので、似ているのだろう。……私にツノは無いんだが。
 土産にするとしたら、私を好きなら私が土産になるのではないか? と一瞬考えてしまったのも馬鹿馬鹿しい。我ながら何を考えているんだか。
「あれぇ、若旦那ぁ。飴を買いにきたんで?」
「何か問題でも?」
「いやいや。嬢ちゃんね、『湯屋の帰りに小焼様に会ううたの。今夜来てくれるの』って嬉しそうに話してくれたんでさぁ。今の真似なかなか上手かったっしょ?」
「前よりは」
「おお! 若旦那も褒めてくれる時あるんすねぇ!」
「私を何だと思ってるんですか」
 吾介がどうしてここにいるのやら……。昼見世の始まっている時間だと思うが、非番なのだろうか。たまには暇を出されるだろうしな。もしくは景一に飴を取りに行かされているのか。
 気にせずに紙に視線を落とす。横から吾介が覗いてきた。
「あはは、いっちに小焼様って書いてるの嬢ちゃんらしいっすよね」
「はあ」
「若旦那、そこは男なら喜ぶところっすよ。あれだけ人気の女郎に想いを寄せられてるんすから。見た目も可憐で愛らしいし、声も鈴を転がしたように心地良いし、床も上手いし、上品のぼぼを持ってる女にこれだけ愛されちゃ幸せ者っすよ」
「……そうですね」
 幸せ者かどうかはさておき、吾介の話に間違いは無い。
気の病に罹っていることだけを除けば、彼女はきっと……。
「で、飴を買わないんすか?」
「貴方が代わりに買ってください。景一の使いで来たんでしょう?」
「へぇ、そのとおりでさぁ。でも、若旦那が買うなら……」
「……買ってください」
 ――あそこに並ぶのは気恥ずかしい。
 付け加えると吾介はふきだして笑った。何がそんなにおかしかったんだ。
「おおっと! 若旦那、爪噛んでるっすよ!」
「くっ! 貴方は笑い過ぎです!」
「いや、だって……ぷぷっ、若旦那も気恥ずかしいとか思うんすね。いっつも仏頂面だから、平気だと思ってやしたよ」
「私だとて、女子供ばかりの店に並ぶのは恥ずかしい!」
「ひーっ、わかりやした。もうこれ以上笑わせねぇでくだせぇ! はらわたが捩れちまう! 取ってきやすよ。嬢ちゃんに頼まれた分と若旦那が後で嬢ちゃんに渡す分っすね」
 吾介はまだ笑いながら飴細工の店へ並ぶ。どうしてそんなに笑うのか理解できない。噛んだ爪の先を見れば鮫の肌のようになっていた。これだとくじる時に彼女を傷つけてしまう。店に戻った時に木賊をかけておかないとな。
少し待っていると吾介が飴の包まれた油紙を持って戻ってきた。
「若旦那どうぞ」
「ありがとうございます」
「嬢ちゃんの好きな紅白のねじり棒と金魚の飴細工っす」
「そっちのは?」
「こっちはいつもの飴玉でさぁ」
「使いに走っている貴方がこっちを持たなくても良いんですか?」
「良いんすよ。売り切れてたってことにしたら嬢ちゃんも許してくれやすし、若旦那から渡した方が嬢ちゃんは喜びやすから」
 袂に油紙をしまう。ここなら潰れたり壊れたりしないだろう。
 喜んでくれるだろうか……。彼女のことをよく知っている吾介が選んだのだから間違いは無いだろう。目の前で彼は笑っている。
「嬢ちゃんとたくさん話してやってくだせぇ。床でたっぷり可愛がってやるのも良いっすけど、嬢ちゃんは若旦那と話をしたがってやすよ」
「承知しました」
「そんじゃ、俺は戻りやすね」
吾介の背を見送る。私も店へ帰り、車を片付ける。手代に任せておけば後は勝手にやってくれるだろう。父様はいなかった。また遊びに行ったのだろうか。……もうとやかく言うのはやめておくか。
 夏樹から貰った薬を飲み、爪に木賊をかけてから朝露屋へ向かい、二階にあがる。女将がすぐに硯蓋を持参した。今日はイカの塩辛、小魚の佃煮、牛蒡のきんぴらだ。酒が甘めだったのでちょうど良い。イカは噛むたびに味が染み出てくる。こりこりした食感に舌鼓をうつ。
 肴を楽しんでいると賑やかそうな音が聞こえてきた。そういえば、あの子の八文字を見たことがないな。
 中見世の女郎でさえ晴れやかな道中をする時があるのだから、あの子もするはずだ。まだ道中をする位になっていないのか、もしくは八文字を踏めないからしていないのか……。私が考える必要は無いか。
 襖が開き、薄桃色の花びらが舞い込む。
「小焼様。呼んでくれて嬉しいやの」
「どうも」
 にこにこ笑顔の景一が寄り添う。頰を撫でると嬉しそうに手を重ねてきた。
「小焼様の手、あったかくて優しいの」
「貴女が冷たいんですよ」
「うん。ウチ、冷え性やから冷たいの」
 羽二重餅のような肌だ。すべすべしていて、弾力がある。食べたくなってしまう。
 手を滑らせて胸を撫でる。景一は小さく「アッ」と声を溢した。
「敏感ですね」
「ち、違うの! 小焼様が触るからやの!」
「どうでもいいです。これ、食べますか?」
「うん」
 箸で摘んでイカを与える。ぱくりと食いつき、にちゃにちゃ噛みしめている。猪口が空になるとすぐに酌をしてくれた。銚子が空になるとすぐ代わりを頼んでくれる。
 忘れないうちに渡しておくか。
「これ、夏樹から傷薬です」
「ありがとうございますやの。もうそろそろ無くなりかけてたから嬉しい」
「あと、これは私からです」
 傷薬と飴の包まれた油紙を渡す。
 傷薬は横に置かれて、油紙はすぐに開かれた。中身を見て目をきらきら輝かせる。いつもとなんら変わらない飴なんだが。
「これ、吾介さんに取りに行かせたら売り切れてたって言うてたの」
「そうでしたか」
「小焼様がうてくれてて良かったやの。ウチ、嬉しい。ありがとうございますやの」
 頰にちゅっ、とくちづけられる。なんだか妙に気恥ずかしくなった。普段もっと色々しているのに、どうしてこんな気分になるかわからない。周りに芸者や幇間がいるからだろうか。彼女達は私達をどうとも思わずに三味線を弾き、舞を披露してくれている。
 景一が「とっても綺麗やの」と言いながら芸者に拍手をしていた。まだ若そうな芸者は驚いたような表情をしたが、すぐに嬉しそうに破顔した。
 そのやり取りを見ながら、あの紙の内容を思い出す。あれは話をしたいから書いたと聞いた記憶がある。土産に欲しい物の一覧ではなかったはずだ。
「景一」
「はいやの」
「御伽噺が好きなんでしたよね? どういう話が好きなんですか?」
「ウチ、鬼の話が好きやの。鬼の出てくる話が好き。でも、御伽噺の鬼はみぃんな最後に退治されてしまうの……。村を襲った理由もきっとあるはずやのに、それもわからへんまま退治されてまうの……」
「はあ」
「鬼はみぃんな悪者扱いされてるけど……優しい鬼もおるはずやの。小焼様のような」
「私は鬼ではないです」
「小焼様は鬼よりも優しいの。だからやの」
「……私は貴女が思うより優しくないですよ」
「ううん。小焼様は優しいの。だって……錦姉様の道中で粗相したウチを助けてくれたの。小焼様がおらんかったら、ウチは折檻されて……死んでしもたかもしれへんの。つりつりされた時も、小焼様が助けてくれたの。小焼様が来てくれたから、ウチは今生きてるの。ウチが首を掻っ切った時も、小焼様がいてくれたから、ウチは今ここにおるの」
 助けたつもりはない。偶然に偶然が重なっただけのことだ。全てはこの子の勘違いと思い込みと妄想だ。
 しかし、何故だろうか。どうしようもなく胸のあたりが締め付けられるような気持ちになる。
 もしかして……これが……「恋わずらい」と言われて笑われた「恋」そのものなのか。
「だから、ウチ、小焼様のこと好きやの。大好きやの。嫌われたくないの。嫌われるくらいなら、死んだほうが良いの」
 だから、首を掻っ切った。
 嫌われる前に、命を断とうとした。
 彼女を嫌う理由わけなど無かった。これもこの子の勘違いと思い込みと妄想。
 気の病が生み出した悪い夢。
 俯いて話しているので、顎を掴んで顔を上げさせ、唇を重ねた。間近で天色の瞳が光る。海の色にも似ている。何事にも囚われない色。
 唾液を飲みくだし更に深くくちづける。舌を吸い、絡め、息があがるほど何度もくちづけを繰り返した。蕩けたような瞳と見つめ合う。
「……好きです」
「え」
「やっと、わかりました。私は……貴女を恋い慕っております」
「あ、あう……うぅ……うわぁあぁああん!」
「な、泣かないでください!」
 いきなり大声で泣かれたので驚いた。思わず腕の中に収める。彼女は私の胸にくっつき、ぴぎゃあああ! だの、ふぎゃぁあああ! だの、声をあげて泣いている。
 また泣かせてしまっているな……。どうしたものか。背中をとんとん叩いてみるが、これであっているのかもよくわからない。記憶を辿ると対処としてこれぐらいしか思いつかない。
 幇間に目をやると首を横に振られた。芸者は抱えるような動きをした。片手を前後に揺らしている。頭を撫でろということだろうか。頭を撫でてみる。少しずつ泣き声が小さくなってきた。この対処でも良かったようだ。私が頭を下げると芸者は嬉しそうに笑っていた。
「小焼様ぁ」
「はぁ、やっと落ち着きましたか」
「ごめんなさい」
「謝らないでください」
「ウチ、こんなに悪い子やのに……ごめんなさい……」
「だから、謝らないでください。困りますから」
「小焼様困ってるの。ウチが悪い子やからやの……ごめんなさい」
「私の話聞いてますか」
 無限に繰り返しそうだな。
 すっかり冷えてしまった酒を飲みくだす。注ぎ足そうとしたが、銚子は空になっていた。肴も無くなったので、もう良いか。
 急に息苦しさを感じて咳く。痰が絡んでいるようだ。やはり風邪が治るまで休んでおくべきだったか。
 血の臭いがした。口を覆っていた手が赤い。また酒で喉を焼いたか。二度も同じことをするなんて、私は馬鹿だ。喉に何かが引っかかっているように感じて咳く。胸のあたりが締め付けられるように苦しい。景一が背をさすってくれている。
「小焼様」
 また泣いている。また泣かせている。
 どうして私はいつもこの子を泣かせてしまうんだ。笑っていてもらいたいのに。馬鹿か。
 やっと落ち着いてきた。口の中が苦い。とても不味い。
「もうっ、大丈夫です……」
「うぅ。ウチが悪いの。ウチが悪い子やから、ウチの所為やの」
「いえ。貴女は全く関係ないと思います」
 なんでもかんでも自分の所為にする自虐的な子だ。優しい心根を持っているのだと思う。
 そんな子だから、私は……。
「そろそろ見世に行きましょうか」
「うん」
 朝露屋の女将に箱提灯を提げてもらい、芸者や幇間を伴って、ともゑ屋まで晴れやかな道中をする。
 色々と世話になったので、若い芸者に花を持たせておくと、驚いた表情をして何度もお礼を言われた。
 今まで花代を貰ったことがなかったらしい。あまり長く相手をしていると景一が気がかりなので、すぐに離れる。
 景一の部屋には既に布団が用意されていた。彼女が床の準備をしている間に、私も襦袢姿になる。
「小焼様。今夜はウチに任せて欲しいの」
「……わかりました」
「ありがとうございます、やの」
 とん、と肩を押されて布団に寝転ぶ。彼女が上に乗ってきた。

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