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第三十一話
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◆◇◆◇◆◇
景一の意識が戻ったと吾介に聞いてともゑ屋へ向かったが、どうも様子がおかしい。普段ならすぐに出てくる遣手の姿が見えない。考えあぐねていると、平八が慌てた様子で駆け寄って来た。
「あ、ああ! 中臣屋の若旦那!」
「景一の意識が戻ったと聞いて来たんですが」
「へぇ。その事でございやすが……」
「坊ちゃま。景一には会えないよ」
平八の後ろを錦がゆっくり歩きながら追っていた。その仕草の一つ一つに気品が漂っている。明るいから姿をはっきり見ることもできる。やはり、絶世の美女の名に恥じない器量をしている。
しかし、景一に会えないというのはどういう意味だ。
「景一に会えないというのは?」
「仕置部屋に入れられちまったのさ」
「錦さん!」
「この坊ちゃまには隠さずに伝えておいた方が良いざんしょ。こうやって、目を覚ました事を聞いてすぐに来てくれるような方でありんす。景一は果報者さね」
「そうでございやすね……。あいつの好きな御伽噺のようで」
錦と平八は顔を見合わせて笑っている。話を聞く限りでは、笑っている場合ではないとは思うのだが、私にはどうする事もできない。
「よし。坊ちゃま。わっちについて来んしょ。仕置部屋に連れてってやりんす」
「仕置部屋に?」
「あのタヌキジジイは、わっちの言う事なら聞くからねぇ。平八は、遣手の乾いたぼぼを潤してやったらどうだい?」
「そんな無茶言わねぇでくだせぇ!」
「あっはっはっは。冗談でありんす。だが、婆さんがお前さんに弱いのは本当だからねぇ」
「ひぇ」
二人の後に続いて廊下を歩く。この二人の会話は、まるで夫婦のように仲睦まじい。父様と母様の会話を聞いているかのようだ。二人は廓生まれだったはずだから……幼馴染とも言えるだろう。子供時代から同じ所で過ごしているなら、こうなるのも無理はないか。
やがて辿り着いたのは廊下の端の薄暗い部屋。ここだけ掃除が行き届いていないのか、埃の香りが漂っている。それと妙に臭い。糞と尿の臭いだ。仕置部屋と言われているくらいだから、垂れ流しにしていた物の残り香か、それとも――……。
「ちょいと邪魔するよ!」
「錦! お前はまた呼んでもいないのに」
「まあまあ、そう折檻ばかりしなくたって良いざんしょ。梅千代の旦那が見えていんす。さっさと挨拶に行きんしょ。さもないと、玉を蹴り上げてやりんす」
「ぐぅっ!」
錦は着物をたくし上げて、亡八の股間に蹴りを入れる。返事を何も聞かないうちに蹴るのはどうかと思うが、亡八は股座を押さえて悶絶している。その様子を見た遣手が口を開く。
「錦! お前も折檻をされたいのかい!」
「わっちを折檻したら、この見世が傾いちまうだけさね。ああ、傾国の美女と言われるわっちだ。見世を傾かせるのも良いかもしれないねぇ」
「ぐぅう!」
「姉さん、ここは錦さんに従って一度引いておきやしょう。それに――中臣屋の若旦那も来てくれたんでさぁ。景一の病を治すには良いかと」
ここで私の存在に気付いた亡八と遣手の二人は顔を見合わせる。何か相談をしていたが、すぐに終わり、部屋を出るためこちらに歩いてくる。すれ違う刹那「縄を絶対に解くな」と囁かれた。
「さて、これでしばらく折檻は止められたもんでござんす」
「ありがとうございます」
「いやいや。お礼を言うのはあっし達のほうでさぁ。若旦那が来てくれなかったら、景一が折檻のし過ぎで殺されちまうところでございやした」
「と、まあ……あの二人も坊ちゃまが帰るまではここに来ないざんしょ。とっぷりおしげりなんし」
「……縄を絶対に解くなと言われましたが」
「ああ。そりゃ解かないほうが良いねぇ。坊ちゃまも一緒に吊られちまうかもだ」
「一緒に吊られる?」
「そこからだと景一の姿が見えねぇんでしょ。若旦那、中に入ってくだせぇ」
平八に手招きされたので、部屋の中に入る。異臭が更に濃くたちこめている。これは小便の臭いだろう。地面を見るといくつか水たまりができていた。その上に景一が吊られている。意識が戻ったと聞いて来たのに、また気絶している。これだと意味が無い。
「水をぶっかけたら起きんしょ」
「しかし……」
「このまま気絶させておくのかい?」
「……」
「小焼坊ちゃまがどうするか決めんしょ。わっちらは口出し無用でありんす。ほら平八、仕事に戻りんしょ。わっちも張見世で悪戯をする時間さね」
「あい。そうしやすよ。では若旦那、おしげりなんせ」
二人は去っていった。薄暗く妙な臭いのする仕置部屋に取り残される。とりあえず戸を閉じておく。天窓から射し込む光が景一の肌を白く浮き上がらせる。埃がきらきら光って見える。水瓶に突っ込まれていた酌を手にし、彼女に水をかける。目を覚ましたようで何かもごもご言っている。そうか、轡をされているから話せないのか。死角にいるので私にはまだ気付いていない。頭の後ろで結ばれた手拭いを解いてやる。縄を解くなとは言われたが、手拭いを解くなとは言われていない。
「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! ごめっ、なさ、いぃ、げほっ、けほけほっ」
酸い臭いが鼻を衝く。吐いた。謝罪の言葉を繰り返しながら吐いている。おそらく起きたばかりで腹の中に何も入っていないのだろう。地面に少し黄色がかった液体が広がった。
「ごめんなさいっ! ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「景一」
「はうっ」
「もう謝らなくて良いですから」
正面に立ち、濡らした手拭いで口を拭ってやりつつ話しかける。景一は目を大きく見開いた。玉のような涙をぼろぼろ溢す。また泣いている……。どうしていつも泣き顔ばかり見るのだろうか。もっと色んな表情を見たいとも思うのに。だが、狂った歪な笑顔は嫌だな。
「こや……け……さま……? 何で……?」
「何でと言われましても、貴女の意識が戻ったと聞いたので来たんです」
「ごめんなさい……」
「謝らないでください。困りますから」
頬を撫でると目を細めた。良かった。普段のあの子だ。吾介の世話が良かったのか、肌はすべすべでやわらかいままだ。がさついているかと思ったが余計な心配だったようだ。撫でる度に甘い香りが漂ってくる。この部屋は妙な臭いがするのに、甘い香りだけは心地良く感じた。とても気が悪くなる香りだ。
それに、不謹慎だと思うのに、丸裸で縛られて吊られている彼女がとても美しく見えた。縄が食い込んで浮いている肉さえ妙に愛らしく思えてしまう。
「小焼様、ごめんなさい。ウチ、ウチ……小焼様の嫌いな血……いっぱい見せてしもたの……ごめんなさい……ウチ……小焼様に嫌われたくなくて……嫌われる前に……ふぇぇっ、うぅうわぁあああああん!」
「大声で泣かないでください!」
「あうっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
ぼろぼろ、涙が落ちていく。また泣かせてしまっている。どうしてこの子はそんなにも私に嫌われたくないと言うのだろう。どうして好かれていたいと思うのだろう。全く理解できない。流れ続ける涙を指で拭うついでに謝罪を繰り返す唇を塞いだ。久しぶりに食んだ舌は熱くて、酸っぱい。先程吐いたからだろう。吊られたままの彼女の口を吸うのも奇妙な話だ。唇を離すと射し込む光で唾液が銀色に輝いて見えた。
「はぁ……あ……小焼様…………」
「吊られたままというのも……妙に煽情的ですね」
くちづけを繰り返したからだろうか、景一の胸の頂が主張を強めていたので摘まむ。「アッ」という甘い声を小さく溢した。更に捏ねると身体を震わせる。下唇を噛み締めながら荒い息を吐いている。ギチギチ……彼女が小さく震える度に縄の擦れる音がする。股座にも縄が通っているな。
「ひゃぁうんっ!」
「この縄が湿っているのはどうしてですか?」
「やっ、アッ……小焼様、それ嫌やぁっ、痛いのっ、擦れて痛いの」
「痛い? 私には良さそうに見えますよ」
「ひっ、あ、アアッ、擦っちゃ駄目ぇ! 嫌、や、やぁあ――ッ!」
股座に通っている縄を引き上げると、ちょうど実頭が擦れるようだった。「痛い」と言ったので、痛覚があるのか? それならこの扱いは可哀想だと思うが……痛いと言っているわりには、声は甘ったるく、更にして欲しいと誘っているように聞こえた。縄の上から執拗に擦り続けると、身体を震わせ、地面の水溜まりが更に広がった。これは淫水ではないな……失禁したのか。
「はひっ……はーっ……あ……はぁ……」
顔を覗き込むと瞳に涙を溜めて、頬を更に紅潮させていた。彼女の視線は私の下腹に向かっている。既に木のようになってしまっているのに気付いたのだろうか。この小さな口に咥えさせたいとも思ってしまう。舐めさせたい。
吊り上げている縄を緩ませて、彼女の身体を少し下ろす。ちょうど私の腰の高さに彼女の顔が来るようになった。褌の中で熱く捩っている陰茎を横から取り出す。
「景一」
「あ、あうぅ……」
景一は舌を伸ばして懸命に舐めようとする。さすがに手が使えないと難しいか。
「口を開いてください」
「んっんんんっ」
「はぁ……っ、とても良いですね……。貴女はここも上品です」
咥えさせて腰を振る。あたたかい。唇がやわらかく挟み込んできて、舌で裏筋をなぞられて、とても良い心地だ。頭を掴んでいるので、表情はわからないが、時折呻き声が聞こえる。もしかして嫌なのだろうか。引き抜く。唾液でぬらぬら光って見えた。
「けほっ、けほっ」
「大丈夫ですか?」
「ぅん……だいじょ、ぶやの……」
「私ばかり良くなるのはずるいですね」
後ろに回り、無理矢理縄をずらす。ひくついている玉門に男根をあてがい、埋めていく。吊られているからか普段よりも締め付けてくる。引き攣るような声が喉の奥からひうひう鳴る。
「あ、ああ、おっきいの……っ!」
「誰と比べてるんですか」
女郎だから誰とでも比べられるだろうが、どうしてそんな事を突然言うのだろうか。
腰を打ち付ける度に彼女の甘くよがり泣く声が大きくなる。溢れ出た淫水が地面を濡らしていた。滑りが良く蕩けるような感覚だ。縄が少し邪魔だが、胸を形が変わる程に揉みしだくと更に締めつけが強くなり、快感が突き動かす。何も考えられなくなる。熱い吐息が自分の意思とは関係無くもれる。奥を穿つ度に棹が強く脈打つ。そろそろ限界が近い。後始末の事を考えると――……。
「ひゃっあっ! アアッ! きもちい……! きもちいの……! 小焼様ぁ! ウチ、こわいのっ、きもちくて……あっ! ああっ、イク! イクの! あああっ!」
「っ、く!」
吊られているのにまだ背を反ることができるのか。
景一は海老のように身体を反らし、私を強く締めつける。そのまま精汁をやりそうになったが、なんとか耐えて引き抜き、彼女の顔に放った。本当は口に出してやりたかったが、そこまで我慢ができなかった。
可憐な顔に精汁が伝い、落ちていく。……こうやって見ると、昔、私の顔にぶっかけていった男の気持ちもわからなくはない。が、同時にひどく厭きれた。
「はふぅ……小焼様……?」
射精しても勃起したままの棹を上下に扱く。もう一番すれば良いと思うが、縛られたままで続けて二番もさせるのはさすがにどうかと思った。彼女の目の前で陰茎を扱き、膨らんだ亀頭を手指で撫で擦れば、粘液で手が濡れる。ぞくぞく、疼いてやまない。見せつけているのもどうかと思うが、手が止められない。
「はぁ……はぁ……」
「小焼様。気持ち良い?」
「ええ。良いです……」
「小焼様のまらから、透明の精汁が垂れてるの……。ぬらぬら光ってて、とてもいやらしいの……それに、とっても、良い香りがするの……。ウチに頂戴。舐めたいの」
陰茎を扱く動きが速まる。先走り液が手にまとわりつき、景一の言うように卑猥にぬらぬら照っていた。視線を戻すと彼女は懸命に身体を揺らし、口を大きく開いて舌を伸ばしている。私は一歩近付き、彼女の口に含ませた。
「ちゅっ、ん、んん」
「ぁっ……景一、ぁぐ……」
「きもひい? だひていいの」
「くっ、うぅ!」
一段高く唸り声がもれる。
吸われて爆ぜるような快感に腰がビクビク震え、男根が痙攣した。吸われてすぐに出してしまうなんて、少し気恥ずかしい。ごくんっ、飲み込む音がやけにはっきり聞こえる。景一は嬉しそうに目を細めて笑っていた。呼吸を整えながら彼女の口から引き抜き、褌を締めなおす。
「小焼様の、おいしいの」
「っ……美味しいとはどんな味ですか」
「甘くて、濃くて、いやらしい味やの。うふふ」
景一は縄をギチギチ鳴らしながら湿った声色で言う。何故そんなにも嬉しそうに言っているのかさっぱりわからない。それより顔にかけてしまった汁を拭いてやらないと。
懐から紙を取り出した瞬間、戸が開いた。振り向くと、薬箱を提げた夏樹がいた。
「おっと、悪いな。挑もうとしてたの邪魔したか?」
「いえ」
「そっか。って、ああ、終わったところだったんだな」
「どうしてわかるんですか?」
「そりゃあ、精汁の臭いがするからな。あと、景一の顔についてるだろ。おまえ、そんな趣味あったのか」
「違う!」
「あ痛っ! そう怒るなって。誰にも言わねぇからよ」
そういう趣味はないんだが。
思わず手を出してしまったが、夏樹は何も気にしていない様子で薬箱を開き、取り出した紙で景一の顔を拭いてやっていた。私は懐に紙をしまう。
「景一。吾介から聞いたぞ。痛みがわかるようになったってな」
「あうぅ……ズキズキしてきたやの……。痛いの……」
「おおっと。興奮して忘れてたのに思い出させちまって悪いな。さっきまで小焼に気持ち良くしてもらってたのになぁ」
「夏樹」
「ははっ、そんなに睨むなって。そりゃあ、惚れた女の意識が戻ったら、ぼぼして当然だろ。おまけに丸裸にされてたら、据え膳食わぬは男の恥だろ!」
どうも調子が狂う。夏樹は相変わらず私の背中をバシバシ叩いてくる。引っ掻き傷は治ったので痛まないが……少しは力加減をしてくれ。
「と、よしよし。傷は開いてねぇし、膿んでもないな」
「毎日診てなかったんですか?」
「おまえが他の事やってるように、おれも他にやる事があったんだよ。瘡かきを診たり、火消の火傷を診てやったり、指詰めの止血をしてやったりな」
「はあ」
「いやぁ、それにしても意識が戻って良かったな。おまえ、すっごく心配してたもんな」
「小焼様が……ウチの心配を……?」
「そうだぞ。心配しつつ、あてせんずりしてたくらいだ」
「ここで言わないでください」
夏樹は笑っている。景一はただでさえ赤い頬をさらに赤くしていた。
意識が戻らなければどうしようか考えていた。生き人形に金を払い続けるのもおかしな話だ。だが、景一がこうなってしまった原因の一つに私も含まれる。どうするか板挟みの状態だったが、意識が戻って、本当に良かった。
「経過も良好だ。仕置部屋から出たらすぐに勤めに戻れるぞ。良かったな」
「うん……」
「そんじゃ、おれは他の見世にも呼ばれてっから。あばよ!」
「はい、また」
夏樹は景一の首に薬を塗り、手当てをするとすぐに去っていった。
そろそろ私も戻らなければならないな。吾介が呼びに来た時に、父様が快く「行ってこい」と背中を押してくれたが……折檻されている女郎と交合したと知られてはまずい。しかも吊られたままの彼女に穢れた劣情を抱いてしまうなど……反吐が出る。
「あの、小焼様」
「何ですか?」
「……あ、あの…………ウチのこと……嫌いになった……?」
「嫌いならこういう事をしないと思います」
涙ぐみ、震えた声で尋ねる彼女に返答する。
わからない。
こんな気持ちは初めてで、どうすれば良いかわからない。夏樹には「気持ちに応えてやれ」と言われたが、具体的にどうすれば良いのかわからない。
屈んで視線を合わせる。天色の瞳が潤んでいて、再び気が悪くなる。上気した頬が愛らしい。光に誘われる虫のように唇を重ねる。
「んっ、ぁ……んん、こ、やんっ」
やわらかい唇を貪るように何度もくちづける。何か言いたそうにしているが、どうにも止められない。奥に逃げる舌を絡めとり、唾を飲み下す。妙な味がしたが、先程自分が出した精汁の味だろう。どこが美味しいんだ。全然美味ではない。
唇を離し、とろんと恍惚の表情を浮かべている彼女の頭を撫でる。
「もう帰りますが、近いうちにまた来ます」
「ふぁい……ウチ、待ってるの……」
返事を聞いてから立つ。
着物を正して仕置部屋を出た。そこかしこで奉公人達が働いている。昼見世の時間だからか、廊下を歩く客や女郎がそれなりにいた。
内所へ向かうと眉間に皺を寄せた亡八の姿があった。
「せっかく仕入れた大事な品を傷つけられちゃあ困ったもんだ。中臣屋さんも同じ商人なら、俺の気持ちもわかろうにゃあ?」
「そうですね」
「宗次郎さんには錦がよく世話んなってるし、とやかく言いたかねぇが……あの小鬼の世話だけにゃ言わせてもらいやしょう。上客に『締まりがない』だの『コレを控えた方が良い』だの言われたくらいだ。コレが来ねぇからあいつはああだってのに」
「すみません」
「夏樹先生に聞いたらば、傷の手当てはできるが、心の手当ては小焼坊ちゃま、あんたにしかできねぇときたもんだ。こう言っちゃなんだが、あの小鬼を気にかけてくれるなら、あいつが手紙を寄こしたらすぐに来てくれやしねぇか。もしくはすっぱり縁を切ってくんにゃ」
「それは……」
「宗次郎さんから聞いてるよ。『小焼は生真面目であまりオンナを知らないから遊ばせてやってくれ』ってにゃあ。がっはっはっはっは」
「……」
あの馬鹿は何を言ってくれてるんだ。だが、これは……遠回しに心配されているのか……?
「で、おしげりなんしたか?」
「っ!」
「がっはっは。縛られたオンナの具合もまた良かろうよ。景一は最上品の巾着ぼぼだ。よく練れて、よく濡れて、締まりが良い。天神様だにゃあ」
「小鬼と言ったり天神様と言ったりどちらなんですか」
「ほんに、生真面目が服を着て歩いてるようなもんだにゃあ。……小焼坊ちゃまよ、そんなに仏頂面で疲れねぇかい?」
「何故?」
「あいあい。承知承知。もうお帰りくだせぇ」
「景一はまだ折檻されるんですか?」
「いンや。明日から勤めに出てもらうから、もう下ろしてやるにゃ」
「そうですか」
「嘘だと思うなら、明日の昼見世でも覗いてくんな」
「……わかりました。では」
「あい。また来てくんな」
内所を出て、玄関で草履を履き見世を出る。
妓夫台に座っていた吾介が驚いた様子でついてきた。
「若旦那! 待ってくだせぇ!」
「何ですか?」
「嬢ちゃんがつりつりにされたって平八さんから聞きやして、俺ぁ心配で!」
「ああ……。二、三回気をやりましたし、失禁したくらいですし、大丈夫だと思います」
「……いやぁ若旦那、俺が聞きたいのはそういう話じゃなかったんすよねぇ。んー、でも、それだけヤれるなら、大丈夫っすよね」
「……」
「ひぇっ! 睨まねぇでくだせぇ!」
どうして毎回睨まれたと思われるのだろうか。ただ目を見ただけなのだが。
これ以上私が話すこともないので、彼に背を向けて歩みを進める。
「ちょっと! 若旦那! まだ! まだちょっと待ってくだせぇ!」
「今度は何ですか?」
「これ、嬢ちゃんの好きな物を記した紙でさぁ。次来る時にでも何か持ってきてやってくだせぇ。嬢ちゃん喜びやすよ」
「どうしてこれを私に?」
「いやぁ、けっこう前に嬢ちゃんが『小焼様とたくさんお話したいのに、ウチ何話したら良いかわからへんでいつもすぐお布団誘ってまう』って言ってやして……あ、今の似てたと思いやせん?」
「正直薄気味悪くて背中に悪寒が走りました」
「こりゃ厳しい。そんで、嬢ちゃんが好きな物を教えたらどうかって話してて……」
「好きな物なら以前聞いたことがあります」
「それ言うと思いやしたよ。とりあえず持って帰ってゆっくり見てくだせぇ!」
「はあ」
吾介から紙を預かる。手紙ではないので天紅はついていない。
軽く頭を下げて、彼に背を向けて歩みを進めた。店に帰ったら中身を確認してみるか。
父様に見つからないように、だな。
景一の意識が戻ったと吾介に聞いてともゑ屋へ向かったが、どうも様子がおかしい。普段ならすぐに出てくる遣手の姿が見えない。考えあぐねていると、平八が慌てた様子で駆け寄って来た。
「あ、ああ! 中臣屋の若旦那!」
「景一の意識が戻ったと聞いて来たんですが」
「へぇ。その事でございやすが……」
「坊ちゃま。景一には会えないよ」
平八の後ろを錦がゆっくり歩きながら追っていた。その仕草の一つ一つに気品が漂っている。明るいから姿をはっきり見ることもできる。やはり、絶世の美女の名に恥じない器量をしている。
しかし、景一に会えないというのはどういう意味だ。
「景一に会えないというのは?」
「仕置部屋に入れられちまったのさ」
「錦さん!」
「この坊ちゃまには隠さずに伝えておいた方が良いざんしょ。こうやって、目を覚ました事を聞いてすぐに来てくれるような方でありんす。景一は果報者さね」
「そうでございやすね……。あいつの好きな御伽噺のようで」
錦と平八は顔を見合わせて笑っている。話を聞く限りでは、笑っている場合ではないとは思うのだが、私にはどうする事もできない。
「よし。坊ちゃま。わっちについて来んしょ。仕置部屋に連れてってやりんす」
「仕置部屋に?」
「あのタヌキジジイは、わっちの言う事なら聞くからねぇ。平八は、遣手の乾いたぼぼを潤してやったらどうだい?」
「そんな無茶言わねぇでくだせぇ!」
「あっはっはっは。冗談でありんす。だが、婆さんがお前さんに弱いのは本当だからねぇ」
「ひぇ」
二人の後に続いて廊下を歩く。この二人の会話は、まるで夫婦のように仲睦まじい。父様と母様の会話を聞いているかのようだ。二人は廓生まれだったはずだから……幼馴染とも言えるだろう。子供時代から同じ所で過ごしているなら、こうなるのも無理はないか。
やがて辿り着いたのは廊下の端の薄暗い部屋。ここだけ掃除が行き届いていないのか、埃の香りが漂っている。それと妙に臭い。糞と尿の臭いだ。仕置部屋と言われているくらいだから、垂れ流しにしていた物の残り香か、それとも――……。
「ちょいと邪魔するよ!」
「錦! お前はまた呼んでもいないのに」
「まあまあ、そう折檻ばかりしなくたって良いざんしょ。梅千代の旦那が見えていんす。さっさと挨拶に行きんしょ。さもないと、玉を蹴り上げてやりんす」
「ぐぅっ!」
錦は着物をたくし上げて、亡八の股間に蹴りを入れる。返事を何も聞かないうちに蹴るのはどうかと思うが、亡八は股座を押さえて悶絶している。その様子を見た遣手が口を開く。
「錦! お前も折檻をされたいのかい!」
「わっちを折檻したら、この見世が傾いちまうだけさね。ああ、傾国の美女と言われるわっちだ。見世を傾かせるのも良いかもしれないねぇ」
「ぐぅう!」
「姉さん、ここは錦さんに従って一度引いておきやしょう。それに――中臣屋の若旦那も来てくれたんでさぁ。景一の病を治すには良いかと」
ここで私の存在に気付いた亡八と遣手の二人は顔を見合わせる。何か相談をしていたが、すぐに終わり、部屋を出るためこちらに歩いてくる。すれ違う刹那「縄を絶対に解くな」と囁かれた。
「さて、これでしばらく折檻は止められたもんでござんす」
「ありがとうございます」
「いやいや。お礼を言うのはあっし達のほうでさぁ。若旦那が来てくれなかったら、景一が折檻のし過ぎで殺されちまうところでございやした」
「と、まあ……あの二人も坊ちゃまが帰るまではここに来ないざんしょ。とっぷりおしげりなんし」
「……縄を絶対に解くなと言われましたが」
「ああ。そりゃ解かないほうが良いねぇ。坊ちゃまも一緒に吊られちまうかもだ」
「一緒に吊られる?」
「そこからだと景一の姿が見えねぇんでしょ。若旦那、中に入ってくだせぇ」
平八に手招きされたので、部屋の中に入る。異臭が更に濃くたちこめている。これは小便の臭いだろう。地面を見るといくつか水たまりができていた。その上に景一が吊られている。意識が戻ったと聞いて来たのに、また気絶している。これだと意味が無い。
「水をぶっかけたら起きんしょ」
「しかし……」
「このまま気絶させておくのかい?」
「……」
「小焼坊ちゃまがどうするか決めんしょ。わっちらは口出し無用でありんす。ほら平八、仕事に戻りんしょ。わっちも張見世で悪戯をする時間さね」
「あい。そうしやすよ。では若旦那、おしげりなんせ」
二人は去っていった。薄暗く妙な臭いのする仕置部屋に取り残される。とりあえず戸を閉じておく。天窓から射し込む光が景一の肌を白く浮き上がらせる。埃がきらきら光って見える。水瓶に突っ込まれていた酌を手にし、彼女に水をかける。目を覚ましたようで何かもごもご言っている。そうか、轡をされているから話せないのか。死角にいるので私にはまだ気付いていない。頭の後ろで結ばれた手拭いを解いてやる。縄を解くなとは言われたが、手拭いを解くなとは言われていない。
「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! ごめっ、なさ、いぃ、げほっ、けほけほっ」
酸い臭いが鼻を衝く。吐いた。謝罪の言葉を繰り返しながら吐いている。おそらく起きたばかりで腹の中に何も入っていないのだろう。地面に少し黄色がかった液体が広がった。
「ごめんなさいっ! ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「景一」
「はうっ」
「もう謝らなくて良いですから」
正面に立ち、濡らした手拭いで口を拭ってやりつつ話しかける。景一は目を大きく見開いた。玉のような涙をぼろぼろ溢す。また泣いている……。どうしていつも泣き顔ばかり見るのだろうか。もっと色んな表情を見たいとも思うのに。だが、狂った歪な笑顔は嫌だな。
「こや……け……さま……? 何で……?」
「何でと言われましても、貴女の意識が戻ったと聞いたので来たんです」
「ごめんなさい……」
「謝らないでください。困りますから」
頬を撫でると目を細めた。良かった。普段のあの子だ。吾介の世話が良かったのか、肌はすべすべでやわらかいままだ。がさついているかと思ったが余計な心配だったようだ。撫でる度に甘い香りが漂ってくる。この部屋は妙な臭いがするのに、甘い香りだけは心地良く感じた。とても気が悪くなる香りだ。
それに、不謹慎だと思うのに、丸裸で縛られて吊られている彼女がとても美しく見えた。縄が食い込んで浮いている肉さえ妙に愛らしく思えてしまう。
「小焼様、ごめんなさい。ウチ、ウチ……小焼様の嫌いな血……いっぱい見せてしもたの……ごめんなさい……ウチ……小焼様に嫌われたくなくて……嫌われる前に……ふぇぇっ、うぅうわぁあああああん!」
「大声で泣かないでください!」
「あうっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
ぼろぼろ、涙が落ちていく。また泣かせてしまっている。どうしてこの子はそんなにも私に嫌われたくないと言うのだろう。どうして好かれていたいと思うのだろう。全く理解できない。流れ続ける涙を指で拭うついでに謝罪を繰り返す唇を塞いだ。久しぶりに食んだ舌は熱くて、酸っぱい。先程吐いたからだろう。吊られたままの彼女の口を吸うのも奇妙な話だ。唇を離すと射し込む光で唾液が銀色に輝いて見えた。
「はぁ……あ……小焼様…………」
「吊られたままというのも……妙に煽情的ですね」
くちづけを繰り返したからだろうか、景一の胸の頂が主張を強めていたので摘まむ。「アッ」という甘い声を小さく溢した。更に捏ねると身体を震わせる。下唇を噛み締めながら荒い息を吐いている。ギチギチ……彼女が小さく震える度に縄の擦れる音がする。股座にも縄が通っているな。
「ひゃぁうんっ!」
「この縄が湿っているのはどうしてですか?」
「やっ、アッ……小焼様、それ嫌やぁっ、痛いのっ、擦れて痛いの」
「痛い? 私には良さそうに見えますよ」
「ひっ、あ、アアッ、擦っちゃ駄目ぇ! 嫌、や、やぁあ――ッ!」
股座に通っている縄を引き上げると、ちょうど実頭が擦れるようだった。「痛い」と言ったので、痛覚があるのか? それならこの扱いは可哀想だと思うが……痛いと言っているわりには、声は甘ったるく、更にして欲しいと誘っているように聞こえた。縄の上から執拗に擦り続けると、身体を震わせ、地面の水溜まりが更に広がった。これは淫水ではないな……失禁したのか。
「はひっ……はーっ……あ……はぁ……」
顔を覗き込むと瞳に涙を溜めて、頬を更に紅潮させていた。彼女の視線は私の下腹に向かっている。既に木のようになってしまっているのに気付いたのだろうか。この小さな口に咥えさせたいとも思ってしまう。舐めさせたい。
吊り上げている縄を緩ませて、彼女の身体を少し下ろす。ちょうど私の腰の高さに彼女の顔が来るようになった。褌の中で熱く捩っている陰茎を横から取り出す。
「景一」
「あ、あうぅ……」
景一は舌を伸ばして懸命に舐めようとする。さすがに手が使えないと難しいか。
「口を開いてください」
「んっんんんっ」
「はぁ……っ、とても良いですね……。貴女はここも上品です」
咥えさせて腰を振る。あたたかい。唇がやわらかく挟み込んできて、舌で裏筋をなぞられて、とても良い心地だ。頭を掴んでいるので、表情はわからないが、時折呻き声が聞こえる。もしかして嫌なのだろうか。引き抜く。唾液でぬらぬら光って見えた。
「けほっ、けほっ」
「大丈夫ですか?」
「ぅん……だいじょ、ぶやの……」
「私ばかり良くなるのはずるいですね」
後ろに回り、無理矢理縄をずらす。ひくついている玉門に男根をあてがい、埋めていく。吊られているからか普段よりも締め付けてくる。引き攣るような声が喉の奥からひうひう鳴る。
「あ、ああ、おっきいの……っ!」
「誰と比べてるんですか」
女郎だから誰とでも比べられるだろうが、どうしてそんな事を突然言うのだろうか。
腰を打ち付ける度に彼女の甘くよがり泣く声が大きくなる。溢れ出た淫水が地面を濡らしていた。滑りが良く蕩けるような感覚だ。縄が少し邪魔だが、胸を形が変わる程に揉みしだくと更に締めつけが強くなり、快感が突き動かす。何も考えられなくなる。熱い吐息が自分の意思とは関係無くもれる。奥を穿つ度に棹が強く脈打つ。そろそろ限界が近い。後始末の事を考えると――……。
「ひゃっあっ! アアッ! きもちい……! きもちいの……! 小焼様ぁ! ウチ、こわいのっ、きもちくて……あっ! ああっ、イク! イクの! あああっ!」
「っ、く!」
吊られているのにまだ背を反ることができるのか。
景一は海老のように身体を反らし、私を強く締めつける。そのまま精汁をやりそうになったが、なんとか耐えて引き抜き、彼女の顔に放った。本当は口に出してやりたかったが、そこまで我慢ができなかった。
可憐な顔に精汁が伝い、落ちていく。……こうやって見ると、昔、私の顔にぶっかけていった男の気持ちもわからなくはない。が、同時にひどく厭きれた。
「はふぅ……小焼様……?」
射精しても勃起したままの棹を上下に扱く。もう一番すれば良いと思うが、縛られたままで続けて二番もさせるのはさすがにどうかと思った。彼女の目の前で陰茎を扱き、膨らんだ亀頭を手指で撫で擦れば、粘液で手が濡れる。ぞくぞく、疼いてやまない。見せつけているのもどうかと思うが、手が止められない。
「はぁ……はぁ……」
「小焼様。気持ち良い?」
「ええ。良いです……」
「小焼様のまらから、透明の精汁が垂れてるの……。ぬらぬら光ってて、とてもいやらしいの……それに、とっても、良い香りがするの……。ウチに頂戴。舐めたいの」
陰茎を扱く動きが速まる。先走り液が手にまとわりつき、景一の言うように卑猥にぬらぬら照っていた。視線を戻すと彼女は懸命に身体を揺らし、口を大きく開いて舌を伸ばしている。私は一歩近付き、彼女の口に含ませた。
「ちゅっ、ん、んん」
「ぁっ……景一、ぁぐ……」
「きもひい? だひていいの」
「くっ、うぅ!」
一段高く唸り声がもれる。
吸われて爆ぜるような快感に腰がビクビク震え、男根が痙攣した。吸われてすぐに出してしまうなんて、少し気恥ずかしい。ごくんっ、飲み込む音がやけにはっきり聞こえる。景一は嬉しそうに目を細めて笑っていた。呼吸を整えながら彼女の口から引き抜き、褌を締めなおす。
「小焼様の、おいしいの」
「っ……美味しいとはどんな味ですか」
「甘くて、濃くて、いやらしい味やの。うふふ」
景一は縄をギチギチ鳴らしながら湿った声色で言う。何故そんなにも嬉しそうに言っているのかさっぱりわからない。それより顔にかけてしまった汁を拭いてやらないと。
懐から紙を取り出した瞬間、戸が開いた。振り向くと、薬箱を提げた夏樹がいた。
「おっと、悪いな。挑もうとしてたの邪魔したか?」
「いえ」
「そっか。って、ああ、終わったところだったんだな」
「どうしてわかるんですか?」
「そりゃあ、精汁の臭いがするからな。あと、景一の顔についてるだろ。おまえ、そんな趣味あったのか」
「違う!」
「あ痛っ! そう怒るなって。誰にも言わねぇからよ」
そういう趣味はないんだが。
思わず手を出してしまったが、夏樹は何も気にしていない様子で薬箱を開き、取り出した紙で景一の顔を拭いてやっていた。私は懐に紙をしまう。
「景一。吾介から聞いたぞ。痛みがわかるようになったってな」
「あうぅ……ズキズキしてきたやの……。痛いの……」
「おおっと。興奮して忘れてたのに思い出させちまって悪いな。さっきまで小焼に気持ち良くしてもらってたのになぁ」
「夏樹」
「ははっ、そんなに睨むなって。そりゃあ、惚れた女の意識が戻ったら、ぼぼして当然だろ。おまけに丸裸にされてたら、据え膳食わぬは男の恥だろ!」
どうも調子が狂う。夏樹は相変わらず私の背中をバシバシ叩いてくる。引っ掻き傷は治ったので痛まないが……少しは力加減をしてくれ。
「と、よしよし。傷は開いてねぇし、膿んでもないな」
「毎日診てなかったんですか?」
「おまえが他の事やってるように、おれも他にやる事があったんだよ。瘡かきを診たり、火消の火傷を診てやったり、指詰めの止血をしてやったりな」
「はあ」
「いやぁ、それにしても意識が戻って良かったな。おまえ、すっごく心配してたもんな」
「小焼様が……ウチの心配を……?」
「そうだぞ。心配しつつ、あてせんずりしてたくらいだ」
「ここで言わないでください」
夏樹は笑っている。景一はただでさえ赤い頬をさらに赤くしていた。
意識が戻らなければどうしようか考えていた。生き人形に金を払い続けるのもおかしな話だ。だが、景一がこうなってしまった原因の一つに私も含まれる。どうするか板挟みの状態だったが、意識が戻って、本当に良かった。
「経過も良好だ。仕置部屋から出たらすぐに勤めに戻れるぞ。良かったな」
「うん……」
「そんじゃ、おれは他の見世にも呼ばれてっから。あばよ!」
「はい、また」
夏樹は景一の首に薬を塗り、手当てをするとすぐに去っていった。
そろそろ私も戻らなければならないな。吾介が呼びに来た時に、父様が快く「行ってこい」と背中を押してくれたが……折檻されている女郎と交合したと知られてはまずい。しかも吊られたままの彼女に穢れた劣情を抱いてしまうなど……反吐が出る。
「あの、小焼様」
「何ですか?」
「……あ、あの…………ウチのこと……嫌いになった……?」
「嫌いならこういう事をしないと思います」
涙ぐみ、震えた声で尋ねる彼女に返答する。
わからない。
こんな気持ちは初めてで、どうすれば良いかわからない。夏樹には「気持ちに応えてやれ」と言われたが、具体的にどうすれば良いのかわからない。
屈んで視線を合わせる。天色の瞳が潤んでいて、再び気が悪くなる。上気した頬が愛らしい。光に誘われる虫のように唇を重ねる。
「んっ、ぁ……んん、こ、やんっ」
やわらかい唇を貪るように何度もくちづける。何か言いたそうにしているが、どうにも止められない。奥に逃げる舌を絡めとり、唾を飲み下す。妙な味がしたが、先程自分が出した精汁の味だろう。どこが美味しいんだ。全然美味ではない。
唇を離し、とろんと恍惚の表情を浮かべている彼女の頭を撫でる。
「もう帰りますが、近いうちにまた来ます」
「ふぁい……ウチ、待ってるの……」
返事を聞いてから立つ。
着物を正して仕置部屋を出た。そこかしこで奉公人達が働いている。昼見世の時間だからか、廊下を歩く客や女郎がそれなりにいた。
内所へ向かうと眉間に皺を寄せた亡八の姿があった。
「せっかく仕入れた大事な品を傷つけられちゃあ困ったもんだ。中臣屋さんも同じ商人なら、俺の気持ちもわかろうにゃあ?」
「そうですね」
「宗次郎さんには錦がよく世話んなってるし、とやかく言いたかねぇが……あの小鬼の世話だけにゃ言わせてもらいやしょう。上客に『締まりがない』だの『コレを控えた方が良い』だの言われたくらいだ。コレが来ねぇからあいつはああだってのに」
「すみません」
「夏樹先生に聞いたらば、傷の手当てはできるが、心の手当ては小焼坊ちゃま、あんたにしかできねぇときたもんだ。こう言っちゃなんだが、あの小鬼を気にかけてくれるなら、あいつが手紙を寄こしたらすぐに来てくれやしねぇか。もしくはすっぱり縁を切ってくんにゃ」
「それは……」
「宗次郎さんから聞いてるよ。『小焼は生真面目であまりオンナを知らないから遊ばせてやってくれ』ってにゃあ。がっはっはっはっは」
「……」
あの馬鹿は何を言ってくれてるんだ。だが、これは……遠回しに心配されているのか……?
「で、おしげりなんしたか?」
「っ!」
「がっはっは。縛られたオンナの具合もまた良かろうよ。景一は最上品の巾着ぼぼだ。よく練れて、よく濡れて、締まりが良い。天神様だにゃあ」
「小鬼と言ったり天神様と言ったりどちらなんですか」
「ほんに、生真面目が服を着て歩いてるようなもんだにゃあ。……小焼坊ちゃまよ、そんなに仏頂面で疲れねぇかい?」
「何故?」
「あいあい。承知承知。もうお帰りくだせぇ」
「景一はまだ折檻されるんですか?」
「いンや。明日から勤めに出てもらうから、もう下ろしてやるにゃ」
「そうですか」
「嘘だと思うなら、明日の昼見世でも覗いてくんな」
「……わかりました。では」
「あい。また来てくんな」
内所を出て、玄関で草履を履き見世を出る。
妓夫台に座っていた吾介が驚いた様子でついてきた。
「若旦那! 待ってくだせぇ!」
「何ですか?」
「嬢ちゃんがつりつりにされたって平八さんから聞きやして、俺ぁ心配で!」
「ああ……。二、三回気をやりましたし、失禁したくらいですし、大丈夫だと思います」
「……いやぁ若旦那、俺が聞きたいのはそういう話じゃなかったんすよねぇ。んー、でも、それだけヤれるなら、大丈夫っすよね」
「……」
「ひぇっ! 睨まねぇでくだせぇ!」
どうして毎回睨まれたと思われるのだろうか。ただ目を見ただけなのだが。
これ以上私が話すこともないので、彼に背を向けて歩みを進める。
「ちょっと! 若旦那! まだ! まだちょっと待ってくだせぇ!」
「今度は何ですか?」
「これ、嬢ちゃんの好きな物を記した紙でさぁ。次来る時にでも何か持ってきてやってくだせぇ。嬢ちゃん喜びやすよ」
「どうしてこれを私に?」
「いやぁ、けっこう前に嬢ちゃんが『小焼様とたくさんお話したいのに、ウチ何話したら良いかわからへんでいつもすぐお布団誘ってまう』って言ってやして……あ、今の似てたと思いやせん?」
「正直薄気味悪くて背中に悪寒が走りました」
「こりゃ厳しい。そんで、嬢ちゃんが好きな物を教えたらどうかって話してて……」
「好きな物なら以前聞いたことがあります」
「それ言うと思いやしたよ。とりあえず持って帰ってゆっくり見てくだせぇ!」
「はあ」
吾介から紙を預かる。手紙ではないので天紅はついていない。
軽く頭を下げて、彼に背を向けて歩みを進めた。店に帰ったら中身を確認してみるか。
父様に見つからないように、だな。
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