桜に酔いし鬼噺

末千屋 コイメ

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第二十二話

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◆◇◆◇◆◇
 あんなに泣きながら「好き」を連呼されるとは思わなかった。
 ……嘘ではなさそうだったな。あれがふりなら、彼女はどれだけの千両役者になれるのだろうか。ひどい事を言ってしまった。許してくれたが、私はどうすれば良いんだろうか。彼女の気持ちに応える術もわからない。私はあの子を……好きなのか……? 胸のあたりが鈍く痛んだ。風邪が治りきっていないのか、けほけほ、咳が出る。
 考えながら店に戻ると、父様が珍しく仕事をしていた。珍しくというのも残念なことだ。常に真面目に働いて頂きたい。丁稚達が荷の整頓をしている。子供でも働くのだから、父様にもきちんと働いて頂きたい。
 ふと視界に入った鏡の前で止まる。黄金色の髪、赤色の瞳、浅黒い肌、尖った歯…………。
「……」
「おお。小焼おかえり。どうした?」
「…………」
「おーい、小焼! 何か反応してくれないと父様は淋しいぞ!」
 相変わらず、喧しくて、五月蠅くて、耳が痛くなるような声量をしている。こんなに近くにいるのだから聞こえているに決まっているだろう。
 振り向くと父様は口をニヤリと吊り上げていた。ああ、面倒臭いな。
「何だ何だ? どうかしたか? 景一と喧嘩でもしたか?」
「どうして私は黒髪ではないんでしょうか?」
「へ?」
 口をついて出た言葉がそれ。
 どうしてこんな色をしているかはわかっている。わかっているのに、口に出た。
 鏡に視線を戻すと、髪が少し乱れている。髪結いを呼ぶのも面倒だ。自分で結いなおすか。
 紐を解く。しゅるり、髪が下りた。もしかすると、あの子よりも長いのではないか……と思ったが、それはないな。
 しばらく間抜け面をしていた父様だったが、手を打つと、急に私の腕を引いた。引っ掻き傷に指が触れて痛い。
「そりゃあ、アンチェ――母様の血だな! 可愛くて良いじゃないか!」
「可愛い? 私は男です。それに母様の目は翠色だったはず。どうして私の目は赤色なんでしょう?」
「それも母様の血だな!」
 なんでもかんでも母様の血で済むと思っているのかこいつは。
「その赤色も可愛いから良いじゃないか。睨まれたら怖いがなぁ!」
「私はそんな言葉を聞きたいのではありません」
「色なんて気にしなくて良いだろ! 小焼は小焼! 父様と母様の自慢の息子だぞ!」
「……鬼の子ではなく?」
 父様は目を丸くして、口を開いたまま止まった。何なんだこの反応は。
「お前、鬼だったのか……? 道理で父様を殴ろうとするはずだ」
「ふざけないでください」
 先にふざけた問いかけをしたのは私だが、この返答はふざけているだろう。
 結局のところ、父様は笑っているだけだった。私の背中をばんばん叩きながら話すので、とてつもなく痛くて、ぶん殴ろうとしたところを番頭の定吉に止められた。他にも手代や丁稚がわんやわんや出て来てひと騒ぎを起こした。そんなに寄ってたかって私を抑えなくても良いだろう。どさくさに紛れて尻を撫でてきた友造にはきつい灸を据えておいた。
「あら、賑やかそうね」
 伯母が顔をひょっこり覗かせて笑っていた。どうしてこんなに笑い物にされているのか理解が追いつかないが、全て父様の所為にしておこう。
「姉上、何か用でも?」
「あんたじゃなくて、小焼ちゃんにね」
「私に?」
「そう。景一ちゃんの事でちょっと……」
 そろり、後ろを振り向くと奉公人達はにやにやしていた。父様まで笑いを堪えられない様子でいた。
 いったい何でこんなに笑われているのかわからない。ぱきっ、小さな衝撃が指先から広がる。
「小焼ちゃん、爪噛んでるわ」
「……気にしないでください。ここではなんなので、別の場所で話を伺います」
「そうねぇ。宗次郎が笑ってるくらいだもんねぇ」
「ははは、ゆっくり話してきて良いからなぁ!」
 振り向かずに真っ直ぐ伯母の背を追う。どうせ笑っているのはわかる。
 甘味処の長床机に腰を落ち着ける。すぐに女将が茶と二種類の羽二重団子を持ってきてくれた。一つは醤油を塗って焼いた団子。一つは餡団子。醤油団子の方は表面に軽く焦げ目がついている。頬張るとほど良い粘りがあり、歯触りが心地良い。醤油も塩っぽくちょうど良い塩梅だ。餡団子を頬張る。ゆるやかな甘さでこちらもほど良い固さをしており噛み心地が良い。中身は真っ白な団子できめ細かく羽二重のようだ。だから羽二重団子と銘打っているのだろうか。
 私が団子に舌鼓を打っていると、横でくすくす笑う声が聞こえた。伯母が笑っている。
「小焼ちゃんお団子好きなのね」
「……悪いですか?」
「悪くないわよぉ。ちょっと意外だったから。そんなに愛らしく笑って食べるんだなぁって」
「はい?」
 笑って……?
「ああ、またいつもの顔。残念。言わなきゃ良かったぁ。で、景一ちゃんの事なの」
「何ですか?」
「夏樹ちゃんから聞いたんだけど、あの子、気の病に罹ってるのよ。それは小焼ちゃんも知ってるわね?」
「はい。夏樹から聞いています」
「太腿の傷、わかる?」
「ああ、ありますね。引っ掻き傷のようなものが……。無意識に自分で引っ掻いているとか夏樹から聞いた覚えがあります」
「それね、無意識の時とそうじゃない時があるわ」
「と、言うと?」
「湯屋で見たの。あの子が、『小焼様が……傷や痣のある所を……触ってくれるなら……』ってぶつぶつ言いながら引っ掻いていたの」
「それは……」
「太腿の他にも腕や胸や腹や背を引っ掻いてたわ」
 だから、あんなに傷や痣が多かったのか。……昨晩伝えた言葉を覚えているならば、もう傷を増やそうとしないと思うんだが。次に会った時にもう一度言う必要があるだろうか……。
「あの、伯母様……」
「どうしたの?」
「私は……どうしたら良いんでしょうか……。あの子は私の事を病に罹るまで好いてくれているというのに……私はどうすれば良いのかさっぱり見当がつきません。気になるんです。しかし、私はあの子を泣かせてばかりで……」
「それはね、小焼ちゃんがとっても優しい心を持っているからよ。景一ちゃんの『好き』って気持ちに無理に応えようとしなくて良いの」
「……わからないんです。こんな気持ちは……初めてで……」
 胸のあたりが苦しくて握り締める。
 伯母は優しく微笑むと私の両頬を摘まんで持ち上げた。痛い。
「小焼ちゃんはもう少し笑った方が良いわよ。せっかくアンチェちゃんに似て美人さんなんだから」
「いひゃいでふ」
「ごめんごめん。でも、もう少し笑った方が良いわよ。ずぅっとしかめっ面をしていたら疲れちゃうでしょ。鬼だって言われたくないでしょ?」
「鬼は嫌です。お稲荷様もどうかと思いましたが」
 手が離れたので言えば、伯母は豪快に笑った。そんなに笑うような事を言ったか? 訳がわからない。
 急に込み上げる物を感じて口を手で押さえて咳いた。喉に痰が絡んでいるのか苦しい。喉がやけにひりひりして痛む。胸のあたりも苦しい。店に戻ったら休もうか……。
手を見れば、赤かった。
「え……」
「小焼ちゃん、夏樹ちゃんの所に行くわよ! 早く!」
「はい」
 血の香りがして、視界が歪む。くらくらする。身体がひどく重くて――……。
「っ! 誰か! 誰か来て!」

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