桜に酔いし鬼噺

末千屋 コイメ

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第十九話

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◆◇◆◇◆◇
 桜が満開だ。
 父様の使いも終わったので、仲の町を行く。方々に植えられた桜が美しい。花を見ながらの酒宴がそこかしこで開かれている。夜になれば行燈で照らされて更に美しく見えるだろうに。
 桜の衣裳を纏ったあの子は嬉しそうに笑っていた。やはりあの色がよく似合うな。子供っぽくなるかと思っていたが、可憐な顔によく似合っていた。
 そんなに豆大福が好きだったなら、もっと与えてやれば良かった。気を使わせてしまった。
 風で花びらが舞い踊って散っていく。宙に浮く花びらを三枚掴めば、願いが叶うやら想いが届くやら言っている禿がいた。「おいらんねえさんが言っていたんじゃ」と誇らしげに言い、他の禿達と懸命に花びらを追いかけている。
 なんとなく手の平を出せば、花びらが乗った。無理に追いかけるより待っていると向こうからやって来る……とかそういう話をされたのではないだろうか。まあ、私には関係無いか。
「おっ。小焼も禿の言ってるおまじないをしてんのか? って、もう三枚掴んでんじゃねぇか!」
「『追いかけるよりも待っていろ』ということでしょうね。簡単に掴めます」
「おれだとそうはいかねぇかんな」
 見世は休みでも、病は休みにならない。夏樹は今日も往診しているようだった。
「そういや、胸の痛みはどうだ?」
「今はだいぶ落ち着きましたが……」
「んー? なんだか顔がちょっとばかし赤いような気がすんなぁ。ちょっと屈んでくれよ」
「はい?」
「よっ、と。あー……こりゃ熱があんな」
 私が屈めば、夏樹は額を合わせてすぐに離れた。どうも怠いと思っていたんだが、熱があったのか。用事も終わったことだから帰るか。
 痰が絡んでいるのか喉に違和感がある。けほけほ、咳くと、彼は私の背を擦った。
「完全に風邪だなぁ。もう今日はおとなしく休めよ」
「そうします」
「なんか良い事でもあったか?」
「何故ですか?」
「いや。おまえが素直に休もうとするからだよ」
「医者の貴方が休めと言うんですから、休んだ方が良いでしょう?」
「それはそうだけどな……。んー、まあ良いか。店までついてってやるよ。薬も作ってやりたいしな」
「離れに行きますよ。風邪なら皆に伝染うつしたくないですから」
「ああ、長屋の方かぁ。久しぶりだなぁ」
 長屋へ向かい、奥の部屋へ腰を落ち着ける。夏樹は近くの井戸から水を汲んでから入ってきた。片手に薬箱、片手に水瓶だ。
「そこの棒を立てかけておいてください」
「一応聞いておくけど、おまえ、おれを抱こうとかおれに抱かれたいとか思ってないよな?」
「貴方まで私を陰間にするんですか」
「冗談だよ。そんな怖い顔しないでくれって。どうせ宗次郎さんが来たら喧しいからだろ」
「よくわかりましたね」
「おまえのことならだいたいわかるよ。長い付き合いだからなぁ」
 夏樹は笑いながらも薬を磨り潰して合わせていく。変な冗談を言わないで欲しいところだが、こいつは昔からそういう奴なので、そっとしておくことにした。深く考える必要も無い。何故かずっと付き合ってくれている珍しい類だ。数少ない友人の一人だ。母様が亡くなった時も、夏樹は共に泣いてくれていた。
「それにしても、ここ、おまえの家になってんだな。店にも部屋あんだろ?」
「ありますよ。ですが、あっちは喧しいもので……」
「おまえんとこは男所帯だし、奉公人も多いもんな。大店の若旦那様ってのも大変だなぁ」
「貴方の所と変わりないでしょうに」
「いやいや。おれん所は大店じゃねぇし。おれが医者やってるくらいだぞ?」
「はぁ」
 夏樹の話はよくわからないが、つまり、なのだろう。目が合った。薬の調合が終わったようだが、なんだか夏樹はぼうっとしているようにも見える。
「どうかしました?」
「ああ、いや。……おまえって本当に顔が綺麗で、美丈夫だなぁと思ってな」
「何を言ってるんですか貴方は」
「わりぃ。変なこと言ってるのは謝るよ。……あのさ、今からおれが話すことを笑わないで聞いてくれよ。って言ってもおまえは笑ったりしねぇけどさ……。おれ、おまえの母ちゃんが初恋だったんだよ。アンチェさん、すごく綺麗だったし、そんでも気位が高くなくて、おれにも優しくしてくれたしさ……」
「は?」
「おまえならそういう反応すると思った! で、まぁ、それは良いんだけど……、おまえさ、やっぱりもう少し笑ったり泣いたりした方が良いぞ。無理してんだろ?」
「してませんよ」
「おれには無理してるように見えるんだよ。熱があるのに普通に仕事してたんだろ? たまたまおれに会ったから休んだくらいで、おれに会わなかったらそんままだったろ?」
「それは……そうですね」
 早めに切り上げて休もうとは思っていたが、夏樹に会わなければもう少し働いていただろうな。
 夏樹は薬を溶いた水を渡してきたので、飲み下す。苦い。すごく苦い。良薬が苦いとはよく聞くが、こんなにも苦い物だろうか。わざと苦い物を渡してきては――いないだろうな。夏樹は方便を吐くが、嘘を吐かない男だ。
「とりあえず、おれが宗次郎さんに言っといてやるから、三、四日、ここで休んどけ」
「それはどうかと思いますが」
「おまえは働き過ぎ! 休め! もしくは景一に会いに行ってやれ!」
「どうしてあの子がここで出てくるんですか」
「そりゃあ、おまえの恋わずらいに効くのはあの子ぐらいだからだよ。あの子もあの子で、おまえに会わなきゃ壊れていっちまうぞ。傷が増え続けちまうかもしれない」
「それはまたどうして……」
「心の問題だよ。心の」
 夏樹は私の胸を指で突いて人懐こい笑みを浮かべる。楽しそうに笑うもんだから、何も言い返せない。何を言い返せば良いかもわからない。
 景一の気の病がどういうものかもよくわからない。さっき会った時に傷や痣がどうなっているか見ておけば良かった。だが、あの場で着物を脱がせるわけにもいかないだろう。今日はともゑ屋の全員に暇を与えられているようだから、少しでも癒えていれば良いんだが。
「おれは宗次郎さんに伝えてから往診の続きをしてくるよ。おまえはちゃんと休んでおくんだぞ」
「わかってますよ」
「あばよ!」
 夏樹は手を振りつつ去っていった。
 信頼できる夏樹に休めと言われたので、きちんと休むことにする。布団に横たわれば、咳が出た。急に暖かくなってきたからだろうか、風邪をひくなんて久しぶりだ。
 まだ幼い頃に母様が額に濡れた手拭いを乗せてくれた記憶がある。あの時は母様も健在だった。
 考えてみると、伊織屋の手代が「夏樹が母様に懐いている」と言っていたことを思い出した。……初恋が、なんて話を聞いたのは初めてだったな。恋とは本当に何なのだろう。
 手を翳して指先を見つめる。あの子に巻かれた兎柄の布が揺れる。なんとなく、胸のあたりが苦しいような気がした。気のせい、だろう。
 夏樹が出て行ったので戸に立てかけた棒が外れている。また起きるのも面倒だ。どうせここに来るのは、うちの店の連中くらいなので、そのままにしていても大丈夫だろう。
 風邪が治ったら、すぐにでも彼女に会いに行こうか。伝染してしまって、お勤めに支障が出るのはまずいだろうに。
 私は瞼を閉じて、そのまま夢と戯れた。

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