桜に酔いし鬼噺

末千屋 コイメ

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第十六話

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◆◇◆◇◆◇
「嬢ちゃん。朝っすよぉ」
「んぅ……吾介さん……?」
 はっ、となって目を見開いて起きる。いない。部屋の中をぐるぐる見渡すけど、いないの。吾介さんが、あははっと笑ってた。
「若旦那なら半刻前に帰りやしたよ」
「吾介さん何で起こしてくれへんかったのー!」
 吾介さんはウチの隣に座ったから胸をぺちぺち叩く。
見送りできへんかったの……。それに、ウチ、小焼様より先に寝てしもてるの……。やらかしてしまってるの。どないしょ、もう来てくれへんかったら、どないしょ。ウチが悪い子やからやの、自業自得やの、全部ウチの所為やの。
「うわぁああああん!」
「わわっ、いきなり泣かねぇでくだせぇよ!」
「何で起こしてくれへんかったのー!」
 吾介さんの胸を叩きながら泣きじゃくる。涙が止まらへん。泣いてたら叱られるってわかるのに、止まらへん。ぺちぺち、叩くのも疲れてきたの。手が赤くなってきたの。吾介さんは「よしよし」って言いながらウチの頭を撫でてくれる。
「若旦那が『疲れてるだろうから寝かしておいてください』って言ってたんすよ。それと、ちょいと失礼しやすね」
「ひあァッ!」
「おぉう! 変な声出さねぇでくだせぇよ! あー……こりゃひどいっすね。お医者を呼んでおきやすね」
 吾介さんはウチの首の後ろを撫でて少し困ったような声で言うてた。撫でられたら、ビリビリッてして、房事のように感じてしもて……急に恥ずかしくなってウチは俯く。明るくなってきたから自分の身体もよく見える。はだけたままの着物。胸やお腹や太腿に赤い花が咲いてる。
「お医者って何でやの? ウチ、おかしいん?」
「いやぁ、若旦那が『噛んでしまったから医者に診せて欲しいです。すみません』と言ってたんすよ。どうっすか? 俺、若旦那の真似上手くないっすか?」
「むぅ。小焼様はもっと声が落ち着いてて優しいやの」
「えー。そうっすかねぇ。そこは雰囲気でさぁ」
 真面目に言うもんやから、おかしくって顔を見合わせて笑った。でも、小焼様いつの間にウチの首を噛んでたんやろ? わからへんの。本手の時も……噛んでた? わからへんの。
「嬢ちゃんはやっぱり、泣いてるよりも笑ってる方が良いっすよ。可愛いっす」
「吾介さんに言われても嬉しくないやの」
「こりゃ厳しいや」
 吾介さんは頭を掻きながら笑う。ほんまは、ちょっぴり嬉しい。だって、みんなウチを気味悪がってる。こうやって接してくれる人の方が珍しい。番頭の平八さんも優しくしてくれるけど、吾介さんほどやない。ともゑ屋の奉公人の中に気兼ねなく笑いあえるような人は吾介さんしかおらへん。お友達、と言えるんは、ほんまに吾介さんぐらい。吾介さんがどう思ってるかはわからへんけど……。
「吾介さんはええな……。好きな男ができても、一緒にお外に行けるの。ウチは出られへんのに」
「そんでも、やっぱり『男より女の方が良い』って置いていかれるもんでさぁ。そもそも男相手に本気になんねぇってさ」
「一緒にお外に行けるだけええの。ウチも、小焼様と一緒に歩いてみたいの……」
「そんなら、俺が代わりに歩いておいてあげやすよ」
「ず、ずるいの!」
「痛っ! 嬢ちゃんもう少し力加減してくだせぇよ! 痛いっすよ! ほら、嬢ちゃんも手が真っ赤になってて痛いでしょ!」
「全然痛くないやの」
 ぺちんっ、と頬を打てば赤い手形が残った。ウチの手も赤くなってる。痛くない。痛いって何やろ? 吾介さんは頬を押さえながら立ち上がる。
「俺、お医者を呼んできやすんで、嬢ちゃんは風呂に入ったらどうっすか? 若旦那とそりゃあもうやりまくったんでしょ?」
「もう! 吾介さん!」
 おお、怖い。って言いながら吾介さんは走って逃げていってしもた。
 ウチは布団から起き上がる。あ……うう。小焼様との房事を思い出して恥ずかしくなる。ウチ、漏らしてしもたんやった。後ろからされて、ぼぼをくじられて、ぷしゃああって……恥ずかしい。あんなに感じたらあかんのに、何度も気をやってしもた。相舐してくれただけでも嬉しかったのに、交合してる時も名前を呼んでくれた。精汁をやる時にも、呼んでくれた。
「あー!」
「何だい景一、大きな声を出してからに」
「あ、ご、ごめんなさい」
 錦姉様が障子を開いて顔をひょっこり覗かせた。
「おやまぁ。こりゃまた……とっぷりおしげりなんしたなぁ」
「あ、あ、あうぅ」
「あっはっはっは。そう恥ずかしがるこたないざんす。情夫が来てくれたんだ、楽しんで当然でありんす」
「錦姉様、ウチ、ウチ……」
「何だい?」
「ウチ、小焼様に……好きって……言うてしもた……」
「へぇ。別に良いんじゃないか。好いてるのは違ぇないしょ」
「で、でも……小焼様は……」
 答えてくれへんかった。
 代わりに激しく突き上げられて、ウチは縋りついて気をやってしもた。小焼様と三番もするなんて初めてで、すごく気持ち良くて……頭を撫でてくれてるのに安心して、そのまま眠ってしもてた。ウチが寝てる間に小焼様は後始末をしてくれたみたいで、ぼぼが綺麗に拭き取られてた。
「ふぅん。それよりも早く風呂に行きな。布団の替えならわっちが言っといてやりんす」
「はい、やの」
 ウチは着物を正して、桶に手拭いと糠袋を入れて部屋を出る。居続けの客が冷やかすように声をかけてくるから、手を振って笑っておいた。あそこは文乃姉様の部屋やったと思う。ええな。ウチも居続けしてもらいたいの。そしたら一緒に朝餉も食べられるし、夫婦ごっこの続きができるの。
 妓楼の中にもお風呂があるけど……ウチが行っても嫌がられるだけやの。どうせなら広いお風呂にも入りたい。一人で湯屋に向かうのはちょっと嫌やけど、錦姉様はもう帰ってきたところやし、文乃姉様は居続けの客の相手をしてると思うから、一人で行くしかない。ちょっと遠いけど揚屋町の湯屋へと向かう。伏見町の湯屋の方が近いけど、湯が濁ってるって噂。引手茶屋の女将が客を案内する時に「揚屋町のかたが綺麗だから、ちと遠いがそちらにお連れ申しや」って言うてるのを聞いたことがある。
 外は白々と明るんでて、ウチの髪の色とよく似た空の色。今日もお天道様は輝いてるの。まるで、あの人の髪のようにきらきら。小焼様、次はいつ来てくれるんやろ……。
 湯屋に着いて身体を洗う。糠袋を肌に滑らせていく。すべすべにしとかな……ガサガサやと客も嫌がる。ウチもガサガサなのは嫌やの。柔らかくて甘い香りのする肌をしてるって言ってくる人もおった。触り心地が良いって褒めてくれる人もおった。小焼様も褒めてくれへんかな? 肌に咲いた赤い花を撫でる。傷や痣のある所を舐めたり吸ったり、唇を落としてくれるなら、もっと傷があったら、もっとしてくれる? 沢山触ってもらえる? 太腿に縦に走った爪痕をなぞる。癖で引っ掻いてしもた傷。ちょっとだけぷくっとしてる。瘡蓋ができてる。これも剥がしたら……小焼様は…………。
 ウチは太腿に爪をたてて、引っ掻く。少し痺れた感覚がして、赤色が溢れた。血が湯に混ざって流れていく。ぐるぐる。渦を巻いて流れていく。ちょっぴりお湯が沁みるような感じがしたけど、汗ばむくらい湯に浸かってから出た。
 ともゑ屋へ戻ると遣手に「お医者せんせが来てるから、さっさと荷物を置いて下りてきな」と言われた。ウチはすぐ自分の部屋に荷物を置いて急いで戻った。
「へえ、本当に青いんだなぁ」
「へい。嬢ちゃんは生まれつき青い女でございやす」
 ウチが挨拶をする前に横にいた吾介さんが話してた。好みの男なんかな? とも思ったけど、そうやなくて、ウチの代わりに話してくれてたみたいやの。
「嬢ちゃん。この方は薬問屋伊織屋の若旦那で、養生所のお医者、夏樹先生でさぁ」
「そう。紹介してくれてありがとな。おれは夏樹ってんだ。よろしく」
「ウチは景一と申しいす。よろしくお願いします」
 ウチは畳に手をついてぺこりと頭を下げる。夏樹様は人懐こい笑みを浮かべてた。髪を慈姑のように結うた総髪やの。黒い髪が艶々しててええな。まるで錦姉様のようなやの。
「で、傷ってのは?」
「嬢ちゃん見せてやってくだせぇ」
「はい、やの」
 ウチは両肌もろはだ脱いで背中を見せる。夏樹様はすぐにウチに近付いて背中に手を添える。押したり摘まんだりしてる。少しビリッてするけど、何なんやろ?
「なぁ、客のことだから、答えられないなら答えなくて良いんだが、これってもしかして小焼――中臣屋の若旦那につけられたか?」
「何でわかるん?」
「やっぱりそうか。いや、あいつ、おれん所に女を噛んだから薬を欲しいとか言ってきた事があんだよなぁ。なるほどなぁ……」
 ウチが振り向くと、夏樹様は薬箱から生薬を取り出して磨り潰してた。お薬を調合してくれてるの。夏樹様はしきりに「そっかぁ」て言うて頷いてた。いったい何なんやろ?
 ちょっと間を置いて調合の終わった薬を塗り付けてもらった。布を貼られて「これで、おしまいだ」と言われた。ウチは着物を正す。薬を塗られた場所がじんじん疼く。熱いの。
「小焼に『紹介してくれ』って言ってたのに、こんな形で会えるとは思わなかったよ」
「夏樹様は小焼様の何やの?」
「変な誤解しないでくれよ。おれとあいつは幼馴染なんだ。阿武屋の雪次もな。なぁ、小焼は、きちん交合とぼしてるか? って女郎に聞くのも変か。あいつ、船宿の女将に技を教え込まれたはずなんだよな……」
「小焼様の、紫色雁高ししきがんこうやから……その……とてもとても」
 ウチは恥ずかしくなって顔を両手で包む。ほっぺたが熱くなってるの。ウチ、また顔が赤くなってしもてる。元から赤いのにもっと赤くなってしもてる。ぼぼが臭いとか言われてしまいそうで嫌やのに、赤くなってしもてる。
 夏樹様はそんなウチの姿を見て笑ってた。ちょっと錦姉様に似てる。顔が、やなくて雰囲気が。もしかしたら姉弟なんかな? と思うくらいに似てるけど……姉様は「廓生まれの廓育ち」って言うてたから、きっと違うと思うの。
「そっかそっか。でも、噛まれたら痛いだろ? 首筋を噛むなんて、あいつは雄猫かっての」
「ううん。ちっとも痛くないの」
「痛くない?」
「そうなんすよ。嬢ちゃん、痛くないって言うんす」
 ここで今まで隣で黙って話を聞いてた吾介さんが話に加わってきた。ウチには痛いってのがわからへん。何が痛いかわからへん。夏樹様はウチの手を掴むとぎゅうっと握った。何やろ? お手てあったかいの。
「本当に痛くないんだな。吾介、ちょっと腕を引っ張ってやってくれ」
「へい。嬢ちゃんすいやせん」
 吾介さんはウチの腕を引っ張る。ガクンッて感覚と共に腕がだらりと落ちた。あれ?
 夏樹様は慌ててウチの腕を掴んで押す。今、何が起きたんやろ? さっぱりわからへんの。
「肩を抜くまで引っ張ってやるなよ!」
「すいやせん。嬢ちゃんまったく痛いって言わねぇもんで、わかんなかったんすよぉ」
「まあ、これでわかったがな……。景一、おまえには痛覚が無い」
「痛覚が無い?」
「そう。痛いって感じない。そうだなぁ、麻痺してんのかな……。とりあえず、怪我に気をつけてくれよ。膿むと面倒だからな。おまえは、身体が大切な商売道具なんだから」
「はい、やの」
「そんじゃ、おれは小焼んとこ行ってくるよ。何か言っといて欲しいこととかあるか? 伝えておくよ」
「え、えっと、えっと……『また来て』って伝えて欲しいの」
「おうよ。可愛いこと言うんだな」
 夏樹様はウチの頭を撫でてくれた。あったかくて優しい手やの。ウチは嬉しくなって顔がにやけてしまう。吾介さんもにやついてた。
 それから夏樹様はウチにお薬を入った小さな壺をくれた。ウチはこれを持って自分の部屋へ戻る。お布団は綺麗に替えられてた。風呂敷が部屋の隅に寄せられてた。そうや、小焼様が反物くれたんやった。ウチは風呂敷を抱えて一階に戻る。奥座敷のお針さんの部屋に向かう。
「あのー」
「あいよ。ああ、何だ、鬼女か。どうした? ほつれか?」
 お針の三好さんはウチに笑いかけながら言う。部屋の中には三好さんしかおらへんかった。いつももっと人がおったと思うんやけど……何処か行ってるみたいやの。
鬼女って言われたけど、きっとウチが小焼様の相方やからそんな言い方をしたんやと思う。悪い意味は無さそう。三好さんは嫌がるような仕草を全くしてへんの。
「ううん。衣裳を仕立てて欲しいの」
「へえ。こりゃ京友禅だ。それもとびきり上等さ。誰に貰ったんだい? 阿武屋の坊か? 竹千屋の御隠居か? それとも、鬼かい?」
「……鬼やの」
「鬼かぁ。あんたも言うねぇ、よし。気に入った。あちしが縫ってやるよ。他の子らはあんたを嫌がるだろうが、ここだけの話、あちしはあんたの色が好きなんだ」
 三好さんは反物を受け取ると豪快に笑ってウチの頭を撫でてくれた。なんか嬉しい。ウチはほっぺたを押さえる。ああ、また赤くなってしもてる。嬉しくてあったかいの。
「せっかくの桜の友禅だ。桜が散る前に仕立て上げてやるよ。その代わり、たんまり報酬を貰うからね!」
「はいやの」
「任せておきな!」
 ウチは頭を下げて、部屋を後にした。衣裳の仕立て上がりが楽しみやの。小焼様にお手紙書いとこ……。
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