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第十四話
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◆◇◆◇◆◇
小焼様行ってしもた……。錦姉様と何の話をしてたんやろ……?
籬の向こう側に男の人がいっぱいおる。みんな舐め回すような視線を送ってくる。錦姉様に襟首を煙管で引っ張られてからかわれてる人もおった。あの煙管に引っ掛けてもらいたいって人もけっこう沢山おるの。錦姉様は、両目揃えば傾国の美女やら絶世の美人やら言われてるくらいに売れっ子。両目揃えば、って言われるんは、いつも長い前髪で顔の左側を隠してるから。馴染みにならへんと隠された顔を見ることはできへんと言われてる。本当は……隠しておきたいのに……。
ああ、籬の前に人が増えてるの。引手茶屋の若い衆と一緒に歩いてる……。こっち見てひそひそ話をしてるの……。あ、見世番の吾介さんに話しかけてる……。
「おい、あの柱におるのは、揚代はいかほどじゃ?」
「へい。二朱でごぜぇやす」
「しからば、夜分ばかりは三匁七分五厘じゃな。下直なものじゃ」
下直なんて言うてるけど……手が震えてるやの。目だって、一瞬大きく見開いたの。吾介さんに見栄を張っても、ウチにはわかってしまうの。錦姉様だってくすくす笑ってるの。文乃姉様も笑ってる。
錦姉様のお勤め代を聞いたらもっと驚いたと思うの。たぶん参勤交代で出てきてるお侍さんやと思う。江戸に来たついでに吉原にも来た、って雰囲気がするの。遠路遥々ご苦労様やの。
籬の前にはまだまだ人がおる。でも、この人らは素見で、ただ見てるだけ。冷やかしやの。あがっていかずに人の顔を見て、ひそひそ言うだけ言うて帰っていく。
「おい見ろよ。あの女郎なんて蛙を潰したような顔をしてやがるぜ」
「中の女を見てみろ。鼻の孔から煙を出してるぞ」
ほら、なんか色々言うてるの。でも、錦姉様が微笑んだら顔を赤くして逃げていく。慣れてないだけなんかもしれへん。姉様は「初心な子で可愛いもんでありんす」なんて笑いながら煙管を咥えてた。ふぅーっ、紫煙が宙を舞う。ふわふわ浮かんで風に散り散りになる。
「異人の女郎がいるらしいな!」
「見ろ、あの肌の白いこと!」
「まだ十七だとよ、ああ、堪らねぇなぁ。気が悪くなってきた」
「噂じゃ、巾着ぼぼだとよ」
「そいつぁ、名開だなぁ!」
大声で話してる人達と目が合う。なんか恥ずかしくなって俯いたら、横におる錦姉様に「顔を上げて、あの子らに微笑みかけてやりなんし」と言われた。ウチは顔を上げる。また目が合う。姉様に言われたとおりに微笑みかける。すると、ぽーっとしたような表情になって、股座を押さえてひょこひょこ歩いて行ってしもた。
「ありゃあ、木のようになってしもたんやねぇ」
「あっはっはっは。景一の笑顔で勃起だすなんて初心ざんす」
「あうぅ……」
錦姉様と文乃姉様は顔を見合わせて笑ってた。ウチは手遊びをしながら俯く。頬が熱くなってるの。きっとまた顔が赤くなってしもてる。恥ずかしい。
昼見世も仕舞いの時間になって、お昼ご飯を食べた後、ウチは自分の部屋へ戻った。
小焼様、ここの本読んでたけど、何を読んでたんやろ? どの物語を読んでたんやろ? もっとお話してみたいけど……何を話したら良いんかなぁ。雪次様なら新刊のお話とかしてくれるけど、小焼様は何を聞いたら良いんやろ? お舟の話とか? 小焼様は何が好きなんかな? もっと色んな事を教えてもらいたい。何が好きで何が嫌いってお話したい。血が嫌いって言うてたことは覚えてる。どうして血が嫌いなんやろ? そんなに嫌がるようなものでもないと思うの……。あんなに戸惑うような表情をするくらいなんやから、きっと何かあるんやと思う。
仏頂面とか不愛想とか言われてる人の雰囲気がガラッと変わるような……何かが。
次はいつ来てくれるんかな? また来るって言うてくれたから、また来てくれるんかな? 小焼様は一度来たら五日は空けてくる。若旦那様やから遊んでても良いのに、小焼様は真面目にお仕事をしてる。奉公人に任せても良いのに、自分でしてるって宗次郎様が言うてたのを思い出した。もう少しゆっくりしても良いのに……急がなくても良いのに……なんて、ウチが言えるような身分やないもん。ウチが小焼様の女房なら……もっと休んでって言えるのに……そんで、もっと強く抱いて欲しいのに……ウチが……女房なら……。
頭に挿した櫛を取り、眺める。今朝、ウチの頭に桜の花びらが乗っかって、小焼様は取ってくれた。何が乗ってたかわからへんウチに教えてくれる時に……小焼様笑ってくれた。初めて笑った顔を見たの。すぐにいつもの仏頂面に戻ったけど、笑ってる時の顔は、年よりも幼く見えたの。無邪気な男の子って感じの。
また笑ってくれたらええなぁ……。小焼様、桜好きなんかな? 飴と一緒に貰った巾着袋も桜柄やの。
この櫛も桜の絵やの。今度来てくれたら、聞いてみよ。次はいつ来てくれるんかな? また五日後ぐらいなんかな。早く会いたい……。会って沢山お話したい。そんで、口を吸って……そんで……。
身体が火照ってしもてる。これから夜見世の支度もせなあかんのに……。今夜は何人の客が来るんやろ? ウチは何人に御開帳すれば良いんやろ? さわり用事も済んだの……。もう血は出てない。だから、小焼様に触ってもらいたい……けど、昨日来たばかりやから……五日ぐらいせな来てくれへんかなぁ……。
鼈甲の簪を引き抜いて、ぽいっと投げる。畳の目を数える。九つ目。半やの。毎日こうやって易者の真似事をしてる。丁が出た時に、小焼様は来てくれる。もう一回。ぽいっ。十一つ目。半、やの。
「景一、そろそろ夜見世やから、下りてきなんしなー」
「はい、やの」
文乃姉様が障子の向こう側からウチに声をかける。呼び出しが入ってへんから、張見世に出なあかんの。ウチが一階に下りると、姉様方が一斉にこっちを見る。ウチは俯いて頭を下げながら前を横切る。小さな声で「色が珍しいだけしかないじゃないか」「異人のくせに」って聞こえた。うぅ……何度も言われてるから慣れてきたけど、言われたら悔しいもんは悔しいの。言い返せない自分に悔しいの。だって、ウチがこんな変な色をしてて珍しいのは本当の事なんやもん。事実なんやもん。何も言い返されへんの。
「わっちの可愛い妹に暴言を吐くのはよしてくんな」
「はっ! 片目が偉そうに!」
錦姉様がウチを庇って言うてくれるけど、気の強い葛山姉様がつっかかってる。この二人の仲が悪いんは皆知ってることやの。だから喧嘩が始まりそうになったら、皆避ける。巻きこまれたくないから。
「その片目に番付で負けているのはどこのどいつでありんす」
「この女狐が!」
葛山姉様はウチを突き飛ばして、錦姉様に掴みかかる。ウチは土間に身体を擦る。膝小僧が赤くなってしもたの。また傷が増えてしもた。……小焼様、心配してくれるんかな? 傷や痣のある所に唇を落としてくれるから……ここにも……? ぼうっとしていたら文乃姉様が来て、引っ張り立たせてくれた。
「痛ないか? 平気か?」
「うん。大丈夫やの」
「あんたはいつも怪我しとるなぁ。商売道具なんやから、大切にせなあかんよ」
「はい、やの」
「うーん、それにしても……あれ、どっちが仕置部屋に入れられるかって言うたら、葛山さんよなぁ」
文乃姉様の視線の先を見たら葛山姉様が男衆に羽交い絞めにされて連れていかれてた。ああ、ウチの所為や。ウチが言い返されへんかったから、錦姉様に迷惑かけてしもたし、文乃姉様にも気を使わせてしもたし葛山姉様も仕置部屋に入れられてしもたの。全部ウチが悪いの。全部ウチの所為やの。ウチが悪いの。
涙がぶわって溢れて、流れていく。文乃姉様が驚いて懐紙で拭ってくれた。ああ、また気を使わせてしもた。ウチの所為や。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
「そう謝らんでええ。景一はなぁんも悪い事しとらんやろ?」
「ウチの所為で皆迷惑してるの……。ごめんなさい」
「迷惑やない。なぁ、錦さん?」
「これ、景一。顔をあげんしょ。こっちを見なんし」
ウチは錦姉様を見る。極彩色の蝶が乱れ飛ぶけばけばしい衣裳を纏った姉様はとても綺麗やった。行燈に照らされた白い顔に火の赤が映って、とても艶やかやの。
一斉に清掻が始まった。
三味線のお囃子が喧しいくらいに方々の楼閣から鳴り響く。そぞろ歩きをしてた男の人達も足を止めて、籬の前に止まってた。文乃姉様はウチに微笑みかけると張見世に居並ぶ。続いて錦姉様が中に入る。錦姉様はウチを見て手招きをする。
「泣き止みんしたね。さぁ、ここにお座りんす」
ウチが張見世に居並ぶと、外からどよめきが聞こえた。いつものことやの。大丈夫。大丈夫。泣いたらまた迷惑をかけてしまうから、泣いたらあかんの。錦姉様は笑えって言うてた。笑えって……。
ウチは微笑む。目の前におった人が左右を見る。「おれに微笑みかけてくれたぞ! ほら!」なんて言ううてる。「うぬぼれんな」とか「たまたまだって」とか言われてるけど、「絶対おれに惚れてんだ」って言うてはる。
「景一。あの男、射止めておいて損はしないさね。伊勢屋の番頭でありんす」
「他の見世に行ってはるかも……」
「いいや。わっちが聞いた話だと何処にも行ってないね。素見で色んな見世を覗くだけ覗いて、家に帰ってかいてるのさ」
「大店の番頭を捕まえといたらええんよ。後々役に立つ」
錦姉様に続いて文乃姉様が言う。捕まえといたらって……。
ウチは手招きをしてみる。番頭さんは目を見開いて驚いたようにしながら寄ってきた。籬越しに顔を突き合わせる。近くで見たら、けっこう男前やの。ウチは手を伸ばす、番頭さんの頬を撫でる。
「番頭さん、ウチを買うて」
「お、応ともよ!」
番頭さんはそう返事したら走っていってしもて、しばらくしたら息を切らしながら戻ってきた。
引手茶屋の若い子がついてきてた。あれは……朝露屋さんの人やの。朝露屋さんの人は見世番の吾介さんに話しかけてた。
「嬢ちゃ……景一。お仕度ぅ―!」
「はい、やの」
吾介さんはいつもの呼び方でウチに呼び掛けようとして、言いなおしてた。大きな犬のような笑顔を浮かべて、頭を掻いて誤魔化してるの。
ウチは張見世の裏戸を開いて、暖簾を分けて入ってきた番頭さんの手を掴む。あったかい手やの。ウチの手が冷たいから、とても温かく感じるの。手を繋いだまま引付座敷へ連れて行く。
錦姉様付きの禿のささがお茶と煙草盆を持って来る。続いて、お酒と硯蓋が運ばれてきた。硯蓋に乗ってるんは、枝豆や蒲鉾。お酒のつまみになる変わりばえのしない品。
初回やから、床入れはせえへんの。でも、ちょっぴり触って欲しいとも思ってしまう。どうせ二階に廻しのお客があがっていくんやけど……自分から誘い込んだ人に抱かれたい、とも思ってしまうの。
朝露屋の子が銚子から酒を注いで、盃を伊勢屋の番頭さんとウチに回してくれる。見届けたら、朝露屋の子は伊勢屋の番頭さんに囁いて帰ってしもた。
見送るなり、伊勢屋の番頭さんは口を開く。
「噂には聞いていたけど、近くで見るとやっぱり可愛い子だなぁ」
「あ、ありがとうございます、やの」
「おれは弥七ってんだ。伊勢屋の番頭だよ。って、さっき、『番頭さん』って呼んできたからには知ってるかぁ」
「ううん。知らへんの。弥七様の事、たくさん、教えて」
ウチは弥七様に擦りついて上目遣いでじぃいっと見つめる。弥七様の頬がぽぉっと赤く染まった。照れてくれてるの。なんか嬉しい。
「おれは菓子屋の番頭をしてるんだ。うちの店の菓子は、大旦那の娘さん――おはつちゃんが作ってるんだけど、これがまたべらぼうに美味い。特に豆大福が美味い。次は絶対持ってくるからな! 楽しみにしててくれ」
「うん。楽しみにしてるの」
「あああ、やっぱり可愛いなぁ。こりゃあ、中臣屋の若旦那が惚れてるのもわかる! それなのに、うちのおはつちゃんと見合いなんてなぁ」
「中臣屋の若旦那?」
「おう。小焼って言わないとわからないか? ほら、あの鬼の兄さんだよ」
「ううん。わかるの。その、見合いって……?」
「明後日、うちのおはつちゃんと中臣屋の若旦那が見合いすんだよ。それにしても、こんなに可愛い女を見てから、おはつちゃんの顔を見たらなぁ……お気の毒というか……いや、おはつちゃんも悪い子じゃないんだ。愛想の良い、はきはきした子で――」
弥七様はベラベラ話してる。
明後日に見合いするなんて小焼様言うてなかったやの……。錦姉様も言うてなかった。もしかして、ウチに黙ってるように? ウチに教えんようにしてた?
「それにしても、おはつちゃんがなぁ……。あんなに心根が穏やかで優しい子は滅多にいないよ。料理上手で、素直で、誰に対しても丁寧で、器量以外は完璧なのになぁ……」
「……弥七様は、おはつちゃんの事が好きやの?」
「え。いや、何言ってんだ、おれは奉公人で、おはつちゃんは大旦那様の一人娘。大事な箱入りだ。それをおれのような身分のやつが」
「弥七様、さっきからおはつちゃんの事ばかり話してるの。ウチと話してへんの」
「い、いやぁ、それは、お前が可愛いから照れちまって」
「ううん。それだけやないと思うの。言うて後悔するんと言わんで後悔するんやったら、言うて後悔した方が、心が楽やの……。だから、弥七様はウチとお酒なんて飲んでへんで、おはつちゃんに『好きだ』って言うてきて。おはつちゃんだって、鬼の相手なんてしたないと思うの……」
「あ、ああー……急に決まったもんだから……そうかもなぁ……」
「いくら中臣屋の若旦那様の顔が綺麗でも、鬼は鬼やの……。まらだって仰々しいの。おはつちゃんのぼぼが裂けてしまうの。そんな怖い死に方で、大切な一人娘を失うのも大旦那様は嫌やと思うの……」
「そ、そいつは、可哀想だ!」
「ほら、これ……鬼に噛まれた傷やの」
ウチは首に巻いた布を解いて、首筋を見せる。弥七様は顔を引きつらせた。歯形が熱く疼く。
こんなに滅茶苦茶言うてるって、小焼様に知られたら……嫌われるんかな。嫌や。そんなん嫌やの。嫌われたくない。誰にも盗られたくない。誰にも渡したくない。ウチだけをあの真っ赤な瞳に映してて欲しい。ウチの知らんような女と一緒にならないで。知っている女なら尚更ならんといて。
目から涙が溢れる。弥七様が慌てて手拭いで拭ってくれた。そんで、優しい声をして耳元で言う。
「怖い思いをしたんだなぁ。思い出させて悪かったよ。お前の優しい気持ちを無駄にしないように、おれ、おはつちゃんに自分の気持ちを伝えてくる。大旦那様にも話してみるよ。そしたら、またここに来るから。お前と遊ばせてくれ」
「うん……。ウチ、待ってるの……」
「善は急げって言う! 早速戻って話してくる!」
「うん。また、来て」
弥七様はすっきりしたような顔で笑うと、そのまま脱兎のように去っていってしもた。ウチは残った枝豆を口に入れる。舌で転がして、歯で軽く押すだけでぷつりっと皮が弾けた。少ししょっぱくて美味しい。
これで……見合いの話が無くなってしまったらええのに……。
「景一。伊勢屋さんが帰ったなら、次は自分の部屋に行きな。阿武屋さんが来てくれてるよ!」
「はい、やの」
内所からの声にウチは立ち上がる。雪次様また来てくれた。三日も空けずに会いに来てくれる……。また後取りでするんかな。本手やないんかな……。今日は身体が火照ってしもてるから、きっと、喜んでもらえると思うの。よく練れたぼぼだ。誠の上開だ。巾着ぼぼだって言いながら交合してくれるの。
ウチは、目を閉じて、好きな男の事を想いながら、抱かれるだけやの。
小焼様行ってしもた……。錦姉様と何の話をしてたんやろ……?
籬の向こう側に男の人がいっぱいおる。みんな舐め回すような視線を送ってくる。錦姉様に襟首を煙管で引っ張られてからかわれてる人もおった。あの煙管に引っ掛けてもらいたいって人もけっこう沢山おるの。錦姉様は、両目揃えば傾国の美女やら絶世の美人やら言われてるくらいに売れっ子。両目揃えば、って言われるんは、いつも長い前髪で顔の左側を隠してるから。馴染みにならへんと隠された顔を見ることはできへんと言われてる。本当は……隠しておきたいのに……。
ああ、籬の前に人が増えてるの。引手茶屋の若い衆と一緒に歩いてる……。こっち見てひそひそ話をしてるの……。あ、見世番の吾介さんに話しかけてる……。
「おい、あの柱におるのは、揚代はいかほどじゃ?」
「へい。二朱でごぜぇやす」
「しからば、夜分ばかりは三匁七分五厘じゃな。下直なものじゃ」
下直なんて言うてるけど……手が震えてるやの。目だって、一瞬大きく見開いたの。吾介さんに見栄を張っても、ウチにはわかってしまうの。錦姉様だってくすくす笑ってるの。文乃姉様も笑ってる。
錦姉様のお勤め代を聞いたらもっと驚いたと思うの。たぶん参勤交代で出てきてるお侍さんやと思う。江戸に来たついでに吉原にも来た、って雰囲気がするの。遠路遥々ご苦労様やの。
籬の前にはまだまだ人がおる。でも、この人らは素見で、ただ見てるだけ。冷やかしやの。あがっていかずに人の顔を見て、ひそひそ言うだけ言うて帰っていく。
「おい見ろよ。あの女郎なんて蛙を潰したような顔をしてやがるぜ」
「中の女を見てみろ。鼻の孔から煙を出してるぞ」
ほら、なんか色々言うてるの。でも、錦姉様が微笑んだら顔を赤くして逃げていく。慣れてないだけなんかもしれへん。姉様は「初心な子で可愛いもんでありんす」なんて笑いながら煙管を咥えてた。ふぅーっ、紫煙が宙を舞う。ふわふわ浮かんで風に散り散りになる。
「異人の女郎がいるらしいな!」
「見ろ、あの肌の白いこと!」
「まだ十七だとよ、ああ、堪らねぇなぁ。気が悪くなってきた」
「噂じゃ、巾着ぼぼだとよ」
「そいつぁ、名開だなぁ!」
大声で話してる人達と目が合う。なんか恥ずかしくなって俯いたら、横におる錦姉様に「顔を上げて、あの子らに微笑みかけてやりなんし」と言われた。ウチは顔を上げる。また目が合う。姉様に言われたとおりに微笑みかける。すると、ぽーっとしたような表情になって、股座を押さえてひょこひょこ歩いて行ってしもた。
「ありゃあ、木のようになってしもたんやねぇ」
「あっはっはっは。景一の笑顔で勃起だすなんて初心ざんす」
「あうぅ……」
錦姉様と文乃姉様は顔を見合わせて笑ってた。ウチは手遊びをしながら俯く。頬が熱くなってるの。きっとまた顔が赤くなってしもてる。恥ずかしい。
昼見世も仕舞いの時間になって、お昼ご飯を食べた後、ウチは自分の部屋へ戻った。
小焼様、ここの本読んでたけど、何を読んでたんやろ? どの物語を読んでたんやろ? もっとお話してみたいけど……何を話したら良いんかなぁ。雪次様なら新刊のお話とかしてくれるけど、小焼様は何を聞いたら良いんやろ? お舟の話とか? 小焼様は何が好きなんかな? もっと色んな事を教えてもらいたい。何が好きで何が嫌いってお話したい。血が嫌いって言うてたことは覚えてる。どうして血が嫌いなんやろ? そんなに嫌がるようなものでもないと思うの……。あんなに戸惑うような表情をするくらいなんやから、きっと何かあるんやと思う。
仏頂面とか不愛想とか言われてる人の雰囲気がガラッと変わるような……何かが。
次はいつ来てくれるんかな? また来るって言うてくれたから、また来てくれるんかな? 小焼様は一度来たら五日は空けてくる。若旦那様やから遊んでても良いのに、小焼様は真面目にお仕事をしてる。奉公人に任せても良いのに、自分でしてるって宗次郎様が言うてたのを思い出した。もう少しゆっくりしても良いのに……急がなくても良いのに……なんて、ウチが言えるような身分やないもん。ウチが小焼様の女房なら……もっと休んでって言えるのに……そんで、もっと強く抱いて欲しいのに……ウチが……女房なら……。
頭に挿した櫛を取り、眺める。今朝、ウチの頭に桜の花びらが乗っかって、小焼様は取ってくれた。何が乗ってたかわからへんウチに教えてくれる時に……小焼様笑ってくれた。初めて笑った顔を見たの。すぐにいつもの仏頂面に戻ったけど、笑ってる時の顔は、年よりも幼く見えたの。無邪気な男の子って感じの。
また笑ってくれたらええなぁ……。小焼様、桜好きなんかな? 飴と一緒に貰った巾着袋も桜柄やの。
この櫛も桜の絵やの。今度来てくれたら、聞いてみよ。次はいつ来てくれるんかな? また五日後ぐらいなんかな。早く会いたい……。会って沢山お話したい。そんで、口を吸って……そんで……。
身体が火照ってしもてる。これから夜見世の支度もせなあかんのに……。今夜は何人の客が来るんやろ? ウチは何人に御開帳すれば良いんやろ? さわり用事も済んだの……。もう血は出てない。だから、小焼様に触ってもらいたい……けど、昨日来たばかりやから……五日ぐらいせな来てくれへんかなぁ……。
鼈甲の簪を引き抜いて、ぽいっと投げる。畳の目を数える。九つ目。半やの。毎日こうやって易者の真似事をしてる。丁が出た時に、小焼様は来てくれる。もう一回。ぽいっ。十一つ目。半、やの。
「景一、そろそろ夜見世やから、下りてきなんしなー」
「はい、やの」
文乃姉様が障子の向こう側からウチに声をかける。呼び出しが入ってへんから、張見世に出なあかんの。ウチが一階に下りると、姉様方が一斉にこっちを見る。ウチは俯いて頭を下げながら前を横切る。小さな声で「色が珍しいだけしかないじゃないか」「異人のくせに」って聞こえた。うぅ……何度も言われてるから慣れてきたけど、言われたら悔しいもんは悔しいの。言い返せない自分に悔しいの。だって、ウチがこんな変な色をしてて珍しいのは本当の事なんやもん。事実なんやもん。何も言い返されへんの。
「わっちの可愛い妹に暴言を吐くのはよしてくんな」
「はっ! 片目が偉そうに!」
錦姉様がウチを庇って言うてくれるけど、気の強い葛山姉様がつっかかってる。この二人の仲が悪いんは皆知ってることやの。だから喧嘩が始まりそうになったら、皆避ける。巻きこまれたくないから。
「その片目に番付で負けているのはどこのどいつでありんす」
「この女狐が!」
葛山姉様はウチを突き飛ばして、錦姉様に掴みかかる。ウチは土間に身体を擦る。膝小僧が赤くなってしもたの。また傷が増えてしもた。……小焼様、心配してくれるんかな? 傷や痣のある所に唇を落としてくれるから……ここにも……? ぼうっとしていたら文乃姉様が来て、引っ張り立たせてくれた。
「痛ないか? 平気か?」
「うん。大丈夫やの」
「あんたはいつも怪我しとるなぁ。商売道具なんやから、大切にせなあかんよ」
「はい、やの」
「うーん、それにしても……あれ、どっちが仕置部屋に入れられるかって言うたら、葛山さんよなぁ」
文乃姉様の視線の先を見たら葛山姉様が男衆に羽交い絞めにされて連れていかれてた。ああ、ウチの所為や。ウチが言い返されへんかったから、錦姉様に迷惑かけてしもたし、文乃姉様にも気を使わせてしもたし葛山姉様も仕置部屋に入れられてしもたの。全部ウチが悪いの。全部ウチの所為やの。ウチが悪いの。
涙がぶわって溢れて、流れていく。文乃姉様が驚いて懐紙で拭ってくれた。ああ、また気を使わせてしもた。ウチの所為や。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
「そう謝らんでええ。景一はなぁんも悪い事しとらんやろ?」
「ウチの所為で皆迷惑してるの……。ごめんなさい」
「迷惑やない。なぁ、錦さん?」
「これ、景一。顔をあげんしょ。こっちを見なんし」
ウチは錦姉様を見る。極彩色の蝶が乱れ飛ぶけばけばしい衣裳を纏った姉様はとても綺麗やった。行燈に照らされた白い顔に火の赤が映って、とても艶やかやの。
一斉に清掻が始まった。
三味線のお囃子が喧しいくらいに方々の楼閣から鳴り響く。そぞろ歩きをしてた男の人達も足を止めて、籬の前に止まってた。文乃姉様はウチに微笑みかけると張見世に居並ぶ。続いて錦姉様が中に入る。錦姉様はウチを見て手招きをする。
「泣き止みんしたね。さぁ、ここにお座りんす」
ウチが張見世に居並ぶと、外からどよめきが聞こえた。いつものことやの。大丈夫。大丈夫。泣いたらまた迷惑をかけてしまうから、泣いたらあかんの。錦姉様は笑えって言うてた。笑えって……。
ウチは微笑む。目の前におった人が左右を見る。「おれに微笑みかけてくれたぞ! ほら!」なんて言ううてる。「うぬぼれんな」とか「たまたまだって」とか言われてるけど、「絶対おれに惚れてんだ」って言うてはる。
「景一。あの男、射止めておいて損はしないさね。伊勢屋の番頭でありんす」
「他の見世に行ってはるかも……」
「いいや。わっちが聞いた話だと何処にも行ってないね。素見で色んな見世を覗くだけ覗いて、家に帰ってかいてるのさ」
「大店の番頭を捕まえといたらええんよ。後々役に立つ」
錦姉様に続いて文乃姉様が言う。捕まえといたらって……。
ウチは手招きをしてみる。番頭さんは目を見開いて驚いたようにしながら寄ってきた。籬越しに顔を突き合わせる。近くで見たら、けっこう男前やの。ウチは手を伸ばす、番頭さんの頬を撫でる。
「番頭さん、ウチを買うて」
「お、応ともよ!」
番頭さんはそう返事したら走っていってしもて、しばらくしたら息を切らしながら戻ってきた。
引手茶屋の若い子がついてきてた。あれは……朝露屋さんの人やの。朝露屋さんの人は見世番の吾介さんに話しかけてた。
「嬢ちゃ……景一。お仕度ぅ―!」
「はい、やの」
吾介さんはいつもの呼び方でウチに呼び掛けようとして、言いなおしてた。大きな犬のような笑顔を浮かべて、頭を掻いて誤魔化してるの。
ウチは張見世の裏戸を開いて、暖簾を分けて入ってきた番頭さんの手を掴む。あったかい手やの。ウチの手が冷たいから、とても温かく感じるの。手を繋いだまま引付座敷へ連れて行く。
錦姉様付きの禿のささがお茶と煙草盆を持って来る。続いて、お酒と硯蓋が運ばれてきた。硯蓋に乗ってるんは、枝豆や蒲鉾。お酒のつまみになる変わりばえのしない品。
初回やから、床入れはせえへんの。でも、ちょっぴり触って欲しいとも思ってしまう。どうせ二階に廻しのお客があがっていくんやけど……自分から誘い込んだ人に抱かれたい、とも思ってしまうの。
朝露屋の子が銚子から酒を注いで、盃を伊勢屋の番頭さんとウチに回してくれる。見届けたら、朝露屋の子は伊勢屋の番頭さんに囁いて帰ってしもた。
見送るなり、伊勢屋の番頭さんは口を開く。
「噂には聞いていたけど、近くで見るとやっぱり可愛い子だなぁ」
「あ、ありがとうございます、やの」
「おれは弥七ってんだ。伊勢屋の番頭だよ。って、さっき、『番頭さん』って呼んできたからには知ってるかぁ」
「ううん。知らへんの。弥七様の事、たくさん、教えて」
ウチは弥七様に擦りついて上目遣いでじぃいっと見つめる。弥七様の頬がぽぉっと赤く染まった。照れてくれてるの。なんか嬉しい。
「おれは菓子屋の番頭をしてるんだ。うちの店の菓子は、大旦那の娘さん――おはつちゃんが作ってるんだけど、これがまたべらぼうに美味い。特に豆大福が美味い。次は絶対持ってくるからな! 楽しみにしててくれ」
「うん。楽しみにしてるの」
「あああ、やっぱり可愛いなぁ。こりゃあ、中臣屋の若旦那が惚れてるのもわかる! それなのに、うちのおはつちゃんと見合いなんてなぁ」
「中臣屋の若旦那?」
「おう。小焼って言わないとわからないか? ほら、あの鬼の兄さんだよ」
「ううん。わかるの。その、見合いって……?」
「明後日、うちのおはつちゃんと中臣屋の若旦那が見合いすんだよ。それにしても、こんなに可愛い女を見てから、おはつちゃんの顔を見たらなぁ……お気の毒というか……いや、おはつちゃんも悪い子じゃないんだ。愛想の良い、はきはきした子で――」
弥七様はベラベラ話してる。
明後日に見合いするなんて小焼様言うてなかったやの……。錦姉様も言うてなかった。もしかして、ウチに黙ってるように? ウチに教えんようにしてた?
「それにしても、おはつちゃんがなぁ……。あんなに心根が穏やかで優しい子は滅多にいないよ。料理上手で、素直で、誰に対しても丁寧で、器量以外は完璧なのになぁ……」
「……弥七様は、おはつちゃんの事が好きやの?」
「え。いや、何言ってんだ、おれは奉公人で、おはつちゃんは大旦那様の一人娘。大事な箱入りだ。それをおれのような身分のやつが」
「弥七様、さっきからおはつちゃんの事ばかり話してるの。ウチと話してへんの」
「い、いやぁ、それは、お前が可愛いから照れちまって」
「ううん。それだけやないと思うの。言うて後悔するんと言わんで後悔するんやったら、言うて後悔した方が、心が楽やの……。だから、弥七様はウチとお酒なんて飲んでへんで、おはつちゃんに『好きだ』って言うてきて。おはつちゃんだって、鬼の相手なんてしたないと思うの……」
「あ、ああー……急に決まったもんだから……そうかもなぁ……」
「いくら中臣屋の若旦那様の顔が綺麗でも、鬼は鬼やの……。まらだって仰々しいの。おはつちゃんのぼぼが裂けてしまうの。そんな怖い死に方で、大切な一人娘を失うのも大旦那様は嫌やと思うの……」
「そ、そいつは、可哀想だ!」
「ほら、これ……鬼に噛まれた傷やの」
ウチは首に巻いた布を解いて、首筋を見せる。弥七様は顔を引きつらせた。歯形が熱く疼く。
こんなに滅茶苦茶言うてるって、小焼様に知られたら……嫌われるんかな。嫌や。そんなん嫌やの。嫌われたくない。誰にも盗られたくない。誰にも渡したくない。ウチだけをあの真っ赤な瞳に映してて欲しい。ウチの知らんような女と一緒にならないで。知っている女なら尚更ならんといて。
目から涙が溢れる。弥七様が慌てて手拭いで拭ってくれた。そんで、優しい声をして耳元で言う。
「怖い思いをしたんだなぁ。思い出させて悪かったよ。お前の優しい気持ちを無駄にしないように、おれ、おはつちゃんに自分の気持ちを伝えてくる。大旦那様にも話してみるよ。そしたら、またここに来るから。お前と遊ばせてくれ」
「うん……。ウチ、待ってるの……」
「善は急げって言う! 早速戻って話してくる!」
「うん。また、来て」
弥七様はすっきりしたような顔で笑うと、そのまま脱兎のように去っていってしもた。ウチは残った枝豆を口に入れる。舌で転がして、歯で軽く押すだけでぷつりっと皮が弾けた。少ししょっぱくて美味しい。
これで……見合いの話が無くなってしまったらええのに……。
「景一。伊勢屋さんが帰ったなら、次は自分の部屋に行きな。阿武屋さんが来てくれてるよ!」
「はい、やの」
内所からの声にウチは立ち上がる。雪次様また来てくれた。三日も空けずに会いに来てくれる……。また後取りでするんかな。本手やないんかな……。今日は身体が火照ってしもてるから、きっと、喜んでもらえると思うの。よく練れたぼぼだ。誠の上開だ。巾着ぼぼだって言いながら交合してくれるの。
ウチは、目を閉じて、好きな男の事を想いながら、抱かれるだけやの。
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