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第一話
しおりを挟む俯いて咲く花を可憐だと思った。
はじまりは、ただ、それだけのことだった。
◆◇◆◇◆◇
ここへ帰って来るのは三月ぶりだったと思う。
江戸から上方へ、上方から江戸へ、船宿から船宿へ、荷を運び、ついでに各地の特産品を持ち帰る。廻船の荷を地続きに運ぶだけで面倒だったが、それも直に終わる。舶来品は本店に運び、他の雑貨は離れの長屋に運んだ。三月経ち、雪の積もっていた場所もあるが、ここの雰囲気は変わらない。ほとほと呆れた。
夢を見るように風でふわりと揺れる提灯。
異様な程の熱を含んだ目で籬越しに女を眺める人々。
ここは吉原。日々、人々は欲を満たす為に行き交う。江戸観光の土産話にしたいと、女の歩いている姿をちらほら見かけるが、男の数に比べれば少ない方だろう。女郎と地女の区別は簡単につく。
私は特に何も思わず店の荷を片付ける。ここにいるはずの父様の姿が見えないから仕方無く整頓しているが、できれば早く休みたい。こちとら三月ばかり荷の世話をしながら帰ってきたと言うのに、どうして店の主がいないんだ。番頭に行方を尋ねれば、引手茶屋に行ったとぬかす。厭きれて物も言えやしない。
さて、私がごったにされている荷の整頓をしていると、丁稚達が近付いてきた。小物の整頓を任せていたので、それが終わったのかと思えば外に向かって指をさしている。
「小焼様。花魁の道中があるそうなのです!」
「小焼様。これから道中があるそうですぅ!」
双子だからか同じような事を言う。どちらかが言えば済む話だが、幼いながらも奉公するくらいだ。
このくらいは大目に見ても良いだろう。
花魁道中は珍しいものでもない。見飽きたようなものだ。生まれてずっとこの町にいるのだから、何度も見ている。やれどこそこのなにがしが綺麗だとかの話も聞き飽きた。
「そんなに花魁を見たいのなら、見てきて良いですよ」
「見てきますなのです!」
「見てきますですぅ!」
丁稚達は目を輝かせながら店の外へと走っていく。道中の行われる仲の町はそこの角を曲がれば、目と鼻の先だ。すぐにでも見物できるだろうに。いや、あの子達の身丈だと難しいか……。
少し気になったが、私は荷の整頓を続ける。手代が手伝いを申し出てくれたので、丁稚達が残していった物を任せておいた。
外の騒がしさが増してくる。花魁が近付いてきているのだろう。あまりに騒がしいので私は外に出た。
仲の町まで歩けば、蟻の群れのように人が蠢いている。こんなにも見物客の多い女郎は誰だ? 私が列に近付くと「ひっ、鬼だ!」と避けられた。相手にするのも面倒だが、ちょうど良い空間ができた。こちらを見ながらのひそひそ話は気にしなければ良い。鬼だの異人だのくだらない。聞き飽きた。私はこの町で生まれたと言うのに……まあ、どうでも良い。わからなければ、わからないで良い。
やがて巴紋の入った箱提灯を持った若い者に先導され、二人の禿を共にした花魁の姿が見えてくる。
豪華絢爛な刺繍を施された着物を纏った片目の花魁が六寸ばかりある下駄を履き、外八文字を描きながら歩いている。定紋が巴ということは、大見世ともゑ屋だ。それに、片目の花魁と言えば、確か、呼び出し昼三の女郎……名前は錦だったか。彼女の事なら父様から聞いたことがある。ふと頭にある事が過った。「両目揃えばこの世に二人といない絶世の美女」と呼ばれる彼女の後ろに、振袖新造が二人、番頭新造、遣手と続き、最後尾では若い者が長柄傘を高々と掲げている。
ん? あれは何だ? 振袖新造に違いないと思うが、髪が空色をしている。あんな子は三月前にいなかっただろうに。いたならば、すぐわかるはずだ。あれだけ派手な髪の色をしているんだから、すぐ噂になっていたに違いない。……そういえば、私も先程からじろじろ見られているんだった。目をやれば、震え縮み、後退る。いったい何だって言うんだ。私だって好きで黄金色の髪をしている訳ではない。
「わっ、きゃああああああ!」
「景一!」
「あわわわわ……」
どうも鈍臭いな。転んだのは、空色の髪の少女だ。異人にしても珍しい色の髪をしている。目を凝らしてよく見ると、彼女は目までも青いようだ。突き抜けるような天の色をしている。
道中はすっかり中断されてしまっている。少女はめそめそ泣いていた。あの様子だとしばらく立てそうにないな……。
それよりも「小鬼だ!」とか「妖怪だ!」とか、罵るだけの観客がいる。………野次を飛ばすだけの連中に嫌気がさす。
「喧しい! 黙りなさい!」
しん――……。
私の声で辺りは静寂に支配される。こうも静まりかえってしまうと、これはこれで困る。
視線が私に集中する。「鬼だ!」「逃げろ!」と声が聞こえた。逃げたいならさっさと逃げれば良い。私に追う気は無いし、人を食べる気も無い。そもそも私の髪がこの色なのは、父様が異国の女性と結ばれたからであって――と、説明する気もしない。この辺りに住んでいる者ならよく知っているはずだ。
少し間を置いて、青い少女は遣手に引き立たせられた。道中が再開するようだ。
片目の花魁はこちらを見ると微笑んだ。こんなに近くで見たのは初めてだったな。確かに絶世の美女とも言える器量をしていた。青い少女と目が合う。驚いた様子で大きな瞳を更に大きくしていた。私に深く礼をして、花魁の後をついていく。更に次から次へと私に向かって礼をしていく。
角の引手茶屋の前に人だかりができたので、あそこに花魁は腰を下ろしたのだろう。
私は店へ戻り、荷の整頓を再開する。丁稚達も戻ってきたので小物を任せておいた。私のいない間、この店はどうなっていたのだろうか……。きちんと仕事をする奉公人が揃っているから余計な心配かもしれないが、どうも頭が痛くなる。番頭と手代が苦笑いをしていた。
「小焼様」
「何ですか?」
「お客さんなのです」
「客?」
荷の手配でも来たか? 表に出れば、先程道中の時にいた遣手がいた。
「若旦那、お久しぶりでごぜぇやす」
「お久しぶりです。何か?」
「へい。先程はうちの女郎が面倒をかけやして、助けていただきありがとうごぜぇやす。そのお礼参りで」
「助けたつもりはありませんが」
「大旦那様にはいつも錦が世話になっておりやすし」
「は?」
「ひぃっ。わちきを睨まねぇでくだせぇ!」
「……父様がそちらに?」
「へい。今も立派な道中をさせてもらいやして」
心の何処かで思い描いていたままの報せだった。昔から父様はこうして女郎遊びをしている。遊ぶことは別に良いんだが、もう少し周りを考えて欲しい。周りを見れば、奉公人達は目を閉じて、何度もうんうんと頷いている。これはどういう反応なんだ。
「大旦那様が座敷に来るように仰っておりやして」
帰って来るまで待たなくとも良いな。行って、説教でもしてやるか。
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