転生一九三六〜戦いたくない八人の若者たち〜

紫 和春

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第104話 中立協定

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 一九三九年一月二十日。
 東京の麻布区にあるソ連大使館。そこに、外務省の代表として職員と宍戸と林が訪問していた。
 現在の日ソ関係からすれば、身の危険すらある状況だ。それでも、ここに来ざるを得ない事情があった。
「イワン大使、どうにか日ソ中立協定を結べないですか?」
 そう、ソ連との不可侵条約もしくはそれに近い協定を締結するために来たのだ。
 今、モスクワに行ってスターリンと面会したとしても、ほぼ確実に拒否されるのは目に見えている。そのため、まだハードルが低い大使館に出向いたという訳だ。
「シシドさん、それは難しい話だ。あなた方は新生ロシア帝国と国交を樹立しつつある。つまり、我々ソビエトの敵ということだ」
「分かっています。しかし、それでも協定を結びたいのです」
 一歩も引く気のない宍戸に、イワン大使は頭を抱える。
 その様子を見た宍戸は、さらに提案を重ねる。
「もし中立協定を結んでいただけるようなら、ロシアとの停戦をお手伝いすることもできます」
 突然の提案に、外務省の職員が宍戸のことを見る。
「宍戸所長、それはあまりにも……」
 思わず職員が苦言を呈する。しかし職員も気付いていた。ソ連から中立協定を引き出すには、様々な手を引き出す必要があると。
「ロシアと停戦……」
 一考の余地あり、といった口ぶりだ。
「だが、それが何になる?」
 しかし交渉の余地は無かった。
「新生ロシア帝国は簡単に言えば、我々の裏切り者。反乱したクーデター軍でもある。反乱は速やかに粛清しなければならない」
 どうやら自分たちの考えを変えるつもりはないらしい。
 そこに宍戸は追い打ちをかける。
「現状の領土で停戦すれば、ドイツとの緩衝地帯ができますよ? 今、ドイツはポーランドを占領し、総督府を置いていたはずです。ドイツと直接やり合う可能性が出てくるのは、そちらとしても避けたいはずです」
「む……」
 イワン大使は少しだけ動揺する。
「それに、我々日本はすでにドイツに対して国交断絶し、宣戦布告まで行っています。今やドイツは世界の敵になっているのです。それに、ドイツでの戦闘が激化すれば、多くの民間人が、ロシアやソ連に逃げてくるでしょう。そんな人々を、あなた方の内戦に巻き込む訳にはいきません」
 人道的な配慮をソ連側に求める宍戸。しかし、堂々と粛清を行っている国に、それはあまり効果がないかもしれない。
 その証拠に、イワン大使の表情が一切変わっていないのだ。
(かなり手ごわい相手だな……)
 宍戸はそう思いつつも、最後の手札を切る。
「それに、そろそろいい知らせが届く頃です」
「いい知らせ?」
 イワン大使が宍戸に聞こうとすると、部屋にソ連大使館の職員が入ってきた。
『大使! イギリスがとんでもない発表を行いました!』
 職員は殴り書きした紙を大使に見せる。
 内容は、イギリス政府が発表した声明文である。
『我々には、未来から来た転生者がいる。彼の言葉によれば、ヒトラーはアーリア人ではないのだと言う。未来には個人を特定する技術があり、それを人類全体に適用して、人類の進化を特定することに成功したという。ヒトラーが言うアーリア人は確かに存在するようだが、その中にヒトラーは存在しないそうだ。つまり、ドイツ国民を率いている独裁者は、純然たる優等人種ではなく、むしろ様々な地域の人間の特徴を混ぜ合わせた雑種なのだ。ドイツ国民よ。君たちを導く人間が、そのような雑種で良いのか? よく考えてほしい』
 声明文は以上である。
 当然だが、これには転生者であるコーデンが深く関わっている。ヒトラーの信頼を失墜させるには、本当の情報と嘘の情報を適度に混ぜ合わせる必要がある。今回の嘘は、ヒトラーがアーリア人ではないという点だ。
 そしてこの情報は、転生者たちに共有されている。ただ、ドイツにいるケプファーには、フリー百科事典を使った面倒な方法で伝えた。
「この情報が拡散すれば、少なくともナチ党の信用にヒビが入ります。そこを狙ってドイツ本土を攻撃すれば、あなた方の敵は瓦解していくはずです」
 宍戸の言葉に、イワン大使は難しい顔をする。
 当然だろう。イギリス政府発表でも、情報は精査しなければならない。しかし、宍戸の言う通り、この情報を鵜呑みにした世界中の人々がドイツのことを敵視すれば、祖国に安寧が訪れるはず。
 そんな考えがイワン大使の頭をよぎった。
 そこに宍戸が追い打ちをかける。
「ドイツを叩くなら今でしょう。どうにか新生ロシア帝国と停戦して、日本と中立協定を結んでいただけませんか?」
 考え抜いたイワン大使は、声を絞り出す。
「……同志スターリンに相談させてくれ」
「よろしくお願いします」
 それから数日後。ソ連から正式に中立協定を結ぶ旨の通達が飛んできた。
 これにより、新生ロシア帝国とも停戦することを決めたようである。
 世界が一つになりかけている。
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