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4章 運命は残酷

20 サブドロップ

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「おかえり、夕夜さん」

 仕事を終えてマンションのエントランスをくぐったら、後ろからスーツ姿の真王がモデルみたいに歩いてきた。
 プレイ失敗以降、夕夜はばつが悪くてベランダにも出ずにいたが、五日で捕まったか。真王は今日こそ逃さないと、愛車で退勤後、駐車場で待ち伏せていたのかもしれない。

「パトロンって恋人じゃないんだよな?」

 一緒にエレベーターに乗るなり訊かれた。顏には「恋人じゃないって言って」と書いてある。押し負けて頷いてやれば、

「よかった。ところで腹減ってね?」

 ときた。プレイ失敗を挽回しようとか、いつにも増して甘い声だ。真王を想えば離れないといけないのに、離れがたくなる。

 ただ、真王は自信を取り戻したふうに装っているものの、顔色が悪い。支配を伴わない愛し方が夕夜に届かなかったのが堪えている。一緒にいたって傷つけるだけだ。

 助け舟みたいに、夕夜のスマホが震えた。

[今夜時間をつくる。マンションで待っていなさい]

 噂をすればではないが、二階堂からのメッセージだ。
 真王に気持ちが向いていながら彼とプレイできそうもなく、会うのを先延ばしていた。痺れを切らしたのだろう。

「誰? それより夜食のリクエストは? てか俺にもメッセージID教えてよ」
「今日は食わねえ。寝ろ」

 急な誘いを活用させてもらい、畳み掛けてくる真王を振り切る。

 二階堂とプレイするなら、隣室に音が漏れないよう掃き出し窓の鍵を閉めておこう。と思ったのに、リビングの中ほどで脚の力が抜けた。
 どさりと頽れる。この感覚は。

(ちっ。サブドロップか……間のわりい)

 夕夜はパラメータ値が不安定で、常に満たされていないゆえ、サブドロップに陥りやすい。
 その割に、ここに引っ越してからははじめてだ。たぶん真王とのセックスのおかげ。
 それが今週は真王を避け、仕事終わりの一服もしていなかった。

 コートのポケットに入れたジッポを握り込み、深呼吸する。
 消耗したサブをサブドロップから回復させるには、褒めそやす[ケア]が必要だ。ただし褒め下手ドムばかりなので、夕夜は自分で自分を褒めてしのぐ術を身につけた。

(十年も独りで頑張ってきた……、)

 なのに今夜は早々に詰まる。
 真王の腕の温かさを知ったから。うまくプレイできず真王に自信喪失させた自分を誇れないから。
 プレイなしではまともに生活できないのも悔しい。分不相応な白床タイルを睨む。

「夕夜さん、そっちで音しなかった?」

 不意に、窓越しに真王に呼びかけられて、愕然とした。倒れた音を聞きつけたらしい。地獄耳め。
 まあ無視すれば諦めるだろう。今は大きい声も出せない。

(おればっか、甘えらんねえ)

 出し抜けに、ドカッ、と不穏な音がした。
 ドゴッ。再びベランダのほうで音。
 バキャッ。前ふたつと音の感じが違う、なんてぼんやり思っていたら、

「夕夜さんっ! どっか痛いの!?」

 真王が駆け寄ってくるではないか。身体の輪郭が月光に縁取られ、輝いて見える。
 緩慢に頭を向ければ、ベランダに隔板の残骸があった。蹴破ってのけたらしい。ふたりの間の障壁を乗り越えてきてくれたみたいに感じ、手を伸ばしそうになる。
 真王は夕夜の運命のドムではないのに。

「独りで、どうにかできる……帰、れ」

 かろうじて呻いた。
 しかし真王は夕夜の頬を撫でただけで、

「いやサブドロップだろ。置いてけるかよ」

 と状況を把握する。

「ケアしたげる。ふふん、初対面と逆だな」

 なんて嘯くが――夕夜を抱き起こす手が、震えていた。コマンドを出すのが怖いのだ。そんな状態で介抱させるわけにいかない。

 それに、リビングには真王に見られたくないものもある。掃き出し窓の鍵を日頃から閉めておくんだったと、つくづく思う。

 幸いサブドロップとしては軽めで、真王と話すうちに少し持ち直した。自力で立ち上がり、「ハウス」とばかりにベランダを指差す。

「いいっつってる。住居侵入罪で突き出すぞ。恋人でもパートナーでもあるまいし」

 半ば自分への言い聞かせだ。だが、真王はショックを受けた顏をする。

「……何だよ。あんたも、プレイできなきゃ『愛されてる感じしない』って言うの? 俺よりパトロンのがいーんだ」

 そそるを通り越し、自己嫌悪した。思うより尖った言い方になってしまった。真王を否定するつもりはない。訂正したい。

 掃き出し窓へ引き返す真王の後を追う。まだ脚に力が入らず、やむなくよろける。

「お、わ」

 気づいた真王が受け止めようと振り向き、たたらを踏んだ。結局、ふたりして転ぶ。

って、何か硬いもんに小指ぶっけた」

 夕夜の身体の下で真王が唸る。その「硬いもん」が、どささと白床タイルに散らばる。

「ん? ポケット六法?」


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