すみれの花笑む春

旭ガ丘ひつじ

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雲雀丘花屋敷

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園芸店を後にした二人は線路沿いを三十分ほど歩いて、宝塚市と川西市を跨ぐ雲雀丘花屋敷駅までやって来た。
市境には町の人が大切に守る、多様な生物が息づく北雲雀きずきの森がある。
森森と閑静な住宅街にはセミの鳴き声だけがミンミンと響いている。

るる「はあ……しんど……正気とは思えん。山本から一駅でも電車乗ったら良かったやん」

すみれ「やだ。今日は散歩日和だから」

るる「暑いなか誰が一日中歩くねん」

すみれ「家を出る時に日傘を差したらって言ったじゃん」

るる「ババくさいから、ややねん」

すみれ「変わってるね」

るる「ほんで、どこ行くん。はよ帰ろうや」

すみれ「まずは、この辺りの歴史について話さないとね」

るる「どっか座るとこない?」

すみれ「この坂を見て。珍しいトロピカルな木が並んで、まるで南国風でしょう」

るる「まさか……」

すみれ「どんどん上るよ。頑張って!」

るるは硬直した。

すみれ「どうしたの?狐に包まれたような顔して」

るる「それどんな状況やねん」

ほっけ「正しくは、狐につままれたような顔じゃ」

るる「坂はあかんて。マジで死ぬて」

ほっけ「目的地は三十メートル先じゃ」

るる「お前、とうとう私を殺すつもりか。そんなに嫌いか」

すみれ「おおげさな。飲み物あるから大丈夫でしょ」

るる「今日は、ほんまに勘弁して」

すみれ「お願い!ここまでにするから!」

るる「ほんまに、ここで、最後、なんやな」

すみれ「うん」

るる「わーった。しゃあないな」

すみれ「雲雀丘花屋敷駅は元々、雲雀丘と花屋敷の二つの駅に別れてたんだけどね。後々に合体したの」

るる「切り替え早いな」

二人は歩道をゆっくりとゆっくりと歩いて上る。
るるは、菫から少し遅れて牛のように、モーモー呟きながらついていく。

すみれ「この町は自然を大切にしながら開発されて、大正ロマンと西洋ロマンが合わさってるんだよ」

るる「急にザックリきたな」

すみれ「和服が当たり前の時代に西洋の文化を取り入れるなんて、それは凄く先進的なことだったの。こういう南国らしい植物もあちこちに植えてね。えーと名前はね」

ひめ「シュロの木です」

すみれ「そうそう。私も知ってたよ」

るる「嘘つけ」

菫は坂の突き当たりを右に曲がった。
しばらく直進して立ち止まる。

すみれ「いまでも、こういうモダンな洋館が幾つか残ってるんだよ。特に赤い屋根が特徴的。この町を開発した人が好きだったからなんだって」

るる「いつもよう調べんな」

すみれ「図書館に雲雀丘花屋敷の浪漫が百年分詰まった本があったから」

るる「ガチやんけ」

すみれ「えへへ。実は流し読みしたんだけどね」

るる「適当やんけ」

すみれ「ささ、次行くよ」

るる「まだ上んの?」

すみれ「ごーごー!」

素敵な洋館から上って曲がって上って……。
やがて住宅街の中に立派な白い屋敷が忽然と現れた。

ほっけ「目的地に到着じゃ」

るる「やっとかー!あーしんどかったあ!」

すみれ「偉い方の記念館。四季折々に表情を変える美しい庭を見ることが出来ます。なお屋敷の中の見学は要予約となります」

ひめ「そして、あちらの大きなヤシの木がここのシンボルになります」

るる「参加すんな」

ひめ「ごめんなさい」

るる「別にええけど。怒ってはないからな」

ひめ「はい」

すみれ「おーい!」

るる「どうした?」

すみれ「ここのおじさんからポストカード貰ったよ」

るる「へえ」

すみれ「そこを出たところ、屋敷の前で二週間もかけて描いた絵なんだって」

るる「マジか。根性あるな」

二人はさっそく、画家が絵を描いたという屋敷の前へと移動して、ポストカードと実物を見比べてみた。

るる「クオリティ高いな」

すみれ「良い絵だよね」

ひめ「彩りが柔らかくて綺麗です」

すみれ「あと、おじさんから景色いいところ紹介してもらったから、もう少し上るよ」

るる「はい約束破った殴るしばき回す」

すみれ「暴力反対でーす。ほっけさん、またナビお願いね」

ほっけ「任された」

るる「途中で休めるとこ無いん?立ちっぱの歩きっぱや。さすがにたまらん」

ほっけ「途中に公園があるぞ」

るる「お、たまには役に立つやん」

ほっけ「たまには余計じゃ」

すみれ「じゃ、そこで休憩にしようね」

二人は屋敷前の案内板で、屋敷の主人の功績を学んでから出発した。
遠回りになってしまうが洋館の建ち並ぶ、雲雀丘ロマンチック通りで浪漫を満喫。
続く急勾配の坂は心臓破り。
とうとう、るるは膝に手を置いて立ち止まった。
俯いて肩で息をする。

るる「何の修行やねんこれ……」

すみれ「日傘、貸してあげる」

るる「いらん」

ほっけ「誰もおらぬ。人の目など気にせず日傘を差せるではないか」

るる「まあ、確かにな」

すみれ「うふ……相合傘しよっか」

るる「あほか。貸せ」

すみれ「いやん。るるちゃんのいじわるるー」

るる「しょうもないこと言わんでええ」

やっとの思いで公園に到着。
るるは我先にベンチに腰をドカッと落とした。
汗を拭き拭き天を仰いで深呼吸する。

るる「ふー。公園いうて何もないやん」

すみれ「綺麗な花壇があるからいいじゃない」

ここ、雲雀丘子ども遊園にあるのは木のベンチと花壇。
そして、小さなお社が一つ。
実に可愛らしい。

るる「これ持ってきたけど食べる?」

すみれ「わあ!美味しそうなフィナンシェ!るるちゃんが珍しくカバンを背負ってると思ったら、用意がいいじゃんこのこの!」

るる「うっとい、やめ」

ひめ「これ、留衣ちゃんが実家で焼いたんですよ」

すみれ「あらまんちゅ!」

るる「いらんこと言わんでええねん」

ほっけ「いや大事なことじゃ」

すみれ「うんうん。恥ずかしいからって隠さなくていいのに」

るる「別に恥ずかしないわ」

すみれ「照れてるじゃーん。かわいい」

るる「もうお前にはやらん」

すみれ「やだ!」

るる「一人で食う。そもそも自分の為に焼いたんやからな」

すみれ「その性格で?」

るる「どういう意味やこら。じぶん、天然にも程があるで」

すみれ「わざわざ焼くかなーて。るるちゃん料理なんか絶対しないでしょ」

ひめ「昔はお母さんと楽しく料理していました。今回は私とです」

るる「どんだけ個人情報漏らすねん」

ひめ「セキュリティが甘くてすみません」

るる「笑いながら言うな」

すみれ「味見してあげる」

るる「食うな!言うとるやろ!」

すみれ「やだ!何で!」

るる「子供みたいにむくれるな」

すみれ「むうー」

るる「一個だけやで」

すみれ「四つ!」

るる「三分の二やないか」

すみれ「せっかくの手作りなんだもん」

ひめ「怒りながらも一所懸命に頑張りました」

るる「おしおきや」

ひめ「うー」

ほっけ「これはいかん!とうとう姫様に暴力を振るったな小娘!」

るる「ほっぺ引っ張っただけやろ。魚やからってプリプリするな。鮮度良すぎやろ」

ほっけ「魚ではなーい!」

すみれ「んふふ!その冗談おもしろい」

るる「何勝手に食っとんむむ」

すみれ「美味しいね」

るる「……知らん」

愉快なティータイムを終えて心まで満たされた二人は散歩を再開する。
菫は、ここが本題、と言わんばかりに意気込んで街の歴史を語る。

すみれ「ここにはね、温泉に遊園地に動物園まであったんだよ」

るる「そうなんや」

すみれ「名前は新花屋敷温泉。開発は、宝塚や箕面を参考にしたみたい」

るる「みのお?大阪の猿山に昔何かあったん?」

すみれ「大きい動物園があったよ。その昔、電車の線路が敷かれたばかりの頃。まず固定客を確保するために線路沿いに住宅街を作ったの。それから宝塚と箕面は終着駅だから、週末や休日に楽しめる保養地にしたんだって」

るる「パクったんやな」

すみれ「参考だってば。それでね、当時の花屋敷駅から温泉まで二キロの距離をトロリーバスが走ってたんだよ」

るる「何やそれ」

すみれ「日本初の無軌道電車。定員は三十名」

るる「だから何やねんそれ」

ひめ「こういう乗り物です」

るる「かあいらしいやん」

すみれ「でも二年で無くなっちゃった……」

るる「姫、ホッケの寿命は?」

ひめ「約八年です」

るる「はあ……」

ほっけ「何のため息じゃ。何故ホッケの寿命を聞いた」

るる「うし。そろそろ行こか」

ほっけ「答えんか小娘ー!」

頑張って坂を上り続けること数分。
ついに最終目的地へと至った。
二時間近く歩いて、住宅街をクネクネして、急な坂を上がって……。
それはまるで、るるにとっては富士山登頂の達成感と同然であった。

るる「解放感がハンパない」

すみれ「あ、思い出した。昔はこの辺りで水晶がゴロゴロ採れたんだって」

るる「他に掛ける言葉があるやろ」

すみれ「ぱちぱちぱちー。よく頑張りました」

るる「偉そうに言うな」

すみれ「お疲れ様。いい景色だね」

るる「そやな。高いところから景色を見渡すんは好きやわ」

すみれ「見下せるから?」

るる「その天然ボケどうにかせえ。でもまあ、菫の言うことも一理あるか。私が見下しとんはな、社会のルール守らん馬鹿と、お前らあほ二人や」

すみれ「酷い!」

ほっけ「不良娘のくせに」

るる「やんのか?」

すみれ「それよりさ。お腹空きませんか」

るる「そりゃ空くわ。苔パフェとフィナンシェ二個しか食べてへんし」

すみれ「そこにレストランがあるの気付いてた?」

るる「お、マジで」

すみれ「大阪平野を一望しながら美味しい夕ごはん食べようね」

るる「やった!」
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