すみれの花笑む春

旭ガ丘ひつじ

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ぷろろーぐ

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ひめ「清く、正しく、美しく」

すみれ「それこそ模範的な人生ですわ」

るる「何や聞いたことある言葉やな」

すみれ「実は、彼の有名な音楽学校の伝統あるモットーなのです!」

るる「へえ」

すみれ「もう一つ、忘れちゃいけない気持ちがあるんだけど分かるかな?」

るる「ヒントは?」

すみれ「るるちゃんに足りない気持ち」

るる「ええ加減しばいたろか」

すみれ「ほら、プリーズアンサー」

るる「知らん」

すみれ「正解は、朗らか、だよ」

ほっけ「明るく楽しい気持ちのことで、まさに、お前さんに足りぬものじゃ」

るる「干からびた魚に言われたないわ。その白髪は残ったカルシウムの繊維か」

ほっけ「違わい!」

すみれ「るるさん。朗らかに」

ひめ「そして、清く、正しく、美しく」

るる「やかましい。そんなもん嘘や」

すみれ「そんなことないよ」

るる「るるも偽名や。知ってたか?」

すみれ「知ってたよ。本名はルビーちゃんでしょ」

るる「誰やねん。それ日本人の名前ちゃうやろ。留衣や、逢花留衣」

すみれ「私は、歌宝菫と申します」

るる「どうでもいい」

すみれ「ちょっとーそれはないでしょ」

るる「とにかく世の中の全部が作り物の偽物や。そうやろ」

すみれ「そんなことないもん」

るる「この低温殺菌した無添加無調整のこだわり牛乳で作ったプリンサンデーも、ヨーグルトサンデーも、ドーナツも、ソフトクリームも、チーズケーキも、コーヒーゼリーも、シュークリームも、クッキーも、飲み物まで、いやめっちゃ頼んだな」

ここは宝塚南口の駅近。
並ぶ有名店の一つで、牛乳販売と喫茶店を兼ねている。
宝塚の牧場で搾られた至極の牛乳を主役に、宝塚でしか味わえない甘美達が舌の上で舞い煌めく。

すみれ「どれも、みんなに愛される宝塚のスター達。そりゃ味わい尽くしたいじゃない」

るる「大袈裟な。これもそれも偽物やってことくらいお前も分かってるやろ。嘘なんや」

すみれ「そんなことないってば」

るる「いくら綺麗事で飾ったところで何も変わらん。何が人生や。生きてても虚しいだけや」

すみれ「きょう雨降ってるから湿っぽいのかな?」

ほっけ「おお。ジョークが上達したのう」

るる「どこがやねん。まだまだや」

すみれ「えー頑張ったのに」

るる「ふん、あほらしい」

すみれ「ねえ。るるちゃん」

るる「甘いスイーツはええけど、甘いトークはなしやぞ」

すみれ「なるほど。勉強になるジョークだ」

るる「ええから。言いたいことあるんやったら言って」

すみれ「告白します。私は、るるちゃんのことが大好きです」

るる「マジで言うてる?」

すみれ「うん。この気持ちは嘘じゃない。世界が例え仮想でも、私達の全部は現実だよ」

るる「ほんまに現実かどうか誰にも分からんやん」

すみれ「間違いないよ。信じてるから」

るる「信じる信じひんの問題ちゃう」

すみれ「キスして確かめてみる?」

るる「信じる」

すみれ「よし」

るる「私はな。正直言って恐い。何もかもが作り物の偽物で嘘で……人間もそうやったらって考えたら」

すみれ「分かるよ、その気持ち。だからこそ信じて前向きに生きていくしかないじゃない。プログラムで何でも解決出来ちゃう世の中でも、私は心と体を動かして生きたい」

るる「相変わらずのポジティブやな」

すみれ「私がこんなにポジティブになれたのって、実はつい最近のことなんだよ」

るる「そうなんか?」

ほっけ「事実じゃ。たとえば、趣味以外では、特に人付き合いにおいては作り笑いばかりしておった」

るる「そしたら……」

すみれ「誰かに側にいてほしかった。だから、あなたに出会って、脅されて、私は勇気を出したんだ」

るる「脅されてはいちいち言わんでええやろ」

すみれ「本当のことだもん」

るる「あん時は脅して悪かったな」

すみれ「スリルがあって楽しかったからいい!前科者を匿うなんて、まるで映画みたいじゃない!きゃー私どうなるんだろう!て、すっごくドキドキしたよ!」

るる「めちゃめちゃ楽しんどるやないか!ビビりのへたれのくせして、マジで度胸あるな」

すみれ「まあね」

るるが突然に席を立つ。

るる「お前の気持ちはよく分かった。信じよう」

すみれ「あんがと」

るる「散々ネガティブなこと言って悪かった。気分転換に、ちょい散歩行ってくるわ」

すみれ「外は雨だよ」

るる「そのうち晴れるやろ」

すみれ「そだね」

るる「私らは正反対やけど、嘘偽りなく同じところもあるよな」

すみれ「うん。きっとたくさん」

るる「じゃ、心配することないな。ちょっと行ってくるわ」

すみれ「私は家で帰りを待ってるから」

るる「分かった。姫は、どうする?」

ひめ「私はいつまでも留衣ちゃんの側にいます」

るる「そっか。いつもありがとうな」

ひめ「こちらこそ」

るる「ほっけさんには……別に言うことないわ」

ほっけ「こっちにはあるぞ」

るる「何や」

ほっけ「門限までには帰って来い」

るる「そんなんないやろ」

ほっけ「菫と色んなことを約束したろう」

るる「ああ、そういうことな」

ほっけ「もし破れば、お前に針千本を飲ます」

るる「ホッケのくせにハリセンボンて笑かすな」

ほっけ「冗談ではない。努々、忘れるでないぞ」

るる「まあ、気が向いたら覚えとくわ」

すみれ「行ってらっしゃい!」

贈る言葉は、るるの背中を追って雨音の中に吸い込まれて消えた。
ガラス窓の向こうに彼女の姿はない。

ほっけ「散々に迷惑をかけて、まったく気まぐれな小娘じゃ」

すみれ「いいじゃん。誰だって、思わず飛び出したくなる瞬間があるものだよ」

ほっけ「菫が故郷を発った時のようにか」

すみれ「あの時は胸が苦しくなるくらい不安だったけど、それでも期待でワクワクしたなあ」

ほっけ「しかし、宝塚に到着するやホームシックになりシックシック泣いて」

すみれ「驚くほどジョークが下手だね」

ほっけ「むむ、小娘から受けた悪影響のようじゃ」

すみれ「もう。ほんと仲が悪いんだから」

ほっけ「あ奴の人間性が気に食わん」

すみれ「でも、帰って来たら仲良くしてね」

ほっけ「わしは、お前のようにはいかんよ」

五月山の秀望台に着いたのは夜だった。
菫の花弁から垂れる雫の中で月が揺らいでいる。

るる「信じてる……か。よう頑張って乗り越えたな」

雫が何度と溢れ落ちても菫は笑っていた。

ひめ「るるちゃんだって乗り越えられますよ」

るる「私は自分の存在が不確かなんが、やっぱり恐くて仕方ない」

ひめ「人間が、この世界がまるでコンピュータで作られたようだと解明したのはつい最近のこと。世界の仕組みが明かされ、様々なことがプログラムで解決出来るようになりました。通貨を必要とせず、資源に困ることもない。人は自由と幸福に満たされたのです」

るる「うん?」

ひめ「簡単に説明しますと。特別な機械と技術を使って、世界のネットワークに接続、URLを操作。命と心を除いて、望む現象を実現または再現できるようになりました。もっとも利用応用に留まるわけですが、それはしかし良き人間らしさを忘失しないために自然に対する心と社会に対する法を遵守した結果なのです。そのうえ個人に叶うことは厳格な倫理に基づいて限定されています。それから」

るる「待て待て真面目ちゃん。話難しすぎて聞いてられんわ」

ひめ「こほん、失礼しました。それでは大事なことだけを申し伝えます」

るる「おう。短く頼むで」

ひめ「いずれ世界の九十九パーセントが解明されても、命と心、その一パーセントが解明される日は永遠に来ない。これは、とある科学者の遺言です」

るる「うん。いまいちよう分からんけど」

ひめ「私はその意味をこのように解釈しました。きっと、その一パーセントには九十九パーセントを遥かに超える無限大の可能性が秘められているのです。つまりは何者にも創造できないし解き明かすこともできません。それは命と心が、一生涯、多様に発達して色々と変化するからです」

るる「うん。そやな」

ひめ「大丈夫。作り物でも何者でもない。確かに、あなたの命と心は自由です」

るる「うん」

ひめ「そして、どうか信じて。あなたは世界で唯一の私たちが愛する、逢花留衣。その人です」

るるはグシグシと腕で目を擦る。
雨はもう止んでいる。

るる「そろそろ行こうか」

ひめ「はい。それではどこへ参りましょう」

るる「とりあえず散歩しながら考える」

ひめ「夜で暗く足元が見えにくいのと、雨で地面がぬかるんでいるので、十分に気を付けて下山してください」

るる「うおああ!」

ひめ「危ない!気を付けてください!」

るる「焦った……」

ひめ「私よりも菫さんが側にいた方が安心ですね」

るる「ウザいからいらんわ」

ひめ「そんなこと言って、すぐ恋しくなると思いますよ」

るる「あほ言うな」

ひめ「大好きなくせに」
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