モンスタートリマー雲雀丘花屋敷

旭ガ丘ひつじ

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二十三話 実習獅子編

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ここは夏地方の外輪山に広がる田舎町。
どこか懐かしさを感じる。自転車があるのも良い。
瓦屋根と真っ白な壁の屋敷はどれも目立って美しい。
その特別な白は、太陽光を極限にまで反射するだけでなく、屋内からも熱を発散させる夏地方特有の優れた技術だ。
建物は縦より横にスペースを使っているものが多く、道路には日陰を作るためにファサファサした薄桃色の花を咲かすネムノキの街路樹が並んでいて、風の通り道を作るために建物と建物は一定の距離を保っている。
強い日射に負けない涼しいそよ風は、ユニコーンの影響と理解していても不思議だ。
ユニコーンの恩恵は人だけでなく大自然に生きる動植物達をも助けている。
この地方では風が水の次に大切にされている。
風を起こすグリフォンの生きる秋地方に負けず劣らず。
そして、ユニコーンと並んで夏地方に生きるモンスターの代表と言えば獅子になる。
町から燃料電池バスに乗って草原へ下りる。
外輪山の内には、草原に森、湖沼に砂岩地帯と多様な環境が収まっている。
僕達は麓の、人と自然の境界線に建つ施設で彼らのグルーミング実習を行っている。
窓さえ開けていれば冷房いらずな所は素晴らしい。

「では始めちゃって下さーい」

指導してくださる先生は、腕は良いがノリの軽い初老の男性。
ただし顔が悪魔のように恐ろしく、それとは反対に華奢な体格で、さながらガーゴイルが人に乗り移ったようだ。
明るい調子でも恐ろしい顔は変わらない。
表情を作るのが苦手なのだろうか。

「どうした?」

「ごめん、何でもない」

今日は珍しく花屋敷さんと組んでいる。
逆瀬川ちゃんは、チャラチャラしたおじさんこと清荒神えにしさんに拐われた。
変な入れ知恵をされないだろうか。
まさか口説いたりセクハラなんてさすがにしないだろうと思うが女に飢えているエロオヤジの彼ならやりかねないので無性にそわそわする。
花屋敷さんからバシッと腰に気合いを注入されて僕は正気を取り戻した。
そうだ。僕が彼女に対して憂慮することは何もない。

「体調チェックは問題なし。川大くんには少し問題があるようだが」

「すみません」

「まろちゃんの事を気にしているのかい」

「え?いや別に」

「というより、心配の種はえにしくんだね」

「そう。たぶらかしやしないかって」

「心配ないだろう。彼女の方から申し出たのだから」

「そうなの?」

「うん。それに彼は思ったより頼りになる。だから、心配することはないよ」

心配どころか、僕は端から気に留めてなどいないのだがな。
あらためて、人工芝のマットに立つ獅子と真正面から向き合う。
体高は約百六十糎。
ライオンやシーサー、よりも獅子舞の獅子そのものに近い。
赤く短い体毛に、緑の巻き毛が首回り足回り、そして背中から尾へと続いている。
八の字の太眉と円らな瞳という愛嬌がなければ、その肉食獣然とした見た目から補食されるのではと恐怖して身がすくんでいただろう。
彼らは主に草原を巡り歩いて暮らす。
寿命は八十年ほどで、一生のうちに二から三度、最多で五頭まで子を残す。
彼らは自分達の全体個体数を把握しており、必要な時期を見定めて繁殖行動をする。
またそれだけでなく、夏地方に分布する各生物の個体数まで把握していると云われ、無益な縄張り争いの起こらぬよう生態系を監視しているそうだ。
以上のことから、生物の調和を司るモンスターとして人々に親しまれている。

「それではブラッシングを始めよう」

花屋敷さんの合図で僕はスリッカーブラシを手に取る。
獅子のブラッシングで厄介なのが彼らの特徴たる巻き毛だ。
体毛が柔毛なのに対して巻き毛は剛毛だ。
一本一本が頑固なのである。
それも巻いているから根本から先まで解きほぐすのに苦労する。
さらに毛のもつれがたくさん。
それなりに力を込めてガシガシ作業する。
これが中々に時間と手間のかかる。
よく手首を痛めたものだ。
終わりにコームを使い、毛並みを揃えながらもつれの最終チェックをする。

「花屋敷さん。こっち終わりました」

「よし。それでは次に耳掃除をしよう」

まず両耳を点検、それから耳の周辺や外耳道に生えている毛を指で抜いて、鉗子を使い耳掃除液を浸した綿で耳掃除を行っていく。
最後に乾拭きを忘れずに行う。

「ベイジングに移ろう」

「了解です」

僕は獅子を花屋敷さんに任せ、率先して準備に取り掛かる。
シャワールームへと足早に向かい、急ぎシャンプー等を用意する。
歳上を敬い立てる紳士の嗜みだ。

「ありがとう川広くん。しかし、二つともシャンプーみたいだよ」

「ああ……!」

あああああ!!
僕としたことが些細なミスを犯してしまった。
後ろを通りすぎた、えにしさんが鼻で笑うのも仕方ない。
僕自身を獅子身中の虫と例えよう。
僕はチームにいながらチームメイトに害を与える虫だと反省する。

「すみませんでした」

リンスの容器を今度こそ間違えずに用意する。
話を聞いていた逆瀬川ちゃんがついでに取って来てくれたことは黙っておくことにした。
花屋敷さんは獅子の耳に綿で栓をしながら、大人らしく咎人を優しい言葉で赦してくれる。

「そんなに落ち込まないで。誰にでもミスはあるよ」

熟練心技!獅子搏兎!
どんな小さなことにも全力で取り組まねばならない!
僕は恋を実らせるために厳しく己を律すると決めたのだ。
だからミスなどあってはならない。

「俺はもう二度と過ちは犯さないと己に誓った」

あの日にフラれ……。
あれは歳の差だけでない。
僕が一人の大人として未熟だったからフラれたに違いない。

「今度こそやり遂げてみせるさ」

「どうしたんだい?」

「見ててくれ。俺の魂のベイジング」

曲目、獅子奮迅。
僕はピアノ奏者さながらアップダウンリズムテンポ良く素洗いを行い、流れるような動きでシャピングとリンシングも続けて終えた。
拍手喝采は花屋敷さんへ。
彼という優秀な指揮者がいてこそ演じられたシンフォニーだ。

「タオルを取ってきます」

表面の汚れを最大限に素洗いで落とした。
毛の量の多い巻き毛の奥までシャンプーした。
口周りは細かく丁寧に洗った。
肉球の間まで見逃すことなく洗った。
毛がキュッとしまるまでリンスを流した。
完璧。一つのミスもない。

「タウエリングとドライングを終えたら休憩だ。もう一息、一緒に頑張ろう」

何を心配してくれているのか、花屋敷さんは獅子と同等に気を遣って僕を労ってくれた。
だがしかし、そこまで心配せずとも僕は平気だ。
血液が沸騰し心臓というエンジンを激しく吹かしてそこから迸るエネルギーが全身の歯車をさらに活発に駆動させている。
つまり僕は絶好調だ。
耳を乾拭きして、タオルで全身を包んで軽く押さえるようにして水気を拭っていく。
顔を吹くときはタオルの端が目に当たらぬよう気を付け、毛の量の多い巻き毛は乾きにくいので地肌の水分をしっかり取った。

「スタンドドライヤーを持ってきました」

「何から何まで用意してもらって悪いね」

「いえ、させてください。僕が望んでやっていることですから」

「しかし……」

「僕は若いので誰より働けます。どうぞ使ってもらって構いません」

「やる気があるのは感心するが……」

煮えたぎる僕とは正反対に花屋敷さんが煮え切らない態度を取るので、僕はドライヤーのスイッチをオンにして彼を焚き付けることにした。
しっかりしてほしい。
あなたの実力はその程度ではないはずだ。
生意気ながら僕が認めるからこそ男らしく何より憧れでいてほしいと願う。

「終わった……」

悪戦苦闘すること長い時間。
僕は燃え尽きた。
毛の量が多いのでグリフォン以上に乾かすのが大変だった。
乾いた巻き毛は幾分か柔らかく弾力を持っている。
このまま倒れ込んで獅子とお昼寝したい気分だ。

「かーわひろくーん」

先生がわざわざ変に伸ばした発音で僕を呼ぶ。
振り向くや、先生のしわしわおててが僕の頬にひやっと触れた。
熱が吸いとられるように抜けていく感覚がする。

「君、顔が赤くて熱中症になりかけてるみたい。しっかり休憩取って、水分も取って、体調が良くならなきゃ午後の実習は休んでもらうからねー。そこのところよろしくー」

何だって?熱中症になりかけてる?
先生は僕が反論する暇も与えず背中を向けて去っていった。
急に呆然として、とてつもない倦怠感が襲ってきた。
僕が弱るのを待っていたように。
気が付けば、僕は花屋敷さんにシャワー室に運ばれていた。
そして頭に冷水をぶっかけられた。

「少しは頭を冷やしなさい。自分の体調管理こそ、まずしっかり出来なきゃトリマーは務まらないよ」

そう穏やかな口調で叱られた。
厳しくも思い遣りある言葉だった。

「さ、お昼を食べて元気を出そう」

「百日紅さんのお弁当は愛情たっぷりだから絶対に元気が出るだろうよ。くー羨ましい」

えにしさんがタオルと戯れ言を同時に投げ寄越した。
せっかく冷えた頭が怒りで熱くなりそうだった。
でも実際に、百日紅のお弁当を食べたらすこぶる元気が出た。
彼女にも感謝だ。
今度、一緒に落花生掘りにでも行こう。

「もう大丈夫そうだねー」

「やれます」

「いーでしょう。では続けてー」

先生から許可を頂いて午後の作業に取り掛かる。
まずは爪切り。
獅子の爪は人と同じ平爪なので、人が使うのと同じ爪切りで整えてやる。
彼らの爪は生存闘争を控えた影響で退化したのだという説と、器用に果物を掴むために進化した説とで大きく二分している。
前脚の五本と後脚の四本を丁寧に切り揃えたら、最後の作業はトリミングを行う。
バリカンを使って、全身の巻き毛を綺麗に整える。
丸みを帯びるよう慎重に毛先を整えてゆく。
眉も整える。
手が震えそうなくらい緊張する部分だが、物怖じしていては上達出来ない。
全神経を研ぎ澄ませ集中して作業すればいい。

汗に気を付けながら作業を進めて時計の長針がちょうど一週した頃、満足に全身の毛並みを綺麗に仕上げることに成功した。
トリミングが終わった瞬間、花屋敷さんが「よくやった」とでも言うように僕のことを力強い眼差しで見詰めて頷いた。
僕は、ほっと一息吐いた。
花屋敷さんも、獅子さんも、お疲れ様でした。

「花屋敷さんが後で合流しようってさ」

「分かった。そうしよう」

実習を終え、僕達は町の祭に参加した。
そして早々にはぐれてしまった。
僕は逆瀬川ちゃんと二人きりで人の熱気に閉じ込められている。
田舎町とはいえ人が多く、少子化なんてまるで嘘のように思える。
ガーゴイルティーチャーが言うには、参加しているほとんどが観光客だそうだ。
彼らの目的である祭のメインイベントが獅子舞だ。
野生の獅子が喜びや楽しさを輪になって表現する舞で、彼らは昔より合図を受けると必ず集まって協力的に人の祭事を祝ってくれる。
それは名の通り、よく知る通りの獅子の舞だが、それだけなら低地にある町や彼らの生息地である草原でも見られる。
だがしかし、ここの獅子舞は特別で、ここでしか見られないクライマックスがある。
花火だ。
町の西側は崖になっていて、その向こうに広大な湖がある。
つまり湖上花火に適しているというわけで、さらに山の上だから花火は目と鼻の先でそれはもう迫力満点というわけ。

「花火、楽しみだね」

逆瀬川ちゃんにとって花火を実際に見るのは今日が初めてらしい。
僕も素直に楽しみで頷く。
人の壁に遮られてよく見えないが、もうすぐ陽が沈むだろうことは薄紫の空を見て分かった。
花火は間もなく打ち上がるだろう。

「川大くんの世界にも花火はあった?」

「あったよ。この世界は元いた世界と共通点が多いんだ。だから、僕はここへ来れた」

「じゃあ、私達にも共通点はあるかな?」

「髪や瞳の色、それに特徴的な長い耳を除けば変わらないだろう。……いや。そんなの関係なく僕らは同じ人間だよ」

「ん?そうだね」

「だからこそ、生まれた世界は違えど心を通わせ互いを理解することが出来るはずだ」

「え?」

「俺は争いのない、この命豊かな美しい惑星が好きだ。異世界の人達と絆を結び太平の世を共に守っていきたい」

「どうしたの?」

「世界を渡り、種を越え、人を繋ぎ、命を輝かせる。それが叶えられる仕事がある。それこそモンスタートリマー。だから俺はモンスタートリマーになろうと決めたんだ」

陽が沈み、星々の光が甦る。
黒と紫と赤、様々な色が折り重ねる天空を舞台に星々が歌い踊り出す。

「今宵、星空に誓おう。俺はモンスタートリマーになる」

「私も誓うよ」

「なら共に輝こう」

「共にって……」

ドドーン、パッ。
祝砲か、花火が一輪咲く。

「きれい……だね」

「ああ。花火は色とりどり。人の夢も同じ。美しくも儚く、それでも永遠だ」

「川大くんは大人だね」

そうとは言い切れないほど青く未熟だけど素直に受け止めて悪くないだろう。
彼女の前でくらい格好いい大人でありたいと僕は望んでいる。
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