モンスタートリマー雲雀丘花屋敷

旭ガ丘ひつじ

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十一話 熟女のオアシス

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僕が初めて楽園へ辿り着いた日を短く振り返る。
この日を機に僕は、実習の日に女神こと寿司さんのお誘いで熟女と食事を楽しむことが出来るようになった。

「長万部します」

お邪魔しますと言いたかったのに噛んでしまった。
上ずり消えそうで、まるで蚊の羽音みたいな声で挨拶してしまった。
しかもヘタレだから、片想いの人を避けて逆瀬川ちゃんの隣へ座ってしまった。
愛姫は逆瀬川の向こう岸にいる。
今でもこの日を四苦八苦後悔している。
一年生の終わりまで、逆瀬川ちゃんを間に挟むことになってしまった。
しかし、せめて愛姫紗綾香さんの顔をオカズにご飯を食べることは出来た。
実習施設の二階にある控え室には、教室と違って丸テーブルが並んでいる。
ありがとう。本当にありがとう。
そのおかげで僕は熟女と交流する機会を手に入れたのだ。
講義の日はおじさんと昼食をとる僕も、実習の日には熟女と昼食を共にすることが出来た。
たまに花屋敷さんに誘拐されたけど。

「お弁当すごい!それって自分で作ったの?」

僕が弁当の蓋を開けるなり、逆瀬川ちゃんとは反対方向に僕の隣に座る寿さんは一番に驚いて声を上げた。
寿さんが僕の弁当を覗き込もうとこちらへ身を寄せたので、彼女が他人のお嫁さんだと分かっていても、大人の香りにクラッとしてついドキドキしてしまった。

「あ、よ、せの、もにく、だす」

「もしかして彼女さん……!」

紗綾香さんに酷い勘違いをされた僕は慌てて頭を振って全力で否定した。
それを誤魔化していると捉えた紗綾香さんは目を細めて悪戯な笑みを浮かべた。
僕は言葉で強く否定する。

「違う違う!僕に彼女なんていません!」

この時に初めて、熟女四人と逆瀬川ちゃんに同棲している百日紅のことを紹介することになった。
これは程なくしてクラスのみんなが知ることになる。
逆瀬川ちゃんが百日紅に会いたいと話すので、いつか紹介することをここで約束した。
ところで、百日紅の作ってくれる弁当には僕を彼らと馴染ませるために肉と魚介類が入っていない。
それが功を奏してオカズトークが弾んだ。
オカズトークはそれぞれの弁当やコンビニで買ったパンへと忙しく渡って、最後に寿さんのところで落ち着いた。
話はそこで彼女の新婚生活へ変わる。

「いい旦那さんすね。羨ましいですよ。うちの彼氏なんてサボテンみたいな男で」

寿さんを誰より慕う、日焼けサロンに通うギャルっぽい熟女つごもりすずめさんが、だらしのない彼氏がいることを彼女へ打ち明けた。
寿さんは実の姉のように真剣な顔で相槌を打っては、真面目にアドバイスを送った。
逆瀬川ちゃんも興味津々で食いついている。
その次に、彼氏募集中のマシュマロ系熟女の水戸岡芽さんが男との出会いについて相談した。
すずめさんに、そこにフリーの男がいるじゃん、と軽く紹介されたが玉砕した。
岡芽さんは「筋肉質の人がタイプなの」と僕に謝った。
勝手に紹介されて勝手に謝られてフラれたパターンのやつだ。
一度くらいあのマシュマロボディに包まれたかったという甘い妄想は、ギャル系すずめの一鳴きによって粉微塵に破壊された。
女子会に混じる男の弱さと、悪意のない刃でも人は傷つくことを、この時に初めて知った。

「私は、結構タイプよ」

落ち込んでいるところいきなり、紗綾香さんが僕のことをフォローしてくれた。
こういうところが好き。
彼女は言ったあと「違うよ本気じゃないよ」と否定するも三人の熟女から「本気になれば?」と軽い調子でからかわれた。
一方で僕は鼻の下を伸ばして静観しながら、今の彼女の発言が本音か世辞か本気か嘘か見極めようとしていた。
そして、あわよくば本気で告白される機会を待っていた、のだが恋は簡単にいくものではない。

「私は好きです!本気で!」

と逆瀬川ちゃんが無邪気に言うものだから、シーンとなったあと、優しい笑いに包まれてこの話はうやむやになってしまった。
純粋無垢な子供はこれだから怖い。
彼女の思い遣り光線はフラグを塵も残さず焼き払ってしまった。
しかし、彼女の気持ちは正直に嬉しかった。
ちょっと好きになりそうになったくらいだ。
それより、紗綾香さんに彼氏がいないことを知ることが出来たのが御の字だ。
僕はこの日から、実習の日がくる度に愛姫紗綾香さんについて少しずつ知っていくことになる。

「休日は何してるの?」

別の日、話題は休日の過ごし方。
紗綾香さんが最初に僕を指名してくれた。
僕に興味があることは嬉しいので喜んで答える。
僕は正直に、本屋で雑誌を読むか家でテレビを観ていると答えた。
朝や夕方のアニメ、それも僕と同じ転生者が作ったことが丸分かりな異世界転生物アニメまで楽しんでいることは黙っていた。
僕の正体を今ここで明かすわけにはいかない。
この世界にも、直接的な暴力描写は避けているが肉体や魔法を駆使して戦う作品がある。
それはきっと転生者の仕業だと思う。
特に、百日紅も喜ぶ日本が舞台の萌える日常アニメなんかは絶対に間違いなく変態の仕業だ。
僕は話終わりに自習もしていますと嘘を吐いた。
時に必要な嘘もあるのだ。
熟女達は、みな満足して頷いた。

「逆瀬川ちゃんは、どう過ごしてるの?」

僕は逆瀬川ちゃんにバトンを渡した。
純粋な興味があった。
この町に親元を離れてホームステイしている彼女に同じ歳の友人はいないはず。

「私は、校長先生とお出掛けしたり、一人でお散歩したり、友達と遊んだりもするよ」

モノレールを乗り継いで友達と会うらしい。
僕は少しホッとした。
彼女が寂しい思いをしていなくてよかった。
特別仲の良い友達がいることは素敵なことだ。
連絡も毎日しているらしい。
夜遅くまでガールズトークが弾んで、校長先生に叱られたこともあるとか。
真面目な彼女にもそんな一面があるのだなと知って、ちょっと気が楽になった。
彼女はいわゆる天才肌だから、僕は距離を感じていたのだ。
歳も違えば生まれ持った才能も違う。
でも、遠くない存在なんだと思った。
逆瀬川ちゃんは話し終えて、わざわざ隣にいる僕に微笑んだ。
まるで百日紅そっくりだ。

「次は水戸さん、お願いします」

バトンは水戸岡芽さんへ移る。
彼女は「バイトをするか食べ歩きします」と元気よく答えた。
それからハッとなって「このままじゃ、真ん丸なおばちゃんになっちゃうね」としおらしく恥じらいながら言った。
ダイエットに筋トレもしていると付け加えて、彼女の奥ゆかしい紹介は終わった。
僕は、いっぱい食べる君が好き。
もし望むなら並んでバーベルを上げ下げしよう。
その思いは決して届くことはないと知っていても燃え尽きるまで高く飛ぶ。

「私も美味しいものを食べるのが好きです!今度美味しいデザートのお店を教えてください!」

話し終わるや、逆瀬川ちゃんが身を乗り出して水戸さんに迫った。
それに対して水戸さんは、細くした目で見つめて含み笑いする。

「まろちゃん、さては初めからそれが狙いだったね」

「あ、そのごめんなさい。教室で楽しそうにお話されているのを耳にして」

逆瀬川ちゃんは耳を赤くして、肩をすくめて小さくなった。
水戸さんはメモ用紙をカバンから取り出すと、ススス、とあっという間に何かを書いて逆瀬川ちゃんの方へ滑らせた。

「この近くにあるオススメ。パフェにシフォンケーキにチョコ専門店まであるよ。ネットで検索してごらん」

逆瀬川ちゃんの顔が一気に明るくなる。
彼女はお礼を言ってペコペコと頭を下げた。

「良かったじゃん。今度あたしらと行っちゃう?」

つごもりさんが誘うと、寿さんがそれに賛成した。
ここで幸運なことに、愛しいことに、紗綾香さんが僕のことまで誘ってくれた。
しかし、僕は勇者に遠く及ばない村人だった。
強敵に立ち向かい何か一つでも変えようとする勇気がまだなかった。

「うれ、すけどおれ、あぼく、男ですからいっす」

だから、やんわりと断ってしまった。
それを聞いていたのだろうな。
背中越しにおじさん達の吹き出す声が幾つか聞こえた。
後日あらためて慰めてきたのが余計にムカついた。
禿げ散らかればいいと思う。
それから水戸さんが気を遣ってくれて、バトンが寿さんへと移った。

「私は勉強以外は読書か家事してる。旦那が休みなら一緒に出掛けたりもするよ」

新婚さんのイチャイチャ自慢が羨ま悔しいので省略する。
続いてバトンは、つごもりさんへ。

「仲間とバンドやってまーす!」

そこそこ売れているバンドらしい。
言わば地域密着型で、彼女はこの町で暮らしこの町を活性化させるこの町のアイドルだ。
そこから勢いのままに彼氏とのデート話から出会いまで遡っていく。

「イマカレには祭でナンパされてさ。そのあと彼氏の家で飲んで、そんときベッドに押し」

ここで寿さんがストップをかけた。
危なかった。
逆瀬川ちゃんの白い世界に黒い墨が落とされるところだった。
改めて要約した話によると、つごもりさんは彼氏と一晩夢について熱く語り愛そして激しく惹かれ合ったらしい。
これは羨まけしからん。
彼女は最後に夢について話した。
この町で回し車を引くはむちい、そのトリマーを頑張るとのことだった。
そうして通所介護デイサービスの仕事を陰からサポートして、空いた時間には施設にいる老人達をバンド活動で楽しませる。
それを死ぬまでやる、と胸を張って誓った。
そんな素敵な夢物語で締められては彼氏持ちでも好きになってしまう。
優しいギャルは好きだ。

「じゃ、最後は紗綾香の話を聞かせてくれる?」

「えー恥ずかしい」

寿さんの一声で、バトンがようやくアンカーの手に渡された。
僕が一番に恋する愛姫紗綾香さんの貴重で有難いメルヘンを聞き逃すまいと僕は耳をそばたてる。
彼女の艶やかな髪、前髪に隠れた可愛い額、整えられた細い眉、透き通った猫目、白い首、浮き出た鎖骨、そして形の良いバスト。
視線は巡って薄い唇に注目する。

「みんな絶対にひかないでね?」

彼女は眉を八の字にして小さく前置きする。
そして可愛らしく息を吸って告白した。

「水タバコを楽しんでます」

僕は耳を疑った。
彼女がタバコを吸うのは正直に言うと少しショックだ。
女性が煙草を吸うことに関して偏見はない。
目で楽しむ分にはむしろ好きだ。
それに趣味嗜好なんて人それぞれだし文句もない。
しかしどうしても、それがどんなものかよく知らずともタバコが苦手だった。

「へえ大人じゃん。もう四十過ぎてるしぜんぜん良いと思うよ」

軽い調子で言ったのは、つごもりさんだった。
それに賛同して、寿さんも水戸さんも微笑んで頷いている。
よく理解していないのは、どうやら僕と逆瀬川ちゃんだけらしい。
仲間に受け入れられて安心した紗綾香さんは、水タバコの色んな味について熱を入れて語り出したのだが、惜しむらく残念無念。
ここで休憩時間の終わりがきて解散となった。
僕は帰り道に、花屋敷さんに水タバコについて訊いてみた。

「昔は普通のタバコがあったみたいだけど規制されてね。それで、煙半分、フレーバー半分の水タバコが定着したんだ」

「それで、結局水タバコって何?」

「水に通して煙を薄くしたタバコ、とでも説明すればいいだろうか」

「へえ。町で見たことないけど」

「専門店でしか吸えないからね。町で普通に見かけることはない」

ということで後日、彼に水タバコの店に連れて行ってもらったのだが好きになれそうになかった。
それでも、僕の紗綾香さんに対する恋心は変わらない。
大人だけの嗜み。実にいいじゃないか。
恋はミステリアスで魅惑的な味のする煙に包まれている。
吐き出した煙を眺めながらそんなことを考えて、僕は一段と大人になった気がする。
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