32 / 33
32話 おしまい ( ̳- ·̫ - ̳ˆ )◞
しおりを挟む
「久しいの。元気かえ?」
「俺の爺ちゃんかよ」
猫屋敷と向かい合って早々、お気楽な挨拶ねこパンチが飛んできた。
それを、創は軽いジョークでかわしてみせた。
「かっかっかっ。これは愉快」
猫屋敷は快活に笑った。
彼を含めて相手選手はリラックスしている。
ポケーとガラス天井を眺めている大男。
そっぽ向いて髪をいじっている優男。
コートの外にいるやつなんて、蝶でも見つけたのか背中を向けている。
創は頭を振って、調子を狂わせないように気を引き締めた。
と、ここで猫屋敷が握手を求めてきた。
その手には当然、肉球はなく、意外にもゴツゴツしている。
「よい試合にしよう」
「おう。犬派の実力みせてやるよ」
「ふむー。それは楽しみじゃ!」
創は審判から猫を受け取ると、さっそく彼に渡した。
それが試合開始の合図。
ねこはオスのラグドール。
その名は、ぬいぐるみを表し、それくらい落ち着いた性格。
透明感のあるスカイブルーの瞳が美しい。
被毛は長毛のダブルコート。
触り心地は、さらさらふわふわ。
投げやすい一方で、スルッと抜けそうな危うさを感じた。
LAYBACK CATはトライアングルを意識したバランスのいいフォーメーションで戦う。
攻撃手段が多く生まれる、基礎的な攻撃戦術だ。
ついさっきまで気が抜けてカカシみたいだったのに、今や彼らは狡猾な獣のようだ。
低い姿勢で常に動いて、細かくパスを繋ぐ。
そうして十二秒いっぱい辛抱強くチャンスを狙い、絶好のタイミングで得点を決めてくる。
「確かに野生的だな。獲物を狩る獣そのもので人間らしくない」
たった一得点。
それでも致命傷のように感じるプレッシャーを創は受けていた。
横に飛び出してディフェンスをかわし、奏から猫を受け取ると直ちにリリース。
ムービングシュートで二得点を狙ったが、距離が足らずリングにかかった。
リバウンドを素早く勝ち取ったのは獅子堂。
彼はチーム唯一、身長が高く二百センチを超える。
とにかく筋肉質で図体がデカい。
「ちっ、漫画のキャラかよ」
突き飛ばされそうになったクロは思わず愚痴をこぼした。
獅子堂がアウトサイドまで豪快に猫を運ぶと、猫屋敷と小犬丸が再び三角形を描いた。
猫は巡り回って小犬丸へ。
身長百六十八センチ。
右へ左へ細かなステップが得意だ。
零を突破してまた一得点決める。
エバーマスカレードはペースを乱されることなくプレーを続ける。
試合は派手さもなく、地味に点を取り合い二分を過ぎた。
ここで、会場が一気に沸いた。
その歓声は会場に流れるユーロビートをかき消すほど。
興奮して思わず立ち上がる者さえいる。
創も唖然として立ち尽くした。
「ボーッとしてんな!反撃するぞ!」
クロに背中を叩かれて我に返る。
零が猫を拾ってアウトサイドにいるクロへ渡した。
屋根超えダンクシュート。
人間があそこまで高く跳躍して滞空するなんて目の当たりにしても信じられない。
重力は彼に作用しないのか。
間近で見て痺れるほど圧倒された。
創はささいな身の震えに遅れて気付いた。
これは恐怖じゃない。
一種の快楽だ。
「やるな!猫派!」
「犬派。その実力はいつ見せてくれる?」
「へっ、いま見せてやるよ!」
猫を受け取った創はあえてエンドラインまで下がった。
そして、めいいっぱい跳躍。
グンと腕を伸ばして滑らかに猫の背を撫でた。
ぽふん。
約十メートルのロングシュートがきれいに決まった。
MCがやかましいほど叫んで会場が沸いた。
「ほう、これは見事」
「楽しくなってきただろう?」
「うむ。痛快じゃのう」
クロは二人の様子を見て薄気味悪く感じた。
視線を戻して、ちょこまかちょこまか、うっとうしい小犬丸から猫をさっそうと奪うと、やり返すように左右にフェイントを入れたドリブルで突破。
トラックのように猛然と迫る獅子堂の脇に猫をバウンドさせて零へ繋いだ。
彼は、しっかりとアウトサイドから決めてくれた。
これでエバーマスカレードが優勢に傾いた。
試合が進むにつれ、相手の動きが良くなっていく。
また、止まることなく動き続けているのに、まったく疲れが見えない。
呼吸の乱れもない。
防御においても整った三角形をしっかり維持して、人並外れた反射神経でパスをカットしてくる。
形成はあっという間に逆転して、エバーマスカレードは攻撃のチャンスを失いつつあった。
もふ。
ねこをまた奪われた。
身長百七十四センチの木虎だ。
彼の思考を許さない反射神経こそ要警戒。
七分を切って相手がタイムアウトを請求。
そのあと彼がコートに入ってからパスを繋げることが難しくなった。
奏が立ちはだかって彼の前進を止める。
木虎は彼を背中にして猫を渡す。
託された猫屋敷が、まったく勢いの衰えない屋根超えダンクシュートを決めた。
LAYBACK CATは一得点が多い。
創がアウトサイドから二得点を返した。
逆転のチャンスは大いにある。
木虎がアウトサイドから得点を狙うも外して、リバウンドした猫を奏がキャッチした。
振り返り、中央アウトサイドに控える零へ猫を投げ渡した。
そこへ直ちに駆けつけて、ディフェンス獅子堂の壁となって彼を進ませる。
さらに、追ってきた猫屋敷を創が止めた。
それと同時に、奏が逆サイドからゴールを目指す。
零は立ち止まると跳躍。
木虎の頭上を通して奏に猫を渡した。
奏がダンクを決めて得点を重ねる。
「零くん、いいパスだったよ」
「奏さんこそ、いい動きだったよ」
コンビネーションは負けず劣らず。
言葉を交わさずとも絆がパスを導いてくれる。
試合時間は五分を切った。
一度ゴールへ攻め入ったクロがディフェンスを警戒して反転、アウトサイドまで戻る。
そして、隣に控える創へ猫を渡して素早く二得点を決めた。
互いに点を取り合い、その差は一点と二点を何度も往復した。
試合時間が残り三分に迫るとLAYBACK CATのプレーが乱暴になってきた。
猫にやさしくても相手には容赦なし。
獅子堂の巨体に弾き飛ばされた創は背中を打ちつけて、勢いあまって後ろへ一回転した。
幸いにも人工とは言え、芝生の上だったので怪我もなくダメージも少なくて済んだ。
「大丈夫です。本当にケガもありません」
「うちの獅子堂が誠に済まない」
猫屋敷が深々と頭を下げる。
「もういいって。本人に謝ってもらったらそれで十分だよ。それに熱くなる気持ちは俺たちも同じだ。そのギラギラした目、マジで圧倒されるよ」
「己等は、強敵を目の前にすると野生が目覚めるのじゃ。それも活きがよいほど荒々しく猛々しくなり、制御が難しくなる」
「マンガのキャラかよ」
クロがボソッと呟いて、ねこを創に手渡した。
シュートを打ったタイミングだったので、ファウルを受けた当人はフリースローの権利が貰える。
今回はインサイドなので一つ。
アウトサイドなら二つもらえる。
が、先ほど惜しくも猫がリングに入ることはなかったので追加点はない。
と言うのも、シュート中にファウルを受けても猫がリングをくぐれば得点が入るというルールがあるのだ。
それは元のバスケも同じ。
ぽふ。
バックボードに当たるも猫はネットに収まった。
創は、この試合でシュートをまだ一本しか外していない。
今、彼の胸には自信が満ちていた。
しかし決して油断はしない。
相手の攻撃に備えてポジションにつく。
彼らのプレーはまるで野獣のようだが、ねこに対する理性は確かに残っている。
純粋な愛護精神は、にごらず健在だ。
そのために技術がおろそかになることはない。
彼らが仕掛ける時は緊張して、まるで息が詰まる。
まばたきも惜しい。
ねこが毛糸で遊ぶように、彼らは猫球で遊ぶ。
その動作のすべては一見してデタラメに思える。
が、一種の規則性をもって運動しているようだ。
その難解複雑な規則を見破ることは不可能。
それならばエバーマスカレードもまた、本能で戦うほかない。
彼らは無意識に直感で運動するよう、まるで導かれていく。
アウトサイドの小犬丸からインサイドの猫屋敷へ猫が渡る。
奏が警戒して動いたのに合わせて、小犬丸が前進。
前方、サイドラインにいた木虎が下がってすれ違う。
この時に小犬丸が壁となってディフェンスを阻み、木虎がフリーになる。
猫屋敷は振り向かず、背後へ向けて猫をバウンド。
アウトサイドで待つ木虎が確かに受け取り、二得点が決まった。
奏が猫を拾ってアウトサイドにいる創へ渡す。
直後、ねこを返す。
相手が反応できないほど瞬時に。
奏はゴール手前で難なく受け取った。
しかし、小犬丸が機敏に対応する。
横から素早く迫る。
奏はシュートの姿勢に入った。
が、とっさの判断で、すくい上げるように両手で猫を投げた。
直後、強く踏ん張って高く高くジャンプ。
バックボードに当たって返ってきた猫を自ら空中でキャッチして滑空する。
屋根超えダンクシュートに劣らない軌道。
小犬丸はそこへ辿り着けず立ち尽くす。
ぽふ。
高度なダンクシュートで辛くも得点を返すと、会場から声援が送られた。
しかし、LAYBACK CATが優勢なのに変わりなく。
試合時間も残りわずか。
彼らのディフェンスはさらに厚さを増した。
パスは通せず、ドリブルも難しく。
エバーマスカレードのショットクロックが過ぎてしまう。
猫屋敷が左右へターンを繰り返してクロを惑わすと、背後へ跳んで二得点を決めた。
これで、いよいよ二十一点。
残り一得点まで届いた。
追うエバーマスカレードは十九点。
試合時間は二分を切った。
ねこは奏からアウトサイドの創へ。
彼はサイドラインに立つクロへ渡す。
奏がインサイドからアウトサイドへ下がり、創をマークする小犬丸の壁となる。
創は奏の背中に立つ木虎、そしてクロをマークする猫屋敷の間をすり抜けてゴール下を目指した。
猫屋敷が危険を察知して動く。
それでもクロは創に賭けた。
もふ。
猫を受け取った創は跳躍。
猫屋敷も跳んだ。
素直に猫を追い。まっしぐらに創に飛びかかった。
「創!」
クロは思わず叫んだ。
創は猫屋敷に横から突き飛ばされて芝生を転がった。
畑仕事で鍛えられた肉体はトラクターのように鋼鉄。
先ほど獅子堂から受けた衝撃よりも強い。
突然の事故にMCも言葉が出ない。
会場全体が沈黙に包まれた。
ぽふ。
ねこがリングをくぐって、ホイッスルが静寂を破った。
会場は一気に騒がしくなる。
「創!ケガはないか!」
そう言って一番に駆けつけたのは猫屋敷だ。
彼は創の背中に手を回して、ゆっくりと身体を起こしてやる。
「ああ、大丈夫。平気」
「誠に申し訳ない!謝っておきながら、今度は己がやってしもうた」
「お前が本気でぶつかってくれるのは嬉しいことだ。気にするな」
「不甲斐ない……」
「へっ、落ち込んでる場合か?ねこがリングをくぐったから一得点入って、二十点。お前たちのファウルがこれで七つを数えたから、俺たちはフリースローの権利を二本与えられる。その意味、分かるよな」
「二つとも決まれば、エバーマスカレードの勝利となるのう」
「でも、お前があの日に言ったように。もし猫が犬派の俺に懐かなかったら、俺たちは負けだ」
「うむ」
「これが最後の勝負だ」
「しかと見届けよう」
そっと、猫屋敷が離れて。
創は位置についた。
クロは何も言わず彼に猫を手渡した。
奏はリングを見つめた。
獅子堂はやっぱりガラス天井を見上げている。
木虎は蛾でも見つけたのか背中を向けている。
小犬丸は、のんきに髪をいじっている。
創は猫を吸って短く息を吐く。
ぽふ。
まずは一本。
集中、感覚を凛と研ぎ澄ませる。
深く息を吸って、長く吐く。
「しまっ……!」
創の指はするりと猫を撫でた。
高さはある。しかし、距離が足りない。
にわかに鼓動が速まり、会場の音が遠くなった。
創は、ゆっくりゆっくりと弧を描いて落ちてゆく猫の行方を呆然と見守る。
終わった。負けた。勝ちたい。あと少し。
頭の中で猫がネズミを追いかけて駆け回っているようだ。
さまざまな感情が思いがゴチャゴチャと散らばってぶつかって爆ぜる。
間もなく空っぽになって、彼は諦めて脱力した。
ふっと、意識が戻ると同時に世界が動いた。
ねこが動いた。
空中で身体を伸ばしてリングを目指す。
勢いがついて、ねこが滑空する。
爪がリングにかかった。
頭をネットに押し込んで。
ねこが吸い込まれてゆく。
リングから生える猫の尾はエネコログサみたい。
ネットをくぐって耳が出た。
おもむろに丸まって。
芝生に落ちると。
ぽーんと跳ねて。
ころころ転がって。
創のつま先に当たって止まった。
「ねこは、そちを好いた。おめでとう」
ねこバスケにおいて、ねこの自由意志は絶対。
勝利の猫女神はエバーマスカレードに微笑んだのだ。
「ありがとう。ねこさん」
創は猫を抱き上げると被毛に顔を埋めた。
すると丁度そこに顔があって、額を合わせ、冷たい鼻に当たった。
「はあ……しかし困った。ねこは本当に気まぐれじゃのう」
「へへーん。悔しいだろう」
「うむ、とても悔しい。じゃが……」
猫屋敷の細い目が垂れ下がり、破顔すると、アゴはややしゃくれた。
それから口を開いて、快活に笑う。
「ふしぎと清々しい気分じゃ!かっかっかっ!愉快愉快!」
彼は真っ先に、素直に、エバーマスカレードの勝利を認めて祝した。
彼の言葉と思いに決して嘘はない。
創は握手を求めた。
彼の手に肉球はなく、ゴツゴツしていて、人間の温もりがあった。
「実りある、よい試合であった」
「こちらこそ。すごく楽しかった」
このようにして。
約一万年の歴史ある犬派と猫派の闘争は仲直り決着した。
めでたし!
「俺の爺ちゃんかよ」
猫屋敷と向かい合って早々、お気楽な挨拶ねこパンチが飛んできた。
それを、創は軽いジョークでかわしてみせた。
「かっかっかっ。これは愉快」
猫屋敷は快活に笑った。
彼を含めて相手選手はリラックスしている。
ポケーとガラス天井を眺めている大男。
そっぽ向いて髪をいじっている優男。
コートの外にいるやつなんて、蝶でも見つけたのか背中を向けている。
創は頭を振って、調子を狂わせないように気を引き締めた。
と、ここで猫屋敷が握手を求めてきた。
その手には当然、肉球はなく、意外にもゴツゴツしている。
「よい試合にしよう」
「おう。犬派の実力みせてやるよ」
「ふむー。それは楽しみじゃ!」
創は審判から猫を受け取ると、さっそく彼に渡した。
それが試合開始の合図。
ねこはオスのラグドール。
その名は、ぬいぐるみを表し、それくらい落ち着いた性格。
透明感のあるスカイブルーの瞳が美しい。
被毛は長毛のダブルコート。
触り心地は、さらさらふわふわ。
投げやすい一方で、スルッと抜けそうな危うさを感じた。
LAYBACK CATはトライアングルを意識したバランスのいいフォーメーションで戦う。
攻撃手段が多く生まれる、基礎的な攻撃戦術だ。
ついさっきまで気が抜けてカカシみたいだったのに、今や彼らは狡猾な獣のようだ。
低い姿勢で常に動いて、細かくパスを繋ぐ。
そうして十二秒いっぱい辛抱強くチャンスを狙い、絶好のタイミングで得点を決めてくる。
「確かに野生的だな。獲物を狩る獣そのもので人間らしくない」
たった一得点。
それでも致命傷のように感じるプレッシャーを創は受けていた。
横に飛び出してディフェンスをかわし、奏から猫を受け取ると直ちにリリース。
ムービングシュートで二得点を狙ったが、距離が足らずリングにかかった。
リバウンドを素早く勝ち取ったのは獅子堂。
彼はチーム唯一、身長が高く二百センチを超える。
とにかく筋肉質で図体がデカい。
「ちっ、漫画のキャラかよ」
突き飛ばされそうになったクロは思わず愚痴をこぼした。
獅子堂がアウトサイドまで豪快に猫を運ぶと、猫屋敷と小犬丸が再び三角形を描いた。
猫は巡り回って小犬丸へ。
身長百六十八センチ。
右へ左へ細かなステップが得意だ。
零を突破してまた一得点決める。
エバーマスカレードはペースを乱されることなくプレーを続ける。
試合は派手さもなく、地味に点を取り合い二分を過ぎた。
ここで、会場が一気に沸いた。
その歓声は会場に流れるユーロビートをかき消すほど。
興奮して思わず立ち上がる者さえいる。
創も唖然として立ち尽くした。
「ボーッとしてんな!反撃するぞ!」
クロに背中を叩かれて我に返る。
零が猫を拾ってアウトサイドにいるクロへ渡した。
屋根超えダンクシュート。
人間があそこまで高く跳躍して滞空するなんて目の当たりにしても信じられない。
重力は彼に作用しないのか。
間近で見て痺れるほど圧倒された。
創はささいな身の震えに遅れて気付いた。
これは恐怖じゃない。
一種の快楽だ。
「やるな!猫派!」
「犬派。その実力はいつ見せてくれる?」
「へっ、いま見せてやるよ!」
猫を受け取った創はあえてエンドラインまで下がった。
そして、めいいっぱい跳躍。
グンと腕を伸ばして滑らかに猫の背を撫でた。
ぽふん。
約十メートルのロングシュートがきれいに決まった。
MCがやかましいほど叫んで会場が沸いた。
「ほう、これは見事」
「楽しくなってきただろう?」
「うむ。痛快じゃのう」
クロは二人の様子を見て薄気味悪く感じた。
視線を戻して、ちょこまかちょこまか、うっとうしい小犬丸から猫をさっそうと奪うと、やり返すように左右にフェイントを入れたドリブルで突破。
トラックのように猛然と迫る獅子堂の脇に猫をバウンドさせて零へ繋いだ。
彼は、しっかりとアウトサイドから決めてくれた。
これでエバーマスカレードが優勢に傾いた。
試合が進むにつれ、相手の動きが良くなっていく。
また、止まることなく動き続けているのに、まったく疲れが見えない。
呼吸の乱れもない。
防御においても整った三角形をしっかり維持して、人並外れた反射神経でパスをカットしてくる。
形成はあっという間に逆転して、エバーマスカレードは攻撃のチャンスを失いつつあった。
もふ。
ねこをまた奪われた。
身長百七十四センチの木虎だ。
彼の思考を許さない反射神経こそ要警戒。
七分を切って相手がタイムアウトを請求。
そのあと彼がコートに入ってからパスを繋げることが難しくなった。
奏が立ちはだかって彼の前進を止める。
木虎は彼を背中にして猫を渡す。
託された猫屋敷が、まったく勢いの衰えない屋根超えダンクシュートを決めた。
LAYBACK CATは一得点が多い。
創がアウトサイドから二得点を返した。
逆転のチャンスは大いにある。
木虎がアウトサイドから得点を狙うも外して、リバウンドした猫を奏がキャッチした。
振り返り、中央アウトサイドに控える零へ猫を投げ渡した。
そこへ直ちに駆けつけて、ディフェンス獅子堂の壁となって彼を進ませる。
さらに、追ってきた猫屋敷を創が止めた。
それと同時に、奏が逆サイドからゴールを目指す。
零は立ち止まると跳躍。
木虎の頭上を通して奏に猫を渡した。
奏がダンクを決めて得点を重ねる。
「零くん、いいパスだったよ」
「奏さんこそ、いい動きだったよ」
コンビネーションは負けず劣らず。
言葉を交わさずとも絆がパスを導いてくれる。
試合時間は五分を切った。
一度ゴールへ攻め入ったクロがディフェンスを警戒して反転、アウトサイドまで戻る。
そして、隣に控える創へ猫を渡して素早く二得点を決めた。
互いに点を取り合い、その差は一点と二点を何度も往復した。
試合時間が残り三分に迫るとLAYBACK CATのプレーが乱暴になってきた。
猫にやさしくても相手には容赦なし。
獅子堂の巨体に弾き飛ばされた創は背中を打ちつけて、勢いあまって後ろへ一回転した。
幸いにも人工とは言え、芝生の上だったので怪我もなくダメージも少なくて済んだ。
「大丈夫です。本当にケガもありません」
「うちの獅子堂が誠に済まない」
猫屋敷が深々と頭を下げる。
「もういいって。本人に謝ってもらったらそれで十分だよ。それに熱くなる気持ちは俺たちも同じだ。そのギラギラした目、マジで圧倒されるよ」
「己等は、強敵を目の前にすると野生が目覚めるのじゃ。それも活きがよいほど荒々しく猛々しくなり、制御が難しくなる」
「マンガのキャラかよ」
クロがボソッと呟いて、ねこを創に手渡した。
シュートを打ったタイミングだったので、ファウルを受けた当人はフリースローの権利が貰える。
今回はインサイドなので一つ。
アウトサイドなら二つもらえる。
が、先ほど惜しくも猫がリングに入ることはなかったので追加点はない。
と言うのも、シュート中にファウルを受けても猫がリングをくぐれば得点が入るというルールがあるのだ。
それは元のバスケも同じ。
ぽふ。
バックボードに当たるも猫はネットに収まった。
創は、この試合でシュートをまだ一本しか外していない。
今、彼の胸には自信が満ちていた。
しかし決して油断はしない。
相手の攻撃に備えてポジションにつく。
彼らのプレーはまるで野獣のようだが、ねこに対する理性は確かに残っている。
純粋な愛護精神は、にごらず健在だ。
そのために技術がおろそかになることはない。
彼らが仕掛ける時は緊張して、まるで息が詰まる。
まばたきも惜しい。
ねこが毛糸で遊ぶように、彼らは猫球で遊ぶ。
その動作のすべては一見してデタラメに思える。
が、一種の規則性をもって運動しているようだ。
その難解複雑な規則を見破ることは不可能。
それならばエバーマスカレードもまた、本能で戦うほかない。
彼らは無意識に直感で運動するよう、まるで導かれていく。
アウトサイドの小犬丸からインサイドの猫屋敷へ猫が渡る。
奏が警戒して動いたのに合わせて、小犬丸が前進。
前方、サイドラインにいた木虎が下がってすれ違う。
この時に小犬丸が壁となってディフェンスを阻み、木虎がフリーになる。
猫屋敷は振り向かず、背後へ向けて猫をバウンド。
アウトサイドで待つ木虎が確かに受け取り、二得点が決まった。
奏が猫を拾ってアウトサイドにいる創へ渡す。
直後、ねこを返す。
相手が反応できないほど瞬時に。
奏はゴール手前で難なく受け取った。
しかし、小犬丸が機敏に対応する。
横から素早く迫る。
奏はシュートの姿勢に入った。
が、とっさの判断で、すくい上げるように両手で猫を投げた。
直後、強く踏ん張って高く高くジャンプ。
バックボードに当たって返ってきた猫を自ら空中でキャッチして滑空する。
屋根超えダンクシュートに劣らない軌道。
小犬丸はそこへ辿り着けず立ち尽くす。
ぽふ。
高度なダンクシュートで辛くも得点を返すと、会場から声援が送られた。
しかし、LAYBACK CATが優勢なのに変わりなく。
試合時間も残りわずか。
彼らのディフェンスはさらに厚さを増した。
パスは通せず、ドリブルも難しく。
エバーマスカレードのショットクロックが過ぎてしまう。
猫屋敷が左右へターンを繰り返してクロを惑わすと、背後へ跳んで二得点を決めた。
これで、いよいよ二十一点。
残り一得点まで届いた。
追うエバーマスカレードは十九点。
試合時間は二分を切った。
ねこは奏からアウトサイドの創へ。
彼はサイドラインに立つクロへ渡す。
奏がインサイドからアウトサイドへ下がり、創をマークする小犬丸の壁となる。
創は奏の背中に立つ木虎、そしてクロをマークする猫屋敷の間をすり抜けてゴール下を目指した。
猫屋敷が危険を察知して動く。
それでもクロは創に賭けた。
もふ。
猫を受け取った創は跳躍。
猫屋敷も跳んだ。
素直に猫を追い。まっしぐらに創に飛びかかった。
「創!」
クロは思わず叫んだ。
創は猫屋敷に横から突き飛ばされて芝生を転がった。
畑仕事で鍛えられた肉体はトラクターのように鋼鉄。
先ほど獅子堂から受けた衝撃よりも強い。
突然の事故にMCも言葉が出ない。
会場全体が沈黙に包まれた。
ぽふ。
ねこがリングをくぐって、ホイッスルが静寂を破った。
会場は一気に騒がしくなる。
「創!ケガはないか!」
そう言って一番に駆けつけたのは猫屋敷だ。
彼は創の背中に手を回して、ゆっくりと身体を起こしてやる。
「ああ、大丈夫。平気」
「誠に申し訳ない!謝っておきながら、今度は己がやってしもうた」
「お前が本気でぶつかってくれるのは嬉しいことだ。気にするな」
「不甲斐ない……」
「へっ、落ち込んでる場合か?ねこがリングをくぐったから一得点入って、二十点。お前たちのファウルがこれで七つを数えたから、俺たちはフリースローの権利を二本与えられる。その意味、分かるよな」
「二つとも決まれば、エバーマスカレードの勝利となるのう」
「でも、お前があの日に言ったように。もし猫が犬派の俺に懐かなかったら、俺たちは負けだ」
「うむ」
「これが最後の勝負だ」
「しかと見届けよう」
そっと、猫屋敷が離れて。
創は位置についた。
クロは何も言わず彼に猫を手渡した。
奏はリングを見つめた。
獅子堂はやっぱりガラス天井を見上げている。
木虎は蛾でも見つけたのか背中を向けている。
小犬丸は、のんきに髪をいじっている。
創は猫を吸って短く息を吐く。
ぽふ。
まずは一本。
集中、感覚を凛と研ぎ澄ませる。
深く息を吸って、長く吐く。
「しまっ……!」
創の指はするりと猫を撫でた。
高さはある。しかし、距離が足りない。
にわかに鼓動が速まり、会場の音が遠くなった。
創は、ゆっくりゆっくりと弧を描いて落ちてゆく猫の行方を呆然と見守る。
終わった。負けた。勝ちたい。あと少し。
頭の中で猫がネズミを追いかけて駆け回っているようだ。
さまざまな感情が思いがゴチャゴチャと散らばってぶつかって爆ぜる。
間もなく空っぽになって、彼は諦めて脱力した。
ふっと、意識が戻ると同時に世界が動いた。
ねこが動いた。
空中で身体を伸ばしてリングを目指す。
勢いがついて、ねこが滑空する。
爪がリングにかかった。
頭をネットに押し込んで。
ねこが吸い込まれてゆく。
リングから生える猫の尾はエネコログサみたい。
ネットをくぐって耳が出た。
おもむろに丸まって。
芝生に落ちると。
ぽーんと跳ねて。
ころころ転がって。
創のつま先に当たって止まった。
「ねこは、そちを好いた。おめでとう」
ねこバスケにおいて、ねこの自由意志は絶対。
勝利の猫女神はエバーマスカレードに微笑んだのだ。
「ありがとう。ねこさん」
創は猫を抱き上げると被毛に顔を埋めた。
すると丁度そこに顔があって、額を合わせ、冷たい鼻に当たった。
「はあ……しかし困った。ねこは本当に気まぐれじゃのう」
「へへーん。悔しいだろう」
「うむ、とても悔しい。じゃが……」
猫屋敷の細い目が垂れ下がり、破顔すると、アゴはややしゃくれた。
それから口を開いて、快活に笑う。
「ふしぎと清々しい気分じゃ!かっかっかっ!愉快愉快!」
彼は真っ先に、素直に、エバーマスカレードの勝利を認めて祝した。
彼の言葉と思いに決して嘘はない。
創は握手を求めた。
彼の手に肉球はなく、ゴツゴツしていて、人間の温もりがあった。
「実りある、よい試合であった」
「こちらこそ。すごく楽しかった」
このようにして。
約一万年の歴史ある犬派と猫派の闘争は仲直り決着した。
めでたし!
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
雨上がりに僕らは駆けていく Part2
平木明日香
青春
学校の帰り道に突如現れた謎の女
彼女は、遠い未来から来たと言った。
「甲子園に行くで」
そんなこと言っても、俺たち、初対面だよな?
グラウンドに誘われ、彼女はマウンドに立つ。
ひらりとスカートが舞い、パンツが見えた。
しかしそれとは裏腹に、とんでもないボールを投げてきたんだ。

切り札の男
古野ジョン
青春
野球への未練から、毎日のようにバッティングセンターに通う高校一年生の久保雄大。
ある日、野球部のマネージャーだという滝川まなに野球部に入るよう頼まれる。
理由を聞くと、「三年の兄をプロ野球選手にするため、少しでも大会で勝ち上がりたい」のだという。
そんな簡単にプロ野球に入れるわけがない。そう思った久保は、つい彼女と口論してしまう。
その結果、「兄の球を打ってみろ」とけしかけられてしまった。
彼はその挑発に乗ってしまうが……
小説家になろう・カクヨム・ハーメルンにも掲載しています。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
【完結】カワイイ子猫のつくり方
龍野ゆうき
青春
子猫を助けようとして樹から落下。それだけでも災難なのに、あれ?気が付いたら私…猫になってる!?そんな自分(猫)に手を差し伸べてくれたのは天敵のアイツだった。
無愛想毒舌眼鏡男と獣化主人公の間に生まれる恋?ちょっぴりファンタジーなラブコメ。

彗星と遭う
皆川大輔
青春
【✨青春カテゴリ最高4位✨】
中学野球世界大会で〝世界一〟という称号を手にした。
その時、投手だった空野彗は中学生ながら152キロを記録し、怪物と呼ばれた。
その時、捕手だった武山一星は全試合でマスクを被ってリードを、打っては四番とマルチの才能を発揮し、天才と呼ばれた。
突出した実力を持っていながら世界一という実績をも手に入れた二人は、瞬く間にお茶の間を賑わせる存在となった。
もちろん、新しいスターを常に欲している強豪校がその卵たる二人を放っておく訳もなく。
二人の元には、多数の高校からオファーが届いた――しかし二人が選んだのは、地元埼玉の県立高校、彩星高校だった。
部員数は70名弱だが、その実は三年連続一回戦負けの弱小校一歩手前な崖っぷち中堅高校。
怪物は、ある困難を乗り越えるためにその高校へ。
天才は、ある理由で野球を諦めるためにその高校へ入学した。
各々の別の意思を持って選んだ高校で、本来会うはずのなかった運命が交差する。
衝突もしながら協力もし、共に高校野球の頂へ挑む二人。
圧倒的な実績と衝撃的な結果で、二人は〝彗星バッテリー〟と呼ばれるようになり、高校野球だけではなく野球界を賑わせることとなる。
彗星――怪しげな尾と共に現れるそれは、ある人には願いを叶える吉兆となり、ある人には夢を奪う凶兆となる。
この物語は、そんな彗星と呼ばれた二人の少年と、人を惑わす光と遭ってしまった人達の物語。
☆
第一部表紙絵制作者様→紫苑*Shion様《https://pixiv.net/users/43889070》
第二部表紙絵制作者様→和輝こころ様《https://twitter.com/honeybanana1》
第三部表紙絵制作者様→NYAZU様《https://skima.jp/profile?id=156412》
登場人物集です→https://jiechuandazhu.webnode.jp/%e5%bd%97%e6%98%9f%e3%81%a8%e9%81%ad%e3%81%86%e3%80%90%e7%99%bb%e5%a0%b4%e4%ba%ba%e7%89%a9%e3%80%91/
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる