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24話 おかえり
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午後七時を回って、やっと家に着いた。
ふと夜空を見上げると、くすんだ星明かりが頼りない。
冷たい風が吹いて、思わず身震いした。
俺は家の明かりを見て、ほっとする。
姉さんは去っていく車を名残惜しそうに見送ったかと思えば、それが角を曲がると真っ先に家に飛び込んだ。
「麗嵐。零。おかえり」
温まりを感じる口調で迎えてくれたのは、和服が似合う父さんだ。
わざわざ玄関で迎えてくれるなんて珍しい。
それだけじゃなくて、俺を優しく抱きしめて労いの言葉もくれた。
「おめでとう。よく頑張った」
「うん。ありがとう、父さん」
「腹が減っただろう」
「ぺこぺこだよー」
「はは、まったく。麗嵐よりも零の方が、よっぽど空いているんじゃないのか?」
「そうだね。あ、チョコあるよ。食べる?」
いらない。
そんな一日中カバンにしまってあった余り物のアーモンドチョコ一粒なんていらない。
たまに姉さんのカバンの中から食べかけのお菓子やパンが出てきて、わざわざ見せにくることがある。
それも、うんと前に買ったもので見たくもないやつ。
以前、ただ入っていたから、という理由で何も考えず食べさせられそうになった危機もあった。
カビパンはトラウマだ。
今回は大丈夫そうだけれど、いや、ちょっと溶けているのが嫌だな。
「んふふ。美味しい?甘いの食べると疲れが取れるでしょう」
「ん。まあまあ」
「今、お風呂を沸かすからリビングで待っていなさい。母さんが帰ってきたらご飯にしよう」
父さんに感謝して、リビングにあるソファに横になって休む。
今までスポーツの助っ人を何度かやってきたけれど、ここまで本気になって、くたくたに疲れたのは初めてだ。
姉さんは隣の部屋で、お母さんに今日の思い出を楽しそうに話している。
そう言えば母さんはどこへ出かけたんだろう。
買い物かな。
と、そんなことを考えていると姉さんのスマホに着信があった。
きっと母さんだ。
「もしもし?お母さんいま帰ったよ。うんうん」
あーやっぱ眠い。だるい。だめだ。疲れた。
父さんが風呂を洗うシャワーの音が心地いい。
よし。風呂が沸くまで寝よう。
「零ー!」
声大きいよ。
聞こえているから叫ばないで。
今は静かに、そっとして。
「ご飯お外で食べよー!」
「はあー!?」
「焼肉ー!て、さすがに疲れてるよね」
「仕方ないな。でも、シャワー浴びてからね」
「え!焼肉の前に!?」
「焼肉を食べに出るのか?今から?ええー。お風呂のお湯を止めなくちゃ」
「どんまいお父さん。零。お母さん、もうすぐ帰ってくるから、お風呂は後でね」
まだまだ疲れそうだ。
気が抜けて、どっと疲れた俺を母さんとピカが賑やかに迎えてくれた。
安心するなあ。犬を抱きしめるのは。
「優勝だって?おめでとう!やるじゃない!」
「ありがとう。て、ひっつくなよ。うっとうしい」
「お寿司買ってきたから、早くお風呂に入っちゃいなさい」
「マジで!やった!」
ゴールデンレトリバーのピカを、たっぷり撫でてから風呂に入った。
夜の食卓では家族から質問攻めにあった。
今までにこんなことはなくて、父さんと母さんからこんなに褒められて期待されたのが、嬉しくて、少し恥ずかしい。
「本当よくやったもんだ。姉ちゃんは信じてたぞ」
「嘘つけ」
くまさんの着ぐるみパジャマのパーカーを被ってサーモンをむさぼる、ふざけた様子の姉ちゃんが俺をからかう。
いつもお気楽で、弟のことを応援する気持ちが本当にあるのか疑わしい。
「嘘じゃない。ライブ配信で、あんたの試合ぜーんぶ観戦したんだよ」
それは、ちょっと嬉しい。
「え?マジ?ネットで観れんの?」
「うん。観れた」
「へえ。そうなんだ」
「はなのー。それ私に教えてよ」
ひな姉ちゃんが不満を口から出してガリを口に入れる。
ガリは全部ひな姉ちゃんのもの、これがうちの暗黙のルール。
仕事から帰ってきたばかりで、俺が先に風呂に入ったものだから、夜には珍しくワイシャツを着たまま食事している。
ただ、ひな姉ちゃんを象徴するポニーテールはほどかれている。
「教えたところで、あんたは仕事で観れないでしょう」
「時間が合えば観れたかも知れない」
「じゃあ、今度の大会は家族みんなで応援に行こう。ね、ね」
「え!」
「え!て何よー」
母さんがとんでもないことを提案する。
一家せいぞろい。全員集合は、めっちゃ恥ずかしいからやめてほしい。
そんなの運動会と学祭だけでいい。
「恥ずいから勘弁して」
「恥ずかしいことなんて何もないでしょう。ね、パパ」
「うん。いいんじゃないか」
「そうだ。ライブ配信で観りゃいいだろう」
「うん。それでもいいんじゃないか」
「パパ!しっかりして!せっかくだからみんなで行こう、て、あなたからも言ってよ!」
「うん。じゃあ、みんなで行こう」
「はあ……。あなた適当に言ってない?」
「言ってないよママ。俺も現地で応援できるならしたいよ」
「それ本当に思ってる?」
「思ってるよ」
「あなたはいつもいつも。昔から自分のことに熱中して。子供にもその情熱を向けてよ」
「そう思わせたなら悪い。でも酷いじゃないか。いつだって子供のことはよく考えているつもりだし、いま応援したいって言ったばかりだろう」
「あのねえ。気持ちがこもってないのよ」
「それはズルい言い方だ」
「ごめんなさい。でもね」
ピカはしっぽ振ってるし、姉ちゃんは黙ってるし、ひな姉ちゃんがなだめても止まらない。
いつも一方通行で、母さんが納得しない限り終わらない。
これでもかなり仲良しなんだけどな。
とにかく、今日ばかりは父さんに勝ってほしいと応援して大トロをつまむ。
あ、やっぱダメそう。今日も勝ち目がない。
父さん意外と気が弱いんだ。
居間でみずみずしい梨をかじって、今日一日を振り返る。
ネットで観たプロ選手たちのような動きには、まだまだ遠いけれど、それなりにうまくやれたはずだ。
ダンクシュートだって決められるようになった。
決勝戦、最後のプレーは一生忘れないだろう。
俺が得点を決めたんだ。みんなと協力して俺が決めた。
そして、みんなで勝利を分かち合った。
「今日は楽しかったか?」
ふいに、お父さんが優しい眼差しで問う。
こんな表情は久しぶりに見たな。
驚いた。
まるで記憶の隅に追いやられてぼやけていた輪郭がよみがえったようだ。
「ああ。とても楽しかったよ」
「いい顔だ」
「それ、どんな顔?いつも通りだよ」
「ううん。やっと、本当に好きなことを見つけたのね。お母さんもお父さんも、ほっとした」
「二人ともどうしたの?」
「奏は勉強も運動も、学校生活をすごく頑張っているでしょう。それはすごく良いこと。良いことなんだけれど、本人はちっとも楽しそうじゃない。私たちにはそう見えたの」
「言われても、自分では分からないな」
俺の返事に困った顔をする。
もしかしたら、お母さんの言う通りかも知れない。
笑顔で過ごしていたつもりだけれど、その小さなウソを、お母さんは見抜いた。
俺はそれが日常になって、本当の笑顔が分からなくなっていたみたいだ。
「たまに悩みがあるかと聞いても笑って誤魔化すばかりで。俺たちは心配していたんだ」
心配かけて、ごめんなさい。
それが何故か言えなくて、黙って梨を口へ運んだ。
「なにか悩みはあるか?」
「ないよ」
「うん。それならいい」
お父さんは多くを語らずテレビに向き直った。
短いその一言だけでも、俺のことを深く想ってくれていることが分かって嬉しい。
俺は夢中になれるものを見つけた。
そのおかげで気の置けない仲間ができた。
ねこバスケが終わっても、これから先の未来、何度だって大切なものを見つけられる。
今なら誰を誤魔化さずに正直にそう思う。
「次は冬に大会があるんでしょう」
「うん。年の終わりだよ」
「せっかくだし観に行こうかしら。ねえ、お父さん」
「そうだな。観に行こう」
「嬉しいな。二人が応援に来てくれるなんて。俺、めいいっぱい頑張るからさ。最後まで応援してよ」
「もちろんよ。お母さんとお父さんは、ずっと奏のことを応援しているからね」
久しぶりに家族の温もりに触れた気がする。
とても懐かしい喜びだ。
こんなに大切な気持ちを俺は忘れていたなんて。
いや見て見ぬふりをしていたんだ。
もっともっと頑張ろう。
そして心から笑おう。
それが俺にできる親孝行だ。
「じゃーん!ケーキを買ってきましたー!」
「いや多いわ」
「いいじゃない。好きなもの選んで」
「じゃあ……ショートケーキ」
「あらーかわいい」
「はあー?」
「クロくんは昔から苺のショートケーキが好きだもんね。叔母さん、ちゃんと覚えてるよ。だからネットでね、美味しそうなショートケーキがあるケーキ屋さんを探したの」
「大変な時に無理すんなよ」
「だって優勝したって連絡がきたんだもん。すっごく嬉しくて頑張っちゃった」
叔母さんは我が子のように僕を可愛がってくれる。
それだけじゃなくて、叱る時はちゃんと叱ってくれる。
初めて、この家で一年過ごしてみて、まるで本当の親子のようになれたような気がする。
この二人が本当の親だったら……。
「ところでクロくん。お家に連絡した?」
「してない。叔父さんもしてないよな」
「叔父さんはしたよ」
「はい!叔母さんも!」
「なーにやってんだよ。やめろよ」
「そろそろ、顔を見せに帰ったら?お正月にしか帰ってないでしょう?二人とも喜ぶと思うよ」
「言われなくても、また正月に顔見せるよ。でも実家に帰るのは来年、高校卒業したらな。でも、またすぐ出て行くつもり。一人暮らしするんだ」
「寮生活はやめなよ。良いことだけじゃないからね」
「いったい叔父さんの学生時代に何があったんだよ……」
「ふっ。色々と不便があったのさ」
「デート難しかったよねー。門限きびしくて、部屋には上がれないし」
「え?そん時から付き合ってたの?」
「そうよ。叔母さんは女子大に通いながら喫茶店でバイトしてたんだけど、ある日」
「まあまあ。その話はしなくていいじゃない」
「ナンパ、されてねえ。うふふー」
「うわーひくわー」
「クロくん失望しないで!若気の至りだったんだ!」
「あっそー。ふーん。もっと、親父みたいな真面目な人かと思ってたぜ」
「兄貴は真面目すぎていけない。クロくんが追い詰められる気持ちが分かるよ」
そうだ。親父は頑として譲らなかった。
親父だけじゃない。母さんもだ。
僕がどんなに悩んでどんなに苦しくても責めるばかりだった。
みんな同じ。みんな悩んでいる。やればできる。もっと頑張ればいい。
ちょっと悩みを打ち明けてみたら、そんな理屈や綺麗事ばかり。
ウンザリした僕は、情けないけれど、ここへ逃げたわけだ。
甘えることを。逃げることを。
二人は許してくれた。
いや違うな。別の道を歩くことを許してくれたんだ。
その先で僕は新しい友達ができて、ねこバスケと向き合った。
今が最高に楽しい。
「でもさ。兄貴も、お姉さんもクロくんがここへ来ることを許してくれたよね」
「それが?」
「言い方が悪いかもだけど、もしかして二人は、逃げちゃダメだ、とは言わなかったんじゃない?」
「まあ……そう言われればそうかも」
「君は別の道を自分で選んだでしょう。それを二人は認めて、良い結果を信じて見送ってくれた。僕はそう思うな」
「うん。叔母さんもそう思う。姉さんは言い方がキツいところあるけど、ふふ、今のは内緒にしてね。でもね。本当に優しくて、あなたのことを大切に思ってんのよ。産まれた時から、ずっと」
感動的な話で僕を泣かそうたってそうはいかない。
でも、二人の話には納得した。
親父も母さんも言い方がアレだけど、確かに、僕のことを想ってくれたはずなんだ。
二人なりに考えて出した言葉を僕は気に入らなかった。
それを今度ちゃんと伝えて話し合ってみよう。
「仕方ねーな。ちょっと電話してくる」
「いいね。たくさん話しておいで」
「そこまで話すことはない。ただ今日のことを、ちょっと話すだけだ」
「それでいいんだよ」
「叔母さん」
「はーい」
「終わるまでケーキ食べちゃダメだからな」
「うふふ。わかりました」
ふと夜空を見上げると、くすんだ星明かりが頼りない。
冷たい風が吹いて、思わず身震いした。
俺は家の明かりを見て、ほっとする。
姉さんは去っていく車を名残惜しそうに見送ったかと思えば、それが角を曲がると真っ先に家に飛び込んだ。
「麗嵐。零。おかえり」
温まりを感じる口調で迎えてくれたのは、和服が似合う父さんだ。
わざわざ玄関で迎えてくれるなんて珍しい。
それだけじゃなくて、俺を優しく抱きしめて労いの言葉もくれた。
「おめでとう。よく頑張った」
「うん。ありがとう、父さん」
「腹が減っただろう」
「ぺこぺこだよー」
「はは、まったく。麗嵐よりも零の方が、よっぽど空いているんじゃないのか?」
「そうだね。あ、チョコあるよ。食べる?」
いらない。
そんな一日中カバンにしまってあった余り物のアーモンドチョコ一粒なんていらない。
たまに姉さんのカバンの中から食べかけのお菓子やパンが出てきて、わざわざ見せにくることがある。
それも、うんと前に買ったもので見たくもないやつ。
以前、ただ入っていたから、という理由で何も考えず食べさせられそうになった危機もあった。
カビパンはトラウマだ。
今回は大丈夫そうだけれど、いや、ちょっと溶けているのが嫌だな。
「んふふ。美味しい?甘いの食べると疲れが取れるでしょう」
「ん。まあまあ」
「今、お風呂を沸かすからリビングで待っていなさい。母さんが帰ってきたらご飯にしよう」
父さんに感謝して、リビングにあるソファに横になって休む。
今までスポーツの助っ人を何度かやってきたけれど、ここまで本気になって、くたくたに疲れたのは初めてだ。
姉さんは隣の部屋で、お母さんに今日の思い出を楽しそうに話している。
そう言えば母さんはどこへ出かけたんだろう。
買い物かな。
と、そんなことを考えていると姉さんのスマホに着信があった。
きっと母さんだ。
「もしもし?お母さんいま帰ったよ。うんうん」
あーやっぱ眠い。だるい。だめだ。疲れた。
父さんが風呂を洗うシャワーの音が心地いい。
よし。風呂が沸くまで寝よう。
「零ー!」
声大きいよ。
聞こえているから叫ばないで。
今は静かに、そっとして。
「ご飯お外で食べよー!」
「はあー!?」
「焼肉ー!て、さすがに疲れてるよね」
「仕方ないな。でも、シャワー浴びてからね」
「え!焼肉の前に!?」
「焼肉を食べに出るのか?今から?ええー。お風呂のお湯を止めなくちゃ」
「どんまいお父さん。零。お母さん、もうすぐ帰ってくるから、お風呂は後でね」
まだまだ疲れそうだ。
気が抜けて、どっと疲れた俺を母さんとピカが賑やかに迎えてくれた。
安心するなあ。犬を抱きしめるのは。
「優勝だって?おめでとう!やるじゃない!」
「ありがとう。て、ひっつくなよ。うっとうしい」
「お寿司買ってきたから、早くお風呂に入っちゃいなさい」
「マジで!やった!」
ゴールデンレトリバーのピカを、たっぷり撫でてから風呂に入った。
夜の食卓では家族から質問攻めにあった。
今までにこんなことはなくて、父さんと母さんからこんなに褒められて期待されたのが、嬉しくて、少し恥ずかしい。
「本当よくやったもんだ。姉ちゃんは信じてたぞ」
「嘘つけ」
くまさんの着ぐるみパジャマのパーカーを被ってサーモンをむさぼる、ふざけた様子の姉ちゃんが俺をからかう。
いつもお気楽で、弟のことを応援する気持ちが本当にあるのか疑わしい。
「嘘じゃない。ライブ配信で、あんたの試合ぜーんぶ観戦したんだよ」
それは、ちょっと嬉しい。
「え?マジ?ネットで観れんの?」
「うん。観れた」
「へえ。そうなんだ」
「はなのー。それ私に教えてよ」
ひな姉ちゃんが不満を口から出してガリを口に入れる。
ガリは全部ひな姉ちゃんのもの、これがうちの暗黙のルール。
仕事から帰ってきたばかりで、俺が先に風呂に入ったものだから、夜には珍しくワイシャツを着たまま食事している。
ただ、ひな姉ちゃんを象徴するポニーテールはほどかれている。
「教えたところで、あんたは仕事で観れないでしょう」
「時間が合えば観れたかも知れない」
「じゃあ、今度の大会は家族みんなで応援に行こう。ね、ね」
「え!」
「え!て何よー」
母さんがとんでもないことを提案する。
一家せいぞろい。全員集合は、めっちゃ恥ずかしいからやめてほしい。
そんなの運動会と学祭だけでいい。
「恥ずいから勘弁して」
「恥ずかしいことなんて何もないでしょう。ね、パパ」
「うん。いいんじゃないか」
「そうだ。ライブ配信で観りゃいいだろう」
「うん。それでもいいんじゃないか」
「パパ!しっかりして!せっかくだからみんなで行こう、て、あなたからも言ってよ!」
「うん。じゃあ、みんなで行こう」
「はあ……。あなた適当に言ってない?」
「言ってないよママ。俺も現地で応援できるならしたいよ」
「それ本当に思ってる?」
「思ってるよ」
「あなたはいつもいつも。昔から自分のことに熱中して。子供にもその情熱を向けてよ」
「そう思わせたなら悪い。でも酷いじゃないか。いつだって子供のことはよく考えているつもりだし、いま応援したいって言ったばかりだろう」
「あのねえ。気持ちがこもってないのよ」
「それはズルい言い方だ」
「ごめんなさい。でもね」
ピカはしっぽ振ってるし、姉ちゃんは黙ってるし、ひな姉ちゃんがなだめても止まらない。
いつも一方通行で、母さんが納得しない限り終わらない。
これでもかなり仲良しなんだけどな。
とにかく、今日ばかりは父さんに勝ってほしいと応援して大トロをつまむ。
あ、やっぱダメそう。今日も勝ち目がない。
父さん意外と気が弱いんだ。
居間でみずみずしい梨をかじって、今日一日を振り返る。
ネットで観たプロ選手たちのような動きには、まだまだ遠いけれど、それなりにうまくやれたはずだ。
ダンクシュートだって決められるようになった。
決勝戦、最後のプレーは一生忘れないだろう。
俺が得点を決めたんだ。みんなと協力して俺が決めた。
そして、みんなで勝利を分かち合った。
「今日は楽しかったか?」
ふいに、お父さんが優しい眼差しで問う。
こんな表情は久しぶりに見たな。
驚いた。
まるで記憶の隅に追いやられてぼやけていた輪郭がよみがえったようだ。
「ああ。とても楽しかったよ」
「いい顔だ」
「それ、どんな顔?いつも通りだよ」
「ううん。やっと、本当に好きなことを見つけたのね。お母さんもお父さんも、ほっとした」
「二人ともどうしたの?」
「奏は勉強も運動も、学校生活をすごく頑張っているでしょう。それはすごく良いこと。良いことなんだけれど、本人はちっとも楽しそうじゃない。私たちにはそう見えたの」
「言われても、自分では分からないな」
俺の返事に困った顔をする。
もしかしたら、お母さんの言う通りかも知れない。
笑顔で過ごしていたつもりだけれど、その小さなウソを、お母さんは見抜いた。
俺はそれが日常になって、本当の笑顔が分からなくなっていたみたいだ。
「たまに悩みがあるかと聞いても笑って誤魔化すばかりで。俺たちは心配していたんだ」
心配かけて、ごめんなさい。
それが何故か言えなくて、黙って梨を口へ運んだ。
「なにか悩みはあるか?」
「ないよ」
「うん。それならいい」
お父さんは多くを語らずテレビに向き直った。
短いその一言だけでも、俺のことを深く想ってくれていることが分かって嬉しい。
俺は夢中になれるものを見つけた。
そのおかげで気の置けない仲間ができた。
ねこバスケが終わっても、これから先の未来、何度だって大切なものを見つけられる。
今なら誰を誤魔化さずに正直にそう思う。
「次は冬に大会があるんでしょう」
「うん。年の終わりだよ」
「せっかくだし観に行こうかしら。ねえ、お父さん」
「そうだな。観に行こう」
「嬉しいな。二人が応援に来てくれるなんて。俺、めいいっぱい頑張るからさ。最後まで応援してよ」
「もちろんよ。お母さんとお父さんは、ずっと奏のことを応援しているからね」
久しぶりに家族の温もりに触れた気がする。
とても懐かしい喜びだ。
こんなに大切な気持ちを俺は忘れていたなんて。
いや見て見ぬふりをしていたんだ。
もっともっと頑張ろう。
そして心から笑おう。
それが俺にできる親孝行だ。
「じゃーん!ケーキを買ってきましたー!」
「いや多いわ」
「いいじゃない。好きなもの選んで」
「じゃあ……ショートケーキ」
「あらーかわいい」
「はあー?」
「クロくんは昔から苺のショートケーキが好きだもんね。叔母さん、ちゃんと覚えてるよ。だからネットでね、美味しそうなショートケーキがあるケーキ屋さんを探したの」
「大変な時に無理すんなよ」
「だって優勝したって連絡がきたんだもん。すっごく嬉しくて頑張っちゃった」
叔母さんは我が子のように僕を可愛がってくれる。
それだけじゃなくて、叱る時はちゃんと叱ってくれる。
初めて、この家で一年過ごしてみて、まるで本当の親子のようになれたような気がする。
この二人が本当の親だったら……。
「ところでクロくん。お家に連絡した?」
「してない。叔父さんもしてないよな」
「叔父さんはしたよ」
「はい!叔母さんも!」
「なーにやってんだよ。やめろよ」
「そろそろ、顔を見せに帰ったら?お正月にしか帰ってないでしょう?二人とも喜ぶと思うよ」
「言われなくても、また正月に顔見せるよ。でも実家に帰るのは来年、高校卒業したらな。でも、またすぐ出て行くつもり。一人暮らしするんだ」
「寮生活はやめなよ。良いことだけじゃないからね」
「いったい叔父さんの学生時代に何があったんだよ……」
「ふっ。色々と不便があったのさ」
「デート難しかったよねー。門限きびしくて、部屋には上がれないし」
「え?そん時から付き合ってたの?」
「そうよ。叔母さんは女子大に通いながら喫茶店でバイトしてたんだけど、ある日」
「まあまあ。その話はしなくていいじゃない」
「ナンパ、されてねえ。うふふー」
「うわーひくわー」
「クロくん失望しないで!若気の至りだったんだ!」
「あっそー。ふーん。もっと、親父みたいな真面目な人かと思ってたぜ」
「兄貴は真面目すぎていけない。クロくんが追い詰められる気持ちが分かるよ」
そうだ。親父は頑として譲らなかった。
親父だけじゃない。母さんもだ。
僕がどんなに悩んでどんなに苦しくても責めるばかりだった。
みんな同じ。みんな悩んでいる。やればできる。もっと頑張ればいい。
ちょっと悩みを打ち明けてみたら、そんな理屈や綺麗事ばかり。
ウンザリした僕は、情けないけれど、ここへ逃げたわけだ。
甘えることを。逃げることを。
二人は許してくれた。
いや違うな。別の道を歩くことを許してくれたんだ。
その先で僕は新しい友達ができて、ねこバスケと向き合った。
今が最高に楽しい。
「でもさ。兄貴も、お姉さんもクロくんがここへ来ることを許してくれたよね」
「それが?」
「言い方が悪いかもだけど、もしかして二人は、逃げちゃダメだ、とは言わなかったんじゃない?」
「まあ……そう言われればそうかも」
「君は別の道を自分で選んだでしょう。それを二人は認めて、良い結果を信じて見送ってくれた。僕はそう思うな」
「うん。叔母さんもそう思う。姉さんは言い方がキツいところあるけど、ふふ、今のは内緒にしてね。でもね。本当に優しくて、あなたのことを大切に思ってんのよ。産まれた時から、ずっと」
感動的な話で僕を泣かそうたってそうはいかない。
でも、二人の話には納得した。
親父も母さんも言い方がアレだけど、確かに、僕のことを想ってくれたはずなんだ。
二人なりに考えて出した言葉を僕は気に入らなかった。
それを今度ちゃんと伝えて話し合ってみよう。
「仕方ねーな。ちょっと電話してくる」
「いいね。たくさん話しておいで」
「そこまで話すことはない。ただ今日のことを、ちょっと話すだけだ」
「それでいいんだよ」
「叔母さん」
「はーい」
「終わるまでケーキ食べちゃダメだからな」
「うふふ。わかりました」
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