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2話 青春ねこぱんち
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僕の家は長い坂を上がった先にある。
すぐ近くに色とりどりの花が咲き溢れる森林公園があって即決した。
家は一般的な庭付きの一戸建てだ。
二人はずいぶん期待していたのか、はっきりと驚きが顔に出てしまっている。
その素直さが可愛くっておかしくって、僕はつい笑ってしまった。
「豪邸じゃなくてごめんね。僕はもともと倹約家なんだ」
「いやいや、庭が広いし十分でかいって。本当うらやましいよ。俺の家なんて、古くはないけど狭い二階建ての長屋住宅だから」
「え!」
「悪かったな、春。俺はお前にとって理想的な男じゃない」
「いえ理想通りで嬉しいです」
「どんな理想だよ。喜ぶな。バカにしているのか」
「違いますよ。萌えているんです」
家の前で口喧嘩されても困るので背中を押して招待する。
二人を安心させるために、今日は無理をお願いして妻に仕事を休んでもらった。
気の利く女性でいつも助けてもらっている。
妻は二人をたいへん気に入ったようだ。
僕たちには、まだ子供がいないので、妻は早くも二人を我が子のように可愛がろうとしている。
そんな風に見えて微笑ましい。
「こちら手作りですが、良かったらどうぞ召し上がれ」
妻は朝早くから歌をうたったりして楽しそうにお菓子を用意していた。
よほど楽しみだったようで、二人は学校が終わって来ると決まっているのに、最低でも十回は何時に来るのかと聞かれた。
二人が美味しそうにクッキーやパイをつまむ姿を見て、えくぼをつくる。
これほど幸せそうな笑みは、最近では甥っ子が遊びに来た時くらいにしか見ない。
彼女に寂しい思いをさせているのかも知れないと思うと、僕は申し訳ない気持ちになる。
「この紅茶も美味しいでしょう?テレビで紹介されていたものなの!」
「楽しいお喋りを邪魔して悪いけれど、そろそろ創くんを借りてもいいかな?」
「そうね。そのために来てくれたんだもんね」
「ごちそうさまでした。クッキー美味しかったです」
「創くん、それほんと!?きゃー嬉しい!お土産に残してあるから帰る時に持って帰ってね!」
「はい!ありがとうございます!」
妻と春ちゃんを残して芝生を敷いた庭へ出る。
靴をはくために一度、玄関を通って回り込んだ。
「すっげえ……。庭にバスケコートがある」
「ハーフだけどね。それより、見てごらん」
掃き出し窓の向こうで春ちゃんが手を振っている。
創くんは、ツンッ、とそっぽ向いてバスケゴールと向き合った。
「そう言えば猫は?オジサン、ねこアレルギーだから……」
「心配ないよ。ほら、きたきた」
妻がねこを抱いてきた。
柔らかなゴールデンの毛が美しい。
大人しい性格で、以前は僕と二人で暮らしていた猫だ。
今では妻の方に懐いている。
ちょっと寂しい。
「この猫はなんていうねこ?」
「サイベリアンだよ。女の子で名前は、あさひ」
「あさひちゃん。えと、よろしくお願いします」
「抱っこしてあげて」
そう言う妻から恐る恐る猫を受け取った創くんは、見るからに戸惑う。
落とさないよう、しっかり抱えてくれるところが彼の優しさ。
「創くん、怖がらないで。ねこバスケで最も大事なのは猫と通じ合うことだよ」
「ねこと……通じ合う」
「噛まないし引っ掻きもしないから安心して。ゆっくり、猫の呼吸に自分の呼吸を合わせるんだ」
思わず見入ってしまいそうなほど集中力が澄んでいる。
スウッと雰囲気が変わった。
堂々と落ち着いて、凛々しい。
まさに春ちゃんの憧れる王子様みたい。
「あらー良かったね、あさひちゃん。カッコいいお兄さんに抱っこしてもらえて」
「こらこら。いま集中しているから邪魔しちゃいけないよ」
「てへ、ごめんなさい。トレーニングがんばってね、王子様!」
「え?王子様?」
「春ちゃんの影響じゃないかな」
「あいつ余計なこと言って」
「まあまあ、それよりも集中して。もう一度、呼吸を合わせてみよう。試合中は、ねこの呼吸で運動することが基本になるよ」
焦らず丁寧に教えていくつもりだ。
今の彼に大事なのは全てを学ぶことじゃない。
リベンジのために必要なことだけを伝えよう。
「わっ。ちょっとくすぐったいって」
あさひが創くんの胸に頭を擦りつける。
これは彼を信頼した証。
あらあら頬を軽く舐めちゃって。
これは愛情表現、まさか母性がはたらいているのかな。
とにかく、相性が良いことに安心する。
「ははは、あさひに気に入られたね。君にはやっぱり、ねこバスケの素質があるよ」
「本当?俺、犬派だぞ」
「いいの犬派でも。ねこを大切に思ってくれたら、それが一番なんだよ」
「なんか、ありがとうな。あさひ」
創くんは柔らかく、あさひの頭を撫でてくれる。
一方で大きな物音がしたので何事かと振り返ると、室内で春ちゃんがひっくり返っていた。
可愛らしい子だ。
しかし、僕にも少し分かってきたよ。
カッコいい少年が猫とじゃれる。
尊いよね。感無量だよね。
「じゃあ、次のステップにいこう」
練習は六時を少し過ぎて終わりにした。
いよいよ日が暮れ、空が暗くなってきたので彼らを家に帰してあげる。
妻は二人の家族の分までクッキーを用意していて、彼らの手荷物を増やしてしまった。
「創様、お疲れさまでした」
「ありがとう。お前、ずっと後ろをついて歩く気?」
「もちろんです。いつでもいつまでもお供させてもらいますよ」
「こえーて。ところで、別にトレーニングに付き合わなくていいんだぞ」
「いやいや王子様の努力を間近で見守るチャンスをそのヒロイン的立場をこの私がどうして逃しましょうか」
「あーそう。結局、少女漫画のロマンスかよ」
「そう……ロマンス……それはすなわち愛です!私は創様を……はっ!」
「トレーニングがてら軽く走って帰る」
「そんなひどい!待ってー!」
早朝六時。
朝が大の苦手で、重い体を根性で起き上がらせる。
まぶたは顔を洗ってもまだ開かない、まるで糸のように細い。
寝癖も今は直さなくていいや。
どうせ帰ったらシャワーするし。
「おはよう、母さん」
「うわー珍しい。本当に自分で起きた」
「散歩ついでに軽く走ってくる」
「気を付けて行くのよ」
「うん。行ってきます」
犬の散歩は、宇宙規模の野望を抱いて引きこもる姉さんに規則正しい生活を心がけてもらうため、家族が与えた仕事だ。
けれど、今日から◯カチュウの朝の散歩は俺が担当する。
◯カチュウと言ってもネズミじゃない。
可愛いゴールデンレトリーバーのオスのこと。
名付けたのは幼い頃の俺、反省はしている。
こいつは賢いだけじゃなく思いやりもあって、人に道を譲ったり、子供に撫でさせたり、俺が風邪で寝込んだ時は側にいてくれる。
「早朝の空気って気持ちいいんだな」
ピカは決して吠えたりしない。
その代わり表情や仕草で応えてくれる。
時折、俺の顔を振り返り嬉しそうに笑う。
そんな相棒と並んで走ることは楽しいと思い出した。
季節は初夏。
早朝の涼しさは少し肌寒いと感じたけれど、走っているうちに体が温まって心地よくなってきた。
ピカも同じなのか少し加速している。
力が思った以上に強くて、そのまま半ば引っ張られる形で萬福寺に到着した。
「えっ!寝癖かわいっ!」
「は?」
「おはようございます。そしてお疲れ様です」
仏のような笑顔。朝日よりも眩しい。
表情から伝わる謎の熱意は日差しによるものか本人によるものか。
パジャマ姿には触れないべきだろうか。
「何でいるんだよ……」
「昨日、話したじゃないですか。はい、これ。ハチミツ入りのレモン水です」
「ありがとう……じゃねーよ。お前ちょっと怖いぞ」
「私だってストーカーの恐ろしさは心得ているつもりですし、限度を超えるつもりはもちろんありません。だから一緒に走ることはちゃんと控えました」
「ああそう。で、カッター持ってないよな?」
「安心してください!」
とびっきりの笑顔。
訂正。
彼女は仏じゃなくて妖怪かも知れない。
底知れぬ恐怖を体の内から、ひんやり感じた。
これはきっと、キンキンに冷えたレモン水の影響だけじゃないはず。
「あはは、大きいわんちゃん可愛いー!この子の名前はなんですか?」
「◯カチュウ」
「へえ?」
「だから◯カチュウ」
「かわいい名前ですね!」
「笑ってくれ。いっそ笑ってくれ。昔の俺が名付けたんだ」
「いいじゃないですか。大好きな◯カチュウを大好きなわんちゃんに付けてあげても。そういう素直なところ好きですよ」
こいつは平気で好きとか言うし、俺の言葉をあんまり否定しない。
純粋で、人がいいんだな。
だからストーカー行為をされても、嫌い、とまではいかない。
今のところは。
「いつもピカって呼んでるから。ピカって呼べばいいよ」
「ピカー!ピカピカー!」
「モノマネはしなくていい」
「ピカ様よろしくね」
「様は付けなくていい」
こんな風にして俺の朝のランニングは始まった。
それから学校に通い、放課後はオジサンの家で練習する。
これを繰り返して、夏休みに入ってからもトレーニングは続けた。
オジサンには、まるでホームステイしているくらいお世話になった。
平日の昼過ぎから夕方までコーチしてもらい、春と二人そろって夕食をご馳走になったことも一度や二度だけじゃない。
ところで夏休み中に、オジサンについて色々と知ることができた。
オジサンは土曜日と日曜日、地域が主体となって運営するバスケクラブで小学生に技術を指導するサブコーチについている。
平日の日中は、つまり俺達が学校に通っている時間、体が衰えないようトレーニングを無理なく行っている。
俺はオジサンから基礎を教わりながらも、まるで競うようにトレーニングを重ねた。
ちなみに、萬福寺にいるのは猫好きの趣味と休憩を兼ねているとのことだ。
さて、夏休みがあっという間に過ぎて、その成果をいよいよ見せる時がきた。
「はあ……どきどき」
昨日の帰り道に創様から決意表明を受けて、私なかなか眠れませんでした。
まだ夏の残る強い朝日がとても辛い。
だからと言って、創様の努力を見逃すわけにはいかない。
なにより彼が頑張っているのに私が怠けてちゃダメだ。
「春。今日ぶっちゃいく」
「あん?創様でも言っていいことと悪いことがありますよ!」
「ごめん、悪い冗談だった。もし疲れてるなら無理しなくていいんだぞ」
「ふんっ」
がんばれ私!
「春」
お昼休みの時間、創様が私を迎えに参上。
途端にうちの教室は氷河期が訪れたように凍りつき、先ほどまでの賑やかさが嘘みたいに静まり返った。
ひそひそ話に聞き耳を立てるとなんやら、夏休み中に私達はキスをして恋仲になった、と思われているよう。
もしそれが本当なら……いやんだめだめ。
ハレンチな誤解をとくのは冬ちゃんに任せて、私は創様と、今度は残念ながら手を繋ぐことなく中庭までやって来た。
どうしてみんな逃げるんだろう。
そこで、自分で言うのも照れちゃうけれど、二人きりでお弁当を食べていると……。
「カワイイ後輩!約束破ってイチャついてんじゃねえぞコラァ!」
「ふっ。待っていましたよ、先輩」
びっくり。創様の思惑通り誘われてやってきた。
二人の取り巻きをつれて、あの恐ろしい大先輩の登場だ。
しかし創様さすがまったく動じることなくクールにお弁当を片付ける。
堂々として以前とはまるで別人。
目の前で、先輩が鳩のように頭を前後に振って威嚇しているというのに目もくれない。
「お待たせしました」
「ちゃんと飯食ったのかテメエコラァ」
「先輩。今日はリベンジさせて下さい」
「いいぜ」
「即答っ!」
「春ちゃん。俺は売られた喧嘩は買う派なのよ」
「喧嘩は良くないと思います」
「よせ。余計なこと言うな」
「コラ、カワイイ後輩。一丁前にイチャついてんじゃねえぞ」
「イチャついてませんてば。それより行きましょう」
向かった先はもちろん体育館。
以前、創様と私が苦い屈辱を味わった場所である。
今日はそのリベンジを果たすためにやって来たのだ。
「夏休みの間に練習したのか?」
「はい。先輩に勝つために」
「言うじゃねえか。いい面だぜ」
新学期が始まって一週間、創様は三毛猫と練習に励んだ。
私が一緒だと先輩を召喚してしまうので、お昼に創様ひとりで練習してもらうことに。
三毛猫は、あさひちゃんより小さく軽いので、体を慣れさせ調整する必要があったのだ。
私の妄想になるけれど、きっとバスケの練習の合間にイチャイチャしたに違いない。
なでなですりすり。ぺろぺろ?
お弁当を、あーん、おすそ分けしちゃったりなんかして。
やーん!ねこちゃんになりたーい!
「春ちゃんを見ろよ。お前の惨敗を思い出して笑ってるぜ」
「いや。あれは乙女チックな妄想をしてニヤニヤ喜んでいるんですよ」
「お前に春ちゃんの何が分かるんだっ!」
「ええー……」
「まさか……夏休み……テメエらよう……」
先輩がプルプル震えだした。
どうやら気付いてしまったらしい。
私と創様、二人だけの秘密のトレーニングサマーバカンスに!
しかし決して恋にのぼせていたわけではございません。
まじめに練習を頑張りました。
私はそれを献身的に支えたつもりです。
「それだけの関係なのです……うふ」
「どういう関係だコラァ!」
「マジで何もないですって!春、余計なこと言わないでくれよ!頼むから!」
おっと私としたことが、はしたない。
お口から乙女の秘密をこぼすなんてレディ失格。
「まあいい。さっさと始めようぜ。俄然ぶちのめす気になった」
「お、お手柔らかにお願いします」
「お前が勝ったら男として認めてやるよ」
「それはつまり、春の側にいていいと?」
私の側に!?
逆です!私がお側につきます!
「おう。好きにしな」
先輩がディフェンス。
創様がオフェンス。
ルールは簡単。
創様が、一点、決めればいい。
私には勝利を願うことしか出来ないけれど、心から応援しています。
ふれっふれっ創様!
「行きます」
「かかってこいや」
しゅ…………ぽふ。
「あ?」
「ふう。俺の勝ちでいいですよね」
拍手、ぱちぱちぱんち。
王子様の華麗なるロングシュートが決まりました。
丸くなった猫がふわっと放物線を描いて、バスケットゴールのネットへ吸い込まれるようにすっぽり収まった。
ねこは床を跳ねると体を伸ばして着地。
まるで魔法でも見ているような綺麗な変身。
そして、お座り大きな欠伸をひとつ。
「ざっけんじゃねえ!」
「卑怯だろうがテメッコラァン!」
あわわ、取り巻きの二人が創様に詰め寄る。
ボコボコ大ピンチのシーン。
と、ここで意外や意外。
なんと先輩が創様をかばうように立ちはだかってくれた。
「よせやい。コイツはよくやった」
「あ?でもよ。こんなんバスケじゃねえだろうよ」
「お前らだって俺と同じバスケ部。分かってるはずだ。コイツは凄いことをやってのけたってな」
あ、先輩はバスケ部だったんだ。
そりゃ強いわけだ。
なんかずるい!
どちらかと言えば先にズルしたのはあんたやないかーい!
「ほら春ちゃんも怒ってる。お前らも男なら、いさぎよく負けを認めろ」
「ちっ。つまんねーもん見せやがって」
「戻って次の授業の予習でもしようぜ」
取り巻きではなかったの?
ただの悪友?
二人は渋々そろって戻って行った。
負け犬わんわん。ザマアミロである。
「カワイイ後輩。お前を男として認める」
「でも先輩。俺、確かにズルしたかも」
「そんなことたあねえ。この距離は、ねこバスケでは最長の距離になる。それも一発で、なかなか決められるもんじゃねえよ。胸張って誇りな」
「先輩……!」
「よくがんばった」
はうっ!先輩が創様の頭をぽふってした!
これはキュンです!
なんとびっくり!
二人の間に友情が芽生えたのかも!?
尊い!そそる!
「あばよ、邪魔して悪かったな。俺は二度と二人の邪魔はしねーと約束する。お前らは、いい青春を送れよ」
先輩はひとりぼっちの野良猫みたいに、寂しい背中を丸めて帰った。
最後に振った手が、ねこのしっぽみたい。
「創様。とにかく勝ちは勝ち。おめでとうございます!」
「おめでとう、てなんだよ。ったく。お前のためにも頑張ったんだからな」
「ほえ?」
「私も悔しいって前に言ってただろ。リベンジがうまくいって、本当によかった」
「創様……!」
「ああー疲れた。めっちゃ緊張したー」
「お疲れさまでした」
「春もな」
「えへへ……ありがとう!」
すぐ近くに色とりどりの花が咲き溢れる森林公園があって即決した。
家は一般的な庭付きの一戸建てだ。
二人はずいぶん期待していたのか、はっきりと驚きが顔に出てしまっている。
その素直さが可愛くっておかしくって、僕はつい笑ってしまった。
「豪邸じゃなくてごめんね。僕はもともと倹約家なんだ」
「いやいや、庭が広いし十分でかいって。本当うらやましいよ。俺の家なんて、古くはないけど狭い二階建ての長屋住宅だから」
「え!」
「悪かったな、春。俺はお前にとって理想的な男じゃない」
「いえ理想通りで嬉しいです」
「どんな理想だよ。喜ぶな。バカにしているのか」
「違いますよ。萌えているんです」
家の前で口喧嘩されても困るので背中を押して招待する。
二人を安心させるために、今日は無理をお願いして妻に仕事を休んでもらった。
気の利く女性でいつも助けてもらっている。
妻は二人をたいへん気に入ったようだ。
僕たちには、まだ子供がいないので、妻は早くも二人を我が子のように可愛がろうとしている。
そんな風に見えて微笑ましい。
「こちら手作りですが、良かったらどうぞ召し上がれ」
妻は朝早くから歌をうたったりして楽しそうにお菓子を用意していた。
よほど楽しみだったようで、二人は学校が終わって来ると決まっているのに、最低でも十回は何時に来るのかと聞かれた。
二人が美味しそうにクッキーやパイをつまむ姿を見て、えくぼをつくる。
これほど幸せそうな笑みは、最近では甥っ子が遊びに来た時くらいにしか見ない。
彼女に寂しい思いをさせているのかも知れないと思うと、僕は申し訳ない気持ちになる。
「この紅茶も美味しいでしょう?テレビで紹介されていたものなの!」
「楽しいお喋りを邪魔して悪いけれど、そろそろ創くんを借りてもいいかな?」
「そうね。そのために来てくれたんだもんね」
「ごちそうさまでした。クッキー美味しかったです」
「創くん、それほんと!?きゃー嬉しい!お土産に残してあるから帰る時に持って帰ってね!」
「はい!ありがとうございます!」
妻と春ちゃんを残して芝生を敷いた庭へ出る。
靴をはくために一度、玄関を通って回り込んだ。
「すっげえ……。庭にバスケコートがある」
「ハーフだけどね。それより、見てごらん」
掃き出し窓の向こうで春ちゃんが手を振っている。
創くんは、ツンッ、とそっぽ向いてバスケゴールと向き合った。
「そう言えば猫は?オジサン、ねこアレルギーだから……」
「心配ないよ。ほら、きたきた」
妻がねこを抱いてきた。
柔らかなゴールデンの毛が美しい。
大人しい性格で、以前は僕と二人で暮らしていた猫だ。
今では妻の方に懐いている。
ちょっと寂しい。
「この猫はなんていうねこ?」
「サイベリアンだよ。女の子で名前は、あさひ」
「あさひちゃん。えと、よろしくお願いします」
「抱っこしてあげて」
そう言う妻から恐る恐る猫を受け取った創くんは、見るからに戸惑う。
落とさないよう、しっかり抱えてくれるところが彼の優しさ。
「創くん、怖がらないで。ねこバスケで最も大事なのは猫と通じ合うことだよ」
「ねこと……通じ合う」
「噛まないし引っ掻きもしないから安心して。ゆっくり、猫の呼吸に自分の呼吸を合わせるんだ」
思わず見入ってしまいそうなほど集中力が澄んでいる。
スウッと雰囲気が変わった。
堂々と落ち着いて、凛々しい。
まさに春ちゃんの憧れる王子様みたい。
「あらー良かったね、あさひちゃん。カッコいいお兄さんに抱っこしてもらえて」
「こらこら。いま集中しているから邪魔しちゃいけないよ」
「てへ、ごめんなさい。トレーニングがんばってね、王子様!」
「え?王子様?」
「春ちゃんの影響じゃないかな」
「あいつ余計なこと言って」
「まあまあ、それよりも集中して。もう一度、呼吸を合わせてみよう。試合中は、ねこの呼吸で運動することが基本になるよ」
焦らず丁寧に教えていくつもりだ。
今の彼に大事なのは全てを学ぶことじゃない。
リベンジのために必要なことだけを伝えよう。
「わっ。ちょっとくすぐったいって」
あさひが創くんの胸に頭を擦りつける。
これは彼を信頼した証。
あらあら頬を軽く舐めちゃって。
これは愛情表現、まさか母性がはたらいているのかな。
とにかく、相性が良いことに安心する。
「ははは、あさひに気に入られたね。君にはやっぱり、ねこバスケの素質があるよ」
「本当?俺、犬派だぞ」
「いいの犬派でも。ねこを大切に思ってくれたら、それが一番なんだよ」
「なんか、ありがとうな。あさひ」
創くんは柔らかく、あさひの頭を撫でてくれる。
一方で大きな物音がしたので何事かと振り返ると、室内で春ちゃんがひっくり返っていた。
可愛らしい子だ。
しかし、僕にも少し分かってきたよ。
カッコいい少年が猫とじゃれる。
尊いよね。感無量だよね。
「じゃあ、次のステップにいこう」
練習は六時を少し過ぎて終わりにした。
いよいよ日が暮れ、空が暗くなってきたので彼らを家に帰してあげる。
妻は二人の家族の分までクッキーを用意していて、彼らの手荷物を増やしてしまった。
「創様、お疲れさまでした」
「ありがとう。お前、ずっと後ろをついて歩く気?」
「もちろんです。いつでもいつまでもお供させてもらいますよ」
「こえーて。ところで、別にトレーニングに付き合わなくていいんだぞ」
「いやいや王子様の努力を間近で見守るチャンスをそのヒロイン的立場をこの私がどうして逃しましょうか」
「あーそう。結局、少女漫画のロマンスかよ」
「そう……ロマンス……それはすなわち愛です!私は創様を……はっ!」
「トレーニングがてら軽く走って帰る」
「そんなひどい!待ってー!」
早朝六時。
朝が大の苦手で、重い体を根性で起き上がらせる。
まぶたは顔を洗ってもまだ開かない、まるで糸のように細い。
寝癖も今は直さなくていいや。
どうせ帰ったらシャワーするし。
「おはよう、母さん」
「うわー珍しい。本当に自分で起きた」
「散歩ついでに軽く走ってくる」
「気を付けて行くのよ」
「うん。行ってきます」
犬の散歩は、宇宙規模の野望を抱いて引きこもる姉さんに規則正しい生活を心がけてもらうため、家族が与えた仕事だ。
けれど、今日から◯カチュウの朝の散歩は俺が担当する。
◯カチュウと言ってもネズミじゃない。
可愛いゴールデンレトリーバーのオスのこと。
名付けたのは幼い頃の俺、反省はしている。
こいつは賢いだけじゃなく思いやりもあって、人に道を譲ったり、子供に撫でさせたり、俺が風邪で寝込んだ時は側にいてくれる。
「早朝の空気って気持ちいいんだな」
ピカは決して吠えたりしない。
その代わり表情や仕草で応えてくれる。
時折、俺の顔を振り返り嬉しそうに笑う。
そんな相棒と並んで走ることは楽しいと思い出した。
季節は初夏。
早朝の涼しさは少し肌寒いと感じたけれど、走っているうちに体が温まって心地よくなってきた。
ピカも同じなのか少し加速している。
力が思った以上に強くて、そのまま半ば引っ張られる形で萬福寺に到着した。
「えっ!寝癖かわいっ!」
「は?」
「おはようございます。そしてお疲れ様です」
仏のような笑顔。朝日よりも眩しい。
表情から伝わる謎の熱意は日差しによるものか本人によるものか。
パジャマ姿には触れないべきだろうか。
「何でいるんだよ……」
「昨日、話したじゃないですか。はい、これ。ハチミツ入りのレモン水です」
「ありがとう……じゃねーよ。お前ちょっと怖いぞ」
「私だってストーカーの恐ろしさは心得ているつもりですし、限度を超えるつもりはもちろんありません。だから一緒に走ることはちゃんと控えました」
「ああそう。で、カッター持ってないよな?」
「安心してください!」
とびっきりの笑顔。
訂正。
彼女は仏じゃなくて妖怪かも知れない。
底知れぬ恐怖を体の内から、ひんやり感じた。
これはきっと、キンキンに冷えたレモン水の影響だけじゃないはず。
「あはは、大きいわんちゃん可愛いー!この子の名前はなんですか?」
「◯カチュウ」
「へえ?」
「だから◯カチュウ」
「かわいい名前ですね!」
「笑ってくれ。いっそ笑ってくれ。昔の俺が名付けたんだ」
「いいじゃないですか。大好きな◯カチュウを大好きなわんちゃんに付けてあげても。そういう素直なところ好きですよ」
こいつは平気で好きとか言うし、俺の言葉をあんまり否定しない。
純粋で、人がいいんだな。
だからストーカー行為をされても、嫌い、とまではいかない。
今のところは。
「いつもピカって呼んでるから。ピカって呼べばいいよ」
「ピカー!ピカピカー!」
「モノマネはしなくていい」
「ピカ様よろしくね」
「様は付けなくていい」
こんな風にして俺の朝のランニングは始まった。
それから学校に通い、放課後はオジサンの家で練習する。
これを繰り返して、夏休みに入ってからもトレーニングは続けた。
オジサンには、まるでホームステイしているくらいお世話になった。
平日の昼過ぎから夕方までコーチしてもらい、春と二人そろって夕食をご馳走になったことも一度や二度だけじゃない。
ところで夏休み中に、オジサンについて色々と知ることができた。
オジサンは土曜日と日曜日、地域が主体となって運営するバスケクラブで小学生に技術を指導するサブコーチについている。
平日の日中は、つまり俺達が学校に通っている時間、体が衰えないようトレーニングを無理なく行っている。
俺はオジサンから基礎を教わりながらも、まるで競うようにトレーニングを重ねた。
ちなみに、萬福寺にいるのは猫好きの趣味と休憩を兼ねているとのことだ。
さて、夏休みがあっという間に過ぎて、その成果をいよいよ見せる時がきた。
「はあ……どきどき」
昨日の帰り道に創様から決意表明を受けて、私なかなか眠れませんでした。
まだ夏の残る強い朝日がとても辛い。
だからと言って、創様の努力を見逃すわけにはいかない。
なにより彼が頑張っているのに私が怠けてちゃダメだ。
「春。今日ぶっちゃいく」
「あん?創様でも言っていいことと悪いことがありますよ!」
「ごめん、悪い冗談だった。もし疲れてるなら無理しなくていいんだぞ」
「ふんっ」
がんばれ私!
「春」
お昼休みの時間、創様が私を迎えに参上。
途端にうちの教室は氷河期が訪れたように凍りつき、先ほどまでの賑やかさが嘘みたいに静まり返った。
ひそひそ話に聞き耳を立てるとなんやら、夏休み中に私達はキスをして恋仲になった、と思われているよう。
もしそれが本当なら……いやんだめだめ。
ハレンチな誤解をとくのは冬ちゃんに任せて、私は創様と、今度は残念ながら手を繋ぐことなく中庭までやって来た。
どうしてみんな逃げるんだろう。
そこで、自分で言うのも照れちゃうけれど、二人きりでお弁当を食べていると……。
「カワイイ後輩!約束破ってイチャついてんじゃねえぞコラァ!」
「ふっ。待っていましたよ、先輩」
びっくり。創様の思惑通り誘われてやってきた。
二人の取り巻きをつれて、あの恐ろしい大先輩の登場だ。
しかし創様さすがまったく動じることなくクールにお弁当を片付ける。
堂々として以前とはまるで別人。
目の前で、先輩が鳩のように頭を前後に振って威嚇しているというのに目もくれない。
「お待たせしました」
「ちゃんと飯食ったのかテメエコラァ」
「先輩。今日はリベンジさせて下さい」
「いいぜ」
「即答っ!」
「春ちゃん。俺は売られた喧嘩は買う派なのよ」
「喧嘩は良くないと思います」
「よせ。余計なこと言うな」
「コラ、カワイイ後輩。一丁前にイチャついてんじゃねえぞ」
「イチャついてませんてば。それより行きましょう」
向かった先はもちろん体育館。
以前、創様と私が苦い屈辱を味わった場所である。
今日はそのリベンジを果たすためにやって来たのだ。
「夏休みの間に練習したのか?」
「はい。先輩に勝つために」
「言うじゃねえか。いい面だぜ」
新学期が始まって一週間、創様は三毛猫と練習に励んだ。
私が一緒だと先輩を召喚してしまうので、お昼に創様ひとりで練習してもらうことに。
三毛猫は、あさひちゃんより小さく軽いので、体を慣れさせ調整する必要があったのだ。
私の妄想になるけれど、きっとバスケの練習の合間にイチャイチャしたに違いない。
なでなですりすり。ぺろぺろ?
お弁当を、あーん、おすそ分けしちゃったりなんかして。
やーん!ねこちゃんになりたーい!
「春ちゃんを見ろよ。お前の惨敗を思い出して笑ってるぜ」
「いや。あれは乙女チックな妄想をしてニヤニヤ喜んでいるんですよ」
「お前に春ちゃんの何が分かるんだっ!」
「ええー……」
「まさか……夏休み……テメエらよう……」
先輩がプルプル震えだした。
どうやら気付いてしまったらしい。
私と創様、二人だけの秘密のトレーニングサマーバカンスに!
しかし決して恋にのぼせていたわけではございません。
まじめに練習を頑張りました。
私はそれを献身的に支えたつもりです。
「それだけの関係なのです……うふ」
「どういう関係だコラァ!」
「マジで何もないですって!春、余計なこと言わないでくれよ!頼むから!」
おっと私としたことが、はしたない。
お口から乙女の秘密をこぼすなんてレディ失格。
「まあいい。さっさと始めようぜ。俄然ぶちのめす気になった」
「お、お手柔らかにお願いします」
「お前が勝ったら男として認めてやるよ」
「それはつまり、春の側にいていいと?」
私の側に!?
逆です!私がお側につきます!
「おう。好きにしな」
先輩がディフェンス。
創様がオフェンス。
ルールは簡単。
創様が、一点、決めればいい。
私には勝利を願うことしか出来ないけれど、心から応援しています。
ふれっふれっ創様!
「行きます」
「かかってこいや」
しゅ…………ぽふ。
「あ?」
「ふう。俺の勝ちでいいですよね」
拍手、ぱちぱちぱんち。
王子様の華麗なるロングシュートが決まりました。
丸くなった猫がふわっと放物線を描いて、バスケットゴールのネットへ吸い込まれるようにすっぽり収まった。
ねこは床を跳ねると体を伸ばして着地。
まるで魔法でも見ているような綺麗な変身。
そして、お座り大きな欠伸をひとつ。
「ざっけんじゃねえ!」
「卑怯だろうがテメッコラァン!」
あわわ、取り巻きの二人が創様に詰め寄る。
ボコボコ大ピンチのシーン。
と、ここで意外や意外。
なんと先輩が創様をかばうように立ちはだかってくれた。
「よせやい。コイツはよくやった」
「あ?でもよ。こんなんバスケじゃねえだろうよ」
「お前らだって俺と同じバスケ部。分かってるはずだ。コイツは凄いことをやってのけたってな」
あ、先輩はバスケ部だったんだ。
そりゃ強いわけだ。
なんかずるい!
どちらかと言えば先にズルしたのはあんたやないかーい!
「ほら春ちゃんも怒ってる。お前らも男なら、いさぎよく負けを認めろ」
「ちっ。つまんねーもん見せやがって」
「戻って次の授業の予習でもしようぜ」
取り巻きではなかったの?
ただの悪友?
二人は渋々そろって戻って行った。
負け犬わんわん。ザマアミロである。
「カワイイ後輩。お前を男として認める」
「でも先輩。俺、確かにズルしたかも」
「そんなことたあねえ。この距離は、ねこバスケでは最長の距離になる。それも一発で、なかなか決められるもんじゃねえよ。胸張って誇りな」
「先輩……!」
「よくがんばった」
はうっ!先輩が創様の頭をぽふってした!
これはキュンです!
なんとびっくり!
二人の間に友情が芽生えたのかも!?
尊い!そそる!
「あばよ、邪魔して悪かったな。俺は二度と二人の邪魔はしねーと約束する。お前らは、いい青春を送れよ」
先輩はひとりぼっちの野良猫みたいに、寂しい背中を丸めて帰った。
最後に振った手が、ねこのしっぽみたい。
「創様。とにかく勝ちは勝ち。おめでとうございます!」
「おめでとう、てなんだよ。ったく。お前のためにも頑張ったんだからな」
「ほえ?」
「私も悔しいって前に言ってただろ。リベンジがうまくいって、本当によかった」
「創様……!」
「ああー疲れた。めっちゃ緊張したー」
「お疲れさまでした」
「春もな」
「えへへ……ありがとう!」
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