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第十五章

嘘①

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 芹川と別れて、私は古着屋で服を二着買った。

 ホテルに戻り、ずっと着ていた服を洗濯すると、ベッドに横になった。そのまま眠ってしまいそうだったので、シャワーだけ先に浴びた。

 それが終わると、私は椅子に座って頭を拭きながら、電話番号の書かれた紙ナプキンを手に持って眺め、これがどういう運命を導くのかと、思いを巡らせていた。

 彼女の態度には、理解できないところが多々ある。

 私の味方をしているのか、斎垣の肩を持っているのかいまいち判断がつかない。

 ただ不可解に思っているのは私だけでないと思った。彼女もまた、私のことを奇妙だと思っているように見えた。

 私も、いまの自分を自分らしいとは、まったく思っていない。

 むしろ聞かれたくないことを、会う人全員に、理不尽な面接官みたいに無理やり聞き出そうとするいまの自分が嫌でしょうがなかった。

 事件の真相を知るためとはいえ、いつまでもこんなことはできない。

 それは、こうして一日が終わる頃には、エネルギーを使い切って、へとへとになっていることからもよくわかった。
 
 一刻も早く自分の世界に帰りたかった。

 けれども、犯人が捕まる前に帰るつもりは一切なかった。

 それは、こっちの世界に来る前に、絶対に犯人の顔を拝んでやるのだと、誓っていたからだ。

 とは言っても、別に本気でこの手で犯人を捕まえられるとは思っていなかった。

 最終的にはどこかで警察の力が必要になるはずだ。

 ただ私は(本当に自分でもどうしようもないと呆れるのだけど)、警察が私の考えている事件の全容とはまったく違う観点から動いていることに納得できないでいたのだ。
 
 その後眠りにつく前に、私は「丑」の「私」と連絡を取った。短い通話になったが、今日のことを話すと、彼女は芹川が言っていた錦木とのトラブルについての裏付けをしてくれた。

 次の日の朝、私はまたあの公園に向かっていた。

 十時頃、私がベンチで待っていると加茂さんがやってきた。

「おはようございます」

 私はまだ重い瞼を動かせて挨拶をした。

「あれ、今日も来たのかね」

 加茂さんは私を見ると目にしわを寄せて嬉しそうに笑った。

「あれからどうなったのか知りたくて。昨日は例の人を見ていませんか?」

 私が聞くと、加茂さんは残念そうに首を振った。

「いんや。実はね、昨日あれから気になって夜、ちょくちょく見に行ったんだけども、誰もいなかったね」

 加茂さんは「よっこらっしょ」と言いながらベンチに座った。

「わざわざ行って下さったんですか。すみません、ありがとうございます」

「いやいや、お気になさらずに。なんだか張り込みみたいで面白かったよ」

 恐縮したように彼は答えた。

 私は加茂さんと短い話しをした。加茂さんは、今日の午後も張り込みをするつもりだと言っていた。

 それを聞いて私は、同じく張り込みをすることを加茂さんに伝えた。ただその前にやることがあるとも。

 私は加茂さんにホテルの番号を教え、感謝を述べて公園を後にした。

 張り込みの前に、錦木の小説講座の教室に行くつもりだった。

 もちろんそれは私も小説が書きたくなって、錦木に書き方を教わりに行くわけではなく、彼の当日のアリバイについて調べたかったからだ。

 それと、錦木についてもっと情報を知っておきたかった。

 教室へは、電車で二十分ほどかかった。都心に近いその駅の周りは栄えていて、古びていた。

 新しいビルと古いビルが混在していて、雑念としている。

 再開発の予定があるのか騒がしい。教室は駅から少し離れたところの小さな古い四階建てのビルにあった。

 私は古ぼけたガラス戸を開けて、二階の受付に入った。

 受付には中年の女性が一人、暇そうに下を向いていた。私が入ると、女性がこっちに気付いて微笑んだ。

 私はそれを見て、どうするべきか考えた。受付の女性に話しかける前に、茶道や琴、街の歴史を学ぶ講座などを紹介するたくさんの張り紙を見渡した。

 私は机の上にあった申込書を手に取った。急いでそこに名前を書き込むと、その紙を受付の女性に渡した。

「小説講座の申し込みですね。音羽梓さん。はい、承りました」

 女性は申込書にサッと目を通して答えた。

「講座は来週の土曜日からになります。会場はここ、持ち物などについてはこちらの資料に目を通してください」

 その後も女性からの説明が続いた。

 私はそれが一通り終わるのを待って、隙を見計らうと、

「あの、ちょっと、いいでしょうか?」

 と声をかけた。

「はい。いいですよ。なんでしょうか」

 きょとんとした表情で申込書を手に持ち、目をしばたたきながらその人は言った。

「私、今日は錦木先生の講座を受けたいと思って来たんです。でもさっき探したんですけど、見当たらなくて。先生の講座はもう受付を終了してしまったのですか?」

 私が言うと、女性は目を動かさずに、顔だけ縦に何度か動かした。

「ああ、錦木先生ですか。それでしたら、残念ながら先生は講師を辞めてしまったんですよ」

「辞めた?」

「はい」

「いつ?」

 女性は上を向いた。

「ちょうど先月くらいですかね。突然のことでしたから、あまり知られていないのかもしれませんけれど」

「どうしてですか?」

「さあ……事情はわかりませんが、とにかくここを辞めたのは本当ですよ」

 私は考え込んだ。どういうことだろう?

「先生は、以前から辞める予定があったんですか? なにか……もめごととかがあったとか?」

 私はそれとなく水を向けた。受付の女性は首を傾げた。

「どうでしょうかね。そういったことは私にはよくわかりません。でも、あまり聞いたことはありませんね。先生は評判もよかったですからね。まあちょっと厳しいみたいでしたけれど。でも的確なことを言ってくれるって人もいましたよ。プロになった教え子も多いし、熱心に指導していたから、本当にどうして辞めてしまったのか、私が知りたいくらいですけどね」

 女性はそう言うと、私を見つめて、一重瞼の奥に潜んでいた目を光らせた。

「そう言えばあなた、私とどこかで会ったことあります?」

「……わかりました。すみません。申し込みをキャンセルしてもいいですか?」

 私は急いで話を逸らした。女性は呆気にとられたような顔をしていたが、やがて事情を察したのか、

「ああ、はい。わかりました」

 と紙を横に退けた。

「またお待ちしております」

 その後、私が出て行く時、心情を慮るように彼女が言った。

 嘘をついていた!

 私は外に出るなりそう思った。外は電車が通り過ぎるたびに地面が揺れ、ガタンゴトンと激しい音が鳴り響いていた。

 でも、ずいぶんと杜撰な嘘だ。

 歩き出し、頭を動かして、疑問に思う。

 どうしてこんなにすぐにばれる嘘をついたんだろう。

 警察にも同じことを話したのか私は気になった。私にだけあんな嘘をついたのだろうか。

 錦木のアリバイについて警察がどう考えているのか知りたかった。

 と、そこで警部さんから名刺を受け取ったことを思い出した。私は駅前をうろつき、公衆電話を探し出すと、急いでその番号にかけた。
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