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第三十一章
第一話
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「やっぱり君が持っていたんだ」
六条はにやにや笑いながら教室の中に入ってきた。智香は唖然として六条を見て、それから鬼平はサッと、静かにびんを鞄に隠した。
六条はそれを見ると、ますます愉快そうに笑った。
「今さら隠しても無駄だよ、鬼木くん。もう全部わかってるんだからね」
彼は諭すように言った。それから六条は智香を横目で見て、
「でもまさか本当に、こんなことがあるなんて……鈴本も鈴本だ。どうしてこんな奴に」
と、ぶつぶつと呟いた。
「ちょっと! いきなり何?」
智香はその態度に我慢できなくなって席を立ち、六条に迫った。六条は両手の平を智香に向けて、苦笑いしながら距離を取った。
「悪いけど、僕が今用があるのはこの裏切り者の方なんだよ」
彼は鬼平を見ると、
「鬼木くん、騙していたお詫びとしてそのびん、僕に渡してくれよ」
と言った。鬼平は心配そうに鞄の中のびんを見た。心臓が、はち切れそうなほど早く動いていた。
「い、嫌だと言ったら……?」
鬼平が六条を見上げながら答えると、六条の片眉が僅かに吊り上がった。彼はゆっくりと言った。
「どうして? 言っとくけど、そんな権利なんてないよ? 大人しく渡した方がいい」
六条は獲物を見定めるかのように目を細めた。
「ねえ、私をのけ者にしないでくれる?」
智香が間に割り切って入ろうとしたので、六条は面倒くさそうに苦笑いをした。
だが、この時、予想外にも鬼平の方が、智香を懇願するように見つめながら首を振った。智香は、鬼平の態度が腑に落ちず、首を傾げたが、その眼に確かに鬼平の意図を感じ、口をつぐんだ。それを見て六条は喜んだ。
「なんだよ、わかってるじゃん。ほら、渡す気になったんだろ?」
六条は、催促するように鬼平の目の前に手を伸ばし、指先を動かした。鬼平はその陶酔した動きを眺め、びんを渡すかわりに言った。
「……い、いつから? いつからいた? ずっと……つけていたんだろ?」
六条の頬がピクリと動いた。それから肩の力を抜いて、やれやれ、といったふうに答えた。
「最初からだ。君ら、僕がつけているのに、まったく気づかないんだもんな。話も全部聞かせてもらった。そう言えば、よくわからないことも喋っていたな」
六条は皮肉っぽく笑い、首を傾げた。
「だけどその後の話はけっこう面白かったな。ていうか、鬼木くん。君って親から虐待を受けてたんだね。まあでもそれって君にも原因があるんじゃないの? なんか君って痛めつけてやりたくなるんだよな」
六条は恥ずかしげもなくそう言った。
それから、
「ん? ああ、なるほど、そういうことか!」
と何か思い当たったのか、彼は驚きの声を発した。
「何?」
うんざりした智香が、後ろで嫌悪感を丸出しにして聞いた。六条は振り返り、智香に言う。
「鈴本。わかったよ。こいつがびんに願ったことが。簡単だ。それは鈴本を惚れさせることだったんだよ。そりゃそうだよな。絶対あり得ないことだもんな。鬼木くん、君もやるなあ」
六条はそれを言い終えると、腹の底から笑った。六条が笑っていた間、鬼平は、智香から、「そうなの?」と言いたげに見つめられたが、彼は何も答えずに目を逸らした。
「さ、それ、くれよ」
好きなだけ笑った後、六条は再び手を差し伸べた。鬼平はその手を見て顔をしかめ、首を横に振るかわりに、
「……わ、渡さない」
と答えた。
その言葉を聞いて、六条は不機嫌になった。だが、なんとか取り繕い、鬼平の怯えた表情を見てから、甘ったるいものを食べた後みたいなため息を漏らした。
「もしかしてさ、なんか誤解してないか? 僕は別にそれを悪用するつもりはないんだって。ただ、どんな力を持っているのか確かめたいだけなんだから。それさえわかれば、そんなびんなんてどうでもいいんだよ。まあ、万が一本物だった時のためにお金は払ってあげる。そこの金額より安ければなんでもいいんだろ?」
六条は机の上に横たわったお金に向かって顎をくいっとさせる。だが鬼平は頑として聞かなかった。
「ああ、面倒くさい! 早くびんを渡せよ! どうせ、もう散々いい思いをしたんだろ? だったら、もう僕に渡すべきだろ」
鬼平は首を振って否定した。
「い、いやだ!」
そして叫んだ。六条は、子供みたいに抵抗する鬼平を見て、頬を引きつらせながら言った。
「何? ひょっとして、お前、まだ僕を見くびってんの? 僕が一人じゃなんにもできないって、本気で思ってんのか?」
鬼平は六条に凄まれたが、ひるまず頷いた。六条は笑っていた。鬼平も挑発的な笑みを薄っすら浮かべた。
結局、それが二人が交わした最後の感情的なやり取りだった。
六条は険しい顔をして鬼平の胸倉をつかむと、思い切り床に叩きつけた。
後ろで見ていた智香が叫び、六条は抵抗する鬼平を抑え込んで、馬乗りになった。
鬼平は手で顔を覆って守り、六条は我を忘れて顔を真っ赤にし、その上から殴るのをやめなかった。
六条はにやにや笑いながら教室の中に入ってきた。智香は唖然として六条を見て、それから鬼平はサッと、静かにびんを鞄に隠した。
六条はそれを見ると、ますます愉快そうに笑った。
「今さら隠しても無駄だよ、鬼木くん。もう全部わかってるんだからね」
彼は諭すように言った。それから六条は智香を横目で見て、
「でもまさか本当に、こんなことがあるなんて……鈴本も鈴本だ。どうしてこんな奴に」
と、ぶつぶつと呟いた。
「ちょっと! いきなり何?」
智香はその態度に我慢できなくなって席を立ち、六条に迫った。六条は両手の平を智香に向けて、苦笑いしながら距離を取った。
「悪いけど、僕が今用があるのはこの裏切り者の方なんだよ」
彼は鬼平を見ると、
「鬼木くん、騙していたお詫びとしてそのびん、僕に渡してくれよ」
と言った。鬼平は心配そうに鞄の中のびんを見た。心臓が、はち切れそうなほど早く動いていた。
「い、嫌だと言ったら……?」
鬼平が六条を見上げながら答えると、六条の片眉が僅かに吊り上がった。彼はゆっくりと言った。
「どうして? 言っとくけど、そんな権利なんてないよ? 大人しく渡した方がいい」
六条は獲物を見定めるかのように目を細めた。
「ねえ、私をのけ者にしないでくれる?」
智香が間に割り切って入ろうとしたので、六条は面倒くさそうに苦笑いをした。
だが、この時、予想外にも鬼平の方が、智香を懇願するように見つめながら首を振った。智香は、鬼平の態度が腑に落ちず、首を傾げたが、その眼に確かに鬼平の意図を感じ、口をつぐんだ。それを見て六条は喜んだ。
「なんだよ、わかってるじゃん。ほら、渡す気になったんだろ?」
六条は、催促するように鬼平の目の前に手を伸ばし、指先を動かした。鬼平はその陶酔した動きを眺め、びんを渡すかわりに言った。
「……い、いつから? いつからいた? ずっと……つけていたんだろ?」
六条の頬がピクリと動いた。それから肩の力を抜いて、やれやれ、といったふうに答えた。
「最初からだ。君ら、僕がつけているのに、まったく気づかないんだもんな。話も全部聞かせてもらった。そう言えば、よくわからないことも喋っていたな」
六条は皮肉っぽく笑い、首を傾げた。
「だけどその後の話はけっこう面白かったな。ていうか、鬼木くん。君って親から虐待を受けてたんだね。まあでもそれって君にも原因があるんじゃないの? なんか君って痛めつけてやりたくなるんだよな」
六条は恥ずかしげもなくそう言った。
それから、
「ん? ああ、なるほど、そういうことか!」
と何か思い当たったのか、彼は驚きの声を発した。
「何?」
うんざりした智香が、後ろで嫌悪感を丸出しにして聞いた。六条は振り返り、智香に言う。
「鈴本。わかったよ。こいつがびんに願ったことが。簡単だ。それは鈴本を惚れさせることだったんだよ。そりゃそうだよな。絶対あり得ないことだもんな。鬼木くん、君もやるなあ」
六条はそれを言い終えると、腹の底から笑った。六条が笑っていた間、鬼平は、智香から、「そうなの?」と言いたげに見つめられたが、彼は何も答えずに目を逸らした。
「さ、それ、くれよ」
好きなだけ笑った後、六条は再び手を差し伸べた。鬼平はその手を見て顔をしかめ、首を横に振るかわりに、
「……わ、渡さない」
と答えた。
その言葉を聞いて、六条は不機嫌になった。だが、なんとか取り繕い、鬼平の怯えた表情を見てから、甘ったるいものを食べた後みたいなため息を漏らした。
「もしかしてさ、なんか誤解してないか? 僕は別にそれを悪用するつもりはないんだって。ただ、どんな力を持っているのか確かめたいだけなんだから。それさえわかれば、そんなびんなんてどうでもいいんだよ。まあ、万が一本物だった時のためにお金は払ってあげる。そこの金額より安ければなんでもいいんだろ?」
六条は机の上に横たわったお金に向かって顎をくいっとさせる。だが鬼平は頑として聞かなかった。
「ああ、面倒くさい! 早くびんを渡せよ! どうせ、もう散々いい思いをしたんだろ? だったら、もう僕に渡すべきだろ」
鬼平は首を振って否定した。
「い、いやだ!」
そして叫んだ。六条は、子供みたいに抵抗する鬼平を見て、頬を引きつらせながら言った。
「何? ひょっとして、お前、まだ僕を見くびってんの? 僕が一人じゃなんにもできないって、本気で思ってんのか?」
鬼平は六条に凄まれたが、ひるまず頷いた。六条は笑っていた。鬼平も挑発的な笑みを薄っすら浮かべた。
結局、それが二人が交わした最後の感情的なやり取りだった。
六条は険しい顔をして鬼平の胸倉をつかむと、思い切り床に叩きつけた。
後ろで見ていた智香が叫び、六条は抵抗する鬼平を抑え込んで、馬乗りになった。
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