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第二十九章
第二話
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「返して!」
智香は叫んだ。だが百川はその反応を見て、かえって勢いづき、意地悪く笑った。
「何? そんなに大事なの? こんなのが」
百川はびんを見つめながら、乱れた髪を振り払うと立ち上がった。
「いいから、早く返して!」
だがそんな言い方で百川が素直に従うはずもない。智香は不安になった。こうなったら力づくで? でも何が起こるかわからない。
それに無理に動いたせいで、もし百川がこのびんを「びんの悪魔」だと気付いてしまったら? ……その先は考えたくもなかった。
「返してほしい?」
百川は智香を見つめ挑発した。その声は、思わず智香の急所をついたことと、その先の勝利を彼女に予感させたおかげで、微かに震えていた。
「何なの、これ?」
百川は警戒を怠らず、不思議そうにびんを回して見た。それから、彼女が、立ち尽くしている鬼平の姿を捉えると、その口元はぐにゃりと歪んだ。
「ああ、わかった! なんだ。これ、そこの冴えない奴からのプレゼントなんでしょ? へえ、見た目と同じだね、センスゼロじゃん。終わってるよ」
百川は鬼平に向かって蔑むような目つきをした。
鬼平は、自分が思わず傷ついていることを知った。その言葉は確かに彼の胸を突き刺した。そんなことは一言もいっていないのに、まるで今まで自分がやってきたことがすべて否定されたような気になったのだ。
そして、鬼平の痛みを、百川が感じ取り、邪悪な笑みを浮かべた時だった。
「痛い!」
その隙を智香に突かれた。智香は百川に掴みかかり、びんを奪おうした。
百川は間一髪でそれに気付き、智香をもう片方の腕で遠ざけようとした。智香の顔は百川の爪が食い込んで赤くなった。その状態で智香は、びんを握っている指を剥がし取ろうと懸命に抵抗をしていた。百川が叫ぶ。
「離せ!」
智香も叫んだ。
「離さない! あんたこそ離せ! いい? それはね――」
智香がうっかりびんの正体を言ってしまう直前に、突然百川はびんを手放した。
自分を捉えていた力がなくなって、智香はびんを持ったまま勢いよく後ろに倒れ、尻もちをついた。顔を上げた時、自分が握っているびんを見て、あまりのあっけなさに困惑していた。
――何が起きたの? 智香はそう思って、びんを見て、自分が何を言ったのか思い出し、さっと血の気が引いていくのを感じた。そして、智香は、目の前に立っている百川の姿を恐る恐る見上げた。
百川は苦しそうに目を閉じて頭を抱えていた。額にはくっきりしわが刻まれ、激しい苦しみを示していた。だがそれ以外には何も変わったところはなく、百川が何に苦しんでいるのか、傍から見たら何も見当がつかなかった。
しかし、すぐに何が起きたのかわかった。智香が呆然としていると、突然、百川の目が膨れ上がったように見えた。と思うと、それは不自然なほどの垂れ目になった。
そして、変化は目だけに留まらず、彼女の顔を原型もわからないほど変えていった。始め、智香は自分の顔を彼女の顔に見たような気がした。だがそれは一瞬で、また別の顔に変わった。
目、胸、鼻、顎、頬、眉……目まぐるしく彼女の顔と身体が変わって、元の形とはまったく違う顔になり、一つの顔に決して留まらず、激しく燃え上がる火柱のように、揺れ動いた。
それを見た智香は恐怖で凍り付き、言葉を失った。智香は立ちすくみ、すると横から鬼平が叫んだ。
「は、早く! 取り消さないと!」
智香はその言葉でようやく我に返った。
「や、やめて! もう許してあげて!」
智香が手にしていたびんに向かって叫ぶと、百川の変化がピタリと止んで、彼女は元の姿に戻った。百川が気絶して床に倒れる前に、鬼平が受け止めた。
「ど、どうなったの?」
智香は青ざめた顔で鬼平に尋ねた。鬼平は百川の手首を持って脈を図る。
「だ、大丈夫。気絶しただけ……だと思う」
「気絶しただけ? 本当に?」
鬼平は頷いた。すると智香は安心したのか顔を綻ばせ、こわばっていた身体の力が抜けた。そのまま膝から崩れ落ち、びんを手放した。
「だ、大丈夫?」
鬼平が百川をどうすべきか迷いながら、心配して尋ねた。智香は肩で息をしながら両手で顔を覆い頷くと、答えた。
「私は平気。それより、これって、うん。聞くまでもないか、私のせい……だよね」
智香は、両手で自分の腕を抱えると、なんとか落ち着こうとした。
「な、何が起きたの?」
鬼平は抱えていた百川を何とか床に寝かせると智香に聞いた。智香は今では穏やかな寝顔を見せている百川を気まずそうに眺めた。
「……たぶん、私がびんを持ったまま『離せ!』って言ったせいで、こうなったんだと思う。百川は、びんを離す気はなかった。だから私の願いを叶えるために、びんは強力な幻覚みたいなのをかけたんじゃないかな。この子の気を失わせるような、かなり手痛いものを見せてさ。……あんなこと、言わなければよかった」
智香はうんざりしながらも、必死に頭を働かせ、そう話したが、鬼平にはまだよくわからなかった。
「とにかく、この子を保健室に運ばないと。変に誤解されないといいんだけど」
智香は横たわっている百川に近づいて、青白くなった頬を撫でた。鬼平は智香を見た。智香の頬に、さっき百川がつけた爪痕がくっきりと浮かんでいた。
「眠ってる時は、こんなにかわいいのにね」
鬼平は智香が漏らした言葉に驚いた。智香が顔を上げて言った。
「じゃあ悪いんだけど、鬼平くん、先生呼んできてくれない? 情けないけど、私、腰が抜けちゃって動けそうもないの。本当にごめん……お願い」
鬼平は頷いた。
智香は叫んだ。だが百川はその反応を見て、かえって勢いづき、意地悪く笑った。
「何? そんなに大事なの? こんなのが」
百川はびんを見つめながら、乱れた髪を振り払うと立ち上がった。
「いいから、早く返して!」
だがそんな言い方で百川が素直に従うはずもない。智香は不安になった。こうなったら力づくで? でも何が起こるかわからない。
それに無理に動いたせいで、もし百川がこのびんを「びんの悪魔」だと気付いてしまったら? ……その先は考えたくもなかった。
「返してほしい?」
百川は智香を見つめ挑発した。その声は、思わず智香の急所をついたことと、その先の勝利を彼女に予感させたおかげで、微かに震えていた。
「何なの、これ?」
百川は警戒を怠らず、不思議そうにびんを回して見た。それから、彼女が、立ち尽くしている鬼平の姿を捉えると、その口元はぐにゃりと歪んだ。
「ああ、わかった! なんだ。これ、そこの冴えない奴からのプレゼントなんでしょ? へえ、見た目と同じだね、センスゼロじゃん。終わってるよ」
百川は鬼平に向かって蔑むような目つきをした。
鬼平は、自分が思わず傷ついていることを知った。その言葉は確かに彼の胸を突き刺した。そんなことは一言もいっていないのに、まるで今まで自分がやってきたことがすべて否定されたような気になったのだ。
そして、鬼平の痛みを、百川が感じ取り、邪悪な笑みを浮かべた時だった。
「痛い!」
その隙を智香に突かれた。智香は百川に掴みかかり、びんを奪おうした。
百川は間一髪でそれに気付き、智香をもう片方の腕で遠ざけようとした。智香の顔は百川の爪が食い込んで赤くなった。その状態で智香は、びんを握っている指を剥がし取ろうと懸命に抵抗をしていた。百川が叫ぶ。
「離せ!」
智香も叫んだ。
「離さない! あんたこそ離せ! いい? それはね――」
智香がうっかりびんの正体を言ってしまう直前に、突然百川はびんを手放した。
自分を捉えていた力がなくなって、智香はびんを持ったまま勢いよく後ろに倒れ、尻もちをついた。顔を上げた時、自分が握っているびんを見て、あまりのあっけなさに困惑していた。
――何が起きたの? 智香はそう思って、びんを見て、自分が何を言ったのか思い出し、さっと血の気が引いていくのを感じた。そして、智香は、目の前に立っている百川の姿を恐る恐る見上げた。
百川は苦しそうに目を閉じて頭を抱えていた。額にはくっきりしわが刻まれ、激しい苦しみを示していた。だがそれ以外には何も変わったところはなく、百川が何に苦しんでいるのか、傍から見たら何も見当がつかなかった。
しかし、すぐに何が起きたのかわかった。智香が呆然としていると、突然、百川の目が膨れ上がったように見えた。と思うと、それは不自然なほどの垂れ目になった。
そして、変化は目だけに留まらず、彼女の顔を原型もわからないほど変えていった。始め、智香は自分の顔を彼女の顔に見たような気がした。だがそれは一瞬で、また別の顔に変わった。
目、胸、鼻、顎、頬、眉……目まぐるしく彼女の顔と身体が変わって、元の形とはまったく違う顔になり、一つの顔に決して留まらず、激しく燃え上がる火柱のように、揺れ動いた。
それを見た智香は恐怖で凍り付き、言葉を失った。智香は立ちすくみ、すると横から鬼平が叫んだ。
「は、早く! 取り消さないと!」
智香はその言葉でようやく我に返った。
「や、やめて! もう許してあげて!」
智香が手にしていたびんに向かって叫ぶと、百川の変化がピタリと止んで、彼女は元の姿に戻った。百川が気絶して床に倒れる前に、鬼平が受け止めた。
「ど、どうなったの?」
智香は青ざめた顔で鬼平に尋ねた。鬼平は百川の手首を持って脈を図る。
「だ、大丈夫。気絶しただけ……だと思う」
「気絶しただけ? 本当に?」
鬼平は頷いた。すると智香は安心したのか顔を綻ばせ、こわばっていた身体の力が抜けた。そのまま膝から崩れ落ち、びんを手放した。
「だ、大丈夫?」
鬼平が百川をどうすべきか迷いながら、心配して尋ねた。智香は肩で息をしながら両手で顔を覆い頷くと、答えた。
「私は平気。それより、これって、うん。聞くまでもないか、私のせい……だよね」
智香は、両手で自分の腕を抱えると、なんとか落ち着こうとした。
「な、何が起きたの?」
鬼平は抱えていた百川を何とか床に寝かせると智香に聞いた。智香は今では穏やかな寝顔を見せている百川を気まずそうに眺めた。
「……たぶん、私がびんを持ったまま『離せ!』って言ったせいで、こうなったんだと思う。百川は、びんを離す気はなかった。だから私の願いを叶えるために、びんは強力な幻覚みたいなのをかけたんじゃないかな。この子の気を失わせるような、かなり手痛いものを見せてさ。……あんなこと、言わなければよかった」
智香はうんざりしながらも、必死に頭を働かせ、そう話したが、鬼平にはまだよくわからなかった。
「とにかく、この子を保健室に運ばないと。変に誤解されないといいんだけど」
智香は横たわっている百川に近づいて、青白くなった頬を撫でた。鬼平は智香を見た。智香の頬に、さっき百川がつけた爪痕がくっきりと浮かんでいた。
「眠ってる時は、こんなにかわいいのにね」
鬼平は智香が漏らした言葉に驚いた。智香が顔を上げて言った。
「じゃあ悪いんだけど、鬼平くん、先生呼んできてくれない? 情けないけど、私、腰が抜けちゃって動けそうもないの。本当にごめん……お願い」
鬼平は頷いた。
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