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第二十八章
第三話
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鬼平は智香と思わず目が合って、何を言おうとしていたか忘れた。唾を飲みこんでいた時、後ろの扉が開き、白衣を着た福田先生が入ってくる。
「あ、先生」
「あら。どうしたの? 体調悪いの?」
驚いた福田先生が智香を見て言い、横にいる鬼平に気付いた。
「鬼平くん。調子はどう?」
鬼平はお辞儀だけして、言葉で説明はしなかった。横にいた智香が割り込む。
「ごめん。先生。今日はそうじゃなくてね、ちょっと聞きたいんだけど、この本、いつからあるか知ってる?」
智香は「びんの悪魔」の本を持って福田先生に差し出した。福田先生は本を受け取って、裏表を見てから、上下を見る。それから云々唸りながら本の中を見る。先生は、眉間にしわを寄せながら答えた。
「ちょっと……わからないなあ。全部を把握しているわけじゃないからねえ。こんな本あったっけ? 前にいた人が置いていったのかもね。これがどうしかしたの?」
智香と鬼平はそれで福田先生は噂を知らないのだと気付いた。
「ま、まあ、ちょっとね。その懐かしいって思ったから。誰が置いたのかな~って思って。実はね、その本、子供の頃、お母さんによく読んでもらったんだ」
智香は何とか取り繕って言った。
「へえ、そうなの。で? 用は? それだけ?」
福田先生がそう言うと、智香は微笑んだまま、右上の方を見つめ、
「う、うん」
と曖昧に答えた。鬼平はいつもの癖で顔を背けた。福田先生は煮え切らない二人の態度に困惑し、おどけた表情を見せる。
「あ、もう行くね」
智香は慌てて鬼平のもとに行って鞄を取った。鬼平も慌てて帰り支度をした。
福田先生はポケットに手を突っ込んで興味なさげに二人を眺めていた。そして二人が保健室を去る直前に、
「君たち、本当に仲いいんだ」
と呟いた。智香と鬼平はその言葉を聞いていたがお互い聞こえなかった振りをした。保健室から十分離れた距離まで早足で移動した後、智香がほっとしたように言った。
「変なの! なんであんなに緊張したのかな。別に変なことをしていたわけじゃないのに。でも、こんなの、いくら福田先生でも、信じてもらえないよね」
智香は楽しそうに笑い、同意を求めるように鬼平を見たが、すぐに鬼平が暗い表情をしているのに気付いて、笑うのをやめた。
「どうしたの?」
それから、彼女は聞いた。
「い、いや。何でもない」
鬼平は顔を背けたが、智香が見ようとしてくるので、身体ごとそっぽを向けた。智香は首をかしげ、不満そうに腰に手を当てた。それから鬼平が何を思っているのか当てようとして、何も浮かばないことに気付いて、少し落ち込んだ。それも済むと、突然智香は、
「そうだ!」
と叫んで、鞄の中を漁りびんを取り出した。鬼平は智香の方に向き直る。
「さっきね、本を読んでて思ったんだけど、もしかして、これも頼んだら正体を見せてくれるのかな?」
智香はまるで小さな子供のように目を輝かせて言った。鬼平はその宝石のような眼差しに魅了されたが、それでも、智香の言うことに賛成することはできなかった。鬼平はおずおずと言った。
「や、やめたほうがいい……」
智香はムッとした。
「どうして? だって本によれば、悪魔の姿を見るのには対価が要らないんじゃない? 私ね、あのシーンを読んで、悪魔ってすごく自己顕示欲が強いんじゃないかって思った。それと自分のルールにすごく縛られてるってこともね。だから、もしかしたら姿を現したついでに、何か喋るかもしれなくない?」
「……そうかもしれないけど」
鬼平は気乗りしないように答えたが、実際にはそんなことを思いつく智香に驚嘆していた。だが、もしもそれを試して、何か起きてしまったことを考えると、素直に賛成するようなことは口にできなかった。
智香はもどかしそうにしている鬼平を見て、徐々に興奮が冷めてきた。
「ごめん。私、また何も考えてなかった。ただの思い付きだから、もう忘れて」
やがて、智香の頭に苦い思い出がよみがえり、彼女は言った。
だが落ち込んでいく智香の顔を見ていて、今度は鬼平の方が、
「やろう」
と正反対のことを言った。
「え?」
智香は驚いて思わず鬼平の顔を二度見する。鬼平は智香の困惑した顔を見て、一体自分は何を言っているんだろうと思った。
彼は、自分に起きたような対価が智香に起きることを恐れた。だが、智香が言い出したことを、無下にするように考えられなかったのも確かだった。鬼平は智香の言葉を聞いた時から、納得できる言葉を探していたのだった。
「か、考えたんだ。びんのルールを言い出したのは誰なのかって。自分の姿を現すのに、対価がいらないなら、……自分のことを話すのも、た、対価がいらないかもしれない。払っているのは、悪魔自身なのかなって……わ、わからないけど」
鬼平は自信なく答えた。
智香は俯いてびんを見つめた。二人はびんを挟んで、対照的に立っていた。
智香は迷いながらびんを見て、鬼平の顔色を伺った。鬼平は頷いた。
「ぼ、僕は平気。もうあれ以上、酷い記憶なんかない」
「本当に? 何かあっても、私のこと恨まない?」
智香は不安そうに鬼平を見つめた。
「うん」
鬼平が頷く。
智香はまだ迷っていた。冷静になると、どうして悪魔を見たいなんて恐ろしいことを思ったのかわからなかった。
だが、他に方法があるのか、ないのか、それすら何もわからないなら、危険かもしれないが、少しでも何か手がかりがつかめるかもしれない。
……その対価が果たして、悪魔が払うのかどうかは置いておいて。
「そう。じゃあやるけど……いいんだよね?」
鬼平は頷いた。智香はそれを見て覚悟を決めた。こうなると彼女は〝悪魔の姿を見る〟ことに恐れよりも胸の高鳴りを強く感じていた。
智香は目を閉じて深呼吸をすると、びんを見つめ、恐れがくじけさせてしまう前に勢いにまかせて、白く輝くものに向かって言った。
「あなたの姿を見せて」
「あ、先生」
「あら。どうしたの? 体調悪いの?」
驚いた福田先生が智香を見て言い、横にいる鬼平に気付いた。
「鬼平くん。調子はどう?」
鬼平はお辞儀だけして、言葉で説明はしなかった。横にいた智香が割り込む。
「ごめん。先生。今日はそうじゃなくてね、ちょっと聞きたいんだけど、この本、いつからあるか知ってる?」
智香は「びんの悪魔」の本を持って福田先生に差し出した。福田先生は本を受け取って、裏表を見てから、上下を見る。それから云々唸りながら本の中を見る。先生は、眉間にしわを寄せながら答えた。
「ちょっと……わからないなあ。全部を把握しているわけじゃないからねえ。こんな本あったっけ? 前にいた人が置いていったのかもね。これがどうしかしたの?」
智香と鬼平はそれで福田先生は噂を知らないのだと気付いた。
「ま、まあ、ちょっとね。その懐かしいって思ったから。誰が置いたのかな~って思って。実はね、その本、子供の頃、お母さんによく読んでもらったんだ」
智香は何とか取り繕って言った。
「へえ、そうなの。で? 用は? それだけ?」
福田先生がそう言うと、智香は微笑んだまま、右上の方を見つめ、
「う、うん」
と曖昧に答えた。鬼平はいつもの癖で顔を背けた。福田先生は煮え切らない二人の態度に困惑し、おどけた表情を見せる。
「あ、もう行くね」
智香は慌てて鬼平のもとに行って鞄を取った。鬼平も慌てて帰り支度をした。
福田先生はポケットに手を突っ込んで興味なさげに二人を眺めていた。そして二人が保健室を去る直前に、
「君たち、本当に仲いいんだ」
と呟いた。智香と鬼平はその言葉を聞いていたがお互い聞こえなかった振りをした。保健室から十分離れた距離まで早足で移動した後、智香がほっとしたように言った。
「変なの! なんであんなに緊張したのかな。別に変なことをしていたわけじゃないのに。でも、こんなの、いくら福田先生でも、信じてもらえないよね」
智香は楽しそうに笑い、同意を求めるように鬼平を見たが、すぐに鬼平が暗い表情をしているのに気付いて、笑うのをやめた。
「どうしたの?」
それから、彼女は聞いた。
「い、いや。何でもない」
鬼平は顔を背けたが、智香が見ようとしてくるので、身体ごとそっぽを向けた。智香は首をかしげ、不満そうに腰に手を当てた。それから鬼平が何を思っているのか当てようとして、何も浮かばないことに気付いて、少し落ち込んだ。それも済むと、突然智香は、
「そうだ!」
と叫んで、鞄の中を漁りびんを取り出した。鬼平は智香の方に向き直る。
「さっきね、本を読んでて思ったんだけど、もしかして、これも頼んだら正体を見せてくれるのかな?」
智香はまるで小さな子供のように目を輝かせて言った。鬼平はその宝石のような眼差しに魅了されたが、それでも、智香の言うことに賛成することはできなかった。鬼平はおずおずと言った。
「や、やめたほうがいい……」
智香はムッとした。
「どうして? だって本によれば、悪魔の姿を見るのには対価が要らないんじゃない? 私ね、あのシーンを読んで、悪魔ってすごく自己顕示欲が強いんじゃないかって思った。それと自分のルールにすごく縛られてるってこともね。だから、もしかしたら姿を現したついでに、何か喋るかもしれなくない?」
「……そうかもしれないけど」
鬼平は気乗りしないように答えたが、実際にはそんなことを思いつく智香に驚嘆していた。だが、もしもそれを試して、何か起きてしまったことを考えると、素直に賛成するようなことは口にできなかった。
智香はもどかしそうにしている鬼平を見て、徐々に興奮が冷めてきた。
「ごめん。私、また何も考えてなかった。ただの思い付きだから、もう忘れて」
やがて、智香の頭に苦い思い出がよみがえり、彼女は言った。
だが落ち込んでいく智香の顔を見ていて、今度は鬼平の方が、
「やろう」
と正反対のことを言った。
「え?」
智香は驚いて思わず鬼平の顔を二度見する。鬼平は智香の困惑した顔を見て、一体自分は何を言っているんだろうと思った。
彼は、自分に起きたような対価が智香に起きることを恐れた。だが、智香が言い出したことを、無下にするように考えられなかったのも確かだった。鬼平は智香の言葉を聞いた時から、納得できる言葉を探していたのだった。
「か、考えたんだ。びんのルールを言い出したのは誰なのかって。自分の姿を現すのに、対価がいらないなら、……自分のことを話すのも、た、対価がいらないかもしれない。払っているのは、悪魔自身なのかなって……わ、わからないけど」
鬼平は自信なく答えた。
智香は俯いてびんを見つめた。二人はびんを挟んで、対照的に立っていた。
智香は迷いながらびんを見て、鬼平の顔色を伺った。鬼平は頷いた。
「ぼ、僕は平気。もうあれ以上、酷い記憶なんかない」
「本当に? 何かあっても、私のこと恨まない?」
智香は不安そうに鬼平を見つめた。
「うん」
鬼平が頷く。
智香はまだ迷っていた。冷静になると、どうして悪魔を見たいなんて恐ろしいことを思ったのかわからなかった。
だが、他に方法があるのか、ないのか、それすら何もわからないなら、危険かもしれないが、少しでも何か手がかりがつかめるかもしれない。
……その対価が果たして、悪魔が払うのかどうかは置いておいて。
「そう。じゃあやるけど……いいんだよね?」
鬼平は頷いた。智香はそれを見て覚悟を決めた。こうなると彼女は〝悪魔の姿を見る〟ことに恐れよりも胸の高鳴りを強く感じていた。
智香は目を閉じて深呼吸をすると、びんを見つめ、恐れがくじけさせてしまう前に勢いにまかせて、白く輝くものに向かって言った。
「あなたの姿を見せて」
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