びんの悪魔 / 2023

yamatsuka

文字の大きさ
上 下
51 / 62
第二十八章

第二話

しおりを挟む
「ちょっと待ってよ! 一体どこにいくつもり?」

 智香が後ろで叫び、近づいてくるのを待ちながら鬼平は保健室の扉を開けた。中を覗き込む。福田先生はいないようだ。

「ねえ、無視しないでよ!」

 智香が近づき、鬼平の横に並ぶ。それを見て鬼平は冷静になった。彼の中には、さっき六条に放った力は、もうひとかけらも残っていなかった。

「こ、こっち」

 いつもと同じ喋り方に戻り、鬼平は言った。鬼平に連れられて保健室に入った智香は訝しそうに彼を見て、首を傾げた。

「き、昨日見つけた。……こ、ここに本があるんだ」

「本?」

「……うん」

 智香は身をかがめ、本棚を覗き込んだ。しばらくその体勢のまま目を動かしていた。

「何があるっていうの? ……あ」

 智香が「びんの悪魔」を見つけ、引っ張り出した。

「これ……」

 智香は言葉を失いながら表紙の絵を眺め、それから今見ているものの実在を確かめるように手で撫でた。

「どういうこと?」

 智香は本を持ったまま、鬼平の方を向いて尋ねた。

「……わからない。でも、……ここにあった」

「ここに?」

 鬼平は頷く。智香はもう一度表紙に書かれた文字をまじまじと見つめ、本を開いた。

「あのびんって、元ネタがあったんだね」

 智香は本を持ちながらゆっくりと移動して、ベッドに腰を下ろした。本に目を奪われたまま、さっと文章に目を通していく。

「すごい。本当にここに出てくるびんじゃない……」

 智香はそう呟いた後、鬼平がいることも忘れ、本の中に吸い寄せられるかのように物語にのめり込んでいった。鬼平が何か言おうと思った時には、すでに熱心に文字を追っていて、気安く声を掛けられる雰囲気ではなかった。

 鬼平は自分もまだよく読んでいないので反応に困ったが、智香の傍に寄り「一緒に読もう」だなんて、口が裂けても言えるわけがなく、固まってしまった。

「鬼平くんはもう読んだの?」

 智香は本に目を奪われたまま聞いた。鬼平は首を振ったが、智香には見えていなかった。不審に思った智香が顔を上げたところで、鬼平が「い、いや」と答えた。

「じゃあほら、一緒に読もうよ」

 智香は何気なく言って鬼平の分のスペースを開けるために身体を動かし、本をベッドの上に広げた。

 そうして両膝を合わし、身体を斜めにして、日差しが斜めに入ってくるこの保健室で、髪をかき上げながら本を覗き込む智香の仕草は、妙になまめかしかった。

 鬼平は返事ができないまま、そんなことを思ってしまった自分の気持ちを誤魔化すように急いで横に座ったが、今度は智香の顔が近すぎるのと彼女の匂いが香ってくるせいで、なかなか本に集中できなかった。

「やっぱり、この本の人達も、びんの処理に困ってるみたいだね」

 ページをめくりながら、智香が呟いた。鬼平はもう何が何だかわからないまま頷いていた。

 物語は短く、集中して読めばすぐに読めるような量だった。外の生徒たちの声が遠くに聞こえる中、鬼平は徐々に意識を本に集中させ、智香は無言で読み進めた。ついに最後のページに行き渡ると、智香は身体を正面に戻した。

「なんか、都合のいい終わり方だね」

 あまり楽しくなさそうにして智香は言った。鬼平は、智香から少し遅れて物語の結末を読み取った。

 彼の感想は智香と少し違っていて、とても面白いと感じた。その時ばかりは自分が今置かれている境遇も忘れて、物語に没頭できた。

 登場人物たちは自分たちとは別の展開を辿っていて、興味深かったし、それにこれは……〝愛の物語〟だと思った。確かに物語の最後にびんはなくなった。主人公の元、それと物語から。

 だが、そのなくなったはずのびんはここにあるし、主人公たちがびんを手放した方法も、あくまでもルールの中でのことだった。

 智香の言うような抜け道を、彼らは考えることさえしていなかった。他人に渡すことを苦悩する場面も多くない。昔のハワイに住む人達にとっての〝力〟とはもっと素朴だったのかもしれない、と鬼平は思った。

「で?」

 智香は鬼平が本から顔を上げたのを見て言った。

「どうして私にこれを? まさか一緒に読みたかったって言うんじゃないでしょ?」

 智香は自分で言った言葉に笑いながら聞いた。

「い、いや……」

 鬼平は言葉に詰まった。もちろんそれは、間違いではないが……智香が自分と同じように衝撃を受けていないのを見て、どこから説明したらいいのかわからなくなった。それで結局全部説明することになった。とても骨が折れる時間だった。

 鬼平はそれを全身を使って表現していった。びんを買った時の出来事から、六条が現れ、噂が流れているのを知ったことから、六条に悩まされていたことそれらすべてを、もちろん、言える範囲までだったが……。

「私もね、麻由里から噂を聞いた。たぶん鬼平くんがびんを手にした後にね。なるほどね、確かに不思議な話かもね。誰が噂を言い出したのか、わかりそうもないけど、どこからっていう疑問には答えがあったわけね」
 
 すべてを聞いてから智香が言った。鬼平は頷いた。

「でも、その、ロクヨウ君って言ったっけ? あんまりその人には会いたくないけど、嗅覚だけは一人前みたいだね。鬼平くんに目を付けて、次の所有者の私にも目を付けたんだし」

 六条が今、本当に目を付けているのはびんではなくて智香本人だ、とは鬼平は言わなかった。

 額にしわをよせ腕を組んで考え込んでいる智香の姿を見て、鬼平はもっと智香の口から六条の悪口を聞きたいと思う、悪魔のような自分を感じた。

 だが智香はすでに六条への興味を失っていた。かわりに、びんをどうするべきかだけを考えていた。

「あ、あのさ……」

 鬼平が言った。

「何?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夏と夏風夏鈴が教えてくれた、すべてのこと

サトウ・レン
青春
「夏風夏鈴って、名前の中にふたつも〈夏〉が入っていて、これでもかって夏を前面に押し出してくる名前でしょ。ナツカゼカリン。だから嫌いなんだ。この名前も夏も」  困惑する僕に、彼女は言った。聞いてもないのに、言わなくてもいいことまで。不思議な子だな、と思った。そしてそれが不思議と嫌ではなかった。そこも含めて不思議だった。彼女はそれだけ言うと、また逃げるようにしていなくなってしまった。 ※1 本作は、「ラムネ色した空は今日も赤く染まる」という以前書いた短編を元にしています。 ※2 以下の作品について、本作の性質上、物語の核心、結末に触れているものがあります。 〈参考〉 伊藤左千夫『野菊の墓』(新潮文庫) ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』(ハヤカワepi文庫) 堀辰雄『風立ちぬ/菜穂子』(小学館文庫) 三田誠広『いちご同盟』(集英社文庫) 片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館文庫) 村上春樹『ノルウェイの森』(講談社文庫) 住野よる『君の膵臓をたべたい』(双葉文庫)

タカラジェンヌへの軌跡

赤井ちひろ
青春
私立桜城下高校に通う高校一年生、南條さくら 夢はでっかく宝塚! 中学時代は演劇コンクールで助演女優賞もとるほどの力を持っている。 でも彼女には決定的な欠陥が 受験期間高校三年までの残ります三年。必死にレッスンに励むさくらに運命の女神は微笑むのか。 限られた時間の中で夢を追う少女たちを書いた青春小説。 脇を囲む教師たちと高校生の物語。

ヤマネ姫の幸福論

ふくろう
青春
秋の長野行き中央本線、特急あずさの座席に座る一組の男女。 一見、恋人同士に見えるが、これが最初で最後の二人の旅行になるかもしれない。 彼らは霧ヶ峰高原に、「森の妖精」と呼ばれる小動物の棲み家を訪ね、夢のように楽しい二日間を過ごす。 しかし、運命の時は、刻一刻と迫っていた。 主人公達の恋の行方、霧ヶ峰の生き物のお話に添えて、世界中で愛されてきた好編「幸福論」を交え、お読みいただける方に、少しでも清々しく、優しい気持ちになっていただけますよう、精一杯、書いてます! どうぞ、よろしくお願いいたします!

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

水曜日は図書室で

白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
青春
綾織 美久(あやおり みく)、高校二年生。 見た目も地味で引っ込み思案な性格の美久は目立つことが苦手でクラスでも静かに過ごしていた。好きなのは図書室で本を見たり読んだりすること、それともうひとつ。 あるとき美久は図書室で一人の男子・久保田 快(くぼた かい)に出会う。彼はカッコよかったがどこか不思議を秘めていた。偶然から美久は彼と仲良くなっていき『水曜日は図書室で会おう』と約束をすることに……。 第12回ドリーム小説大賞にて奨励賞をいただきました! 本当にありがとうございます!

【完結】カワイイ子猫のつくり方

龍野ゆうき
青春
子猫を助けようとして樹から落下。それだけでも災難なのに、あれ?気が付いたら私…猫になってる!?そんな自分(猫)に手を差し伸べてくれたのは天敵のアイツだった。 無愛想毒舌眼鏡男と獣化主人公の間に生まれる恋?ちょっぴりファンタジーなラブコメ。

青春リフレクション

羽月咲羅
青春
16歳までしか生きられない――。 命の期限がある一条蒼月は未来も希望もなく、生きることを諦め、死ぬことを受け入れるしかできずにいた。 そんなある日、一人の少女に出会う。 彼女はいつも当たり前のように側にいて、次第に蒼月の心にも変化が現れる。 でも、その出会いは偶然じゃなく、必然だった…!? 胸きゅんありの切ない恋愛作品、の予定です!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...